神聖王への謁見
ただの村娘が、正規の手順をすっ飛ばして神聖王に目通りが叶うなど、有り得ない事だった。
けれど、ベテランの門番が強く上役に陳情したのだ。
そして――その者を見た全員が、有り得ない事に、速やかな謁見を望んだ。
その理由を、皆がすぐに理解する。
美しいという言葉の定義が書き換わるような、衝撃。
彼女が引き連れているのは、間違いなく神の御使いの姿だった。
ありとあらゆる魔法の目をもってしても、幻影魔法や変身魔法ではないという結論が出る。
玉座に腰掛ける老人は、微笑んだ。
「……おお。神の御使いと、その言葉を預かった者を迎えられるとは。余は神聖王エトガルド十四世である。近付いてよく顔を見せておくれ」
『聖女』は微笑んだ。
そして頷いて、玉座に向かうコースから外れた。
居並ぶ文官達の奥に隠れるように控えていた、文官の恰好をした老人の前にひざまずいて、祈りの形に手を組む。
「神聖王陛下に、神の恩寵があらん事を」
「……まさか」
「玉座の偽物を無視した……」
「やはり……」
居並ぶ諸侯達が、口々に噂する中、『聖女』は微笑んで立ち上がった。
「神の御名において。私は神のお言葉を伝えに参りました」
「……うむ。聞かせておくれ。試すような真似をしてすまなかった。余が、真のエトガルド十四世だ」
「陛下。お信じになられるので? その……ただの……」
側で、やはり文官の恰好で控えていた側近が耳打ちするのを、エトガルド十四世は哀れみを込めて見た。
「のう。神は、人の間に階級をお作りになられたと、聖典には記されておるか?」
「……いえ。しかし現実に人は階級を作りました。より多くの人を生かし、この世に信仰を広めるためにです」
「うむ……その階級の頂点に立つ身として、否定はせぬよ。じゃがの。神がそれをお気になされるか? 最も無垢で、信仰心に篤い者を選ばれたのだと――儂にはそう思えるよ」
「……はっ」
「すまなかった。多くの苦労を、されただろう」
彼女は、首を振った。
「いえ。我らは神の民。神のしもべ。あの不浄なる者共を討ち滅ぼす使命の前に、何も苦労ではありません」
「神は使命を……果たせと?」
「ええ。『病と毒に倒れた者達の遺志を継ぎ、白き山を越え、最も聖なる者達と、それに付き従う民の手によって、あらゆる不浄をこの世から討ち滅ぼせ』……と」
彼女は手を組んで目を閉じた。
「聖典も暗記していない、無学な村娘とお笑い下さい。私には、神のこのお言葉が本当に意味する事を解釈する知恵を持たぬのです。ですが、私と、私に付いてきて下さった天使様を信じる民がおります。ならば、最も聖なる者とは、聖都におわす皆様方であると……そう信じて、巡礼の旅を続けて参りました」
そして後ろの天使を振り返る。
「天使様は、何もお答え下さいません。神もまた、『地上の民に我が言葉を伝えよ』と仰せになるのみです」
「……うむ」
「そして……懺悔いたします。私は、神を、本当の意味で信じておりませんでした」
「……そなたのような者が?」
「だって、神は全知全能だと……不浄なる者は、魔族は、いてはいけないと。けれど、そうではないではありませんか。……私の村は、多くの者が……私の家族も含めて……あの、"病毒の王"に殺されました」
「"病毒の王"……」
呻くような声で、居並ぶ者達によって名前が呼ばれたのは、最強最悪の大魔法使いの名だった。
荒野を行く死神が如く、病と毒を撒き散らし、刀傷と獣の噛み跡を死体に残して、神聖王国のみならず、人間を食い荒らすおぞましき害虫。
「けれど、神様は救って下さいませんでした。"病毒の王"や、魔族を滅ぼしても、くれませんでした」
きまり悪そうに顔を背け、視線をそらすのは、農村まで手が回らない無力を恥じた者達だった。
自分達は、分厚い防衛網の中にいる。
しかし、農民達はそうではない。
心ある者達は、同じ神を信じる者達を見捨てたままにしているという、ばつの悪さを抱えて生きていた。
「けれど、お言葉を預かり、天使様を見て、分かったのです」
彼女は、声を張り上げた。
「神とても、万能ではないのだと!」
空気が変わり、居並ぶ者達が色めき立った。
「不敬な!」
「神を疑うか、小娘!」
一人の貴族が抜剣し、細い銀の刃が彼女の喉元に突きつけられる。
「取り消せ、小娘。御使いを従えていようと、許せる発言ではない」
「取り消しません」
「死んでもか」
「私が死んでも、神は万能ではないか、我らが御手を差し伸べて救うに値しない存在か、どちらかなのは間違いありません」
首を横に振った。
「小娘……!」
「ゆえに!」
彼女は、再び声を張り上げた。
「私達は、自らの手で、自らを救わねばなりません! ――天上の神の名において、地上に正義を敷く事こそが、人間の成すべき行いです!!」
皆が、静まりかえった。
彼女に剣を突きつけた貴族が、静かに剣を引き、鞘に収めた。
そして、手を叩く。
ぱちぱち。ぱちぱち。
賞賛の拍手が、ゆっくりと贈られる。
ぱちぱち。ぱちぱち。ぱちぱち……ぱちぱちぱちぱち。
拍手が、玉座の間に満ちた。
皆が、心を一つにする。
神の言葉に従い、あらゆる不浄を討ち滅ぼす。
自分達は、そのためにいるのだと。




