吹雪の中の散歩
真っ白な、世界。
横殴りに叩き付けられる、弾丸のような雪。
一秒先には、自分の来た道が分からなくなる。
一秒先には、自分がいるだろう場所に何があるかも分からない。
そんな、真っ白な世界。
「マスター。散歩、終わりにしませんか」
「……うん。そうだね」
「こんな景色、見てもつまらないでしょう」
「いいや。楽しいよ。私は――こんな真っ白な世界、初めて見たから」
「そうですか」
着ているのが、リズ作、魔力布製の服でなければ。
装備しているのが、防御用として一級品の護符でなければ。
念のため、レベッカ直々に"冷気耐性付与"を使ってもらっていなければ。
私は早々に凍死している世界だ。
リベリットグリズリーの討伐依頼を受けた私達だが、さすがにこの吹雪の中を、強行する理由は何もない。
私は望んで、リズ一人を伴って、周辺の散歩に出ていた。
村からはそう離れていない。……というか、ここは村の防風林だ。
風の勢いを和らげるために密度を上げて木が植えられているし、道も整備されている――はずなのだが、雪に覆い隠されて、私にはこの村に来るまでの森との見分けがつかない。
仮面も着けているので、この吹雪でもそれほど辛くはない。
けれど、結構歩いたし、リズは私の体力も気遣って言ってくれたのだろう。
「そろそろ、帰ろうか」
「はい」
隣のリズに先導され、来た道を戻り始めた。
さくさくと、雪を踏みしめて歩く。
ブーツも魔法道具だ。どんな悪路でもと言ったら誇大広告だが、こんな深い雪の中を、せいぜい数センチの積雪と同じように歩ける代物。
魔法のかんじき、と心の中で呼んでいる。
歩いているうちに風が弱まり、横から当たっていた雪が、上から降ってくるようになる。
すぐに風雪で消えていた足跡が、振り返っても残っている程度に、風も雪も、弱まってきた。
今日は吹雪だが、明日にはリベリットグリズリーの討伐に向かえるだろう――と村長や狩人さん達に聞いていたが、その見立ては正しいようだ。
私は視界がホワイトアウトした時点で方向感覚をなくしていたが、リズは迷った様子もなく、代わり映えのしない、雪で白く染められた森を歩き続ける。
二人分の足跡が、真新しい雪の上に並んで増えて、じきに今も降り続く雪に隠されて、消えていく。
「……人間は、こんな土地、要らないのにね」
「普通の人間には、無理ですね」
この土地では、生きていくという当たり前の事にさえ、多大な労力を割かねばならない。
この土地で生きていけるのは、程度の差こそあれ、ほぼ全員が魔法を使える魔族だからこそ。
「私も……この近くの出身です」
「そうなの?」
「私の育った村は、今はもうありませんが、ここよりもっと寒い所でしたよ。私が魔力布作るの上手くなったのは、外で遊びたかったからかもしれません」
「ブリジットも? 一緒に育った?」
「ええ。私達姉妹は、この国で一般的な家庭に生まれましたよ」
私は首を傾げる。
「一般的な家庭って、姉妹揃って近衛師団の暗殺者と、最高幹部の暗黒騎士団長を輩出するもの?」
「それはほら、この国は開かれていますから。機会は平等ですよ。……建前上は」
「本音は?」
「二割ぐらいコネですね」
多いと見るか、少ないと見るか、微妙な所だ。
「でも、あらかじめ能力を知って期待されているからこそ、勧誘する事もあります。コネだけでどうにかなるほど甘くもないですし。コネで機会を手にして、そこで才能を見出される事もあります」
「その辺は、どこも同じだね」
頷いた。
「……私の国には、さ。『縁』って言葉があるんだ」
さくさく、という私の足音だけが聞こえる。
リズは何故か、雪の上を歩いているのに、音がしない。
吹雪でうるさいが、聴覚もある程度拡張されている以上、差し引きしても、ほとんど無音で雪上を歩けるという事だ。
「……他の言葉にすると、出会い、かな」
「出会い、ですか」
「うん。運命、でもいいかもしれない。それで、『人生は、必要な人と出会うようになっている』って言葉があってね」
「『えん』という言葉は知りませんが、それはこちらでも言いますね」
「そうなんだ。――それでね。そういう人と……必要な人、大切な人が出会う事を、『縁がある』って言って、そういう出会いを取り持ってくれる運命みたいな何かそういう結びつきの事を、『縁』って呼ぶんだよ」
「じゃあ、私とマスターは、縁があったという事ですね」
「そうだね」
足を止めた。
「マスター?」
「私は、さっきの言葉、好きだよ。私の国でも好きな人が多い、素敵な言葉だしね」
「分かります。この国でも、好きな人の方が多いでしょう」
「でも、思うんだ」
仮面の裏で、微笑んだ。
「戦場で出会った人は? ……って」
しん……と、吹雪の音が無音に感じられるような静寂が訪れた。
しばらくして、リズがため息をつく。
「……マスター、生き辛くありませんか?」
「ん? 私結構、人生順風満帆だよ?」
吹雪で分かりにくいが、リズが、どの口で言ってるんですかこのマスターは、みたいな目で見ている雰囲気は分かる。
「何回死にかけましたか……」
「私は生きてるよ。――縁があったんだろうね。特にサマルカンド」
「まあ、マスターの暗殺を企てて、生きてるのは彼だけですね」
「それに、レベッカとハーケンも。それまでに死んでたら会えてないしね」
「出会いは普通に部隊編成の事情ですけど、そう思うとドラマチックですね」
「ねえ、リズは、私の暗殺命令受けた事ある?」
「……それを聞きますか」
私は重ねて聞いた。
「ある?」
「……ありません。はっきりとした命令、という形では」
「それ以外の形では?」
「……今でも、かつて下された命令は解除されておりません。――『彼の者が、国家に仇為すと判断した場合、お前の判断で殺害せよ』と」
「誰の命令かは、聞かないでおくよ」
「私に命令出来る人間は、二人しかいません。一人はマスター、あなたです」
つまり、"第六軍"の序列第二位の副官であり、同時に、陛下直属の近衛師団でもある彼女に命令出来るのは――
「これ以上聞くと、命が危ないから」
「聞かなくても危ないですよ、もう」
さくさくと、数歩の距離を詰める。
「私の生き死には、リズが決めていいよ」
「……まあ、私が生殺与奪を握っておりますが」
リズが、息をついた。
「あなたは"病毒の王"です。我が国の最高幹部です。……反逆の予定とかないなら、ずっと生きていて下さい」
「もしあるって言ったら?」
「……そういうのアサシンに聞くものじゃないですよ。私に、『"病毒の王"に反逆の意志あり』と判断されたら終わりなんですから」
「まあないけど」
この国を裏切っても、どこにも行けない。
裏切り者が、本当に厚遇された例などない。
この世界に私の居場所があるとしたら、ここだけだ。
この国が私を裏切らない限り、私はこの国のために戦う。
……そしてもし、この国が私を不必要と判断したとして……きっとそれを、私は裏切りとは思わないだろう。
自分が名乗ったのが、どんな名前かは、分かってる。
いつ、誰に殺されても、おかしくない存在だという事も。
「――でも」
仮面を外した。しかし完全には取らず、ずらして少しだけ隙間を作る。
彼女の黄金色の瞳を、まっすぐに見た。
「私はリズ以外の誰にも、殺される気はないよ」
「じゃあ、マスターは長生きしますね」
「ありがと、リズ」
私は左手をリズの腰に回し、抱き寄せた。
彼女の頬に顔を寄せて、右手に持った仮面で隠すようにしながら、お互いの頬と頬を合わせる。
「リズ、少し冷えてるね」
「今は、マスターがあったかいんですよ」
少しだけ、私達はそうしていた。
「……ずっと、こうしてたいね」
「そういうわけにも……いかないでしょう」
「うん。帰ろうか。ね、レベッカ」
私は、視線を一本の木に向けて声をかけた。
「は? え!? レベッカ!?」
リズがばっと、私が声をかけた方向に向けると、いつもの恰好のレベッカが木の裏から出てきた。
「すまない。一応迎えに来たら抱き合ってるもんだから出るに出られなくて……な」
「ありがとね、空気読んでくれて」
レベッカが、リズに視線をやる。
「おい、リズ。その驚きようは、まさか私の接近に気付かなかったとか言うんじゃないだろうな」
「え、いや、その……レベッカ、気配遮断スキル高すぎませんか?」
「物質幽霊だし、人並み以上に気配は薄いが、な。お前ほどのアサシンが言い訳に出来るほどではないだろう」
「でも、敵意もありませんでしたし、レベッカは味方ですから……」
「声が届く距離なら、意識はしておくべきだろう。大体、マスターは気付いたぞ。視界に入ったからとはいえ、素人のマスターが気付ける距離だ」
「……もっともです」
全くの正論だったが、うつむいて黙り込んだリズを見かねてフォローする。
「ごめんね、レベッカ。私がいい雰囲気を作ったのが悪いんだよ」
「まあ、敵ならば反応出来たと信じてはいるが……リズ、本気なら、なおさらだ。恋人を死なせたくはないだろう。色ボケだけはするなよ」
「いや、本気とか恋人とかないですから。色ボケとかしてないですから」
「前半がないのはちょっと寂しい」
「マスターはちょっと黙って下さい」




