最後の望み
リズ、レベッカ、サマルカンド、ハーケンが、リズの部屋で一堂に会していた。
「サマルカンド。マスターに呼ばれたと言いましたね。何か、聞かれたのですか?」
リズがサマルカンドに問う。
サマルカンドが、恭しく答えた。
「私達の態度に、違和感を持たれたようです。"血の契約"もあり、真実をお伝えしました。我らが主を甘やかすべきであるという結論に至ったと」
「マスターの反応は?」
レベッカの問いにも、同じ態度で頭を下げて、サマルカンドが答えた。
「最初は疑問を抱かれたようですが、最後には『お前達の忠誠……いや、気持ちを、ありがたく思う』とのお言葉を頂きました。少し一人になりたいとの事で退室し、その足でこの場に参りました」
「では、順調であると?」
ハーケンの問いに、サマルカンドは頭を上げると、口調は丁寧な物を崩さず、頷いた。
「そのように考えて、よろしいかと」
リズが、微笑んだ。
「……マスターが喜んでくれたなら、何よりです」
皆が、頷いた。
私は、しばらく窓辺に一人でたたずんでいた。
こちらに来てからの毎日を、懐かしく思い返す。
無我夢中で、ここまで来た。
みんなに支えられて――ここまで。
そのみんなの様子が、おかしい。
ハーケンは元々よく分からない所があるし、サマルカンドはいつもと変わらないが、特にリズとレベッカの様子が、おかしかった。
妙に、優しい。
優しすぎる。
心当たりは……認めたくないが、一つだけあった。
死刑囚は、死刑執行の前日に好きな食事をリクエスト出来るという。
あるいは、煙草を吸わせてもらったり、神父に懺悔をしたりだ。
私は少し、やりすぎたのかもしれない。
リストレア魔王国は、危ういバランスで成り立っている国だ。
国内に魔獣がはびこり、種族はばらばら。
手が足りず、魔獣も多いため手つかずの地域が多いが、国土自体は、かなり広い。
だから、人間がこの国を滅ぼす事は、困難を極める。
防衛戦に徹すれば、こちらに分がある。
人間側が本格的に侵攻してさえ――地獄を見るのは、人間になる。
さらにリストレアは、無数の不死生物が住まう国だ。
"福音騎士団"と、神聖騎士団の二割が失われ、死霊軍の戦力の重みが増し始めている。
"ドラゴンナイト"も、もういない。
人間達の通常戦力だけでも、こちらを十分に滅ぼせるほど――けれど、人間達は間違いなく、切り札を失ったのだ。
もう、人類という種族の命運さえ賭けなければ、魔族の絶滅などおぼつかない。
それはリストレアにとっても、勝利とは呼べないだろう。
今戦えば、勝ってさえ、人口はおそらく、十分の一を割る。個体数を維持出来ない種族も出るだろう。特にドラゴンだ。
先日の作戦にさえ、駆り出されなかったほどの最重要種族。一匹の死さえ、許されない。まして"竜母"の死など。
今戦争になれば、国の体は、保てないだろう。
それでも、希望は見えた。
――もう、"病毒の王"は、要らないのかもしれない。
"第六軍"の運用など、リズとレベッカ、それにクラリオンがいればそれで事足りる。
私は替えの利かない存在ではないのだから。
私は、ただの。
ただの、人間だから。
私は、深夜にリズの部屋を訪れた。
身につけているのは若草色のローブだけで、他は全て畳んで置いてきた。
ローブも、護符も、杖も――仮面も。
ノックと同時に、部屋の扉が開けられる。
ふわりとした、丈の長い寝間着のリズが出迎えてくれる。
「マスター、どうしたんですか。こんな夜更けに。ベルを鳴らしてくれれば、参りましたのに」
「……話が、あるんだ。入れて、くれる?」
「いいですよ。どうぞ」
彼女に招かれて、部屋に入ると、扉を後ろ手に閉めて、鍵を掛けた。
「それで……お話とは? あ、添い寝ですか? いいですよ」
微笑むリズ。
この笑顔が、欲しかった。
彼女の心が、欲しかった。
せめて、一緒の時間を、少しでも長く過ごしたかった。
それが叶わないと悟った今でも、彼女を憎む気持ちは、一片も湧いてこない。
「違う、の。お礼が……言いたくて」
微笑んだ。
「……リズ。今までありがとう」
「マスター……」
リズが、そっといたわるように微笑んで、私を抱きしめてくれる。
私は、改めて覚悟を決めた。
抱きしめ返す事は辛すぎて出来ず、けれど彼女の耳元に、呟くようにささやいた。
「苦しませずに、殺してくれる?」
「……マスター。何、言ってるんですか?」
「命乞いは、しないよ。でも、みんなをお願い。リズ達は大丈夫だと思うけど、特にクラリオン達ドッペルゲンガーの事を頼む。暗殺班の皆も、私の命令に従っただけだ。全ての責めは私に負わせて。……バーゲスト達も、なるべくいいように計らって。こんな事、頼めた立場じゃ、ないかもしれないけど……」
「マスター? 私がそれをする理由がありません」
「財産は没収されるかもしれないけど、実は遺言で受け渡し先は全額リズにしてあるから……」
「……それ、初耳ですよ。そんなの、受け取りたくないですからね」
「じゃあ、床下に金のインゴット隠してあるから、それを好きにして。帳簿に計上されてない『存在しない』財産だから……」
「いや、それはもっと受け取りたくないです。後、いつの間に?」
「隠し金はたしなみかと思って」
手数料を取る貸金庫に近いが、リストレアには国営銀行があって、私の個人資産は、ほぼ全てそこに収められている。
いつか、そこを介さず、動く必要がある時のために。
契約の名に置いて他言無用を命じた、サマルカンドのみを使って用意した非常用資金だ。
インゴット以外にも、目立たないように、きっちり銅貨と銀貨も多めに混ぜた、当座の資金も用意してある。
これを持ち出せなかった時のためにも、そう大金ではないが、別名義の口座も用意してある。
……もしも、いつか、リズと逃げる必要に迫られる時がくれば、と。
少しだけ、甘い夢を見た。
けれど、もしかしたら、情に訴えれば、彼女の心を動かせるかもしれないという、その時になっても。
どうせ死ぬならそうしてみてもいいのではないかと、理性がささやいても。
私は、彼女を、この国の敵にはしたくなかった。
地獄への道連れは、思い出だけで十分だ。
「ごめんね。……私、いい主じゃなかった、ね」
彼女の肩を押して、引き剥がす。
私は微笑んだ。
「でも、大好きだよ、リズ」




