感謝の気持ち
リズが、じーっと私の目を見つめる。
彼女の綺麗な金色の瞳を見つめ返す時間は好きだが、大抵問い詰められる時なので、あまりゆっくり楽しんでいられないのが残念だ。
「……いくらしました? というかこの予算、どこから出てますか?」
「安心して、ポケットマネーだよ」
「いくらしました?」
「楽しい時間はお金で買えない価値があるんだよ」
リズが微笑んだ。
一語一語を、刻み込むようにはっきりと発音する。
「い・く・ら・し・ま・し・た?」
「……にじゅうよんまん……」
「道理で美味しいと思いましたよ!」
リズが叫ぶ。
銅貨一枚で百ディール。
銀貨一枚で千ディール。
そして、金貨一枚で一万ディール。
円換算はしようもないが、一対一換算でもご飯に使う金額としては違和感がないだろう。
お酒を飲まなければというただし書きはつくが、普通のご飯なら銀貨一枚でも、結構美味しい物が食べられる。
今日の合計金額は、金貨で二十四枚。
しめて二十四万ディールを、ハーケンが飲食不要ゆえに四人で割った一人六万ディールとは、まごうかたなき高級店の価格だ。
「美味しかった?」
「……それはまあ」
「ならよかった」
憮然とした顔で頷いたリズに、微笑んだ。
「贅沢だけが幸せとは、思わないけどさ」
魔王軍最高幹部を名乗ってはいても、額の大きいお給料を貰っていても、私は根が庶民だ。
けれど、だからこそ。
「たまに、こうやって感謝を形にする時ぐらいは、私に出来る最大限の事をしたかったんだよ」
「……そんな事言われたら、もう何も言えないじゃないですか」
リズの耳がちょっぴり下がる。
「ははは。何、我らが主が感謝の気持ちと言うのだから、無粋な事は何も言わずともよいのだ。だが礼を言おう。楽しき時間を過ごさせてもらった」
ハーケンが楽しげに言う言葉に頷く。
しかし。
「私ハーケンの分出してないんだけどねえ」
彼は一緒にテーブルを囲んだだけで、食事はしていない。よって、支払いも発生していない。
不死生物に理解のあるお店でよかった。
予約の際に、ゾンビではないか、普段の衛生に気を遣っているか聞かれただけだ。
もちろん太鼓判を押し、それで話は終わった。
サマルカンドも上位悪魔だが、こちらも「お客様の身長ならば大丈夫だと思いますが、部屋の出入りの際は角が当たらないようにお気を付け下さい」と、至極まっとうな忠告をされただけだった。
シェフからスタッフまで全員がダークエルフだったが、この辺りの他の種族への気遣いはさすが高級店と言うべきか――さすが異種族共生国家であるリストレアと言うべきか。
後者だと、なお良いのだけど。
そのサマルカンドが、恭しく一礼する。
「我が主。今日という、尊きお方に日頃の感謝の気持ちを頂いた日を、私は、生涯忘れませぬ。このご恩は一生掛けて」
「サマルカンド。六万ぽっちで人生売らないでくれるかな」
「とうに我が人生は貴方のものです、我が主」
うちの黒山羊さんの感覚は壮大だなあ。
レベッカが、軽く笑顔を浮かべて口を開いた。
「ごちそうさま。騙し討ちのように連れてこられた以外は、楽しい時間だったよ」
「レベッカ、実は、うちで一番常識人だよねえ」
しみじみと言う。
幼すぎる外見とか、異常に長い軍歴とか、魔王軍でもほぼ唯一の複数の二つ名持ちだとか――
そういった事と関係なく、彼女は模範的な軍人であり、常識的な人間だ。
いや、常識的な不死生物だ、と言うべきか。
「え、私は?」
「リズはちょっと違う。強いて言えば三番目かな」
「二番目は? ハーケンですか?」
「いや、それは私」
「マスターは、本当に常識がありませんね」
「ははは。私は最高幹部特権という権力を振りかざすだけの常識人だよ」
「常識人は権力を振りかざさないんですってば」
「何を言ってるのリズ。権力を握ったら常識の範囲で振りかざすのが常識だよ」
「……え? は? いや、ちょっと何を言ってるか分からないんですけど」
「まあ、こいつの言う事にも一理あるな。権力は責任が伴う。たまには羽目を外したくなる事もあるだろうさ。今日のような範囲で権力をふりかざして部下を振り回す程度なら、まあ常識の範囲だ」
「おお。レベッカが大人っぽい」
「私はお前より大人だからな?」
レベッカがじろりと睨む。
しかし、すぐにため息をついた。
「まあ、不死生物が年齢をうんぬんするのも変な話だがな」
「そうだねえ。この国で年齢を偉さの基準にすると、長命種が優遇されすぎて色々と危ないし。だから私は外見年齢で判断する事にしてる」
「待て。それはやめろ。私が一番不利だろ」
「ははは、レベッカ。大人はそういう事を気にしないものだよ」
「大人な対応を取った側が、不利益を被る方向性に誘導するのは、やめろと言っている」
さすが"第六軍"随一の常識人。
「では階級で判断するというのはどうかな?」
なお、私はこの中で一番階級が高い。
「なるほど……魔王軍……辞めようかな……」
遠い目で呟くレベッカ。
まあ、リストレア魔王国における不死生物は、魔王軍所属が義務なので、ただの冗談だろう。
……冗談だよね?
「ちょっとマスター。何、各軍の信頼厚いベテランに転職を考えさせてるんですか。あんまり目に余るようだと陛下に叱ってもらいますからね」
「それはやめて」
「じゃあおやつ抜きです」
「リズのおやつ抜きになるぐらいなら陛下に叱られる方がマシだ」
「……それもどうかと思いますが……」
マフラーをちょっと引き上げて、口元を隠すようにするリズ。
表情を隠そうとしているのかもしれないが、マフラーが歩く動作とは関係なしにぴこぴこと跳ねる時点で、色々隠せていない。
「でも、今日のレストランは美味しかったですね。腕がいいのはもちろんなんでしょうけど、素材がまた」
「あのお肉美味しかったねえ。知らない産地の知らない生き物だけど」
「北部名産のリベリットシープだろ。リベリット村はそれの放牧で有名だ」
「……ねえ、レベッカ。そのさらりと溢れ出る教養はなに?」
「入植時に獣人軍と死霊軍が共同で、周辺の魔獣を駆逐する任務があってな。多少の縁がある」
「ツテはありますか」
「なくはないが……? 何故敬語」
レベッカが眉をひそめる。
「よし、慰労会やろう慰労会。レベッカ、今度詳しくお話聞かせてね」
「おい、何を言い出した」
「リズ。私は北部へ『視察』に行きたいと思うのだがどうだろう?」
「……ああはい、『観光』ですね」
「『視察』だってば」
「物は言いようですね……」
「見ておきたいんだよ」
足を止めて、夜空を見上げる。
ローブのおかげで寒さはそれほどではないが、吐く息が白い。
「この国を……私が生きていられるうちに……ね」
「マスター……」
そっと寄ってきたリズを捕まえて腕を組んだ。
腕を組んだだけで胸が肘に当たるってどういう事かちょっとよく分からない。
「……あの、マスター?」
「肌寒くて人恋しい季節になってきたね」
「年中くっついてきてるじゃないですか」
「んー? これはただ、そうしたいだけだよ」
リズが無言で、ちょっと頬を赤らめて目をそらして、それでも組んだ腕を振りほどかない様を堪能しながら、家路を辿る時間は。
本当に、短く感じた。




