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第十八話 「バライソの朝」

 

 空が薄っすらと白み始める。そんな時間だというのに、街中では仮設テント設営や搬入に勤しむ人々がところ狭しと動いていた。今日は建国祭当日の朝だ。


 窓枠によりかかり、外を眺め続ける。結局、私は眠れなかった。ユーリのこと、マスターのこと、そして自分のことを考え始めたら、とても眠れる気分にはならなかった。


 そういえば、自分のことをちゃんと考えるのは、この世界にきてから初めてかもしれない。今までずっと流されて過ごしていた。人形になった直後も、短絡的な反抗心から生まれた自由への渇望くらいが関の山で、自分が何のために生きていくかなんて考えていなかったんだ。


 私は…もう男として生きることを、暫く放棄してもいいんじゃないか、なんて思っている。そう思い初めたのはやっぱりユーリとのことがあったからもある。魔導人形として中性的にふわふわとしていたけれど、実際に周りは自分を女としてみるし、女として望む。


 誰も私の男としての…本当の姿を知らない。でも、ユーリだけはそれを知って尚、今の私を求めてくれる。これで男であることを主張して、彼を困惑させるのは、我が儘なような気がした。勿論、やっぱり男として生きられるなら生きたい。魔導人形の外枠を男にしてもらうことなら多分出来る。


 でも結論から言えば、ユーリのために、暫くは女でいようと思った。ユーリが私を求める限り、自分の意思で答えて上げよう。それが私自身の率直な感情だった。別に性行為をするわけでも、ましてや子を生むわけでもない。そういう意味では、私はこの決定を大して迷わなかった。色々懸念もあるし、生理的な嫌悪感なんかも無視できない。けれど、女の姿でいることに少し慣れてきたのもあって、そんなものより、今強く抱くこの感情を大事にしたかった。





 「今日は国中大騒ぎになるからね。日が登る前からこんな調子で大騒ぎなのさ」


 何時の間にか、マドリーが部屋の中にいた。相変わらず神出鬼没だ。私もユーリも助けられた手前、せめてノックくらいしてくださいとは言えなかった。


 「いやすまんね、とにかく時間がなくてねぇ。全く魔導師なんてなるんじゃあなかったよ」


 今日一日で、マドリーのシワが深くなった気がする。目の隈も酷い。多分、寝ていないんだ。


 「あんたとは一度しっかり話しときゃいけないと思ってねぇ」


 マドリーは椅子に腰掛けると、深く息を吐き出し、真っ直ぐにこちらを見つめた。


 「ミレーナとの馴れ初めを教えて欲しい。勿論、絶対に誰かに話しゃあしないよ」


 まぁ、そうなるよね。嘘をつく理由も、必要もない。正直に全て話そう。


 「私は別世界で極々普通の、平凡な人生を送っていました」


 マドリーは口を挟まず、真剣に聞いていた。


 「そこには魔法もなく、私はのうのうと生きていたのですが、ある日突然この世界に迷いこんでしまいました」

 「魔法が無い…魔力がない世界の住民かい。納得したよ」


 やっぱり、マドリーは異世界の存在を認知していたらしい。マスターも異界から人間がたまに現れるという話をしていたし、もしかすれば日本人に合えるのかもしれない…。

 

 そんなことを考えていると、ぼうっとしてたのか、続けてと促された。


 「そこは森の中でした。そこを彷徨う内に、マスターに遭遇しました。マスターは困惑する私を敵として認識したらしく、マスターの魔法を受け、意識を失いました」


 思えば、最悪な出会いだったかも知れない。もしも森のなかではなく、例えば街中で知り合う程度だったら、人形にもされず、友人として付き合うことも出来たかもしれないのに。でも、実際はそうならなかった。


 「目が覚めた時には、もうこの姿でした…」

 「ミレーナに反抗しようとは思わなかったのかい」


 体が微かに震えた。あの忌まわしい記憶が、もう染み付いてしまっている。自分の嫌なところだ。悲劇のヒロインにでもなったかのような気がして、自己嫌悪に陥ってしまう。


 「勿論、当然しました。でも、マドリー様ならご存知かもしれませんが、反抗した時全身をとてつもない痛みが襲ったんです。それ以来あまり目立った反発はしていなかったかもしれません」

 「怖かったかね」


 怖くないわけがない。何もわからない状況で、突然姿形も失って、言葉遣いだって変えられて、勝手に体が痛くなって、自分という存在を見失いそうになって…。いや、事実私はそこで自我を放棄したのかもしれない。


 「それは…当然そうでした。でも、それ以降マスターは段々と優しくなりました。まるで本当の家族みたいに…。だから、マスターを憎んでいるかと言われると…わからないんです」


 あの時だけを考えれば、マスターに対して純粋に悪意だけで接することが出来た。でも、彼女は優しさと狂気、その二面性を持つ少女で、その理由もとても憎めなくて…。


 「アイラ、無理を承知で頼みたいんだがね。ミレーナにもう一度会って欲しい」


 マドリーが私の両手を握った。


 「あんたの魔力とかそこらはもう私がユーリに幾つか教えれば問題ないだろうさ。だからね、これはお婆の頼み事。あの子には、必要なのさ、家族がね」


 貴方は家族じゃないんですか、とはいえなかった。マドリーの目には、ただ申し訳無さだけが漂っていたから。


 「私はもう、あの子にとって家族とは認められてないのさ…。身勝手な願いなのは承知だよ。だからミレーナと会った後、お前さんが何をするかは自由だ。何をするか決めても、私はお前さんを支援する。金も身分も融通は利く…」


 破格の条件だと思った。それほどまでに、マドリーは焦っているんだろう。


 「頼む。この通りだよ…」


 マドリーは深く頭を下げた。この世界に来てから頭を下げることは何度もあったけれど、頭を下げられるのは初めてかも、なんて下らないことを考えた。マドリーの願いについて考えることはない。もう最初から決まっていたことだ。


 「顔を上げて下さい。私は…この世界に来て、マスターと出会ったことを後悔していません。きっと彼女に会わなかったら私は野垂れ死にでした。それに、マドリー様にそんなに親身にしてもらったら申し訳ないです」

 「そうそう、朝っぱらから…こんな光景見たくないですよ」


 何時の間にかユーリが目覚めていた。


 「ユーリさん」

 「おはようアイラ」


 言葉を交わすだけで、胸が温かくなる。助けられて、求められただけでこんなことになるだなんて、随分と自分は軽い人間だったのかもしれない。


 「マドリー様のペコペコした姿なんて似合わないです。もっといつもみたいにふんぞり返って高笑いして下さい」

 「ひっひ、坊っちゃんの言うとおりさね。流石、あんな情熱的な告白をする男は違うね」

 「くっ、マドリー様それ一生使う気ですね…」


 マドリーとユーリは思った以上に親密な関係みたいだ。まるで親戚のおばあちゃんだ。どうしてそんなマドリーはマスターと関係を築けなかったんだろう。


 「マドリー様。明日、マスターと会わせて下さい。お願いします」

 「こちらこそだよ。それじゃ後はお若いお二人で…お婆は邪魔にならないようにするよ」


 マドリーは椅子から立ち上がると、ローブを整え、思い出したように懐からカードを取り出した。


 「ああ、ユーリ。こいつを持っときな。アイラもだ」

 「これは?」


 手渡されたものは、この前のそれとそっくりで、でも書かれている内容が少し違っていた。


 「そいつはちょっとした加護を施した式符さ。お互いの場所がわかる。まぁ迷子対策さね」


 どうやら式符というらしい。式によっていろんな効果を得る便利グッズみたいなものだろうか。


 「迷子…ですか?」

 「甘く見るじゃないよ。毎年この日は私までも迷子探しに駆り立てられるんだ」


 やれやれと首を振るマドリーを見て、つい笑ってしまう。穏やかで優しい朝だ。こんな素晴らしい日々が続くなら、この世界に来てよかったと心から思えるかもしれない。


 この場にマスターがいないことだけが、少し心細かった。




 一言で言うなら、多分満員電車が相応しい。人が多すぎる。幾らなんでも多すぎる!


 「むぐっ…苦し、いぃ」

 「ま、毎年毎年どんどん観光客が増えてるんだ、よ」


 私とユーリは人混みに呑まれ、寿司詰め状態になっていた。日が昇って直ぐの朝一番だっていうのに、折角の服装も、バレッタで整えた髪も滅茶苦茶だ。熱いし、息苦しい。


 なんとか二人で人混みから外れて、空気が吸える程度には空きのある街道に出る。さっきの軍団は多分どこかの国の観光客ツアーなのかもしれない。そういえば元の世界でもああいう集団に巻き込まれた経験があった。それに、某即売会に比べたらそれほどでもないかもしれない。


 街には今までと同じように山車や露店が並び、加えてバライソ国旗だと思われるものが至るところではためいていた。ひらがなの「ん」を上下反転したような赤い紋様の旗だ。ねずみ色や黄色、青色の建物が多い中、赤色の旗はありありとその存在を主張していた。


 「ん、珍しいかい」

 「はい、私が元いた国では…こんな盛り上がるお祭りなんてありませんでしたから」


 私がぼーっと街を眺めているのを、くすりと笑ってユーリは尋ねた。大晦日でもこんなにみんなが集まって祝うことはない。コンビニでたむろしている人もいれば、ネットカフェにいる人だっている。でも、正確な人口は分からないにしても、この人数はすごい。国中すべての人が集まっているんじゃないかと思えるほどだ。


 「元々はね、この国を独立させた四祖がお祭好きだったんだって。四祖だからって国中をまきこんでお祭をするなんて今じゃあんまり考えられないけど、とにかく当時はそういう横暴も通ったんだよ。それで今日までその記念日が建国祭って名前で受け継がれてるんだ」


 話の中身よりも、楽しそうに話すユーリを見て、嬉しくなった。良かった。私となんかと一緒でつまらないんじゃないかって不安だったけど、杞憂だったみたいだ。


 「アンハンスノイだって四祖が雨に濡れるのを嫌ったから…なんて話もあるんだ」

 「それは…幾らなんでも…」


 雨が嫌いだからその日は中止って…四祖って人としては随分とアレなんだな…。その時、視界に妙な皿が目に入った。ドラゴンの姿が書いてある飾り皿だ。


 「あれはパンテリェ。このバライソに巣食っていた巨龍なんだ。大陸戦争で四祖と一騎打ちをして、その鱗が今でも国宝になってる。こうして建国祭の時は四祖と龍に分かれて装飾を施すんだ」

 「あ、マスターから聞きました。ドラゴンとの戦争が昔あって、今は一頭だけ生きているって…」


 すごい。こうやって文化に根付いていると、実際にドラゴンがいるんだって実感する。ファンタジーが、ファンタジーじゃない事実に興奮する。ユーリなら鱗を見る許可くらいでしてくれるかな…いかんいかん、欲が出てる欲が出てる。


 「そうそう。何度も世界中の戦争を止めた不思議なドラゴンなんだ。人間を絶対に襲わない。会ってみたくて一度アノマラドの渓谷に行ったんだけど、とてもじゃないけど人間が住める環境じゃなかったよ」


 うわぁ、本当に行動力ある人だ。私も会いたいだなんて思ったけれど、実際に行動出来るかといったら、多分なぁなぁになってできない。


 「アイラはドラゴン、会ってみたい?」

 「え、そ、そうですね。一度見てみたいです」

 「俺もやっぱり諦めきれないんだ。いつか一緒に会いに行こっか」


 まるで今後もずっと一緒に過ごすみたいな言い方に、もやもやした気持ちになる。でも、ユーリと一緒なら、できないこともできる気がする。


 「おっ、やってるやってる」


 比較的大きな広場に出た。そこには大きなセットが組まれ、大勢の客がその周囲でやんややんやと野次を飛ばしていた。

 

 「す、すごい人だかり」

 「演劇だよ。すごい大舞台でしょ?ちょっと行ってみよっか」

 「は、はいっ」


 差し出された左手を、右手でしっかりと握る。何時の間にか、自然と腕をつないでいた。


 ユーリには色々してもらってばかりだ。私に何か出来ないかな。ユーリは何が好きなんだろう。

 酷い頭痛に苦しめられながら書いた回なので、後日予告なしに表現などを変更する可能性があります。

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