遠い日の理想
"旧きもの"が名乗った名前は、『リストレア』。
この国、リストレア魔王国と、同名の名前。
彼女が建国に関わった上位悪魔である以上、それが偶然であるはずもない。
「……ああ。陛下が、国に名前を付ける時、私の名前を取ってもよいかと……一度は断ったのだがな。どうにも断り切れなかった」
国の名前に恋人の名前つけたのかー。
自分がされたら嬉しいような、恥ずかしいような。
"旧きもの"様改めリストレア様が、嬉しそうだけど、喜び切れていない雰囲気なのも、その辺が関係しているのかもしれない。
「えっと……その姿は? 本当の姿……とか?」
「ドッペルゲンガーほどではないが、悪魔の姿も流動的なもの。どの姿も本当の姿と呼べるものだが、これは……そうだな。私があの方に近い姿を望んだゆえ……なのだろう。人型である以外は、意識してのものではない」
ちょい、と、本来人間やダークエルフの耳があるべき位置から生え出でる黒山羊の耳を触った。
「角も消そうと思えば消せるし、この耳もダークエルフのものにしようと思えば出来るのだが……『それが自然な姿なら、そちらの方がいい』と言ってくれたものでな……」
まず間違いなく陛下のものだろう言葉を言う時、意外なほどに笑み崩れた。
ギャップにちょっと惚れそう。
自覚はあったのか、こほん、と一つ咳払いをして表情を真面目な物に戻すと、リストレア様は重々しく話し始めた。
「私と……陛下は、戦場で出会った。建国歴ほとんどそのままの付き合いだから、四百二十年ほどになるな。――当時は、魔族はバラバラだった。対して人間国家は、我ら『魔族』……いや『非人間種』を人類共通の敵とし、団結しつつあった」
これが、魔族。そして上位悪魔。
四百年の歴史を、生き証人が語る事が出来る。
「……しかし私は……昔はその……恥ずかしくなるぐらい愚かでな……。いや、私以外の者もだが……慰めにはならぬな」
さすがに、『どんな風に愚かだったんですか?』とは聞けずに、続きを待った。
「一人で人間を滅ぼせると、本気で思っておった。ただ気ままにその時々の敵を定め、好き勝手に暴れ回るばかりで……ああ、人に話すと、顔から火が出そうなほどに恥ずかしい……」
やんちゃだった。
実際に頬を羞恥で赤く染めて、手で覆い隠すようにする。
人間は、弱い種族ではない。
筋力はそこそこ。魔力もそこそこ。手先は器用で、繁殖力も高い。
情が深く、必然として執念深いから、一度敵と定めた相手を共同体全ての敵とみなす。
数が多いゆえに、千人に一人の英雄を、魔族より遙かに多く輩出し、部分的には質的に、獣人やダークエルフと拮抗してみせる。
身体能力では竜に及ぶ種族などないし、どんな英雄でも、上位悪魔にも、筋力でも魔力でも劣るだろう。
けれど人間は、時にその道理を覆してきた。
それは大抵は数の力によるものだが、一万人や、一億人に一人の英雄さえ、人間は魔族よりも望みうる人口基盤を持つ。
ただの伝説かもしれないが、それでも一応歴史上の人物として、単独での"竜殺し"や"悪魔殺し"の偉業を果たした人間の英雄は存在する。
敵に回したい種族などいないが、人間は敵に回すと厄介な種族だ。
「――しかし、あの方は違った! まだ百にもなっていない若者ながら、いち早く魔族をまとめ上げようと動いていた! 聞く耳を持たず、綺麗事を抜かすたかがダークエルフの若造と侮って襲いかかった私を、正面から魔法戦で打ち倒した。『殺せ……』と言う私に、度量の深さを示して、笑って手を差し伸べた。そして、こう言ったのだ!」
激しい身振り手振りに、弾んだ声のトーン。
すっごく楽しそう。
誰かに話したくて、仕方なかったのだろう。
「『俺と一緒に来い』とな!」
「……え、あれ、『俺』?」
陛下っぽくない。
「ん……若い頃はそうだったのだ。今でも二人きりの時は、使う事もある」
陛下のイメージが、ちょっと変わった。
「そしてこうも言った。『俺は魔族の国を創るぞ。何の隔たりもない、みんなが幸せに笑える国を。お前は強い。強いから、その力を無駄に使うな。俺に手を貸せ。――その力を、俺のために使え』とも!」
陛下のイメージが、大分変わった。
それなんて王道熱血系主人公?
「悪魔の力は、破壊のための力だと、思っていた。我らは子を成せぬ種族。親を持たぬ種族。――何もせぬうちに、生まれ持ったその力ゆえに恐れられ……殺される定めにある種族であると……」
実はリストレア以外でも、悪魔が生まれる事がある。
未だ『発生条件』さえ分からない、謎だらけの種族。
しかも、デーモンは体毛が黒い事がほぼ共通する以外は、同種族でさえひどく姿形が異なる。
――『同種族』かどうかさえ、分からない。
そして時間と経験により強くなっていく種族。
ゆえに、見つけ次第狩られる。
これは、不死生物も同じだ。
アンデッドは、生前の記憶を持つ者も多い。
けれど人間は、それを誤魔化しと断じる。
かつて愛した者の記憶を持っている存在を――それが本人ではないとしても――種族を理由に、敵と断じる。
エトランタル神聖王国と、その最高戦力"福音騎士団"は、悪魔と不死生物は滅ぶべき種族と定める勢力の筆頭――だった。
今はもう、真に"福音騎士団"と呼ぶに相応しい騎士団はいない。
神聖王国が未だ健在である事へのアピールのために、神聖騎士団より一部が選抜され"福音騎士団"を名乗っているが、その神聖騎士団の精鋭もまた多くが失われた以上、名ばかりなのは本人達が一番分かっているだろう。
実質的な再建へ向けて動いてはいるらしいが、それをさせるつもりはない。
「だが、陛下は私を――私達を受け入れた。悪魔を仲間にするなど言語道断と反発した者達に力を示し、『それ以上は俺を殺してから言うんだな』と言った時の事など、忘れられぬ」
さすが主人公。
同族さえ滅ぼそうと決めた私より、よほど寛容な精神を持っている。
そして、寛容の精神とは、寛容さを示さない相手への武力行使を躊躇わない事だと、よく知っておられる。
「我らは、居場所を見つけた。刃を向けられない場所を……この力を生かせる場所を……」
鶏が先か卵が先か、というやつだ。
悪魔が本当に『危険』かは分からない。
『強い』のは確かだ。『暴れたら危険』なのも。
ただ、サマルカンドは私の暗殺を命令されたが、最終的にそれを拒否した。
私の言葉を『猟奇的な発想』とさえ断じた。
今はちょっとおかしな方向に向かっているような気もするのだけど……『危険』という言葉とは、ほど遠い。
バーゲストもそうだが、敵意を向けられ、そのように扱われたなら、そのように振る舞うようになる。
敵意に対して、敵意で返さない事は、とても難しい。
「仲間を集め、人間と……時には敵対した魔族と戦い……そして、か弱いながら、建国した。その弱い国を……あの方の理想を信じて、集まった者達を守るために忙しく立ち働く日々の中で、私はあの方に惹かれ……あの方もまた、私を特別に想ってくれるようになった。そして……ある決戦の前夜、私を抱きしめ、こう言ってくれた……」
どことなくうっとりしたご様子。
わあ王道系ロマンチック。
王道すぎてフラグが。
「『平和になったら結婚しよう』と」
やっぱり。
「――それから四百年! さっぱり平和にならぬわ!」
リストレア様……いや、恋する乙女が吠えた。
「一度それとなく話を振ってみた事もあるが、あの方は決める時は決めてくれるが、基本的に恋心というやつには疎くてな……」
あー、鈍感系主人公だったかー……。
「それでも、好きだとは言ってくれるし、約束もしてくれた。今でも忙しい中、二人きりの時間は何かと作ってくれるし……その、愛してもくれる」
ガチの恋愛相談。さすがにちょっと照れる。
「だが……平和など、所詮夢物語。私に出来るのは、ただあの方の……陛下の理想に殉じる事だけ……そう思うようになって、未来を諦めつつあった時」
眼光が鋭くなる。
「お前が現れた」




