非道の悪鬼のプライベート
可愛いお客さんを怖がらせないようにと、自室で待機していた私の元に、うちの愛らしい副官さんにしてメイドさんのリズが、愛らしい幼女死霊術師のレベッカを伴ってやってくる。
「マスター。あの子、帰りましたよ」
「あ、もう?」
「……それで、マスターは何をやっておられるので?」
「バーゲストのブラッシングを少々」
ベッドの上で、バーゲストの頭を膝の上にのせて、大型犬用のブラシでふんわりとさせる、神経を使う作業中だ。
一区切り付いたところでブラシを置くと、気持ちよさそうに目を閉じているバーゲストの首筋を緩く抱きしめて、ふわふわの毛を首元と頬で堪能する。
「それで? ちゃんとおもてなし出来た? ほら、暗殺者でも軍人でもないお客さんって初めてじゃない?」
「それもすごい話ですが……まあ、ホットミルクとクッキー出して、怪我の治療して帰しましたよ」
「もう少しゆっくりしてもらっても良かったのに。一応、歓迎プラン考えてたんだけど」
「……一応聞きましょう」
好奇心が勝った、という風なリズ。
「たくさんのバーゲストと遊ぶとか。小さい子は大抵動物好きだよね」
「やっぱり早めに帰して正解だったな」
「ええ、一生消えないトラウマ作るところでしたね」
「それはもう作られたんじゃないか?」
「……まあ、肝試しに来たら、いつの間にか背後に"病毒の王"がいるのはホラーですよね」
「そんな事してたのか。道理で怯えてたわけだ」
レベッカが呆れ顔になる。
「それは少し反省してる」
子供とは、守られるべきものだ。
子供の笑顔を守り、いい思い出を作って、よい大人になってもらうべく努力するのは、かつて子供であった大人の義務だ。
子供の頃の肝試しとか、私は今となってはやったかどうか定かではないが、そういうのワクワクする。
幼い日の思い出に、花を添えたかっただけなんだけどなあ。
「それにこんな所にいたら、小さい女の子の情操教育に悪いです」
「――失礼な。私が小さい女の子に何かすると?」
「だって可愛い女の子ならターゲットなんでしょう?」
ジト目のリズの言葉が刃のよう。
「あのねリズ。いつ私がそんな事を?」
私の言葉に、リズが微笑んで応えた。
「"病毒の王"様におかれましては、常日頃、年下の可愛い女の子が好きと公言しておられると記憶しておりますが?」
「記憶にございません」
なお地球の特殊な立場の人間が、『実の所記憶にはあるが私の責任にない』事を主張する際に使う言葉だ。
似た言葉は「秘書がやった事です」。
レベッカも微笑む。
「"病毒の王"様ともあろうお方が、初対面であの子と外見年齢のそう変わらない私を抱きしめた過去をお忘れなのだろうか?」
「あれはちゃんと許可を貰いました」
私は犯罪者ではない。
少なくとも私は、リストレアにおいては犯罪歴はないし、かなり高い作戦成功率と、非常に低い損耗率を併せ持つ、模範的な軍人でもある。
ただし、人間の勢力圏でもし素性がバレたら、裁判なしの即時処刑か、拷問の末の惨たらしい死か、どちらになるか以外の未来分岐は存在しないだろう。
私はそういう相手は、諸々のリスクを勘案しても即時処刑派だが、歴史を振り返ると結構拷問の末の死が多い。
そして、たまに逃げられている。
特にフィクションの悪役は、とてもよく逃げられるので、是非捕まえた危険分子は即時処刑して頂きたいものだ。
活動資金が欲しいのも分かるが、身代金は諦めた方がいいと思う。
ちなみに最近の悩みは、地球のフィクション知識で参考になるのがむしろ悪役側である事。
まあ、私は――"病毒の王"は、"悪い魔法使い"だから仕方ない。
危険分子を捕まえたら即時処刑。
万が一どうしても捕まえておかなくてはいけないならば見張りを置いて、戸締まりも厳重に。通風口も忘れず封鎖。
相手の嫌がる事を進んでしなさい。
生きているだけでこれだけの知識を実感として蓄えられるとは、現代日本とは、確かに教育に力を入れた国だったのだなあ、としみじみ。
けれど。
「さすがにあの年齢の子は守備範囲外だし、大体、万が一そうだったとしても、今の私をもうちょっと信用してもらいたいものだね」
「え? どこかに信用出来る要素が?」
「私も聞きたいな」
辛辣極まりない二人。
私はため息をつくと、バーゲストを解放して、ベッドから下りた。
「リズ。君には失望した」
「……え」
「君は、私の考えを誰よりも深く理解してくれる、よき副官であり、パートナーであると……信じていたのだがな」
「あの……その、深いお考え……が?」
リズの声が震え、表情には狼狽が見える。
それでもうつむかず、視線も泳がせない彼女は、訓練された軍人だ。
「私は、普段から宣言してあるはずなのだがな」
「……はい。我が主の目標は人類絶滅であり……」
「今はそんな事を話していない」
私は精一杯の冷たい瞳で彼女を見据えると、ぐい、と細い両の手首を掴んで、引き寄せた。
「私は……このような罰は、好まないのだがな」
私の低い声色に、びくり、とリズの身体が微かに震える。
すっと、頬を寄せて。
彼女の耳を、甘噛みした。
「……ま、ますたー?」
「おしおきです」
がじがじと、褐色の肉厚で笹の葉のような優美なラインを描くリズの耳を、唾を塗り込むように、歯形の残らないギリギリの強さで、ゆっくりと噛み締める。
「え? ……は? ――は!?」
最後に軽く一舐めするように口付けて、ダークなエルフ耳というご馳走から口を離した。
そしてリズを抱きしめると、彼女の頭の奥に、熱い息を吹き込むように、耳元にささやいた。
「私はリズの事が大好きだって、常日頃言ってるのにね」
何をされたかは、正直よく分からなかった。
「え、私これ、何されてるの? リズ。痛いっていうかむしろ怖い」
多分、さっきまで抱きしめていたリズに後ろ手に捻られて、いる。
私の両腕は交差して? ひざまずくように膝も突かされて?
ポーズは自分の身体なのによく分からないが、完全に、制圧されていた。
この間の体感時間は、一秒に満たない。
「マスターも私の味わった色々な何かの、ほんの一割でも味わえばいいんじゃないですかね……?」
リズの、低い声が降ってくる。
怖い。
でも。
「私は多分それ、よく味わってるよ」
私はもっと怖いものを、知っている。
「マスター。すまないが退室する。そういったプレイは二人きりの時にやってくれ」
「分かった。退室を許可する」
「レベッカ? ちょっと話が」
「すまないリズ。痴話喧嘩に付き合う趣味はないんだ。ほら、言うだろ? 人の恋路を邪魔するやつは、馬に蹴られて死んでしまえって」
あれ。馬が貴重なリストレアでも、同じことわざなのか。
いや、むしろ遙かに強い言葉なのかもしれない。
どちらにせよ、この国はいい国だ。
「それでは、仲良くな」
「レベッカ!」
リズが私を解放し、立ち去ろうとするレベッカの肩に手を掛ける。
「待ちなさいレベッカ。誤解を解いてから退室なさい」
「私は何も誤解していないつもりだが?」
まっすぐな瞳のレベッカ。
「そうだよリズ」
解放されたので、後ろからリズの首元に腕を回し、抱きすくめる。
「――ではな」
リズが固まった隙に、レベッカはひらひらと手を振って退室する。
そして、扉が閉められた。
「……マスター。私は、副官、ですからね」
「知ってるよ。私の副官さん」
怖いものを、知っている。
怖いものは、本当は全部、幸せな事なのだ。
――それを失うのが、怖い事だ。
その重みを、その恐ろしさを知っていて。
それでもなお、それを全て壊せと命令したからこそ、私は非道の悪鬼と呼ばれ、人類の怨敵と呼ばれた。
私は、"病毒の王"。
種族、人間。
目標、人類絶滅。
「あの。これいつまで?」
「もうちょっと」
プライベートでは、可愛い女の子とメイドさんと、その両方を併せ持つと同時に副官であるリズの事が大好きな、日本人女性(27)だ。




