伝えたい事
私は、リズを満面の笑みで、両手を広げて出迎えた。
「リズ! 待ってたよ」
私服と言ったのに、メイド服の白い部分を外して上着羽織っただけのような気がするのが、少し残念。
中々彼女の私服を見る機会がない。
まあ私も、この世界に来てからというもの、私服という概念が消え失せて久しいので、人の事は言えないんだけども。
今も、若草色と深緑のローブ重ね着、肩布抜きという、いつもの恰好だ。
「さ、入って入って。レベッカも、そんな所に突っ立ってないで」
リズとレベッカを部屋に招き入れた。
部屋の中は魔力灯ではなく、テーブルに置かれた三本に枝分かれした銀の燭台の蝋燭で照らされている。
部屋の隅が見えないぐらいの薄暗さと、ゆらめく炎の演出は中々に素敵だ。
「……あの、マスター?」
しばらく無言で部屋の中を観察していたリズの暗い瞳に、ゆっくりと光が戻る。
そして、テーブルの上の一点を指さした。
「このケーキについて、説明を要求します」
「文字が読めるなら、意味は取れると思うけど」
テーブル中央に鎮座する、生クリームでデコレートされたケーキには、文字の書かれたチョコプレート。
この世界では、割と高級品だったりする。
「……『Happy Birthday』と読めますね。誕生日おめでとうって意味ですね」
リズが乾いた声で答える。
一転して、叫んだ。
「戦闘もあり得る危険な任務じゃなかったんですか!? 私とレベッカの覚悟を返して下さい!」
「私は『今のところ危険はない』と言ったよ。『安心しろ』とも、『無茶な事はしない』とも、きちんと言ったよ?」
「サマルカンドとハーケンを連れて行くって言ったじゃないですか!」
「だから二人共連れてきてるよね?」
「護衛班の二人を連れて何が誕生日パーティーですか!」
「いやだって、リズの誕生日今日だよね。去年は過ぎてたから」
今日は、十一月十七日。
経歴には、何故か生年月日が書かれておらず、去年ふとした機会に教えてもらった時には、もう誕生日は過ぎていた。
さばさばとしていて、無理にさかのぼって祝う雰囲気でもなかったので、去年はそのまま流れた機会。
情勢も比較的安定しているので、こういったゆるいイベントを祝う余裕もある。
「私まだ、誕生日祝われるような歳じゃないんですけど!?」
「え?」
思わずリズを見て、次にレベッカを見る。
「リズ。人間は、毎年誕生日を祝うのが一般的だ」
「え、そうなんですか?」
「うん、まあね」
歳を取るのがめでたくない派の人もいるので、本当にそれが一般的かは微妙だったりするけど、ややこしくなるので頷いておく。
「はあ……魔族……特にダークエルフは、二十歳になった時と、百歳になった時、後は百年刻みで祝うのが一般的なので……二百歳以降は、わざわざお祝いしない事も多いみたいですが……」
……毎年祝ってられない、という事だろうか。
確かに長命種が毎年誕生日を祝うと、親しい人も合わせれば、一生の内に行うお祝いの数がひどい事になりそう。
リズも、軍歴から察するに、多分私の年齢の三倍ぐらい生きているはずだし。
人間が魔族を敵としたのは……怖いだけではなく……その寿命や強さが、羨ましかったのかもしれない。
私は、可愛い女の子が長い間可愛いだけで嬉しいが。
「獣人族は十五だったか?」
「ええ。後は誕生日ではなく、何かしら活躍した時に宴会を開きますよね」
「ちなみに他の種族は?」
「悪魔が祝うとは聞いた事ありません」
「その通りでございます。自分の『誕生日』を知らない者も多い。私も生まれ年すら覚えておりませぬ」
サマルカンドが補足する。
確かにふと自分の生まれた年を忘れる事は、人間の私でさえあるのだ。
全く覚えてないというのも壮大な時間感覚だが、無理からぬ事かもしれない。
「不死生物も同様だ。死霊軍で祝うのは、新年ぐらいだったな。それもあまり派手でもなかった」
レベッカの補足に、リズが続けた。
「ドラゴンはよく知りませんが……こんな風にケーキで祝う事はないかと」
言われてみると誕生日に限らず、リストレアでは日付に紐付けられた季節イベントが少ない。
多種族共生国家であり、ライフスタイルもまちまち。
国としての歴史はそこそこあるが、建国以来この国は戦争をしているのだ。
「なるほど。これは新しい商売の匂いが」
「……このマスターは何を言い出しましたか」
「いや、まずは悪魔と不死生物とドラゴンも誕生日を祝おうというキャンペーンを大々的に行ってね?」
「……一応最後まで聞きましょう」
「そのあと、その三種族にも対応したお祝いメニューを完備したレストランとかを経営するっていう」
「計画倒れの予感しかしませんが、平和になったら好きなだけ頑張って下さいね……」
「そうするよ。さ、リズ。今日の主賓だからね、いい席どうぞ」
リズをいわゆる『お誕生日席』に案内しようとしたが、軽く首を横に振られた。
「そこはマスターの席です」
日本ほどは上座・下座という概念が濃くないこの世界でも、一番偉い人の席は決まっている。
部屋なら奥。長テーブルなら辺の短い所。高い低いなら高い所。椅子なら一番豪華な物。
異世界でも、何もかもが異なっているというわけでもないのだ。
……むしろ近すぎると思う事すらある。
暦が同じで体感の重力が同じ、かつ気候も地域差の範疇となれば、惑星のサイズや自転・公転の速度、太陽までの距離なども地球と同じと見ていい。
自由の女神とか埋まってたらどうしよう。
「じゃあ、こっちおいで。レベッカも」
二人を近い席に招く。
「ところでレベッカの誕生日っていつ?」
彼女の書類も、生年月日の記載がなかった。
ていうか、書類の形式がまちまちなのが悪い。
サマルカンドは、名前と悪魔である事、"第五軍"悪魔軍に組み込まれた年しか書かれていなかったし、ハーケンに至っては召喚生物で備品扱いだったせいか、書類がない。
生年月日の記載がある書類も、ない書類もあり、リズの書類に記載がないのは暗殺者ゆえかと思っていたが、単に担当者によって細かさが違うのかもしれない。
一応意見は出しているのだが、重要ではない上に、書式を統一するとなると書き直さねばならない記録が膨大で、今はそんな余裕はないとの事。
例えばレベッカは軍歴が長すぎて、任地や任期の記載が膨大すぎた。
解読の困難さは、ほとんど古文書レベル……いや、実際に初期の経歴を記した書類は羊皮紙だったし、本当に古文書かもしれない。
彼女は約四百年のリストレアの歴史の中、建国歴一桁からの最古参なのだ。
「私は没年しかないからな」
「生前は?」
「……不死生物は、生前の事は生前の事と、割り切るのは普通だ」
それ以上、聞かない事にする。
「ちなみにブリジットは? 聞きそびれてて」
「姉様の誕生日は、七月三十一日ですよ」
「夏かー。お祝い出来るのは大分先だね」
とは言っても、お祝いしないのが一般的となると、中々難しい所だ。
それに来年のその時……果たして、情勢がどう動いているかなど、分かったものではない。
なんて事を考えていると、レベッカが口を開いた。
「お前の誕生日は? 自分で祝ってもらえばいいだろう」
「それがねえ。誕生日の記憶がないというか」
「なんだと?」
「名前と一緒に抜け落ちたみたい」
ある程度してからは、めでたいと言うよりもじわじわと歳を感じる事の方が多くなっていた。
それでも、あれもまた、大切な記憶だったのだと、思う。
「まあ私のはいいんだよ」
「よくありませんよ」
リズが、そう言ってくれるのは嬉しい。
けれど。
「いいんだよ。――リズ、誕生日おめでとう。レベッカ、サマルカンド、ハーケン。いつも、ありがとうね」
この国で生きていくのに、それは必ずしも必要ではない。
「今日は楽しんで」
「……まあ……いいですよ。この五人で戦闘するような任務はなるべくなら避けたいものですからね」
「この五人なら大抵なんとかなるような気はするけど」
「私もそんな気はしますが、約一名が、恐ろしくへなちょこな割に重要度が高いので」
リズの視線を避けるようにレベッカに視線を向けた。
「レベッカ、言われてるよ」
「おい待て。誰がへなちょこだ」
「だってレベッカ、直接戦闘向きじゃないって」
「舐めるな。これでも私は、かつて"歩く軍隊"と呼ばれた死霊術師だぞ。私一人で軍隊だ」
「でもレベッカは指揮官だよね?」
「……まあ、それはその通りだ。が! しかし!! 私は剣も扱えるし、防御魔法も攻撃魔法も使い分けられる。最前線の経験も長い。あまり見くびるな」
「さすがレベッカだね」
「……分かればいい」
頬を赤くして、ふい、と視線をそらすレベッカ。
「でも、この大変な時期になんでのんびり誕生日祝おうと思ったんです?」
「大変な時期だからこそかなあ。レストランがいつまで営業してるか分からないし……それこそ、来年の今日、同じように祝える保証も、ないんだよ」
私は、三年で人類を絶滅させると、魔王陛下に宣言した。
実際の所、残された一年ほどで、それが可能かは分からない。
けれど、それは誇大妄想と言うほど酷くはない未来予想図だ。
そして同時に。
リストレアが存在しない未来も、ありうる。
「今日の主賓はリズだけど、他の三人もね。――改めて言うけど、いつも感謝してるよ」
「……ん。まあ、仕事だからな」
レベッカが、軽く頷いて、微笑む。
「ありがたきお言葉……その言葉だけでいかなる死地にでも赴けようというものでございます」
「うむ。不死生物の身には、楽しき場の空気が何よりの褒美というものだ。いかなる敵も切って捨てようではないか」
サマルカンドが恭しく頭を下げ、ハーケンが重々しく頷いた。
「二人共……喜んでくれるのは嬉しいんだけど、なんでそんなに重いの?」
「性分なれば」
「何、敵の命を軽く置いているだけである」
割と似た二人なのかもしれない。




