第十四話 「第七十三回記録 マルタ11 ミレーナ・グレッヘン」
少し忙しくなってきてペースが落ちてしまいました。でもなんとか元のペースに戻したいと思います。
「…以上でレム・レクシエ魔法式第十四章における魔法陣構成に関する研究発表を終わりです」
「よろしい。では質疑に入ろうか」
魔女協会は粛々と進められた。魔女の集会なんて、怪しい実験体やら魔獣やらグロテスクな物体なんかが列をなしている…そんな先入観があった。けれど、実際の進行はまるで学会の発表のようで、随分としっかりした魔法研究に関するプレゼンが理路整然と進められるものだった。ちょっと拍子抜けだ。先ほどまでに終わったのは魔法陣のさらなる効率化、魔法式の考察、更には魔力蓄積炉の細分化研究などなど正しく研究者らしいものばかり。単なる闇に生きる者達の集会ではない。彼女たちは、権威ある学者であり研究者のようだった。
「さて、次は…会員番号マルタ11。ミレーナ・グレッヘン」
呼ばれた名前にハッとしてマスターを見る。マスターは立ち上がると、心なしか足早に壇上へと歩を進めた。一切此方を見なかったことに少々の寂しさを感じつつ、俺もその後を見苦しくないよう追った。
少し、ピリピリする。マスターから今日何をしろとは言われていない。それでも、なんとなく今のマスターは心配だ。いつもと調子が違う。緊張しているだけだろうか。マスターの助けになってあげたい。
マスターが壇上に上がり、その二歩後ろに控えた。天井の光がここだと眩しい。円状に三百六十度見られるというのは初めての経験だった。それも、全員が魔女である。見透かされるようで、背筋が寒くなった。
「ミレーナ・グレッヘンです。まずは…この場にいる魔女の皆さんに問いたいと思います」
マスターにしては珍しい丁寧な言葉づかいと所作で始まった。全員が聞いているかを確かめるように周囲を見回し、言葉を続けた。
「ビターニア・グレッヘンによる魔導人形の自立に関する研究を覚えているでしょうか」
ビターニア・グレッヘン。それがマスターの母親なんだろう。マスターが心から敬愛し…病に倒れた悲しい過去。そういえばマスターが、お母様は研究にのめり込んだとこぼしていたような気もする。その研究のことだろうか。
「過去、この場で実現不可能と罵られ、闇へと葬り去られた研究です」
「待て、確かにビタの研究は否定されたが、罵ったなどというのは我らに対する侮辱だ!」
一人の魔女が立ち上がった。マドリーの近くに座る一際大きな杖を持った魔女だ。
「ですが同じことです。あなた方はビターニア・グレッヘンの研究に取り合わず、あなた方の名誉を守るためだけに陥れたのですから」
「なんだとっ!?」
突如その魔女との応酬が始まった。すました顔で構えるマスターに、若い…といっても三十代後半といった様子の魔女は肩を上下させ、椅子を盛大に鳴らしながら立ち上がった。
薄っすらとマスターの立ち位置がわかってきたかもしれない。そう、マスターがここに来てから、感じていたピリピリと張り詰めた空気が一層険しくなったように感じたのだ。マスターは、多分この場で孤立している。倦厭されているのかもしれない。
「まぁよい。それについては後日お互いの見解を語ろう。話を続けなさい」
仲裁を行ったのはマドリー。どのような立場かはわからないけれど、マドリーの一言に若い魔女は苦悶の声を漏らしながらも、やはり大人しく席へと着いた。
「前述の研究では魔導人形に魂を宿す方法が解析不能であり、ビターニア・グレッヘンの研究は棄却されました」
マスターの言葉が、徐々に早くなる。
「此方に控える従者は人間ではありません。ビターニア・グレッヘンの研究によって生まれた、魂を持った魔導人形です」
マスターは俺に一瞥もくれず、左手を此方に向けて、高らかに宣言した。ギョッとした。それほど大量の視線が突如俺に突き刺さった。疑惑を伴った視線の数々に、思わず下を向く。恥ずかしいというより、怖かった。
次第に室内がざわめきで満たされて始めた。専門用語ばかりで聞き耳を立ててもちっともわからない。けれど、魔導人形アイラの存在に驚きを隠せない様子は手に取るように分かった。
「その、魂を持ったというのは本当なのかね?」
一人の老魔女がそう尋ねるのを皮切りに、大勢の魔女がそうだそうだと加わった。新鮮な気分だ。自分が魔導人形であることは受け入れつつあることだけれど、自分が魂を持っているか持っていないかでこんなにも狼狽えるだなんて妙な話だ。笑ってしまう。元の世界で人工知能が魂を持った時も、きっとこんな気分になるんだろうな。
「どうぞなんなりと質問なりしてください。理解できるでしょう。何なら解析をかけてみは?」
少し刺のある言い方でマスターは言い放った。どうしよう。質問がくるなんて思ってもいなかった。マスターの機嫌を伺いながら応えたいが、一向にマスターは此方を見ず、マドリーを凝視していた。周囲がざわめく一方、マドリーは細い目を更に線のようにして、此方を冷静に眺め続けている。人形店での老魔女以上に、全てを見据えるような、一際大きな視線だった。
「名前はなんという?」
近くの魔女が、直ぐにそう質問した。優しそうな顔をした中年魔女だった。果物でも握っていたら、きっと商店の女将さんだと勘違いしただろう。
「アイラです。」と手短に答える。余計なことは言わない方がいい。マスターが何かしろと言わないのだから、多分何もアクションを起こさないことが正解だ。
「出身はどこかね…?」
また別の魔女が思い立ったように質問する。俺にとっては難しい質問だった。厳密に俺の出身を言えば日本の東京だ。でもそんなことをこの場でいうわけには当然行かない。まず日本とはなんだ?なんて質問が来ても困るし、きっとマスターだって望んでない。
「回答出来ません」と答えて、魔女たちは少しざわついた。でも、特にこれで魂云々を決められることはなかった。元々出身なんてないとも解釈できる。変な質問だった。
「お前自身は魂を持っていると思うかい?」
「はい」と即答する。質問の意図は分からなかったが、いいえと答えるわけにはいかない…。
このようななんとも言えない質問が続いた幾度か後、マドリーの横に座る体格の良い老魔女が立ち上がり、皆を制した。心なしかローブの着こなしも堂に入っている。
「待て、これでは埒があかん…そうだな、主人の事をどう思っているかね?」
「マスターを…ですか?」
マスターをチラと見る。マスターをどう思っているか。これまで幾度と無く自問してきたものだ。俺を私に変えた魔女ミレーナ・グレッヘン。魔法で俺の行動を縛り、痛みで支配し、何処か慈しむような気配を見せ、当惑するほどの優しさも併せ持つマスター。
「君は彼女によって作られたというが、創造主に対して何か思うところがあるだろう。個人的にも興味がある」
その場の魔女全員が、俺の次の言葉に耳を傾けようとした。マスターを、ミレーナを憎む気持ちはある。それは紛れも無い本心だ。こんなにも理不尽な暴虐が許される筈もないと、当初は考えていたし、自由になろうと憤慨して躍起になっていた節もある。
でも、旅の途中で見つめた彼女は母親を幻視するほど優しかった。あの時のミレーナと旅のミレーナ。どちらもミレーナだけど、全く違う。何時の間にか、俺はこの旅が終わらなければいいのに、なんて考えていた。そうすればきっと優しいマスターだけ眺めていられるから。何も考えなくて済むから…。
「多分…お慕いしています」
本心じゃなくていい。マスターに恥をかかせるわけにはいかないし、マスターの評判だってこの一言で変わってしまうのだから…。でも、ここで憎んでいるといえば、誰かが開放してくれるかも知れなかったじゃないか。本当に、本心じゃないのだろうか。わからない。最近の俺は、私は…。本当の自分はどっちなんだろう。
マスタが少し揺れた…気がした。ただそうあって欲しいと望んだ幻かもしれないけれど…。
「多分…かい。成る程、見事だねミレーナ。確かに誰もが不可能と思われていたビタの魔法人形…その体現だ。遠隔魔法でもない。正に魂をもった魔法人形だよ」
俺の言葉を聞いて、遂にマドリーが口を開けた。マドリーは何処か悲しそうな目をしていたけれど、その内容は確かにマスターの研究を認めるものだ。ほっとした。良かった。これでマスターも浮かばれる。きっと苦心して作り上げた技術なんだろう。俺が実験台とされたのはこの際どうでもいい。まずはマスターの実力が公式の場で認められた事を素直に喜ぶべきだ。
「そんな!マドリー様、あれは理論上絶対に不可能と仰言ったのはマドリー様では!?」
そんなマドリーの言葉に周囲は困惑する。特に三、四十代の魔女の反応が顕著だった。一部の魔女は席から立ち上がるほど驚いたようで、直ぐにドームはマドリーに対する抗議で埋め尽くされた。
少し不安な様子ではあるけれど、恐らく山は超えた。俺の中で張り詰めていた空気が静かに溶解し、喜び勇んで俺はマスターに近寄った。
「ほんとうに…?」
その時、掠れるような小さな音量で、そう聞こえた。え?今のは…マスターの声?マスターの…あの自信家で、いつも余裕を持つマスターの声だとは一瞬認識できないほど儚い音だった。
そんなマスターに驚き、足を止めていると、マスターは腕で顔を拭って再び壇上で声を張り上げた。今までの丁寧な言葉遣いなんかではない。素の彼女のままに。
「ならば御母様の…ビターニア・グレッヘンの業績を認めて…。いや、認めろ!除名をした事実も今直ぐに修正しろ!」
マスターの怒気を孕んだ言葉に、球状のドームが震えた気がした。それほどまでに感情が乗せられた言葉だった。これまでのマスターにしては必要以上に抑揚のない声とは打って変わって、激情と言ってもいいほどだ。
「そしてあの時御母様を侮蔑した阿呆共よ!頭を垂れて詫びるがいい!己が愚かだったと、ビターニア・グレッヘンが正しかったと!」
俺は理解した。マスターは今日この時のためにここに来たんだ。自分の母を、ビターニア・グレッヘンの名誉を取り戻すために。
「突然ふざけたこと言わないで。確かにあの時ビターニアは魔導人形の作成に失敗していたのです!認められるものですか!」
マスターの気に当てられたのか、一人の魔女が同じく激情して食いかかった。美しい…でも何処か浅ましさが透けて見える魔女だ。
「私がのうのうと暮らしていたと思うなよダッタリエ!貴様らが下らない嫉妬で御母様を疎んでいた事実はわかっているぞ!」
マスターの怒りが一際大きくなった。思わず自分が怒られたかのような錯覚を覚えて、縮こまってしまう。恥ずかしさも感じられないほどに、マスターと魔女の舌戦は白熱の一方だった。
「それとこれは関係のない話、すり替えないで下さいまし!」
「それに貴方の母を疎んでいただなんて…むしろ私達は後ろ盾の大きいビターニアさんに怯えていたのですよ」
同年代ほどの別の魔女が加わる。どちらも魔女にしては…という言い方は失礼かもしれないが、とにかく見た目の良い魔女だ。更に似たような世代の魔女がダッタリエを中心としてマスターに相対し始めた。はじめに案内をしてくれたメリーさんの姿も見受けられる。数では圧倒機にマスターが不利だ。
「はっ!本当に腐った奴ばかりだ!だが私がこの魔法人形を確立させ、それが認められた時点で審議などどうでも良い!貴様らが間違っていたのだ!御母様の名誉を認めてもらうぞ!」
それでもマスターは折れなかった。まるで気にしていないようだ。最初は緊張していたように見えたけれど、あれはなんだったんだろう。とにかく、マスターはもういつもの調子を取り戻したみたいだ。そう場違いにも安心していた時だった。
「待ちなさいミレーナ。この場で必要なものは研究発表、子供の遊びではないのだよ」
やかましく騒ぎ立てられるドームに、しわがれたマドリーの声がはっきりと響いた。マスターも、ダッタリエ達も、ピタリとその動きを止める。
「どういう…意味です」
マスターの呆然とする顔を垣間見て、理解した。マスターの態度が今まで意気消沈し、そして突然高揚し、まさに今また失意にさいなまれている理由に。
「結果だけ示しても意味は無いということだよミレーナ。一体どうやってその魔導人形に魂を持たせたのか。それを語らないことには始まらないんだよ」
マスターは、壊れた機械のように、緊張感を伴う緩慢な動きでマドリーへと向き直した。
「まさか生きた人間の魂を殺して抜き取ったわけではあるまいて。さぁ教えてもらうとしようか」
次話で魔女協会は終わりです。やっと話が進みます。
ゴロツキとの交渉はこのダッタリエ達を貶めるためのものだったり




