開き直った常識人
私は、王城に呼ばれていた。
具体的に言うと、『先日の件』だ。
王城の応接室で陛下を待つ間、先日の皆の事を思い返す。
「――いや、まさか主殿がそこまで思い詰められていたとは。申し訳ない事をした」
ボロボロの鎖鎧とサーコートをまとった死霊騎士――ハーケンが、深々と腰を折って頭を下げる。
「い、いや、ハーケン。私こそごめんね? ……その……嬉しかったよ?」
私はその姿にいたたまれないものを感じながら、頭を上げてもらうように促した。
彼の発案だったという『私を甘やかす』作戦は、結論から言えば失敗に終わった。
皆があまりに優しすぎて、私が処刑前夜かと勘違いするほどだったからだ。
「ええ、マスターが悪いんですよ。サマルカンドにもう少しちゃんと聞いていれば、それで済んだ話です」
リズが不機嫌そうな表情で、つんと顔をそらした。
「我が言葉が至らなかった罪でございます、リズ様。どうか責めは私に」
直立した黒山羊さん――サマルカンドが、片膝を突いてひざまずき、頭を垂れる。
「サマルカンド。気持ちは嬉しいが、顔を上げろ。――あれは、私の罪だ」
彼の肩を軽く叩き、立ち上がらせる。
サマルカンドの巨体が窓からの陽光を遮って、私を、すっぽりと黒い影の中に隠した。
うつむいて、呟く。
「……皆の信頼を、裏切った」
私は、魔王軍最高幹部だ。
しかし、"第六軍"は未だ設立されて日が浅い。
設立の経緯も、存続の理由も、全てが危うい。
――それでも。
それでも私は、リストレア魔王国に六人しかいない、魔王軍最高幹部なのだ。
……その私自身が、自分の価値を、部下の皆が思うよりも低く見積もった。
それは、消えない罪だ。
「私は――もう二度と間違えないよ。やる事は何も変わらない。けれど、二度と、皆の信頼を疑う事はしない」
私は、サマルカンドの影から出て、日の光の下に歩み出ると、皆をゆっくりと見渡した。
「――こんな私だが、主と認めてくれるか?」
「無論である」
ハーケンが、顎骨をかちりと噛み合わせた。
「我が主は他におりませぬ」
サマルカンドが、再び片膝を突いてひざまずく。
「……そんな事を聞くようでは、先が思いやられる」
レベッカが、ため息をついた。
「もちろんですよマスター。私はあなたの、副官ですからね」
リズが、微笑みかけてくれた。
「……ありがとう」
私も、笑った。
そして、リズに歩み寄って、正面からぎゅっと抱きしめる。
「……で、これは何の真似ですかねマスター」
「可愛い部下を抱きしめる事に何か問題が?」
「甘やかし期間は終了したとお伝えしたはずですが?」
リズがぐい、と私を押しやった。
「おや、それは初耳である。別に続けても構わんのだが?」
ハーケンが首を傾げて見せた。
「では改めて宣言しましょう。甘やかし期間はマスターの誤解を招いたため終了しました。――いつも通りでいいんですよいつも通りで」
「我が主にかつて受けた恩と、常日頃頂いている信頼に応えるためには、相応の行動が必要であると存じます。信頼は無論ですが、行動に移さねば見えぬものもありましょう」
「それは正論ですが、マスターは先日の『甘やかし』中も、サマルカンドはいつも通りだと言ってましたよ」
サマルカンドが私を見る。
珍しい、ちょっと困ったような表情だ。
「……うん。いつも私を限界まで甘やかしてると思う。私の言葉にノーって言った事ないよね?」
「我が主のお言葉が全てに優先されます。真実とは我が主の口から出るものを示し、それに従う事が無上の喜びであるがゆえに」
彼と私の間には"血の契約"がある。
彼は従者であり、私は主人だ。
この契約は呪いに近い誓約であり、従者は主人に逆らえない……のだが、契約において命じなければ、強制力はない。
もちろん今も、契約による命令などしていない。
「……ねえサマルカンド」
「なんでございましょうか、我が主」
「私が、私の命令に従うなって命令したら、どうするの?」
矛盾、というやつだ。
彼が私の命令に従うのならば。
命令に従うなという命令にも、従わなければいけない。
しかしサマルカンドは、微笑んで、一手でその矛盾を回避した。
「では、これが初のノーという事になりましょう」
「……柔軟だね」
つまり、命令に従いたいので命令に従うなという命令にだけは従えない、と。
全ての命令に従うという前提が、素の状態では存在しないゆえに、矛盾など起こりえないというわけだ。
"血の契約"を盾に、先の命令を下した場合、どうなるかは少し興味があるが。
「ちなみにレベッカは?」
「サマルカンドとは違う意味でノーと言わせてもらおう。ちゃんとした仕事持ってこい」
「つまりレベッカに魔力供給するとか、バーゲスト達との友好関係をさらに深い物にするとか、そういうやつだね?」
「……また微妙に断りにくいものを」
なお言い換えると『可愛いエルフ耳の幼女を抱きしめる』『幼女と共に大型犬とたわむれる』となる。
大義名分とは、大事なものだ。
「私は、いてくれるだけでもいいんだけどねえ」
「いい事言っている風だが、私はここに不死生物の教導役として来ているのを忘れてやしないか」
「……屋敷にアンデッドのひと、ハーケンとレベッカしかいないじゃない」
「増える予定なんだよ。後、前の視察の時とか、休暇での入れ替えの時とか、現地活動班相手にちょくちょく仕事はしてる。コンタクトみたいに、新術式の開発とか、研究も並行してるし」
「そういえばそうだったね」
「忘れてたのかもしかして」
「いやほらたまに自分でも自分がやってきた事を忘れるぐらいだから」
「……記憶の欠落が……?」
レベッカが真剣な顔になる。
「国内の地固め抜いても、そろそろ人間の人口は二割ほど減ってるはずだし、ランク王国のドラゴンナイトを兵糧攻めで崩壊させて、小国家群の海上輸送ルート潰して、エトランタル神聖王国の"福音騎士団"壊滅させたよな? 覚えてるか?」
「そう言われるとそんな事があったような気もするけど」
並べ立てられると陰惨な戦歴だが、既に何かと遠い記憶のような気がする。
「エルフ耳の女の子との思い出を心に焼き付けるのが忙しくて」
「……人格の破綻が……?」
レベッカが呆れた顔になる。
私はわざとらしく肩をすくめて、首を横にゆるゆると振ってみせる。
「やれやれ。レベッカにも困ったものだ。"病毒の王"を名乗った人間の人格が破綻している事を、今さら取り上げるとは」
リズが、ため息をついた。
「開き直った常識人って面倒ですよね」
ノックの、音が聞こえた。
慌ててキリッとした顔を作る。
前はここまで仮面を着けていてよかったが、今は応接室に入った時点で外しているのだ。
顔なじみの、銀髪のロングヘアのダークエルフメイドさんが優雅な動作で入室し、頭を下げる。
この区画の担当となると、メイドさんの中では結構地位が高いような気がするのだけど、まだ名前も知らなかったりする。
「"病毒の王"様。――陛下がいらっしゃいました。"旧きもの"様も共に」
魔王陛下と、リタル様と並んで建国時より魔王軍最高幹部を務めている、上位悪魔にして"第五軍"の長が、共にお出ましだ。
開き直っただけの常識人としては、気合いを入れなくては。




