狂った世界
何故か、リズと二人きりで夜を過ごすはずだったのに、夜になったら隣のベッドにいたのはレベッカだった。
リズの荷物も消えて、レベッカのトランクになっている。
「マスター。リズに何をしたんだ?」
私と同じくベッドに腰掛けているレベッカが、呆れたような口調で言う。
「……変な事は何もしてないよ」
レベッカが、ため息をついた。
「もうなんかよく分からん顔で、部屋を交換してくれと言ってきたぞ」
「じゃあ、リズは一人部屋に?」
「そういう事になるな。今はそっとしておいてやれ。――で、何したんだ?」
「ほっぺと耳にキスして、抱きしめて大好きだって告白しただけだよ?」
「ああなるほどいつも通りか」
あっさりと頷くレベッカも凄いな。
「まあほどほどにしておいてやれ」
「……うん」
私はレベッカの事が嫌いではない。むしろ好きだ。
しかし、せっかく――それが軍務であるとはいえ――リズと一緒の部屋でお泊まりする予定がなくなったのは寂しい。
「明日になれば頭も冷えて、いつも通りだろう。リズもプロだからな」
淡々と語るレベッカ。
「――明日、改めて軍議が開かれるが、概要は?」
「ラトゥースから聞いたぐらいだね。変更はある?」
「特にはない。進軍のペースから計算して、二日後が予想されている。砦攻めは、もう一日、タイミングを遅らせる可能性もあるが……まず急ぐだろうな」
「どうして?」
「うちの悪い魔法使い様が、誰よりよくご存知のはずだが?」
レベッカが、疲れたような笑みを浮かべた。
「……ぼろぼろ死んでいる。十万は保てまい。"福音騎士団"や神聖騎士団はともかく、この冬季に、民兵を大量に引き連れてのリタル山脈越えを狙うとは……度し難いな」
「神の言葉だからね」
「それもよく分からないんだ。……神がなんと言おうと、冬の寒さは変わらない。身体強化さえろくに出来ない民兵など、大規模な野戦ならともかく、山越えとなると足手まといだ。"福音騎士団"も、神聖騎士団も、こんな局面で軽率に切っていい『切り札』ではない」
「そうだね」
「大体、待ち伏せされている事はおろか、砦の駐留戦力さえ把握していないはずだぞ。あれは対悪魔、対不死生物に特化した兵種だ。私達の他は、後方支援に悪魔が何人かいるぐらいで……向こうにとっては、地形を抜いても最悪の戦場になる」
「レベッカは、賢いね」
「……馬鹿にしてるのか」
レベッカがじろりと睨む。
「ううん。本心だよ。……当たり前なのにね。祈りに応えてくれる便利な神様なんていないって事ぐらい、知ってるはずなのにね」
神の不在を証明する事は、誰にも出来ない。
それは、悪魔の証明と同じだ。
何かが本当にいない事を証明する事は、出来ない。
けれど、証明さえ不要だ。今もリストレア魔王国は健在なのだから。
全て、人の力だ。天上におわす神ではなく、生きている人間の力だ。
なるべくその辺をくすぐる文言を考えたのは私だが……人間の愚かさをまざまざと見せつけられているようで、素直に喜べない。
「勝てる?」
「油断は出来ない。信仰心は未知の力を与える事があるし、仮にも向こうは最精鋭。民兵も盾……肉壁にはなるだろうさ。数では我々が圧倒的に劣っているのだ。……だが、な」
レベッカが吐き捨てるように呟いた。
「兵が哀れだ……」
軍隊というやつは、命令が絶対の組織。
さらに王権の強いこの世界ともなれば、なおさら。
神聖王国は宗教色が強い関係で、最も王権が弱いが、その宗教が、今回の派兵の理由になっている。
知らない土地へ、熱に浮かされるようにして、無謀な進軍をしている。
本人達は、無謀とさえ、思っていないかもしれない。
信仰に燃えているだろう。
使命感に溢れているだろう。
全能感に満たされているだろう。
だが、彼らには何もない。
彼らが持っているのは、信仰心から希望に至るまで、奪われるために与えられたものだ。
私は、そう仕組んだのから。
「レベッカは……優しいね」
「そうか?」
「うん。……どうしてかな。哀れとは……理屈では思うけど……」
私は、笑った。
「あれは、リストレアの兵じゃないから」
誰もが、誰かの大切な人。
この世界に生きる皆が、生きる理由を持つ。
けれど、この世界には一本の線がある。
昔、人間が――もしかしたら魔族も――引いた、『人間と魔族は敵同士』という、一本の線。
私は、その線のこちら側だ。
私は、人間だけど。
私が大切に思う人間は、この世界に一人もいない。
レベッカが、立ち上がって、わずかな距離を詰めて。
私の頭を、ぽんと叩いて、軽く撫でた。
「全く、我らが最高幹部様は、身内に優しい非道の悪鬼だな」
「……今なんで頭撫でられたの?」
撫でられた所を押さえながら、少しだけ上にある彼女の顔を見上げる。
レベッカが、微笑んだ。
「たまには、ねぎらってやりたい気分になるんだよ」
「そう? ……ありがと」
「気にするな」
「じゃあ、添い寝しよっか」
「……ん?」
レベッカが笑顔のまま、首を傾げる。
「ほら、明後日に備えて魔力供給しなきゃね! 明日は打ち合わせとかで忙しいだろうし、前日に私の魔力使いすぎてもいけないし!」
有無を言わせぬ笑顔で押し切る私。
結局、ベッドが二つあるのに、一つしか使わない事になったが、あまり窮屈ではなかった。
私も色々とスレンダーな方だし、レベッカに至っては小柄な幼女だ。
荷物を切り詰めているので、寝間着は持ってきていない。
いつもの恰好のまま、帯だけをほどいて、布団に入る。
寝る前にバーゲストも全部ローブから出した。
大部分はレベッカを抱きしめた私の周りに寄り添い、あぶれた子達はベッドの下や、本来レベッカが寝るはずだったベッドの上などに寝そべる。
バーゲスト達もぬくいし、後ろからお腹の辺りを抱きしめて、抱き枕にしているレベッカも子供体温なので、ぬくぬく。
「はあ~、可愛い女の子抱き枕にして寝るのがお仕事だって! この世界狂ってるね! いい意味で!!」
レベッカが乾いた声で呟く。
「甘い顔見せるんじゃなかった……」




