表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/22

第十五話 「アンハンスノイの雨」

な、難産でした…。

 「まさか生きた人間の魂を殺して抜き取ったわけではあるまいて。さぁ教えてもらいましょうか」


 マドリーの発言に言葉を失った。生きた人間の魂を抜き取った。正しくその通りだ。寸分の狂いもない正確な推測…。いや、このタイミングでそんなことを言うなんて、それが只の推察に過ぎないだなんて楽観にも程がある。


 マスターもその言葉の違和感に気付いているのか、あれだけ声を荒らげていたというのに、それきり一言も喋らなくなった。ただマドリーを見つめている。


 「おや、どうしたんだい。聞こえなかったかい?」


 マドリーの言葉はいよいよ鋭さを増した。直接向けられていない俺が寒気を感じるほどだ。いわゆるチェックメイト。マスターが感じるプレッシャーは計り知れない。


 これが、魔女協会が元々想像していたような倫理も無視した外道の集いであるなら、きっとマスターはありのままを告げ、それで一件落着かもしれない。でも、この魔女協会は見てくれからも権威に溢れる、どちらかと言えば正当な研究機関だった。要するにマスターの行為は違法の可能性が高い。


 だからこそマスターは黙っているし、よくよく考えれば幾らファンタジーと言っても公の場で人体実験だのなんのと言えるわけがない。もしかしたらこの中にはマスターと同じように外法に手を染めている魔女はいるかもしれないが、それを公言する筈もない。


 「この技術は私と御母様の血の結晶…。敵の多いこの場で安々と口には出来ません」


 か細い声でぼそぼそとマスターは呟いた。明らかに動揺している。マスターの発言からも、殺人はこの魔女協会でも認められることじゃないらしい。ダッタリエを含む周囲の魔女の目つきが険しくなった。それも当然か。敵とまで言ったのだから。


 「何、私が…魔女協会長であり、バライソ国家魔導師であるマドリー・グレッヘンがお前の技術を保証しよう」

 「くっ」


 マドリーはいともたやすくマスターの逃げ口を塞いだ。特許申請のようなものなんだろうか。とにかくマスターは苦虫を噛み潰し、追い詰められる結果となった。


 「ビタの研究では魔法人形に魂を定着させる方法は確立していた…魔力の無い魂が存在する前提だがね。そこから先を一体どうやって解決したのか。言えんのかえ?」

 「た、魂を魔導人形に拘束するためには、魔力の無い魂を作る必要がありました」

 「そうさね。しかし魔力を使って魔力の無い魂を作ることは不可能だった。勿論術師本人が魔導人形になるなら話は別だね」


 矢継ぎ早にマドリーはマスターを追い詰める。俺に魔法はわからない。でも、マスターが両手拳を握り、小刻みに震えている様子を見れば、マドリーがどれほど的を射ているかがわかる。


 「その…通りです。ですが私はその無の魂を…」

 「作ったと言うのかい?あの魔導師ペコージですら不可能と言ったものを」

 「う…ちがっ」


 とても年老いたとは思えない強烈な圧力に、俺は立ち上がることすら出来ず、情けなくその場にペタンと座り込んでしまった。怒気だ。マドリーについてまるで知らない俺でもわかる。今、あの人は嘗て無いほど怒っているのだ。


 マスターは手をわなわなと震わせるばかりで、詰め寄るマドリーに対して、何も出来なかった。


 「ミレーナ、私は別に責めているわけじゃあない。只どうやってその魔導人形に魂を定着させたのか教えて欲しいんだよ」

 「お、御祖母様…」


 マドリーは子供をあやすようにゆっくりと、それでも目だけは変わらずマスターに問い詰めた。相変わらずマスターは黙ったまま。


 まずい。このままじゃマスターの立場が危うい。かと言って俺に何ができる?自分からマスターに魂を渡したなんて言ってみるのはどうだろうか。駄目だ。そもそも人間から魂を抜き取ったことそれ自体が、この場では相応しくないことだ。


 「ほほ、結局貴方は愚かな餓鬼ね。どうやったかは知りませんが大方…」

 「お黙りダッタリエ。今はミレーナに聞いているんだよ」


 ダッタリエと呼ばれた若い魔女が喋ると、ぴしゃりとマドリーはそれを咎めた。飽く迄公平な立場でマスターを見てくれている表れなんだろうか。ダッタリエは顔をひきつらせながらも、意外に大人しく押し黙った。それだけマドリーの影響力が大きいんだ。


 「…異界の魂を手に入れる機会がありまして。異界の魂は此方の魂と違い…」

 「ミレーナ、自分が何を言っているかわかっているかい?」


 異界の…マスターがそう口にした瞬間、マドリーはストンと感情を落としたように無表情になった。きっと遠目にそれを見ても、呆けたお婆さんにしか見えなかったかもしれない。でもこの場にいる俺とマスターは、空気の変化を肌で感じ取ることが出来た。失望の眼差しだった。





 「マルタ11ミレーナ・グレッヘン。もう良い。下がりなさい」

 「宜しいのですか?実際に成功しているのは間違いない事実。恐らく邪法でしょうが、それについて言及して貰わなければ罪に問うことも出来ませんが…」

 「今は良い」


 マドリーは周囲の制止を振り切って、マスターを下がらせた。これはマスターを無罪で通すための行動…なんてのは都合よく考え過ぎかもしれない。マスターは一歩ずつ、ゆっくりと後退する。


 「では私の…御母様の研究は…」


 懇願するように見つめるマスターに対して、マドリーはゆっくりと一度だけ首を振った。静かな、それでも明確な拒否だった。


 「マスター!?」


 それを見届けて、マスターは全速力で円卓から離れ、扉から出て行ってしまった。俺は突然の事態に呆けてしまうも、直ぐに正気を取り戻し、後を追うために立ち上がった。


 「お待ちよ」


 ビタリと足が固まった。マスターの絶対命令に近い…でもどちらかと言えば紐でくくられたような物理的呪縛が俺を襲ったのだ。恐らく…マドリーによって。





 「皆、少し休憩にしよう。アイラ…でいいかい?こっちにいらっしゃい」

 「は、はい」


 こうなってはまな板の上の鯉とやらだ。俺は焦る気持ちを沈ませて、マドリーに寄った。マドリーは顎に手を当て、ゆっくりと俺を見る。全身がぞわぞわする。


 「ふむ。見事なもんだ。ビタも良い技師だったがそれ以上だね…。」

 「あ…ありがとうございます」


 あっさりとマスターを褒めたことに内心驚きつつ、なんとか言葉をひねり出す。ああ、もう。マスターを直ぐに追いたいけれど、マドリーの気分を損ねればマスターの立場が更に危ない。


 「お前の中身については多少見当がついている…。ビタの研究でも可能性は示唆されていたからね。でも済まんね。この議会が終わるまでは私も動けないんだよ」


 やはりマドリーは俺について色々と知っていたらしい。どうして知っていたのかはわからないけれど、大方ユーリも絡んでいるんだろう。そもそも、これ程の魔術師にかかれば俺の心なんて直ぐに丸裸にされそうだ。


 「それまで、あの何をするかわかりゃしない馬鹿孫を見といてくれないかえ」


 見つめたマドリーの顔は先ほどの形相ではなく、困ったような笑顔だった。彼女はマスターをどうしたいんだろう。味方なのか、敵なのか。未熟な俺にはよくわからなかった。


 「こいつを持っときなさい。いずれ役に立つ」


 マドリーが手渡したものは、何か不思議な文様の書かれた小さいカードだった。見たことのない魔術式だ。俺にはこれがどんなものかはわからない。もしかしたらマスターを更に嵌めるような恐ろしい罠かもしれない。


 でも、このマドリーの顔は、信じられるとどこか片隅で思ってしまうようなものだった。取り敢えずは持って行こう。判断はマスターに頼ればいい。小さなカードを恭しく両手で受け取り、一礼をして踵を返すと、魔導人形としての全力を使って、急いでマスターの足取りを追った。






 「マスター!」


 夜かと見間違えるほどの曇天の中、マスターの魔力を懸命に追うと、果たして宿には拳を壁にぶつけるマスターの姿があった。


 「やはり御祖母様は知っていたのだ…。何故だ。味方をしてくれるのではなかったのか…」


 マスターは部屋に戻った俺には目もくれず、只ぶつぶつと独り言をつぶやくばかり。とても近寄りがたい雰囲気だ。


 「まさか御祖母様も御母様の死を容認しているのか?ふざけるな!結局は誰もが敵だったのだ!愚図共め!」


 吐き捨てるような台詞に、びくりと驚く。誰もが…だなんて一時の感情に任せて言っただけだ…。俺はマスターの味方なのに。


 「やはり潰すべきだったのだ…。欲に塗れたあんな掃き溜めは…」


 マスターが右手から力を抜き、だらりと下げると、壁にはところどころ赤い染みが出来ていた。マスターの血だ。


 「マスター、どうかお気を確かに…」

 「うるさい!」

 「うっ」


 暫く味わっていなかった衝撃に目を丸くする。俺は今マスターにぶたれたのだ。ここ一週間の穏やかなマスターは、そこにはいなかった。


 「役に立たぬ人形め!貴様が…貴様が…」


 握り拳から血がポタポタと流れている。早く治療をしなければ。ぶたれたのはショックだけど、今はマスターのために動かなくちゃ。


 「マスター…あっ!」


 再び駆け寄ろうとして、突き飛ばされる。受け身も取れずに、俺は情けなく倒れ伏した。胸元がマスターの血で赤く染まってしまっている。街のクリーニングにださなきゃいけない。


 「お前も…内心私が放逐されたことをほくそ笑んでいるのだろう!お前を殺して自由を奪ったのは私だからな!」

 「ちっ…ちが」


 ちがう!そう叫びたかった。でも言えなかった。言えるわけがなかった。確かに俺を殺したのはマスターだから。嘘偽りのない事実だったから。ほくそ笑んでなんかいないと、自信を持って言えない。


 「出て行け!自由になりたかったのだろう!私から離れたかったのだろう!」

 「そ…それは」


 嫌だ!なんて言えない。自由になることをずっと思い描いていたのだから。この世界を自由に歩いてみたかった。帰りたかった。


 「“ここから出て行け!”」


 頭が真っ白になった。すっと立ち上がる。体が意思を無視して、扉へと歩き出す。緩慢な動きで階段を下る。一歩一歩、階段をきしませながら。


 「くっくっ、はっはっは!そうだ、結局お前は私の命令に従っていただけだ。私がお前を殺したのだ。だというのに…どうして…。」


 背中に届くマスターの呟きに、何も返すこと無く、俺は宿を出た。








 ポツリポツリと降りだした雨は、突如滝のような勢いとなり、街に溜まった一年の悔恨を洗い流すように猛然と降り注いだ。そうか、そういえば今日はアンハンスノイの日だった。


 雨の勢いは弱まることなく、俺の全身は直ぐにびしょぬれになった。服が体にくっついて気持ち悪い。どこかで雨宿りしなくちゃいけない。こんなところにずっと立ち尽くしていても不毛だ。早く別の場所に行こう。


 そうだ。魔法が使えるんだから、冒険者みたいに旅にでよう。きっと楽しい冒険になる。色んな人と出会って、ドラゴンなんかにも出会って、きっとマスターのことも忘れて、いつか楽しく笑って思い返すんだ。楽しく仲間と笑って、嗚呼明日はどこへ行こうかとか、何を倒そうかだなんて語り合うんだ。


 俺の体はもしかしてまだ操られているんだろうか。全然足が動かないや。もしかしてこの体に欠陥があるんじゃないか?一生懸命に動かそうと思っても、ピクリともしない。ざぁざぁと雨に打たれ続ける。馬鹿みたいだ。お似合いかもしれない。







 「風邪を引いてしまうよ」


 不意に雨が止んだ。違った。雨が自分の周囲だけを遮られているだけだ。


 「いいんです。私は、人形だから」


 風邪なんてひきやしない。だから雨に打たれようが、関係ないことだ。


 「でも、心の病は別だ」


 彼はこれまでどおり、優しく語りかける。いつもは少しうっとしいそれも、今は有りがたかった。会話をしていれば、考えなくて済むから。






 「私、自由になったんですよ」


 そう。本当に自由になった。マスターはもういない。肉体は違うけれど、この体にだって利点はたくさんある。この世界なら悪いことばかりじゃない。


 「マスターがここから出てけーって、お払い箱にされちゃいまして」


 まさかマスターがあんなに荒れるなんて思わなかった。マスターもやっぱりまだ少女だったんだなぁ。一番感情が不安定な時期だから仕方ないかもしれない。でもその御蔭で自由になったんだから、感謝しないと。


 「捨てられたんです。捨てられちゃったんですよ」


 一時期はあんなに逃げる方法を考えたりしてたのに、実際はこんなにも簡単に自由になって、ちょっと拍子抜けだ。もっと様々な困難だとか、戦争中のドサクサに紛れてーみたいなほうが格好良かったのに…。こんな…簡単に…。もうマスターにとって、私はいらない…必要ない存在なんだ。


 「私…捨てられ…ちゃった」

 「大丈夫、泣かないで」


 ぎゅっと彼にしがみつく。誰でも良かった。ただ、誰かにすがりたかった。


 傘を下ろして欲しかった。雨に打たれれば、きっとこの訳の分からない感情も、雨が洗い流してくれるから…。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ