雪山の魔法戦
百に満たない数とはいえ、侮っていい理由は何一つなかった。
あの雪崩を、実力にせよ、運にせよ、生き残った者達だ。
一般兵や民兵も、流され方によっては、下の方で生き残っている者もいるかもしれない。それは戦力も足りないし、追わない手筈だ。
生きて山を下りられれば、の話だが、恐怖と絶望を撒き散らす広告塔になってくれると最高だ。
だが、あれらは、ここで潰す。
あの雪崩の中から這い上がる、揃いの白い鎧をまとった神聖騎士達は、間違いなく"福音騎士団"。
神聖王国の、最高戦力。
魔族の存在を認めない、狂信者共。
「マスター。行ってきます」
いつも寒そうだが、雪山では全くもってお腹冷えそうな恰好、黒レザーの暗殺者装束のリズが、ゆらめく影のような希薄な気配をまとったまま、私に声をかける。
名前を呼ばれ、意識を向ける事を許してもらえなかったら、私には知覚出来なかっただろう。
「……リズ。無事に帰ってきたら、いっぱい可愛がってあげるからね」
「……あの、帰ってくる気削ぐような事言うのやめてくれません?」
リズが、ぐい、と首元のマフラーを持ち上げて、鼻に引っかけて口元を隠す。
一度目を閉じて、目を開けると、瞳からは光が消えている。
赤いマフラーが、ぴこぴこと揺れた。
「――楽しみに、してますよ」
ふわりと体重を感じさせない動きで、急な階段の向こうへ消えた。
既に、ブリジットが率いる"第二軍"暗黒騎士団と、ラトゥースの率いる"第三軍"獣人軍の部隊が迎え撃つために展開している。
各軍、二百ずつ精鋭を選抜したと聞いている。
この砦は、色々詰めても五百人程度を収容するのが限度だったから、絶対的に数で劣る。
魔族は人間より平均的に強い――が、人間の身で人間をやめているような規格外共相手に、それはあまりにも少ない優位だ。
雪崩で損なわれていない"福音騎士団"、及び神聖騎士団とまともにぶつかりあっていれば、全滅していただろう。
道中で体力を相当消耗してくれているとは思うのだが、数は向こうが多いのだ。
民兵だけでも、あの数ともなれば、何人殺されたか分かりはしない。
だから、まず相手の数を徹底的に減らす。
既に特設大雪崩発生トラップ"雪崩"は完全に機能し、敵軍を壊滅させた。
作戦は成功した――と、過去形で語っても、おかしくはない。
戦略的には、リストレアの勝ちだ。
けれど。
リズが、ブリジットが、ラトゥースが、生きて帰ってくる保証など――どこにもない。
戦場には先を見通せない霞が常にたゆたい、時にその霞に呑まれて名将は果て、絶対的な戦力差は覆されてきた。
「マスター。疲労はどうだ」
「レベッカ。大丈夫だよ。ここで、立ってるお仕事ぐらい、出来るよ」
サマルカンドを伴って、城壁の上に登ってきたレベッカに、軽く頷いて見せる。
仮面をしていると、少しアンデッドのひとの気持ちが分かる気もする。
人の気持ちは簡単には伝わらないから、言葉にして、分かりやすい動作にして伝えてみせるのだ。
――私は、見せ札だ。
あの罠の起動に必要な魔力をまかなうための、まあ言ってしまえば電池兼スイッチ程度の、誰でも出来る簡単なお仕事。
しかし、相手の戦意を折り、こちらの士気を上げるのは、今日この瞬間のために、謀略の網を張り巡らせた張本人、非道の悪鬼にして人類の怨敵こと、"病毒の王"にしか出来ない。
駆け上がってくる残存組も、狙いは私だろう。
最早、戦略的な勝利は望めない。
――だからこそ、一人でも辿り着き、私を、"病毒の王"を討ち取る。
そう考えてくれれば、少しでも目の前の相手との戦いをおろそかにしてくれれば、死ぬ者が減る。
ほぼ全員に反対されたが、断固押し通した。
うちの軍は全員身内に甘々だが、果たさねばならぬ役割というものがある。
「レベッカ様。我らが主君をお頼みします」
「任せろ。乱戦になるまで、お前は攻撃に専念していい」
レベッカが頷き、サマルカンドが横三日月の山羊の瞳でこちらを見た。
「我が主。どうかお言葉を」
「ああ。封印解放。――"契約と信頼において"」
山羊の角がねじくれて伸び。
黒い体毛がほどけるように白く淡くゆらぎ。
双眸は深紅に怪しく光る。
まさしく、悪魔だ。
「上位悪魔の本領、見せてもらおうか」
「はっ……汚名を、返上してみせましょう」
一度私を守れず死んだ事を、気にしていたらしい。
彼向きの仕事がないからと、小間使いのような事ばかりさせて、悪い事したかもしれない。
そうこうしているうちに、敵が攻撃魔法の射程圏内に入る。
戦端が、開かれた。
「「「「「"稲妻"」」」」」
サマルカンドを含む、城壁の上の攻撃担当の魔法使い全員が同時詠唱したのは、攻撃魔法の事実上の標準……の中では少し立場の弱い、直進する稲妻を放つ魔法だ。
攻撃魔法御三家の中から、消去法的に決まった。
最もメジャーゆえに対策の取られやすい炎系であり、爆風で雪を撒き散らして視界をホワイトアウトさせかねない"火球"、雪と寒さ対策で冷気耐性を付与されている可能性が高く、効果の見込めない"吹雪"と比べて、最も安定する。
青い稲光の槍が、雪の降りしきる薄暗い曇天の中、雪崩に相当な量を持って行かれてなお積もっている雪の原を眩く染めながら直進する。
防御魔法が展開され、半透明の障壁に、雷が弾かれる。
だが、確実に進軍速度は鈍り、ただでさえ余裕のない魔力――体力――を削っていく。
魔力を込め続けているのだろう。稲妻は障壁と拮抗していた。
が、その内の一つが障壁を砕き、直進して数人を灼いた。抵抗はしたろうが、攻撃魔法とは絶対的な暴力だ。
鎧に帯電した稲光をまといながら、恐らく中身は黒焦げで倒れ伏す。
その稲妻の帯は、サマルカンドの手から放たれていた。
「流石だな」
魔法戦中なので返事はないが、悪魔らしい姿になっていてもラブリーな短い山羊しっぽが、軽くぴこりと動く。
うちの部下は割と分かりやすい。
さらに一本の"稲妻"が障壁を貫通するが、敵もさるもの。
攻撃魔法は英雄を殺しうるが、攻撃魔法で倒れないのも、また英雄たるゆえんだ。
特に神聖騎士は、防御魔法の硬さでも名高い。
風切り音が聞こえた。
少しずつ大きくなるそれの正体に気付き、叫び声が上がる。
「避けろ! ――避けろ!!」
蜘蛛の子を散らすように、こちらへ走り寄ってくるのをやめて散った、敵軍のほぼ中央に大岩が降ってきた。
逃げ切れなかった数人が、上方へ展開された防御魔法ごと、純粋な質量に、文字通り粉砕される。
空を見上げると、ちらりと白い影が飛んでいるのが見えた。
ドラゴンの命――特にリタル様の命は、私達の命より重い。
ゆえに、ドラゴンの強み……炎も、爪も、牙も、それが届く距離で戦うなどというリスクは取れない。
それでも、精一杯の援護だ。
うっかり着地点がずれると、こちらが粉砕されてしまうが。
さらにリタル様は、魔法も矢も届かない遙か上空で、悠然と輪を描くように飛ぶ。
こちらは大岩を一つ落とすだけが、今回のリタル様の役割であると知っているが、敵にしてみたら、次は何をするか分からない。
距離を詰め、乱戦に持ち込むしかない。
疲労した、数に劣る側が、それを選ばざるを得ない。
もちろんこちらもまた、それを望んでいる。
最悪は、逃げに徹される事だった。
こちらも精鋭とはいえ、雪山の鬼ごっこは、何があるか分からない。
「詠唱停止! 総員、抜剣!!」
ラトゥースと同格ではあるが、全軍への指示を任されたブリジットの凜とした声が、戦場の喧噪を圧して響き渡る。
魔法戦の終わりを告げる声だった。




