20 ハッピーエンド
二日後。
曽根崎さんの事務所には、今回の事件の関係者が一堂に会していた。
「……というわけで、ストーカー事件の犯人でもあり、また連続殺人事件の犯人でもあった奈谷氏は、自宅で首を吊った状態で発見された。現場には、唯一君への謝罪だけが書かれた遺書が残されていたよ」
「そうだったんですね……」
曽根崎さんから説明を受ける光坂さんは、ギプスを嵌めた腕を撫でて頷いた。その顔には、普段穏やかな彼女には珍しい陰鬱な影が落ちている。
空気は重たく、二人の他は誰も何も発言しない。
その時、そんな空気を壊すかのごとく事務所のドアが叩かれた。室内の返事を待たず、一人の見知らぬ警官が入ってくる。
「すいません、先日の可愛い女の子がここで助手をしていると聞きまして……」
「いないぞ。即刻帰りなさい」
曽根崎さんに返され、警官はすごすごと帰った。
空気はまた重たいものに戻る。
僕は、例の事件の処遇について思い返していた。
――あの日の翌朝、七人分の死体が匿名で警察署に届けられ、行方不明事件は連続殺人事件へと名を変えた。その容疑者として挙げられた奈谷だったが、怪物に見初められ “ あちら側 ” に連れていかれた彼女を捕らえることは最早できない。
そこで、死人に口なしではないが、警察は大いに状況を捏造したのだ。奈谷の他にもう一人架空の人物を作り上げ、彼を実行犯としたのである。
その結果、人を操り、人を殺すことに取り憑かれた一人の女性が起こした凶悪事件として、この事件は世間を賑わせるようになっていた。
知人に殺されかけた光坂さんの心には、大きな傷が残ったことだろう。
かといって、あのおぞましい真実を伝えるわけにもいかないのだが……。
「ねぇ、その遺書って見せてもらえないの?」
これは、気持ちの整理のつかない光坂さんの意を汲んだ柊ちゃんの言葉である。それに、阿蘇さんは首を振って答えた。
「無理だな。あれも大事な証拠品の一つだ。そういうものがあったんだ、ぐらいに捉えておいてくれ」
「残酷なことするわねぇ。じゃあなんで聞かせたのよ」
「本当なら遺書があったことすら言うわけにゃいかねぇんだ。俺の独断で彼女に伝えただけで」
「言うくらいなら、きっちり中まで見せるのが筋でしょ。さぁ寄越しなさい。でなきゃ盗みに入るわよ」
「お、窃盗の現行犯だな。来るなら来てみろ」
「しゅ、柊ちゃん! ……すいません、私なら大丈夫です。確かに奈谷さんの言葉を知れないのは残念ですが、最後にそんな手紙を残してくれたって聞けただけで一つ整理がついたので……」
「佳乃……」
鼻息荒くソファーから立ち上がろうとした柊ちゃんは、服を掴んできた光坂さんに従い大人しくなった。
……いつも通り、血の気の多い人である。
遺書は光坂さんを慰めるための方便だと知る僕には、心が痛む光景だった。
そんな中、またドアが叩かれる。
「こんにちは! あの時お会いした彼女がここで働いていると聞きまして……!」
「うるせぇシメるぞ。即刻仕事に戻れ」
阿蘇さんに脅され、警官は急いで逃げ出した。
再び辺りが静かになる。
光坂さんは改めて僕らを見回し、深く頭を下げた。
「……このたびは、私の不徳が招いた事態にも関わらず、動いてくださって本当にありがとうございました」
「私は契約、弟は仕事、景清君はアルバイトだよ。礼を言うなら無償で協力してくれた柊ちゃんだけでいい」
「柊ちゃんも勿論ですが、皆さんが尽力してくださったのを私は知っています。……本当に……私が奈谷さんの本心に気づいていれば、皆さんを巻き込むこともなく、もっと違う未来があったのではないかと後悔しています」
そう言って目を伏せる光坂さんだったが、それはどうだろうな、と僕は思った。
多分彼女は、奈谷さんが光坂さん憎さに事件を起こしたのだと思っているのだろう。実際は、深い愛憎が入り混じった、奈谷さん本人ですら把握できない異様な執着だったというのに。
恐らく、光坂さんが奈谷さんから離れたとしても、彼女は地の果てまで追いかけ狂乱のまま殺そうとしたに違いない。光坂さんが取れる行動で、適切なものは何一つ無かったと思う。
曽根崎さんも同じ意見なのだろう。彼にしては優しい声で、彼女に言った。
「……こればかりは、ままならなんよ。誰にもどうすることもできなかった事だ」
「……」
「一つアドバイスするなら、今後は必要以上に他人に踏み込まないことだな。君と奈谷氏は友人ではない、本来はただの占い師と客だった。そこを踏み越え手を取ってしまったから、今回のように占い師と客以外の関係性が生じた」
「……はい、肝に銘じます」
「親身になれることは占い師の強みであり、君の長所でもあるがね。兼ね合い、中庸を行けということだ。そう落ち込むなよ」
「アンタよ落ち込ませてんのは」
柊ちゃんの鋭いツッコミが飛ぶ。そして「シンジも人の事言えないでしょ」と僕を指差して言った。
曽根崎さんには耳が痛い一言だったのか、聞こえないフリをしている。
光坂さんはもう一度頭を下げた。泣き出しそうなのを堪えているようにも見えて、僕らはやりきれない気持ちになる。
何も言えなくなる一同。
しかし、そこに切り込むようにドアが開かれた。
「運命の人! 眠りの世界に誘われた貴女を迎えに来ましたよ! さぁ今すぐ僕の胸に……」
「今すぐ消えないと眼球抉り出すわよ」
「すいません」
柊ちゃんの圧に押され、警官はいなくなった。
「……っていうか」
もう頃合いだろう。僕は、いよいよこの状況に耐えきれず叫んだ。
「なんなんですか、さっきからあの警官共は!!」
いやほんと何なんだよ!!
ツッコむ僕に、阿蘇さんがうんざりした顔で教えてくれる。
「……こないだ、女装した景清君が現場で気絶してただろ。あれでうちの連中が何人か君に目をつけてな。結果今こんな状況になってる」
「警察ーーーーっ!!」
「面目無い」
頭を下げる阿蘇さんの姿はとても貴重だったが、今の僕はその感慨に浸る余裕すら無かった。
女装のことはもう忘れたいんだよ!!
しかし、次の刺客は容赦無く事務所のドアを叩く。
「お邪魔します! 景子さん、僕とお付き合いを……!」
「うるせぇー! 帰れ! 帰りやがれ! でねぇと塩撒いて豆撒いて門松ケツにぶっ刺すぞ!!」
「ヒィィッ!?」
入ろうとする瞬間にドアを蹴り閉め、警官を追い出した。
壁に手をついてズッシリ落ち込む僕に、阿蘇さんは慰めの言葉をかけてくれる。
「……顔は覚えたから、あとでまとめてしょっ引いとくよ」
「すいません、お願いします」
「でもどうする? 君がいいなら、俺の彼女にしたっつって黙らせとくけど」
「気持ちはありがたいですが、僕の女装騒動で阿蘇さんの婚期が遠のくのは申し訳ないです」
「別にいいよ。最近あまりにも女運が無いからちょっと諦めてるとこあるし」
「だからといってそれは諦め過ぎだと思います」
血迷いそうになる阿蘇さんを引き止める中、一連の騒動に涙も引っ込んだのだろう光坂さんがフォローしてくれる。
「でも、女の子の姿になってた景清君は本当にかわいらしかったですよ。なんならもう一度見たいくらい」
「勘弁してくださいよ……」
「ま、このボクがメイクを施したんだもの。当然よね!」
「そりゃお前、毎日自分を女にするメイクやってんだから下手なわけ……ブッ!」
阿蘇さんの顔面に竹刀が飛び、彼はソファーの後ろに昏倒した。
その突然の攻撃の主は柊ちゃんである。見事な面を彼にくらわせた彼女は、しかし達成感に満ちた様子は無く、涙目でアワアワとしていた。
な、なんだ?
「よ、佳乃ぉー……」
「うぇ!? ど、どうしたの柊ちゃん!?」
「こ、このおバカさんが勝手に言っちゃったけど、でも、ボクほんとはもっとちゃんとした時に言いたくってぇ……!」
「な、何を!? あ、もしかしてアレか! あの時言いたいことがあるって言ってたことね!?」
「うえぇ……」
光坂さんの両肩にすがりつく柊ちゃんの背を、彼女は片手で優しく撫でている。
……何やら事情があるらしい。僕は空気を読み、曽根崎さんと阿蘇さんに黙っているようジェスチャーを送った。
柊ちゃんは、鼻をすすりながら光坂さんに言う。
「……あ、あのね、ボクの体のことで、秘密にしてたことがあるんだけど……」
「うん! 聞くよ! 話して!」
「……ぼ、ボク……本当は……!」
柊ちゃんはギュッと目をつぶり、そして叫んだ。
「本当は男なのよぉ!」
あれ!? 言ってなかったの!?
驚く僕らの前で、柊ちゃんは半泣きのまま続ける。
「でも、心は女の子でね、佳乃に女の子って言われて、初めて女の子になれてぇ! すごく、自信がついてぇ! お、お父さんやお母さんにも話せてえ!」
「うん、うん!」
「ずっと、ずっと黙っててごめんなさい……! 言ったら、気持ち悪いって思われるかもって思って、でも佳乃はそんな子じゃないって分かってるけど、どうしても怖くて……!」
「そっか、そうなの、そうだったのね!」
光坂さんは、強く頷いている。そして涙を浮かべた柊ちゃんの目を見つめ、はっきりと言い切った。
「大丈夫、柊ちゃん。私それ知ってた!」
「――え?」
え?
思わぬ展開に、柊ちゃんだけじゃなく僕らも固まる。
そんな雰囲気を気にする様子も無い光坂さんは、まっすぐ柊ちゃんを見て言い聞かせた。
「高校生の時の事覚えてない? 学校交流会でね、実は柊ちゃん、私の高校に来てたのよ。柊ちゃんが通ってたのって男子校だったでしょ? きっと何かワケがあるんだなってすぐに分かったよ」
「……それ、ほんとなの?」
「うん。その時は話しちゃダメかなと思って、声をかけなかったの。だから、ここでまた会えて私嬉しかった。あの時よりもっとすごく綺麗になってて、やっぱり柊ちゃんは女の子だったんだなーって思ったよ」
「……佳乃」
「柊ちゃん!」
「佳乃ぉー!」
「ああーっ! 痛い痛い痛い痛い!」
柊ちゃんがガバリと光坂さんに抱きつき、光坂さんは手首の痛みに悲鳴を上げた。それでも二人は笑顔で、幸せそうである。
……ハッピーエンドらしい。
阿蘇さんは、打たれた額をさすって不満げな顔をした。
「俺叩かれ損だな」
「他人の事情に口を出さない。それが人間関係を拗らせないコツだぞ、弟」
「正論だけど、だから兄さんそれ人のこと言えないからな?」
阿蘇さんの人差し指は、僕に向けられている。
……曽根崎さんって、そんなに言うほど僕のプライバシーに関わってたっけな?
顧みてみようと思ったが、ドアの外からはまた架空の彼女を求める男の足音が聞こえてくる。僕は考えるのを中断し、柊ちゃんと光坂さんの邪魔を撃退できるよう、臨戦態勢に入ったのであった。
第3章・完





