地下の実験室で二人きり
異世界の情報を欲しがっているのかという問いに、リズは首を横に振った。
「いえ、個人的な興味です。……担当は、妄言を聞かされる方の身にもなれ、と。さじを投げましたね」
「ははは」
私は、リストレア魔王国では唯一の『異世界召喚』された人間だ。
この国で魔法を研究する者は、理論上は出来るはず……程度の召喚術を、不用意に使用しない程度の良識を持っている。
人間達は、そうではなかった。
危険な種族を呼び寄せてしまうリスク、他の世界と繋がる際の不安定さからくる暴走のリスク、そういった危険を承知の上で――あるいは無視して――召喚術をテストし、かつそのまま『実戦使用』した。
外来種問題が深刻な国から来た身としては、強制召喚にまつわる倫理面の問題を無視してさえ、正気を疑う。
今の所、私の知る限り人間――と思われる種族――しか喚べていない。
その使い方としてはまあ、素質や人格を無視して魔力タンクとして使うというのは、よく考えられている。
なるべく潰すようにはしているのだが、最新魔法の研究をしている魔法使いともなれば花形で、詳細を把握しきれてはいない。
ただガナルカン砦は、結果的には私の功績で、人間達の期待よりも少ない損害しか与えられず陥落した。
その結果も受けて、召喚術は、戦争の局面を変える技術というほど優遇されている部門ではない――との報告なので、ひとまずは安心してもいいだろう。
そしてリズは、信用を損ねない範囲で、私から可能な限り異世界の知識を聞き出すように、との命令を受けていた。
この辺を何故私が知っているのかというと、リズにカマを掛けた結果だ。
私があまり軍事や政治に詳しくないのもあるが、適当な情報を流し続けた結果、そのプランは打ち切られた。
主にお仕事の合間の雑談として、私が面白おかしく脚色したしょうもない内容を聞かされたのでは、仕方ない。
きつめの尋問や、精神魔法を使って無理矢理、というパターンもきっと考慮されたのだろうが、陛下は私をそのまま使った方がよいとお考えになられたようだ。
人道的な常識を持った合理主義者、というのが私の陛下への評価だが、それゆえに、私の価値がリスクを超えない限り大切にしてもらえるはずだ。
少なくとも、それまでは精一杯面白おかしく生きると決めている。
「それで、マスターの世界、眼鏡が普及してるんですか?」
今もリズが私の世界の話を聞きたがるのは、本人の言葉を信じるなら、興味本位だそうだ。
「うん。魔法がないからね。目の悪い人は普通に使うよ。ファッションとして掛ける場合もあるけど」
「ファッション?」
「眼鏡が?」
「ほら、眼鏡を掛けた女の子って賢そうで可愛いよね!」
「発言は頭悪そうですが」
「まあ賢そうというか、製作特化の魔法使いには見える……」
「他に、コンタクトレンズってのもあってね」
「こんたくとれんず?」
「どういうものだ? 眼鏡の一種なのか?」
「そう。薄くて丸い……眼球に沿う形のレンズを、こう、目にはめるの」
コンタクトレンズをはめる動作を実演してみせる。
「……え? 眼球に? はめる?」
リズが眉をひそめた。
レベッカも首を傾げる。
「それはどういう原理だ?」
「……原理っていうか……普通にこう……いや、私は使った事ないからよく分からないけど……涙で乗っかる? はず」
涙の表面張力、と聞いた事がある。
「ふむ……。眼球に? 装備? そうかその手があったか……」
「レベッカ?」
「すまないマスター。コンタクトレンズというものをしばらくじっくりと教えてくれ。私の実験室で」
「え? レベッカと二人きり? 実験室って地下室だよね。暗い密室で二人きりって、それはもう恋の実験をしちゃうしか」
「リズ。すまないが通訳兼護衛として来てくれるか」
「申し訳ありませんが食事の支度があるので……マスター、真面目にして下さいね、真面目に。でないとマスターだけ晩ご飯抜きですよ」
「え、そんな。うちのメイドさんが非道の悪鬼すぎる」
「そう呼ばれてるのはマスターですよね。……真面目にすればいいだけですよ」
リズにじっとりとした視線を向けられる。
「分かったよ。ご飯よろしくね」
「では頼む」
その後、光を嫌う素材のために薄暗いのだという地下の実験室で、みっちりとコンタクトレンズについて語る私。
大体のサイズ、形状、ソフトタイプにハードタイプ、使い捨てタイプ、洗浄液、うっかり落とした時に生まれるささやかな交流、花粉症の際に訪れると聞く地獄、砂嵐とコンタクトレンズの絶対的な断絶……などなど。
レベッカは、質問を挟みながら、何事か手元の紙に羽根ペンで、忙しそうに走り書きしていた。
私は話している間、彼女が書いている間、レベッカの眼鏡ルックを鑑賞するのに忙しかった。
「お二人とも。そろそろ夕食、どうですか?」
「あ……すまない。もうそんな時間か」
「いいよ。お腹は減ったけど、リズのご飯を美味しく食べるスパイスだよね」
「前向きだな。……大体、重要な事は聞いただろうか?」
「多分」
「では、これで終わろう。ありがとう、マスター」
そこで、ふと思い出したように眼鏡を外すレベッカ。ちょっと残念。
でも素顔も可愛いなあ。
「何を笑っている?」
「ちょっとね」
「……深くは聞かない事にするよ」
レベッカが外した眼鏡を畳み、眼鏡ケースにしまう。
異世界でもやっぱり眼鏡ケースってあるんだな、とふと。
それにしても、レベッカはコンタクトレンズのどこに食いついたのだろう?




