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病毒の王  作者: 水木あおい
2章

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城壁の上のウサギたち


 はるか遠い地平線――人間国家の領土へと落ちていく夕日を、私は一人、城壁の上から眺めていた。


「すまない。遅くなった」


「ううん」


 返事をしながら声をかけられた方を見ると、ブリジットが、急な石造りの階段を登ってきていた。


 訓練の時と同じ軍服姿で、腰に剣帯で、長剣と短剣を吊っている。


「ひさし……ぶり、だね」

「……ああ」


 どうしても、お互いにぎごちなくなる。


 事務的な会話は、何度もかわした。


 お互いに魔王軍最高幹部として、話さなければならない事はあり、そしてブリジットが胸の底に何を秘めていようと、彼女は私情を優先させるような真似はしない。


「まず、合同訓練の参加に、改めて感謝する。暗黒騎士団のみならず、リタルサイド駐留軍の皆に、随分気合いが入った」


「どういたしまして」


 微笑んだ。


「……あんな手紙で、よく来てくれたな」


「これでも最高幹部だからね。……いや」


 首を軽く振った。



「友達……でしょ」



 ブリジットの顔から、表情が消えた。


 ……いや、違う。

 消えたんじゃない。痛みを見せないために、隠したんだ。


 もう、違うのかな。

 私とブリジットは――もう、お互いの立場を気にせずに話せた頃とは……違うのかな。


「……私を、まだ友人と呼んでくれるか?」

「もちろん。……ブリジットは……違うの?」


 ブリジットの瞳が揺れた。


 唾を飲み込み、少し視線をそらし……また、私に向き直った。

 躊躇いを見せながらも覚悟を決めたのか、口を開く。



「……私は……ずっと、お前に言えなかった事がある」



「なあに?」


「ガナルカン砦での、事だ」


 ――ガナルカン砦。

 私とブリジットが、初めて出会った場所。


 私は、城壁の上にいた。


「私は、お前に気付いた。城壁の上で、防御魔法の担当を突き落として……取り押さえられたお前に」


 彼女は、私に気付いてくれた。助けてくれた。

 だから、私は生きているのだ。


「何が起きているかは、よく分からなかった。おそらくは……反乱の一種だろうと、思った」

「間違いではないね」


 私はかつて、貴重な魔法使いの魔力を肩代わりさせるための生贄、魔力タンクとしてこの世界の人間に召喚されて、城壁の上にいた。


 本来、不死生物(アンデッド)黒妖犬(バーゲスト)以外の、特殊な魔力吸収能力を持つ種族以外は、他者の魔力を自分の物に出来ない。


 ただ、精神魔法で隷属させれば、蛇口を捻って水を出すように、魔力を奪い取る事は出来る。


 蛇口と違うのは、閉める方法はない、という事だろうか。


 私は精神魔法に抵抗し、理不尽に抵抗した。


 私がこの世界の人間国家側の勢力だった事はないので、反乱とは少し違うが……まあ、結果を見れば似たようなものだ。


「……お前が、二組を突き落として、一組に取り押さえられるのを見て、私は……好機だと、思った。思って、しまった」


「……ブリジット?」


 ブリジットの顔が、くしゃりと歪む。

 手を額に当てて、それでも彼女は義務感に突き動かされるように喋り続けた。


「私は、命令した。――命令したんだ。あそこに攻撃魔法を叩き込めと。あそこを突破口にしろと」


 彼女の目尻に、涙が滲んでいた。


「分かっていた。あそこにまだ、人がいるって。敵じゃないひとが……いるって。でも、私は、最高幹部だから。騎士団長だから。だから私は、命令したんだ」


 泣きそうな顔で、彼女はそれでも、告白をやめなかった。



「城壁の上の人間を、みんな殺せって、命令した……!」



 そこで、ブリジットは痛みに耐えかねたように、目をぎゅっとつぶって、顔を背けた。


「私は、お前と、もしかしたらお前と同じ世界の人間を、みんな殺せって命令したんだ……」


 目を閉じたまま、うつむいて喋る彼女の、名を呼んだ。


「ブリジット」


 ――彼女が、たまに見せた悲しそうな表情。


 私が、彼女のしてくれた事にお礼を言う度に。

 私がそれを言うのは当然なのに、どうしてだか、彼女の表情は少しだけ曇った。


 これが、その理由。


「私は、お前の恩人なんかじゃない」

「命の恩人だよ」


 私には命の恩人が沢山いる。

 そして彼女は間違いなくその一人で……この世界で、一番最初に私の全てを助けてくれた。


「それからだって、私は団長としての体裁にこだわって、お前の待遇を悪くした。……お前は、こんな私の事、友人だって、言ってくれたのに」


「それは、私が望んだんだよ。私が、自分で言ったんだよ」


 私が、彼女との時間を失った事に傷付いたように。

 彼女も、私との時間を失った事に傷付いたのか。


「お前の優しさに甘えただけだ。責めてくれて、構わない。憎んで、罵ってくれて……」


 彼女の中には、確かに私がいたのだ。


 ただの人間の。

 暗黒騎士団長という立場からすれば、何の価値もなかった、私が。


 彼女は私の事を、一人の人間として、見てくれたのだ。


 罪悪感で、自分を責めるほどに。


 ただの人間の私に、優しくしてくれた彼女が得るべきは、自責の念による痛みなどではない。


 そうであっていいはずがない。


「ブリジット!」


 彼女の名前を強く呼んで、私は彼女をぎゅっと抱きしめた。

 長い耳に口を寄せて、ささやく。


「私、生きてるよ。生きてるんだ。ブリジットが助けてくれたから、生きてるんだよ。あのままだったら、絶対に死んでた。その後だって、ブリジットが書いてくれた手紙がなければ、陛下に会える可能性なんてなかった。リズに会う事もなかった。"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"になる事も、なかった」



「でも……お前、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"に、なったんだぞ……」



 ブリジットの声は、震えている。

 体も小刻みに震えていて、私の体に彼女の感情が伝わってくる。


「お前、当たり前の人間じゃないか。人殺しなんてしたくないって、言ったじゃないか。なのに私は……私達は、お前にまた、甘えた。人間に、同じ人間を殺させる命令を下させたんだ。その上、囮にされたんだろう? そのための地位と……名前なんだろう? ……何度もお前、死ぬところで。そんな危険な役割を、最高幹部の地位をエサにして、押しつけて……」


「馬鹿にしないで、ブリジット」


 私は少しだけ怒りを込めて、彼女の肩を掴んで引き離すと、彼女の瞳をまっすぐ見た。



「私は、自分で決めたんだ。私は、望んで"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"になったんだよ」



 私は、非道の悪鬼と呼ばれ、人類の怨敵と呼ばれた。

 その称号に、何の嘘もない。

 私の命令で作られたのはこの世の地獄。



 けれど、それをこの国の誰かに強いられた事など、一度もない。



 また、彼女を抱きしめた。

 彼女が、私の肩に顔を押し当てる。


 お互いに、お互いの痛みを分かち合うように、私達はお互いの背中に回した手に力を込めた。


「嬉しかったんだよ。本当に、嬉しかったんだ。どんな理由だって知らない。罪悪感からだっていい。でも、あれが全部嘘だったって、そう言うの? 覚えてるよ。熱に浮かされた私が初めて見たのが、ブリジットだった。起こしてくれた手つきが優しかったのも、毛布を肩まで掛けてくれたのも、覚えてるよ。様子見にきてくれる度に、顔を見るのが、嬉しかったよ」


 私も、目尻に涙が滲んで、彼女の肩に顔を押し当てた。


「ブリジットって呼んでいいって言ってくれたのも。私の事を友人だって言ってくれたのも。家畜小屋に行った後も適当にせずに、色々手配してくれたのも。全部、全部嬉しかった。あの時くれた毛布の暖かさだって、まだ覚えてる……」


 あのぬくもりが、なければ。


 彼女がいなければ、私は死んでいた。


 彼女がいなければ、"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"は生まれなかった。



「私にとっては、あの毛布一枚が、人類全部より、重かったんだ」



 私は、計算が下手だ。

 私の心の天秤は、自分の大切なものを、本当に重く扱ってしまう。


「……ただの、毛布だ」


 ブリジットが、力なく呟いた。


「私にとっては、違ったの」


 お互いにどちらからともなく、身を離した。


 そして二人して、城壁の石積みに腕を載せて、遠い地平線に沈む夕日を眺める。


「お前がお願いがあるって言った時の事、覚えてるか」

「覚えてるよ。何でも用意するって言ってくれたよね」


「……物で済む話なら、って思ったんだよ。だから、お前が名前を縮めて呼んでいいかって聞いた時……そんな事を思った自分が、恥ずかしくなった」


「私は、嬉しかったよ。ブリジットって呼んでいいって、言ってくれたの」


「……友人になれば……もしかしたら、なかった事に出来るかもしれないって……思ったんだ。せめて傷付けた分……優しくできれば……って……」


「優しくしてくれたのも、嬉しかったよ。……それと、私が傷付いたのは、私をこの世界に召喚した人間達のせいだからね? そこの所は間違えないように」


 彼女が攻撃魔法を叩き込めと命令しなければ、取り押さえられていた私は、間違いなく殺されていただろう。


「王城で剣を突きつけたの、覚えてるか」

「うん。しばらくここの髪が短くなった」


 両サイドに垂らしている横髪の、右側に触れる。


「……あの時は、今ここで殺すべきかもしれないと、本当に思ったんだ。お前が、利用されてるって、思ってたから」

「まあ、それは否定しないけど……私、大人しく利用されてるタイプに見える?」


「今は見えない。でも、あの時はそう思ってたんだよ。……だってほら、信じられるか?」


 ブリジットが、わざとらしく非難がましい口調と視線を向ける。



「自分で一筆書いたとはいえ、他に後ろ盾も何もないただの人間が、あの短期間で『非道の悪鬼にして人類の怨敵』こと"病毒の王ロード・オブ・ディジーズ"って呼ばれるようになったんだぞ?」



「うん、信じられないね」


 詐欺にしても、もっと上手くやれってレベル。


「あまつさえ、"第六軍"が設立され、リストレア史上初の六人目の魔王軍最高幹部だ。絶対にこれは騙されて都合のいい囮に仕立て上げられてるって」


「全くそうでないとは言わないけど、作戦行動の基本プランは大体私の発案だし、部下も現地活動班は全員直属だよ」


 囮の一種なのは、事実だ。

 目立つのが仕事。憎まれるのが仕事。


 でも、私の仕事は、それだけじゃない。


 権限があって、部下がいて、予算があって――つまり特殊な小規模所帯とはいえ、私は間違いなく、リストレア魔王国の一翼を担う魔王軍最高幹部なのだ。


 メイドさん付きの屋敷と、最高幹部のお給料も、ちゃんと貰っている。


 お互いに顔を見合わせると、どちらからともなく笑った。



挿絵(By みてみん)



「……ごめんね。何の相談も、しなくて」

「いや……いい。成り行きというやつだろう。私の方こそ、言えていなかった事、あったな」


 ブリジットが城壁から身を離し、微笑んで右手を差し出した。

 私も右手を差し出すと、ぎゅっと握手された。



「最高幹部就任、おめでとう。――心から歓迎する。リストレア魔王国を守る一員として。……友人として」



 私も、精一杯の気持ちを込めて、握手を返した。


 私達は、ようやく対等になれた気がした。



 私達は、ようやくお互いがお互いを、胸を張って友人と呼べる気がした。




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― 新着の感想 ―
[一言] ウサギは、「寂しいと死んでしまう」と言われるほど弱い草食動物。 鳴き声を発することなく、跳ねて天敵から逃げる、可愛らしい生き物。 そんな存在でも、「理不尽」に抵抗することはできる。倫理観や…
[良い点] ブリジットの罪悪感。なにそれピュアすぎ! お互いのわだかまりが無くなって良かったね この二人のあいだのほんわかした空気いいですね このブリジットをみてマスターは『病毒の王』の必要性を感じ…
[良い点] 作者さん、更新はお疲れ様です! ブリジットさん、意外に辛い自白でしたね! でも、本当に正式的に仲直りしてくれて良かったです!これも相当素敵な百合百合イチャイチャだと私は思いますよwww イ…
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