羊狩り
リストレア魔王国北部。
その中でもかなり北の方に位置する、リベリット村は寒い。
リタル山脈のふもと、という点だけ抜き出せば城塞都市リタルサイドと同じなのだが、気候はかなり違う。
これはリタル山脈がかなり長いからだ。
ちょっとだけ、アメリカの西海岸と東海岸を思い出す。
海からは離れているし、リタルサイドも冬には雪が降るし、リベリット村に至っては豪雪地帯なので、同じには出来ないが、大陸の反対でがらっと気候が変わるという所が、ちょっと似ているのだ。
あらゆる魔法と装備でサポートしてなお、肌を刺すような冷気の中、私は『狩り』に参加していた。
正確に言えば見学だが。
リストレア魔王国において、狩りは貴族の遊興などではなく、家畜の数を減らさず肉と毛皮を手に入れる貴重な機会にして、生活の一部だ。
特に近隣の魔獣種ともなれば、ある程度数を減らさないと危険で仕方ない。
なのでハーケンとサマルカンドは直接狩りに参加。
私達女性陣は見学。
正確に言えば、見学の私と、その護衛であるリズとレベッカという内訳になる。
雪に白く染められた丘で、白い息を吐いて待っている。
ちなみに私は"病毒の王"の正装(仮面なし)に加えて、防寒用の毛皮のマントをもう一枚。目立つようにと鮮やかなオレンジに染められている。
リベリットシープのもので、ベージュの裏起毛と、首元のファーが物理的にあったかい逸品だ。
特に首元のファーは、ずっと撫でていたいふわふわ感。
かなり大きく見えるのに、ファーや裏地以外、縫い合わせたりしていないどころか、丁度いい形に切り抜いているようにさえ思えるのが、少し気になる。
レベッカは足下こそ、もこもこのブーツだが、それ以外はいつもと同じ恰好だ。
黒いフリル付きのシャツもスカートも、雪を舐めているとしか思えない恰好なのに、白い雪との対比で、よく似合ってる。
白い息こそ吐いているが、さすがは不死生物と言うべきか、『適温』の幅が広いらしい。
リズは私と同じオレンジのマントを羽織っている。赤いマフラーはいつも通り。
けれどその下は、今は見えないがスポーティーな恰好で、新鮮な恰好が見られるのは旅行の醍醐味だなあとしみじみ。
いつもはどこに仕込んでいるのかよく分からないナイフが何本も、鞘ごとベルトで留められた、狩猟向けの恰好なので、ちょっと甘さは足りないが。
「向こうに白い雪煙が見えるのが分かるか」
レベッカが指で指し示す。
「うん」
頷いた。
確かに、白く煙っている。
そしてバキバキという音。
「これ、木が折れる音?」
「そうだな」
延々とバキバキという音が聞こえ続けている。
「……向こう、どうなってるの?」
「リベリットシープが本気になれば、巨体で木を薙ぎ倒していく。その音だな」
「ねえ。結局リベリットシープってどんなやつ?」
「一応は、巨大な羊と言っていいだろう。足は短めで、毛足が長い。角が三本あるのが少し変わった所か。二本は巻き角で、一本は額の真ん中から……見た方が早いな」
レベッカが、もう一度指で指し示した。
「あれが『リベリットシープ』。私が昔来た時は『バーサークホーン』と呼ばれていた魔獣種だ」
「え、今なんて?」
バーサークって確か意味、『狂乱』とかだよね?
聞き逃せない事を言ったような気がするのだが、森から木々を薙ぎ倒して現れた巨体を見て納得する。
もつれた薄い灰色の長い毛で、短い足が隠れている姿は可愛いと言えなくもない。
しかし、サイズが4トントラック並とは聞いてない。
眼光は鋭く、ほのかに赤く光っているようにすら見える。
角は禍々しい三本角。巻き角が左右に一本ずつ、そして額にねじくれた角が一本、一角獣のようにそびえ立つ。
体には何本か矢が突き立っている――ように見えたが、あれ槍だ。サイズ感おかしい。
そこにいたのは、リベリットシープなどという家畜化された種ではなく、狂乱の獣だった。
森から飛んできた槍が、バーサークホーンに突き立つ。
後を追って木立から駆け出してきたのは灰色の毛玉……に見える、今狩ろうとしている獣の、染められていない自然な色の毛皮を全身にまとった村の狩人達。
そして、ハーケンにサマルカンドだ。二人共いつもの恰好だが、狩人達と同じく、背に槍を数本背負っている。
入れ替わり立ち替わり前に出て囮になりつつ、隙を見て槍を投擲する……のだが、暴れてほとんどが弾かれる。
そんな中ハーケンが放った槍が、首筋に突き立った。
背筋が寒くなるような咆哮を上げる。
シープって声じゃないってば!
その手負いのバーサークホーンが、こちらを向いた。
「リズ。マスターを頼む」
レベッカが腰のホルダーからワンドを引き抜く。
短い杖の先端に、ぽうっと青緑の鬼火が灯った。
「はい」
リズが私の一歩前に出て、両手に格闘用のナイフを逆手に握り込んだ。しゅるしゅると、風に遊ばせていたマフラーが両腕に巻きつく。
雪を蹴立てて白い煙を上げながら突進してくるバーサークホーン。
その前に、黒い影が回り込む。
「獣の分際で、我が主を狙うか……?」
「サマルカンド! 下がれ!」
突進の前に立ちはだかったうちの黒山羊さんを見て、慌てて叫ぶ。
「ご安心を、我が主。この身に代えましても、御身の安全は保証しましょう」
「いや、お前の身の安全を保証しろ!」
「それは無論」
サマルカンドに、バーサークホーンが激突した。
思わず固く目を閉じる。
「マスター、いいとこ見逃しますよ」
「え?」
今し方、目の前で大型トラックと歩行者の交通事故っぽい酷い光景が広がったとは思えないリズの声。
目を開けた。
「サマルカンド殿、そのまま抑えておられよ」
「承知」
背の槍を捨て、一本の槍を握り込んだハーケンが、足下が雪とは思えない軽やかさでバーサークホーンの背に飛び乗った。
振り落とそうと身をよじる魔獣の、額と右の角を膨れあがった両腕の筋力で抑え込んでいるサマルカンド。
ハーケンが、槍を深々と首筋に突き立てた。
手負いのバーサークホーンが苦痛に身をよじる勢いは凄まじく、ハーケンが振り落とされ、サマルカンドも振り払われた。
「ぬかった!」
「いや、これで十分」
サマルカンドが、蹄で雪を蹴った。
再び組み付き、首元に指を食い込ませる。
「"死の言葉"」
一瞬びくりと震え、怒りと痛みに燃えていた眼光が消えていく。
くたり、と横倒しになった。倒れる際にも雪煙がもうもうと上がる。
弱らせてからの、ゼロ距離即死呪文。
それを実行出来るだけの魔力と体さばき。
大型の魔獣種と四つに組んで引かない筋力。
「我が主。お怪我はありませぬか」
ハーケンと一言二言かわし、こちらへやってきた黒山羊さん。
「ああ、お前のおかげでな。――見直した。サマルカンド」
「何よりのお言葉……」
雪を気にせずひざまずくサマルカンド。
本当に見直した。
リズが四秒で倒せるとか言うから。
ドーピングしたとはいえ、竜を降りたドラゴンナイト隊長に殺されたから。
――何より、私のようなへなちょこを、絶対的に崇めているから。
ついつい忘れてしまうが、彼は上位悪魔。
竜族と並ぶ、最強種族だ。
私の暗殺に来た時も、リズのトラップを突破してきたのは純粋に腕。
護衛は手回しで新米だったとしても、仮にも近衛師団所属のアサシンを探知範囲外からの睡眠魔法で眠らせ、リズ特製の致死トラップの数々を単独で無効化、あるいは起動させた上で無力化出来るのは、この国でもそう多くはない。
「我が主が肉を気に入られていたようでしたからな。なるべく肉を傷付けないように配慮しました」
しかし私の事が大好きすぎる。
ていうか何その理由。
「あの、サマルカンド……? 身の安全とか……考慮してる? 特に私以外のお仲間とか」
「それは当然の事。我らが同胞であり、いざという時は我が主の盾になってもらわねばならぬ者達ですからな」
軽く笑うサマルカンド。
「そして何より、今回は『狩り』です。『駆除』ならば攻撃魔法で焼き尽くせばよいだけの話ですが、なるべく肉と毛皮を無傷で手に入れようとするのは当然の事」
「ねえレベッカ。あれ攻撃魔法効くの?」
レベッカの長い耳に口を寄せてささやく。
「魔法耐性は高いが、相応の火力があればな。昔の話だが、私も何匹も仕留めているぞ」
「え、レベッカが?」
「だから、私は攻撃魔法を使えるし、普通に強いんだってば。何度言ったら覚える」
ため息をつくレベッカ。
「ねえ、リズは? あれ一人で倒せる?」
「当たり前ですけど?」
小首を傾げるリズ。
何を聞かれているか分からないという、まっすぐな瞳だ。
「あれどうやって倒すの?」
「接近してナイフで、こう」
両手に逆手で握り込んだままのナイフを振るジェスチャーをするリズ。
恐ろしくアバウトだが、言わんとする事は分かった。
「あのな。サマルカンドも言ったが、今回は『狩り』だ」
レベッカが口を開く。
「もちろん危険はあるし、死者が出る事もあるが、あれは『獲物』であり、今では精神魔法も併用しているとはいえ、家畜化にも成功している、中位に分類される程度の魔獣種だ」
レベッカの言う事は、理路整然としていて、おかしい所はない。
しかし。
「この国おかしいよ」
「その国で最高幹部やってるお前が何を言う」
微妙に、言い返せなかった。




