血に染まる雪
声の先を見ると、城壁の下の雪原に展開したリストレア軍の中に、ブリジットの姿を見つけた。
金で縁取られた深紅の鎧に、黒いマント。美しい銀髪は、高い位置でポニーテールに結われている。
そして何より、全軍の先頭に立ち、剣を掲げている姿は、とても目立つ。
彼女の背後に並ぶ、黒い鎧の暗黒騎士の先頭には、巨大な魔獣が十二匹いる。
もつれた灰色の毛に、三本角。蹄で雪を掻き、突撃の合図を待つ、四つ足の有角獣――リベリットシープ。
暗黒騎士団でこそないが、今回彼女の指揮下に入る事になった、十二騎のリベリット槍騎兵だ。
雪上戦闘という事で参戦を打診したが、二つ返事で、全騎が馳せ参じてくれた。
そして彼らの隣に並ぶのは、揃いの鎧の暗黒騎士とは対照的に思い思いの武装で身を固めた獣人軍の戦士達。
彼らを率いているのは、初めて見る、軽装とはいえ鎧姿のラトゥースだ。
ブリジット。ラトゥース。共に、"血騎士"と"折れ牙"の二つ名で呼ばれる、魔王軍最高幹部。
私の"病毒の王"と違って、実力で呼ばれた名だ。
私と、上空のリタル様を含めれば、六人の最高幹部中四人が、今この場にいる。
付き従う者も皆、リストレアが誇る最精鋭。
全員が、それぞれの武器を構えた。
砦の弓兵から矢が射込まれる。
二十名に満たないが、精鋭が選抜されたと聞いている。
全員の目のあたりに、淡く輝く小さな魔法陣が浮かび上がっているのは、レベッカの開発した『コンタクトレンズ』だろう。
夜間戦闘用の改良型は間に合わなかったと言うが、城壁の上で防衛戦なら、リスクよりリターンが大きい。
身体強化しなければ、引く事さえ出来ないほどの剛弓の弦が次々に鳴り、矢が放たれる。
距離を詰める白い鎧の騎士団に、大きな欠けはない。動揺もなく、ただひたすらに走ってくる。
鎧に掛けられた防御魔法に魔力を全力で回せば、矢を弾ける。
遠距離からの弓も、魔法と同じく脅威ゆえに、対策はきっちりされている。
それでも戦争とは、そういう事の積み重ねだ。
こちらの前衛と切り結ぶ前に、魔力を消耗しているし――射倒された者も一人や二人ではない。
一人、また一人と、鎧の隙間を射抜かれ、膝を突いて倒れ込み、踏み荒らされた雪原に取り残される。
本来、英雄クラスの精鋭は、一人たりとも失われてはならない。
人間は数が多いが、寿命の短さゆえに、脂の乗った時期は短い。魔族はその時期が長いが、数の少なさゆえに一人の死が人間以上に重くのしかかる。
全員が、雪崩に飲み込まれていれば良かった。
全員が、死んでいれば。
そうすれば、私達の側の死者はなかった。
白と黒の波が、激突する。
恐らくは腕は同等。数はこちらが敵の四倍以上と、完全に逆転している。
だが、向こうにとってここは死地だ。
生きて帰れる可能性など何一つなく、けれどそれでも、一人でも多くの魔族を道連れにしようという気迫に溢れていた。
仲間を失ってなお。
信仰を裏切られてなお。
それでも、彼らは神聖騎士なのだ。
先陣を切って、横並びに突進した十二騎のリベリット槍騎兵が、敵軍を槍と蹄で蹂躙しつつ、攻撃魔法と刃の林の前に、櫛の歯が欠けるようにリベリットシープが血煙を上げて力尽き、崩れ落ちる。
敵軍を走り抜けたのは、僅か二騎。
何人か、乗り手が振り落とされるのも見えたが、生死までは定かではない。
穿たれた敵陣の穴に、暗黒騎士団と獣人軍がなだれ込み、乱戦になる。
ブリジットとラトゥースの腕は、やはり群を抜いている。
目立つ二人へと殺到しているが、その全てをさばき切っていた。
倒れる数は、向こうの方が大きい。体力の消耗も、数の差も、全てが敵だ。
それが、道理だ。
だから、彼らはその道理を覆すための手段を取った。
ブリジットに斬り倒された一人の死体が、淡い緑の光を放つ。
いつか見た、おぞましい光。
人の、命の光。竜の血を精製して生まれるという、人間をやめるための薬。
その光は、一つきりではなかった。
全員ではない。だが、死んで捨て置かれた死体のいくつかが、淡く緑に光った。
ずるりと起き上がり、深い雪の中を、足も取られずに突進してくる。
ノーマークだったその内の一人が、包囲網を抜けた。
「"病毒の王"……!」
果てしない怨嗟の込められた、声。
憎しみにひび割れていても分かる。女性の声だった。
神聖騎士の素質に、男女差はほとんどない。
全体でも、基礎体力で男性は有利だが、魔力量では若干女性の方が有利。
それでも軍人は圧倒的に男の方が多くはあるが、リストレアでも、人間国家でも、女性兵士はなんら珍しい存在ではない。
そして彼女は城壁の下で、腰に下げていた短い投げ槍を構えた。
槍と彼女の手元が、地上に太陽が降りたような神々しい金色の光に包まれる。
「"神聖……槍"ッ!!」
目がくらむ光。
その光が、光の槍が、まっすぐ、私に、吸い込まれて。
「「"障壁"」」
レベッカとサマルカンドが同時に詠唱し、二重に展開された魔法障壁と激突し、眩い光と共に消失した。
「マスター。微動だにしないとは、流石だな。私達の事を信じてくれた……わけじゃないのか?」
レベッカが、言葉の途中で首を傾げた。
頷く。
「信じてはいるけど、今のは反応出来なかっただけ。口から心臓吐きそう」
私達が、呑気な会話をしていられるのには、理由がある。
ゆらりとリズの姿が、投擲で姿勢の崩れた神聖騎士の背後に、陽炎のように現れていた。
後ろから手を伸ばし、滑らかな動作で面頬の固定金具を外し、バイザーを跳ね上げ、口元に手を当てた。
「"粘体生物生成"」
呟くような一詠唱で、その女騎士は詰んだ。
喉に詰め込まれたウーズを排除出来ないまま、活動に必要な酸素が足りなくなるまでの時間、ウーズを吐き出そうと暴れていた。
しかしリズに抑え込まれ、それは叶わない。
じきにぐたりとなって、それでも幾度となく死と再生を繰り返し、身体がびくん、びくんと跳ねる。
仮称"竜の血"ポーションは、間違いなく、脅威だ。
神聖王国へ知識と現物が流れたとは、聞いていた。
まだこれだけの人数に使用出来るほど、原材料である竜の血の備蓄があった事も驚きだが、何より驚きなのは、もう一つの方だ。
調査の結果判明した、『寿命を前借りしている』とまで言われた、再生に伴って消費する生命力のべらぼうな浪費が、改善されたとは思えない。
一度飲めば、飲み続けなければ死ぬ。しかし、原材料が貴重かつ、精製後はかなり強力な薬だ。材料を調達し続けられたとしても、内臓が保たないだろう。
つまり、飲めば死ぬ。
それでも、彼らにとってここは死地。
どこかで、一部の選抜された決死隊が、これを飲んで犠牲を厭わず暴れる算段になっていたのだろう。
志願か、強制か、どちらにせよ狂ってる。
しかし、既に、対抗手段の確立された脅威だ。
私とリズ、それにサマルカンドが、文字通り死にかけながら得た戦訓は、共有され、対策が練られている。
脅威ではあっても、この劣勢を跳ね返す手段には、なりえない。
見ると、緑の光を放つ騎士は全員、それぞれ五、六人に囲まれて、入れ替わり立ち替わり、切り刻まれていた。
防御に徹して鎧に魔力を流し続けたとしても、同じく魔力を流された武器で攻撃するのとは、効率が違う。
被弾面積の全てをカバーする必要があるゆえに、攻撃より防御の方が、魔力効率が悪い。
そして一対一ならまだしも、多数に囲まれているのだ。
ここに集ったのは、リストレアの最精鋭。
同数ならばともかく、少数相手に負ける理由がない。
限界か、気を抜いたのか、鎧が弾け飛び、肉と血が飛び散る。
一カ所の穴が、すぐに全身に広がる。
すぐに鎧が意味を成さなくなり、むしろねじくれた鉄塊に動きを制限され、再生途中の肉体に食い込み、生命力を浪費する。
その間にも武器が振り下ろされ、ほとんど解体されていく。
陰惨極まる光景だが、それが最善手だ。
ブリジットは、首を刎ね、頭部が再生し切る前に再び『壊す』という荒技で対処している。
命という代償と引き替えに、身体欠損の再生さえ行える、規格外の再生能力が売りの薬だ。
しかし、脳がなくては攻撃も、防御も、出来ないだろう。
ラトゥースは、武器だけ左手の短剣"牙砕き"で砕いて、攻撃力の落ちた相手を部下に囲ませている。
二人共、合理的だ。
武器が幾度となく振るわれ、血飛沫と共に、一人、また一人と倒れていく。
じきに戦いは、終わった。
雪原が、お互いの血で、真っ赤に染まった。




