"竜母"
クラドさんに案内されたのは、砦にほど近い洞窟だった。
雪の積もる白い山肌に、ぽっかりと空いた、暗い穴。
道中の世間話によると、横穴に近かった物の幅と奥行きをそれぞれ掘削して広げたのだとか。
リタル様自らが、爪と鱗で、だ。
そして今は、主に竜族の休憩所として使われているらしい。
私はリズ一人を伴っている。
「ここで私と共にお待ち下さいませ。リーズリットさん」
風雪の届かない場所に、くぼみが掘られ、小さな小屋が建てられていた。
避難用を兼ねた、竜族でない者の休憩用なのだろう。
「はい。……その、マスター。行ってらっしゃいませ」
「うん、行ってくるよ」
既に入り口からの光はほとんど届かず、リズに持ってもらっていた、ランタンタイプの魔力灯を受け取る。
高級品ではないため、魔力の結晶は研磨されていないが、水晶の原石のような荒々しいトゲトゲの結晶の見た目は嫌いではない。
鉄製のランタン部分は所々へこみ、錆が浮いているが、それもまた、使い込まれた証拠だ。
私の動きに合わせて微かに揺れる淡い緑色の光が、洞窟を照らす。
松明と違って風に強いし、煤も出ないし、酸素も消費しないし、事故もない魔力灯は本当に便利だ。
炎ではないために暖を取れず、押しつけて武器に出来ない点は欠点だが、利点の前には些細な事だろう。
一応正装という事で、杖を持ち、仮面も着用する。仮面は、暗視能力に期待しての事でもある。
杖の宝石は、込められた防御魔法の副産物として青く輝いているので、明かりの予備にもなる。
「一本道でございます。道は、悪くはありませんが、何分洞窟でございますので、足下にはお気を付け下さい」
クラドさんとリズに最後に軽く手を振って、一人歩き始める。
明かりがなければ真っ暗な洞窟を、一人きりで歩く。
もうちょっと怖いかと思ったが、私は物理的な事はあまり怖がらないタイプだったみたいだ。
背後にリズがいて、この先にはリタル様――この世界最強の種族である、竜族の頂点たる存在がいる。
そうやってしばらく歩いたところで、声がした。
「何者だ……?」
静かで、落ち着いた声。
人の物とは違い、鋼がこすれ合うような金属的な響きを持っているが、それが、かえって耳に心地よい。
長い年月で摩耗し、滑らかになった真鍮を撫でる感触を声にしたら、こんな風かもしれないと思わせるような優しい声だ。
「リタル様ですか? 初めまして。"病毒の王"です。クラドさんに招かれて参りました」
よそゆきの声で、丁寧に訪問を告げる。
「――よく参られた。近くで姿を見せておくれ」
「はい」
少し歩いただけで、ランタンと杖の明かりに鱗が輝いて反射した眩い光が、闇に慣れた私の目を射る。仮面の光量調整機能がなければ目がくらんでいただろう。
そこにいたのは、間違いなく竜族の頂点だった。
氷河そのものから削り出されたような、透明感のある白に薄い青が透けた、美しいグレイシャーブルーの鱗。
どちらかと言えば細身の身体を洞窟の地面に横たえ、長い首を曲げて私を覗き込んでいる。
首とほぼ同じ長さの尻尾は無造作に投げ出され、畳まれていた翼が、ゆっくりと広げられた。
目と目が、合う。
竜族に共通の、金色の瞳。
深い琥珀色のような、リタルサイドの蜂蜜のような、とろけるような深みをもったきんいろ。
「私がリタルだ。"竜母"と呼ばれている」
竜族を間近で見たのは、初めてだった。
鱗の色は、個体によって多少異なるというのは知っている。赤から金色にかけての暖色系が多い中、唯一の白い鱗を持つドラゴンが、彼女"竜母"だと。
長命種ゆえに年代というものを意識しておらず、公式に年齢不詳だが、おそらくは、この世界で最も長く生きている存在だ。
少なくとも建国時より、四百年以上の長きに渡ってこの国を支えてきた、"第一軍"の竜族を率いる魔王軍最高幹部。
ドラゴンの多くが彼女を祖に持つというし、現在も百匹近い竜族を支配下に置き、国境防衛と、国内の巡回警備を担っている。
リストレア魔王国の紋章が、"蛇の舌の生えた竜"である事からも分かるように、もしかしたら陛下以上に重要な地位を占める、替えの利かない存在だ。
「改めて、初めまして。"病毒の王"と呼ばれております。リタル様にお会い出来て、光栄です」
礼儀として仮面を外して懐にしまい、一礼する。
礼儀もあるが、言葉に嘘はない。このひとは私より遙かに長く、強力にこの国に貢献してきた。
何より、これほど美しいドラゴンを間近で拝めるのは、眼福の一言に尽きる。
「……本当に、人間なのだな」
「ええ。魔王軍最高幹部には、種族の規定はありませんので」
慣例上は、決まっている。
"第一軍"はドラゴン。
"第二軍"暗黒騎士団はダークエルフ。
"第三軍"獣人軍は獣人。
"第四軍"死霊軍は不死生物。
"第五軍"悪魔軍は悪魔。
この五軍を、魔王陛下が統率する。
それが、リストレア魔王国の軍団編成だった。
"第六軍"は――そもそも、存在していなかった。
現在"第六軍"の最高幹部である私は、公式には種族不詳。
だが、既に軍内では『噂話』という形で、人間だと知られている。
特に、"闇の森"駐屯地の獣人達と、"リタルサイド城塞"に詰めている者達は直接素顔を見ているから、緩やかに広がっていくだろう。
「"病毒の王"。そなたとは、一度話してみたかった。人間にして、最高幹部のそなたと……」
「ええ、どうぞ」
リタル様が、重々しく、口を開いた。
「この戦争は、いつまで続く?」




