何がご褒美かは人それぞれ
ふと何かを、思いつく時がある。
そして私は幸か不幸か、単なる思いつきを実行に移せる立場だ。
「ねえ、レベッカ」
「なんだ?」
「『この豚野郎』って言ってみて?」
「は?」
思いきり顔をしかめるレベッカ。
「どうした? 変な物でも食べたか。それとも……リズ、魔法感知。最優先だ」
「異常ありません。常時展開されている以上の術式は確認出来ません」
「じゃあ、とうとう精神に異常をきたしたか。……大丈夫か? 少し、横になって休むか?」
「なんかレベッカが思ったより優しい。ほろっときた」
「それで? 先程の発言にはどういう意図が?」
「いやね? 私の世界では、そういう風に言われて喜ぶタイプの人がいるんだけど、実際言われてみたらどう思うのかなって」
「呆れて物も言えないよこの豚野郎」
いつも見せない満面の笑顔で。
「リズ! レベッカが豚野郎って!」
「マスターが言わせたんじゃないですか」
「違う! 思ったより楽しい!」
「は?」
「え?」
「『私達の業界ではご褒美です』って言葉の意味が今ようやく分かった! あれ、可愛い子に言われないと無理だ!」
「レベッカ。この人が最高幹部で大丈夫だと思いますか?」
「正直無理だと思う」
「でも、『可愛い子に豚野郎って言われるのが思ったより楽しいという発言に危機感を覚え殺害』ってちょっと弱くないですか?」
「信じてもらえるかが争点になるな」
「ねえ、二人共。そういう相談は本人のいない所でするものじゃない?」
「本人のいない所でしたら、陰口になっちゃうじゃないですか。というか反乱の相談に聞こえますし。こういうのはオープンにした方がいいんですよ」
「今のオープンにしていい内容だったかな……?」
「別に気にしないだろう?」
「いや、案外気になる」
「そうか。慣れろ」
「……ねえ、レベッカ。前に『慣れてね』って言ったの、根に持ってる……?」
私の横暴な態度と命令に、至極まっとうな苦言を呈したレベッカに私は(態度を改めるつもりはないから)『慣れてね』と言ったのだ。
レベッカが皮肉気な笑みを浮かべた。
「ご自身が一番よく分かっていらっしゃると思いますが? 『マスター』」
普段使わない敬語に、普段使わないマスター呼び。
あ、これ完全に根に持ってる。
でも皮肉気なレベッカも可愛いなあ。
「……なあ、リズ。なんでこの状況でこいつが笑顔なのか分からんのだが」
「私にもよく分かりませんが、多分しょうもない理由か、ろくでもない理由だと思いますよ」
「なるほど」
「ねえ、二人共。仮にも最高幹部に言いすぎじゃない?」
「――改めろ、と言うならば、改めますが」
キリッとするリズ。……いや、リーズリット・フィニス。
魔王陛下直属の近衛師団所属アサシンとしての、顔。
「……いや、いいよ」
微笑んだ。
そして隙を見てレベッカに抱きつく。
「なっ!?」
「私が求めるのは上下の垣根が低いフランクな職場だから!」
「それはようございました」
「放していただけると幸いです、『マスター』」
あれ、よそよそしい。
でも確かに同性とはいえ上司にされて嬉しい対応じゃないかもなあ。
と冷静に考えると、自分が明らかにダメ上司だという事に気付いてしまう。
というより、改めて思い知らされてしまう。
「……二人共」
レベッカを放して、二人に向き直る。
「なんですかマスター」
「なんだ急に神妙な顔をして」
「――私は、改めた方がいい?」
精一杯の真剣さで、二人に問うた。
「私は、"病毒の王"として、振る舞った方がいい?」
「……ええ」
「まあ、そうだな」
それぞれ頷く二人。
そうか。
『私』は要らないのか。
『"病毒の王"』さえいれば。
必要とされているのは、それだけ。
私が持っている名前は、それだけ。
心が冷え冷えとして、同時に、酷く落ち着いていくのが、分かった。
「でもどうせマスターの事です。三日もすれば元通りでしょうから、いつも通りでいいですよ」
「そうだな。仕事をちゃんとやってくれれば……まあ、多少の奇行は目をつぶってやってもいい」
「……あれ、今まで通りでいいの?」
寒々しく冷えた心に、太陽が顔を覗かせたかのような温かみが戻ってくる。
「そう言いました」
「そんな簡単に改められるものなら改めてみろ。リズの言う通り、三日ともたないだろうがな」
「……そうだね!」
今度はリズに抱きつく。
「わっ」
「これからも私らしく頑張るよ!」
私が持っているのは、この名前だけ。
それでも、いい。
私が道具であったとして、それでも私は今、幸せなのだから。
それだけで、いい。
これまでも、これからも、私は、私のやり方で戦う。
私は、私のやり方で、この戦争を終わらせる。
皆のために、などとは言わない。
私は、私のために戦うのだ。
今、私の胸に満ちる、幸福感のために。
「よし、じゃあ次はリズに」
「は?」
身体を離し、リズの顔を覗き込む。
「ほら、この豚野郎って言ってみて?」
「な、何がしたいんですかマスターは?」
「実はこの時点で八割方目的は達してる。困惑した顔を見たかった。レベッカは思ったよりノリが良かった」
「最低だな」
「照れるよレベッカ」
「私、まだお前の照れるポイントが分からないよ」
「分からなくていいよ。私も最近よく分からないから」
笑ってみせる。
「それは大丈夫なのか?」
「"病毒の王"としてはむしろ円熟の域」
「そ、そうか……」
それは本当に大丈夫なのか? と目で言うレベッカへにこっとした後、リズに向き直る。
「さ、リズ?」
「いや、おかしいですよ。おかしいですってば!」
「やだなあリズ。そんな事は百も承知だよ」
「……拒否します」
「分かったよ」
リズの絞り出すような言葉に、うんうんと頷いた。
「じゃあ、王城への報告書に『副官のリーズリット・フィニスにこの豚野郎って言ってほしいと要請したら拒否された。この案件が国家に仇為す行為かを判断されたし』って記載するけどいいかな?」
「前にも似たような事言っていたなこの豚野郎め」
「マスターが部下に対してどんどん非道になっていきます。これが円熟の域という事でしょうか?」
「そういうつもりじゃなかったけど、その解釈でもいいよ?」
私はそれ以上何も言わず、ただ、にこにこしながら彼女を見つめる。
リズが視線をさ迷わせ、頬をじわじわと赤く染めていく。
そして口を開いた。
「こ、この豚野郎……」
消え入りそうな声で、涙目で。
私は、胸に込み上げる感情を抑えきれず、両手で頬を押さえた。
「はああ~! 異世界に来て良かった! 多分向こうの世界だと一生味わえなかった新感覚!!」
「この豚野郎め」
「レベッカ。棘が鋭すぎてそろそろ心が痛い」
「……これでよろしいですかますたー……」
生気のないリズ。
「あ、ごめん。本来の業務外で疲れさせちゃって」
「……本来の業務外だと認識していただけてはいるんですね……」
「うん。でもその甲斐はあったみたい」
「ははは……私がちょっと人格を疑われるような言葉を口にするだけでマスターの元気が出るなら何よりですよ……」
「いや、そうじゃなくてね」
「何が違うんだ?」
「"福音騎士団"をどうにか出来そうな作戦を思いついた」
「は? それはあの、神聖王国が誇る対不死生物・対悪魔に長けた、最強の宗教戦闘集団の事でよろしいですか?」
「噛んで含めるような丁寧な説明ありがとうリズ。間違いなくそれだよ」
「いつもの冗談ではないのだな?」
「私、業務に関する事で冗談は言わないよ」
「豚とは関係あるんですか?」
「それは全く関係ない」
リズが力なく呟いた。
「……マスター、一体、どういう頭の構造してるんですか……?」
「それは私にも分からない!」
胸を張った。
「この豚野郎め」
「レベッカ、それはもういいから」




