番外編 僕は曽根崎さんと二人で話したいだけなのに何故かみんなが邪魔をする
曽根崎さんが、窓にブラインドを下ろす。事務所の営業終了を告げる合図だ。
僕がコーヒーを入れたカップを二つ用意しソファーに座ると、彼も続いて向かいに腰を落ち着ける。
「――では、景清君」
「はい、曽根崎さん」
濃いクマを引いた目を見る。
今日も今日とて物騒な面構えの男は、僕に静かなる宣言をした。
「今日この場を設けたのは他でもない、我々が腹を割って話す為だ」
「はい」
「ごまかさない、嘘をつかない、逃げ出さない。この『ご・う・に』をモットーに、話し合いを執り行いたいと思います」
「無理して頭文字取らなくていいですよ。なんだ『ごうに』って」
「とにかく、やるぞ。こちとらこうやって腹括らないと話せる気がしないんだ」
コーヒーを一気飲みし、音を立ててカップを置く。行儀の悪いことだが、僕もそれなりに緊張していたので黙って見守っていた。
「……じゃあ、私から話をしようか。まずは君に黙っていたことについてなんだが……」
しかし、ここで何かを察した曽根崎さんは、言葉を中断し鋭い眼光をドアに向けた。つかつかと歩いていき、その前で待機する。
数秒後、ドアが開かれた。
「失礼します! 景子ちゃん、今日はいらっしゃいます――」
「帰れ!!」
「ミヒィッ!!」
曽根崎さんの長い足が警官の土手っ腹に炸裂した。警官は吹き飛び、階段を綺麗に転がり落ちていく。
それを見下ろし、彼は吐き捨てた。
「クソッ、今日だけで八人目だぞ。どうなってる」
「噂が噂を呼んで、今や景子ちゃんとんでもない美少女と化してるらしいですからね。あわよくばというヤツでしょう」
「まったく困ったものだ。せっかく少しでも事態が収まるよう、私の婚約者で忠助の恋人でかつ叔父とただならぬ関係にあり某財団理事長の愛人という噂を流したというのに……」
「原因それだよ! 僕とんだ尻軽女になってんじゃねぇか!!」
僕のツッコみがオッサンにぶつけられると共に、また別の警官の顔がドアから覗く。
……どうやら、もうここは安息の地では無いようだ。
「曽根崎さん」
「ああ、外に行くぞ」
「了解」
僕と曽根崎さんは、ワクワク顔の警官の横をすり抜け、事務所を後にしたのだった。
「ここなら誰も来ないだろ」
そうして僕らが選んだのは、カラオケ店だった。
誰かの大絶唱が聞こえる中、曽根崎さんはドリンクバーで頼んだオレンジジュースを一口飲む。
「……えーと、私からだったな」
「……はい」
「なんとも言いにくい話なんだが……実は私は」
「ああっ、兄さん!!」
なんとここでも乱入者が現れた。
逃げ込むように部屋に入ってきたのは、私服姿の阿蘇さんである。
「兄さん、助けてくれ! 俺を匿ってくれ!」
「ちょ、いきなりなんだ、どうした!」
「ヤツに追われてるんだ! 血も涙も無ェ、人の尊厳を踏みにじるようなヤツに……!」
「ど、どういうことです!?」
曽根崎さんにかきつき取り乱す阿蘇さんに、僕は慌てて事情を尋ねる。
この人をここまで追い詰めるなんて、どれほどの相手だろう。一体どんな事件に巻き込まれているのか――!
「阿ー蘇ーくーん」
開きっぱなしだった僕らの部屋に侵入してきた男に、僕と阿蘇さんはビクリとした。曽根崎さんより少し年上だろう彼は、ニヤニヤと笑いながらこちらを見ている。
「ここにいたのか……。ダメじゃないか、練習中に逃げ出しちゃあ」
「だから俺は絶対に嫌だと言ってるでしょう! 歌うか踊るかするなら、踊る方がいいとあれほど!」
――え? 何、歌う?
状況が飲み込めない僕に、男はヤレヤレと首を振る。
「みんな君の歌声に期待してるんだ。仕方ないじゃない」
「後輩の結婚式で笑いものにされてたまるかよ! 兄さん、助けてくれ! なんなら兄さんが代わりに歌ってくれ!」
……ああー……。
なるほど、そういうこと。
曽根崎さんの背に隠れようとする阿蘇さんに、大体の状況を悟った僕らである。
兄としての性なのか、曽根崎さんは阿蘇さんの肩を宥めるように叩きながら男に挨拶する。
「お久しぶりです、丹波部長」
「これは曽根崎さん。先の事件では苦労をおかけしました」
「いえいえ。練習されているのは、披露宴の出し物ですか」
「そうです。阿蘇君にはぜひ、後輩の前でその歌声を披露していただきたいと思っているのですが……」
「お断りします!」
「だそうです」
「上司命令だ」
「だそうだよ」
「裏切り者ー!」
曽根崎さんに首根っこを掴んで差し出され、抵抗虚しく阿蘇さんは彼より体格の良い丹波部長に連れ去られていった。
静かになった部屋で、曽根崎さんはよいしょと立ち上がる。
「……じゃ、場所を変えようか」
「はい。次阿蘇さんが逃げ出してきたら僕ら殺されますもんね」
「できるだけ遠くに行こう」
「ええ。……ところで、阿蘇さんってそんなに音痴なんですか?」
「あれはすごいぞ。君の演技力と張るレベルかもしれない」
「それならそこまで酷くないんじゃ?」
「君マジか」
一抹の疑問を残しつつ、僕らは次の場所へと向かったのである。
「そっち行ったよ柊ちゃん!」
「ハイ合点承知! ここまでよシンジ!!」
柊ちゃんが目の前に立ち塞がり、僕らの行く手を阻んでいる。後ろに逃げようにも、しかし光坂さんが待ち構えていた。
まさしく前門の虎、後門の狼。どうしようもない状況に、僕らは唇を噛んだ。
――何故、こんな事になってしまっているのか。
話は二十分前に遡る。
「確かに私は、できるだけ人がいる場所は避けたいとは言ったが……」
「案外穴場ではありますよ」
僕らは、とある公園に来ていた。適当なベンチに腰掛け、曽根崎さんは話し始める。
「またどんな邪魔が入るか分からんからな、単刀直入に言うぞ」
「はい」
「……できるだけ動揺しないで聞いて欲しい。実は私は、あと少しで……」
「あらっ、シンジと景清じゃない!」
またしても言葉を遮られた曽根崎さんは、泣きそうな顔で声の主を見た。多分ムッとしたかったんだと思う。
視線の先に立っていたのは、毎度お馴染み絶世の美女とその友人の占い師だった。
「何してんの。デート?」
「その言葉そっくりそのまま返してやる。何の用だ」
「用も何も通りがかっただけよ。公園抜けた方が本屋に近いから」
「今日は『月刊ウー』の発売日だったんです! 今から柊ちゃんの家で、今月の見所を教えてもらうんですよー」
雑誌を掲げる光坂さんは嬉しそうに笑っていた。仲がいいようで何よりである。
一方そんな感慨すら抱かないだろう曽根崎さんは、あっちへ行けと言わんばかりに片手を振った。
「ならもういいだろ。家に帰りなさい」
「んー……それがねぇ、そうもいかなくて」
「ええ。曽根崎さん……いえ、無名先生」
光坂さんの先生呼びに曽根崎さんがギョッとする。
そして、彼の鼻先に勢いよく雑誌が突き出された。
「この、最新刊かつ先生の作品が掲載された雑誌……これに、サインを、ください!!!!」
またこのパターンかよ!
案の定、曽根崎さんは体を後ろに引きながら拒否した。
「嫌だと言ってるだろ! 何度言えば分かるんだ!」
「しつこくてすいません。でも欲しくて……」
「永遠に平行線のやつですねコレ」
「いいじゃないの、シンジ。今後もライター続けるってんなら、ここらでサイン練習ぐらいしときなさい。ケチケチしないで」
「ケチとかそういうのじゃない。ただただ嫌なんだ」
「……そうですか……」
光坂さんは、しぼんだマシュマロのようにしゅんとした。
そんな彼女の姿に、曽根崎さんの横でなんとなく罪悪感に苛まれる僕である。
しかし、それも彼女の次の一言を聞くまでであった。
光坂さんの目に、ゆらりと炎が宿る。
「――ならば仕方ありません。力づくでいただくまでですね」
かくして、冒頭のシーンへと戻るのである。
なんだよあの人。流石柊ちゃんの友達やってるだけあるな。
僕らの前に立ちはだかる柊ちゃんを睨み、曽根崎さんは言う。
「……景清君、私が一瞬柊の気を引く。そうしたら迷わず光坂さんの元へ走れ」
「わかりました」
曽根崎さんが一歩僕の前へ出ると同時に、僕は光坂さん目がけて方向転換する。「なんで冷奴!?」という柊ちゃんの悲鳴が聞こえたが、気にせず全力で走った。
光坂さんの手が伸び、捕らえられそうになる。なんとか避けるその瞬間、僕は彼女に囁いた。
「――見逃してください、光坂さん。そうすれば、後ほど曽根崎さんの未発表官能小説の生原稿をお見せします」
「お通りください」
「佳乃ォ!? どういうこと!?」
柊ちゃんのお怒りごもっともだが、この密約は強力だろう。あっという間に追いついた曽根崎さんが、僕の横で問いかけてきた。
「すごいな、君。あの光坂さんをあっさり諦めさせるなんて、どんな手を使ったんだ?」
「機密事項です」
曽根崎さんが書いた官能小説を僕が持っているだなんて知られようものなら、恥ずかしすぎてこの街から失踪するしか手立てがなくなる。
こうして、僕らはまた居場所探しの旅に出たのであった。
「例えば、居酒屋の個室とかどうだろう」
「あれぇ、景清じゃん! あ、曽根崎さんもこんにちは! 一緒に飲もうぜ! 踊ろうぜうえへへへへへへ」
「三条ー! なんでここで飲んでんだよ! そんで昼間にしていい酔い方じゃねぇぞ!」
「例えば、観覧車の中とかどうでしょう」
「やぁーっ、曽根崎君! 君のステキなオジ様だよ! こんな真昼間からガニメデ君とランデブーかい!? なんていい御身分なんだ、あやかりたいね!」
「ヘリコプターで観覧車に並走するな、田中さん! 警察呼ぶぞ!」
「ダメですあの人警察より偉い」
「えー……もういっそその辺の道とか」
「あ、曽根崎さん、景清さん! ご無沙汰してます! こんな所でどうされたんですか?」
「久しぶり、大江さん。元気だった?」
「君、今までの相手と態度が違うな?」
「大江さんに罪はないので……」
「別に今までのヤツらにも罪は無いが……」
――疲れた。
コンビニの前で棒アイスを口にし、僕はぐったりとしゃがみこんでいた。
曽根崎さんは少し離れた場所でどこかに電話をかけている。何か仕事関係の話だろうか。疲れないのかな、あの人。
しばらくして戻ってきた彼は、片手をあげて僕に声をかけた。
「待たせたな」
「いえ、それほどでも」
「それ食べ終わったら移動するぞ。準備しとけ」
「えええ、もう疲れましたよ。明日にしませんか」
「大事な話だ。先延ばしにしたくない」
……そこまで言ってくれるなら、もうひと頑張りしてみようかな。
アイスを噛み砕き、飲み込む。その間、曽根崎さんは思い出したように手を打った。
「そうそう、君はさっき疲れたと言っていたが、移動した先で結構休めると思うぞ」
「そうなんですか?」
「ああ。楽しみにしておけ」
どこに行くんだろう。
折良くやってきたタクシーを止めようとする僕の横で、曽根崎さんはぼやいた。
「……まあ、時々はこうして色んな人に会うのもいいよな」
「珍しい事言ってる気がしますけど、多分アンタ滅多に着ない服の虫干し感覚で言ってますよね」
「なんで分かるかなぁ」
そういや、色んな人に会ったけど藤田さんには会わなかったな。今忙しいと聞いているから無理もないのかもしれない。
ちょっと連絡を取ってみたくなったが、今日はやめておこうと首を振った。
今こうして曽根崎さんとドタバタし、話している時間。
それも、結構悪くないのだ。
僕と曽根崎さんは一度顔を見合わせニッと笑うと、タクシーに乗り込んだのであった。





