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第十六話 「告白」

 ブルースクリーン…許せない。

 ユーリは緩やかな所作でマッチをつけると、小さなデスクランプを灯した。小さな灯だ。ざぁざぁと雨がうるさい。


 「取り敢えず着替えよっか。風邪ひかなくたって気持ち悪いし寒いでしょ」

 「…はい」


 渡されたのは女性用の服…それも生地の柔らかさや雰囲気から、如何にも高級そうな婦人服だった。


 「これは…」

 「ああ、アイラにプレゼントだよ。ちょっと違う形で渡すことになったけど、まぁいっか」


ユーリの話をぼうっと靄の掛かった頭で聞き流しながら、部屋の扉を一つ挟んでふらふらと着替える。


 服の合間からカードがこぼれ落ちた。マドリーがミレーナのためになると渡してくれたカード…結局、渡しそびれちゃったな。


 「うん。良かった。サイズも大丈夫みたいだね」


 ユーリは満足気な顔でそう呟いた。サイズを合わせてくれていたということは、本当に俺のために購入したものかもしれない…。


 「あ…良かった。つけてなかったから、気に入らなかったのかと思ってたよ」

 「え?」


 ユーリの視線を追った先には、手持ち無沙汰に握られたクルスクルックのバレッタがあった。マスターが何となく嫌がっていたから、ずっとメイド服にさしていたんだった…。





 「どうして…」


堪え切れず、口に出してしまった。状況が理解できない。したくないのかもしれない。もしかすれば、どうしてと呟けば、彼に頼った自分の弱さを忘れることが出来ると思ったのかもしれない。自分が何を考えて行動しているのかよくわからなかった。


 「どうして私を連れてきたんですか…」

 「放っておけなかった…から、かな。ごめん、勝手に連れてきて」


 それでも、ユーリは申し訳無さそうに頭を下げて、「取り敢えず、座って」と席へ促した。


 「ただの興味本位ですか」

 「違う!泣いてるアイラを…見ていられなかったんだ」

 「お人好し、なんですね」


 ユーリは主人公なんだと唐突に頭に浮かんだ。誰にでも手を差し伸べてくれて、強くて、格好良くて、だから気楽に自分みたいなまがい物を救おうとする。そういう人なんだと思った。


 「そうでもないよ。多分アイラじゃなかったら見向きもしてない」


 はしたないけれど、鼻で笑ってしまった。きざな台詞をどうもありがとう。本当に主人公みたいで嫌になる。ユーリを蔑めば、彼に頼った自分を貶めることになるというのに、それでも止められなかった。


 「私は、人形なんですよ」

 「知ってる」


 ユーリはいとも簡単にそんな言葉を吐いた。許せないと思った。自分がどれだけこのことで苦しんだのかまるで理解していない。自分という存在が最初は見えなくなった。マスターのために頑張ろうとしてからも、結局マスターは自分を母親の名誉を取り戻す道具としか考えていなかったんだ。きっと最初からマスターは俺のことを見てすらいなかった。その先にある母親の影を追っていたんだ。だって俺は…私は…


 「人間じゃ、ないんですよ!」


 結局、全てがそこに帰結していた。人間じゃない。所詮は玩具、だから簡単に捨てられる。命令だって強制だ。


 「そう…かもしれない」

 「マスターに捨てられて…マスターがあんなに苦しんでいたのに何も出来ない只の人形なんです」


 そして実際にマスターを助ける力も何もない。両手拳を握りしめれば、魔術式が明滅する。この力だってマスターに与えられたものだ。この人形の有り余る体力もマスターが創りだしたもの…そんな自分がマスターを助けられるわけがない。そして唯一自分のものを言える魂も…マスターになんて言えばわからなかった。もしかしたらそれ以前からマスターは私の存在を見限っていたのかもしれない。不安が重なる。何もかもが敵に見る。もういやだ。何もかも…。


 「ミレーナは…そう簡単に君から離れられないと思うけどね…」


 ユーリの声は、雨にかき消されて聞こえなかった。







 「…結局、ユーリさんは私をどうしたいんですか」


 呼応するように、小さな灯の影が揺らめく。そういえば、俺はユーリについてまるで知らない。強くて、家柄が良くて…それぐらいだ。どうして彼が自分を助けるのかがわからない。…わかっていることのほうが少ないくせに。


 「面白半分に拾っただけですか?同情心ですか?それとも…遊んで飽きたら捨てるつもりですか?」


 元男だから、理解できることもある。なにせ見た目だけは本当に一級品だ。男ならそういう欲望は持って然るべきだし、それはこの世界の貴族だろうが変わらないだろう。そうして、使い飽きた後は身ぐるみ一つなしで飛ばされるのがオチだ。


「もしかして魂を持つ魔導人形だから実験にでも使いたいんですか?でも、それもいいかもしれませんね。どうせ、価値の無い人形なんですから。そのほうが余程人のためになります」

ユーリは立ち上がった。


 「アイラ…君が今どれだけ苦しいかは分からない。でも、そんなこと冗談でも言わないで欲しい」


 柔らかな衝突。後ろからユーリに抱きしめられた。意外にも相手が男だから気持ち悪いとか、そういう嫌悪感は少なかった。多分、ユーリの声色が、動作が、体温が、とてもやさしく思えたから。


 「じゃあなんで…」


 声が震える。


 「どこから話そっか…」


 ぬくもりが離れる。ユーリは少し離れたベッドにどさりと仰向けに倒れた。





 「君と出会ったのは偶然だった。最初随分世間知らずな侍女だと思ったよ。見た目はとびっきり良いくせにまるで警戒心がなかったからね」


 最初に会った時は、やたら優しいイケメン、宿を譲ってくれた救世主。そういう意味では、第一印象はかなり良かった。


 「最初はそれだけだった。だから二度目の人形店で会った時は驚いたよ。なにせ最初とは空気というか、雰囲気がぜんぜん違ったからね。何時の間にかそこから消える…そんな幻想染みた感覚を抱いたくらいだ。アイラを知りたいって思ったのはそれからかな」


 二度目は、まるでナンパでもしてきたかのようで、不覚にも自分に気があるのではなんて世迷い言を考えた。それも、やっぱりミレーナを調べるためだけだったのかもしれないけれど。


 「野盗達が襲ってきたとき、アイラは戦ってたでしょ。そんな君の姿を見て、こみ上げるものがあったんだ。その時はよくわかってなかったけど、あの後気絶いてしまった君を見て確信した。嗚呼俺はこの子を守ってやりたいんだ…ってね」


 三度目はよくわからない。可愛いと言われて、少し気が動転した。ただ、ユーリが野盗に襲われようとした時、絶対助けなくちゃ…そう考えるぐらいには親しみを感じていたと思う。


 「それと同時に何故君が侍女をなんて立場にいるのかも気になった。それも、魔女の従者をだ。元来魔女っていうのは契約で縛ったり搦手を使って相手を騙すのが得意な相手だから…アイラもその毒牙にあったんじゃないかーってね。まぁ動悸は多分嫉妬だけどね」


 そういって上体を起こして、彼はくすりと笑った。いつもより控えめなそれは、嘘をついている証なのか、本心を言っているからこそなのか…自分には判断がつかなかった。


 「それでミレーナを調べ始めた。そうしたら偶然にもバライソ魔女協会長のマドリー様がオマダにいたんだ。なんて星のめぐり合わせだろう、早速聞いてみよう。そんな気持ちで会いに行った。ところがミレーナの名前を出したら逆にマドリー様が俺に凄まじい剣幕で、ミレーナについて知っているのか!って詰め寄ってきちゃってね。流石に肝が冷えたよ」


 再びユーリは体を大きなベットに預ける。ギシリとバネが軋んだ。


 「そこでお互いに情報を交換したんだ。俺は最近あったミレーナの行動を、それを対価にミレーナの過去を」





 「アイラが魔導人形なんじゃないか…そんな話をマドリー様から聞いたよ。元々ミレーナの母が自立魔導人形の研究を進めていた…そしてミレーナも母が頓挫した道を今でも追っている。それでその研究成果がアイラなんじゃないか、そういう話だった。」


 やっぱり、ユーリは知っていた。俺が人間ではないことを、俺が命を持たない人形だということを。


 「ふふっ、さぞ落胆したでしょうね。気になった女の子が人間じゃなかった…生き物ですら無い只の人形だなんて…」


 額を両手で覆い、自嘲気味に笑う。まるで道化。この可愛らしい容姿に釣られた愚かな男…それがユーリだった。


 「正直に言うと俺も困惑したよ。何か事情はあるとは思っていたけれど、まさか魔導人形だったなんてね」

 「そうですよ。馬鹿な男ですね。人間ですら無いこんな化け物に惹かれて…」


 ああ、やっぱり。魔導人形たる私の姿は表面上とても人間に似ているけど、体の内部が決定的に違う。当然、男の欲を叶えるなんてのは無理だ。だから、ユーリも落胆したんだろう。


 「アイラとは…夫婦になって、子を産んで、一緒に子育てして、そんなふうに生きたかったから」


 ユーリがぼそりと口走った音の意味が分からなくて、顔を上げて彼をまじまじと見つめた。


 「本気で言っているんですか?」


 見る見るうちに、ユーリの顔が赤くなった。額に右手を押し当てて、ひとしきり呻いたあと、俯きながら立ち上がって、深呼吸をして前を向いた。


 「二度言うのは恥ずかしいんだけど…そうだよ、アイラ。俺は君が好きだ」

 「ふ、ふざけないで!」


 考える前に、口が動いた。


 「私がマスターに捨てられたからちょっと気にかかって、弄ぼうとからかっているだけでしょう!二度とそんな馬鹿げたことを言わないで下さい!」


 立ち上がってユーリの胸ぐらを掴む。


 「どうしてそんなことが言えるんですか!どうして!」


 どうして私はこんなにも激情しているのだろう。ユーリは悪く無いと、わかっているのに。


 「違う。本気なんだ」


 これまでと違う凛とした声に顔を上げる。目の前にユーリの顔があった。吐息がかかるほど近い。ああ、男同士であったなら、当然気持ち悪いことだ。そう、多分ユーリは知らないんだ。もう一つの私の秘密を、私が俺であることを。


 「…ユーリさん、知ってました?私は元々人間だったんですよ」


 これを言ってしまえば、動かぬ証拠としてマスターに悪影響を及ぼすことは明白。それでも、止められなかった。


 「それも、女ではなく、男だったんです。だから、ユーリさんは間違っています。歪なんですよ、私は。気持ち悪いでしょう?」


 言ってしまった。ユーリの瞳孔が揺らぐ様がはっきりと見て取れる。もう終わりだ。何もかも。マスターから見放されて、ユーリにも幻滅されて、いずれ魔力が切れて停止する。それが魔導人形である私にとっての死。お似合いだ。存在も、精神も、性別もグチャグチャな私に相応しい。


 だけど、ユーリは離れなかった。視界が閉ざされる。一瞬、抱きしめられたことが分からなかった。さっきの優しい抱擁とは違う。力強いそれに、俺はもがき逃れようとして…


 「困ったな。もうそんなことを聞いても全く気持ちが変わらないくらい、好きになってたみたいだ」





 その言葉を聞いて、私は固まった。頭が真っ白になった。


 「アイラ、君は人間だよ。だから、どうするかも君が決める。俺の言葉を聞いて、決めて欲しい」


 一言一言に感情を込め、ユーリは告げる。嘗て私が俺であった時、一度も口にしたことがないほどの、真摯な思いを込めて。


 「アイラ、俺には君が必要だ。過去がどうとか、そんなの関係ない。今ここにいる君が、好きなんだ。君が欲しいんだ」


 ユーリの言葉が、真っ白な思考に波紋を作る。君が必要だ。過去は関係ない。君が好きだ…。君が欲しい…。


 「ほ、んとに…」


何時の間にか、力が抜けだらりと下げていた両手が、彼の背にしがみついていた。







 その時、突如強烈な破砕音と共に大きな窓ガラスが割れ、暴風雨が部屋へ溢れた。強烈な寒気だ。部屋の明かりが消える。飛び散るガラス片から守るように、ユーリが私を覆った。


 「くっくっく…やはりそうか、所詮は操られ、従っていただけに過ぎないのだな。アイラ」


 そこにいたのは、ボロボロになったローブ、全身ずぶぬれとなったマスターだった。下を向いていて、その表情はわからない。どうしてマスターが…。私を捨てたはずのマスターが…。


 「自由になれば直ぐに主を鞍替えだ。そしてさかりのついた野良犬めがアイラに直ぐたかる」

 「ミレーナ…グレッヘン」


 ユーリは私を背に回し、マスターと向き合った。


 「薄汚い下郎が!やはり貴様も敵だったのだ!誰もが敵だ!敵だらけだ!御父様も御祖母様も!」


 マスターは杖を床に叩きつけながら、そう喚き散らした。数時間前以上に焦燥している。


 「だがアイラ。お前を逃しはしない。お前は私の娘だ。私だけのものだ!」


 マスターが腕を伸ばし、私を誘う。どうしよう。マスターがまた自分を求めてくれたことは嬉しい。


 「違う!アイラは人間だ!彼女はものなんかじゃない!」


 でも、一方でマスターに相対するユーリを裏切りたくないて、私は動くことも、言葉を発することも出来なかった。


 「黙れ黙れ黙れ!アイラは私のものだ!誰にも渡さぬ!」


 いよいよ抑えが利かなくなったのか。マスターは杖を振り上げ、空間に火花が散った。間近で感じるマスターの怒気に、知れずユーリの背中にしがみつく。


 そこでマスターはピタリと動きを止めた。杖を下ろし、私とユーリを口語に眺める。


 「そうか…お前は毒だ。毒は隅々まで綺麗に流さねばならない。一片の悔恨すら残してはならない!」


 マスターの口がゆっくりと動く。これまで幾度と無く感じた魔力に、私は駆け出した。でも、気づくのが遅すぎた。


 「マスター!やめ」


 「”アイラ、その男を殺せ!!”」


 精神的BLタグ追加しようと思います。

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