【国家安全保障会議③(National Security Council)】
「飲もうと思いましたが飲めませんでした」
「どういう事ですか!」
「貴方は、我々を侮辱しに来たのですか!?」
「理由を言いたまえ!!」
イザック准将がコップの水を零した言い訳をした後、クスッと笑ったので閣僚たちの一部は激怒して問い詰めて来た。
「いえね。水を飲もうとしたときに、もしこの水を作った工場にロシア系の人が居て毒でも混ぜられていたらと思いまして。零したのは皆さんにも注意を促すためです。どうも、ウクライナ語は苦手なもので。しかしこう考えると大変な事になりましたな。人口の2割も居るロシア系の人たちが信用ならないと言うのは。飲料水も、農作物も、公共交通機関から理髪店に至るまでロシア人を排除しなくては安心して過ごせないではないですか。髭を剃ってもらっている最中にブスリとやられるのは嫌ですからね」
一瞬会議室が静まり返る。
「失礼ですがイザック准将、それは話が飛躍し過ぎているのではないですか?」
「そ、そうです。いくらロシア人が人口の2割居たとしても、すべてのロシア人が過激な思想を持つわけではないのです」
「その通り。殆どのロシア人はウクライナ人と同様に、不満なく穏やかに暮らしています」
「過激派は極一部ですから、ご安心ください」
「そうですか、私は、てっきり……」
そう言いながらイザック准将が、床に零して空になったコップに再び水を注いで飲むと、会場にホッとため息が漏れた。
「しかしこういった軍や警察、そして消防が行っているロシア人外しが世間一般に広がってしまうと、どうなるでしょう?特に、物事の全体ではなく一部分を切り取って使うマスメディアの報道はウクライナ側に立てば“ロシア人は危険だ”と言うところを強調するでしょうし、ロシア側に立てば“ロシア人差別”を強調して報道するでしょう。そうなるとこれまで仲良くやって来た隣人が信用できなくなる……賢明な皆さんならもうお分かりですな1990年台にユーゴスラビアで何が起こったのか(※下段に解説)」
「ま、まさか……」
「いいえ、貴方たちが思うほど、この戦いは生易しいものではないでしょう。特にロシア系の住民は南部黒海沿岸の都市に多い。まかり間違えばウクライナは海を失うかも分かりません」
「しかし、どうしろと言うのですか!?現にロシア系の裏切りによって我々は1個小隊を既に失っているのです。このままでは、どこを守ろうとも混乱は必至。治安維持どころか、逆に治安の悪化を招く恐れさえあるではありませんか」
「ドンバス紛争で、ロシア系隊員の裏切り行為を踏まえて再編されたレーシ中佐の大隊なら問題ないと思いますが」
「たった500名の隊員に何が出来る!?」
国防省の閣僚が食って掛るように言うと、准将は落ち着き払って冷たい言葉を返した。
「しつれいですが、では6万人をつぎ込んだドンバス紛争で、ウクライナ軍は何を得ましたか?」
ドンバス紛争とは2014年のロシアによる一方的なクリミア併合に伴い、ドネツィク州とルハーンシク州のドンバス地方で親ロシア派による抗議活動が発端となり、その後親ロシア武装勢力により政府庁舎が占拠されると言う事態になった。
政府庁舎の占拠自体は直ぐにウクライナ保安庁の部隊が奪還に成功したものの、ロシアの後ろ盾を受けた親ロシア武装勢力とウクライナ軍は、共に順次戦力の拡大を図り最終的にウクライナは6万4千人を投入したにもかかわらず撤退し、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の2国の自治権を失う事になった。
「貴方も国防省の閣僚だから分るでしょう。大部隊を投入すれば、敵も必ず大部隊を投入して来る。大砲を撃たれれば、こっちも大砲を撃ち返すし、戦車を投入すれば敵も同じように戦車を投入する。そうやって戦争は拡大し、それに伴い被害の規模も大きくなる。それが戦争です」
「し、しかし、既に戦争の予兆が……」
「まだ予兆です。この波に乗って戦争を始めるか、それとも避けるかの判断は貴方たち政治家の仕事です。私の様なものがとやかくいう問題ではありません。軍人は“行け”と命令されればどのような戦地にも行かねばならない仕事ですから。ただ、面白い隊員がいましてね。その隊員がウクライナ軍のMi-24が消息を絶った時点で、私に言ったのです。これは“罠”だと」
「罠!!?」
一同が復唱した。
私のメモに無いことを喋り出す准将を見上げた。
「そう。ほぼ意味不明な怪電波を出してウクライナ軍の注意を引き、偵察にやって来たヘリを落とす。ヘリが堕ちれば当然救出部隊を出すだろうし、予め攻撃するポイントが分かっていれば、どの部隊が救出活動に参加するかも分かる」
「つまり、裏切りは初めから計画済みだったと言う事ですか?」
「その通り。各部隊には必ず何名かのロシア系兵士が混じっている。その兵士に裏切るように依頼しておけば、国軍の中に居る全部のロシア系隊員に裏切りを要請する以上の効果が得られる。かくして軍部の初動は見事に攪乱されたと言う訳です」
「なるほど……確かに、准将の言われる通りだ」
「だいいち我が軍内に大々的に、そのような依頼をして回れば、必ず発覚するに決まっている」
「それを准将に進言したのは、EMATの幹部ですか?」
「いいえ」
「優秀な隊員ですか?」
「超優秀」
イザック准将が、楽しそうに私を振り返って笑う。
(※解説)ユーゴスラビア紛争(1991年~2001年)
七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字を持つ一つの統一国家であったユーゴスラビア社会主義連邦共和国で起きた各共和国の独立などに伴う紛争。
各共和国の独立に対して、隣接する共和国同士が互いに同じ民族の住む相手の土地に対して侵略して起こった民族戦争。
それ故、敵対する民族を激しく憎み、虐殺やレイプなどが多く行われた紛争でもある。
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は大きな5つの戦争を経てスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、コソボ、モンテネグロ、マケドニア共和国と7つの国に分かれた。




