第十ニ話 「クルスクルックの石言葉」
薄暗い路地裏に、鉄の匂いが充満する。その中心に立つ男は、この旅で幾度も会ったユーリその人。心を見透かすような鋭い視線に、戸惑った。いつも、少し違った。
「ユーリさん…なのですか?」
声を掛けると、凍えるような瞳は鳴りを潜め、大きくため息を吐いた後、いつもどおりの爽やかな笑顔を此方に向けた。普段のユーリらしい、すごく場違いな笑顔だった。
「冷や冷やしたよ。いくら魔法が使えたって万能じゃないんだ。誰かに助けを求めることだって出来た筈だ」
ユーリに言われてハッとする。確かに勝ち目の少ない勝負だった。今は建国祭前、大通りには幾らでも人がいるし、治安を守る兵も少なからずいる。確実にマスターを救うためには、それがベストだったかもしれない。彼がいなかったら今頃…。
違う。そんなことはどうでもいい。なんでユーリがこんなところにいるかが問題だ。
「待て、貴様。ユーリと言ったな?なぜ貴様がここにいる」
マスターも同じ疑問を抱いたのか、いの一番で杖を差し向けながらユーリに迫った。ゴロツキどもに抑えられていたからか、綺麗なセミロングの赤髪も痛々しく乱れ、ローブは一部擦り切れている。きっと怪我もしているだろう。早く治療をしてあげたい。
「助けてもらってその態度っていうのは関心しないけど…」
「誰が貴様に助けなど呼んだかっ!」
「うーん。恩売り作戦はダメか」
ゆっくりと背を建物に預け、腕を組む。ユーリは余りにも自然体だった。確かに助けてもらったのは此方だけれど、だからといってユーリがここにいる理由は俺としても見過ごせない。まさか本当に彼はストーカー気質で、これまでの三回の邂逅も偶然なんかじゃなくて、何かの目的があってマスターに近寄ろうとしていた…という可能性もあるんじゃないだろうか。
「それで、貴様はなんだ。目的を言え!」
「目的、目的かぁ」
わざとらしく考える様子を見せて、ユーリは唸った。マスターの側に行きたいけれど、そのためには丁度ユーリの前を横切らなくちゃならない。なんとなく、それは気が引けた。なんだか一気に蚊帳の外に追いやられた気分だ。
「取り敢えず、俺の目的は置いといてさ」
「俺はユーリ・グリンズヒッツ。多分グリンズヒッツの名は知っているかな?例え何年もこの国から離れていた身でも」
「何が言いたい」
マスターの額がピクリと動いた気がした。グリンズヒッツなんて呼びにくい名前に聞き覚えがあったのか…それとも後半が事実だったからか。
マスターと出会ったあの森は、間違いなく陸の孤島だった。あんな場所に住んでいた理由も俺はまだ知らない。マスターの両親や魔術協会との関わりがそこにあったのは間違いないけれど、魔術協会は多分マスターを排斥しているわけじゃない。もしそうであれば、魔術協会に出席するという前提がおかしい。俺はマスターのことを全然知らないんだ。
今日だってそうだ。マスターはどうしてゴロツキ達と話をしていたんだろう。どうして俺を連れて行ってくれなかったのか。最初から二人で相対すれば一方的にやられることもなかった筈だ。きっとマスターが怪我をする必要もなかった。最悪俺を囮にすることだってできたのに。
「ちょっとこの国じゃ顔が広いってこと。ミレーナ、君を少し調べさせてもらった」
マスターを調べていた。その言葉にユーリに向けられるマスターの視線が一層険しくなった。薄暗さや血の臭いも相まって、マスターのそれは射殺さんとする一種の呪いのようだ。
「マドリー様が心配していられたよ。孫がまだ妄執に取り付かれているんじゃないかとね」
「妄執だと…?貴様、私を愚弄したことを後悔させてやろう!」
マスターが杖を差し向け、そしてあろうことか間髪入れずに杖が鈍い光を放ち、ユーリの目の前で火花が舞った。多分マスターが魔法を撃ち込んだのだ。
「うわっと!?待った待った!飽く迄マドリー様の言葉をそのまま伝えただけだって!」
「ふん。魔法の心得も多少あるようだな」
どうやって防いだのかはわからないけれど、ユーリはマスターの攻撃をいなし、結果としてあの火花が生じたみたいだ。魔法についての知識は正直からっきしな俺だ。でもそれでもマスターの技術が並大抵じゃないことだけは分かる。それを防ぐことが出来るユーリも、きっと自分なんかよりも隔絶した世界に住んでいるんだろう。
ユーリはきっとマスターと肩を並べることが出来る。そして、彼の力があって、今回マスターを救い出すことが出来た。それが少し悔しかった。
「マドリー様は君が妙な気を起こさないか心配でね。都合も良かったし俺が君の監視兼護衛みたいな役職を志願することにしたんだ。これが署名ね」
「グリンズヒッツのお坊ちゃんがか?」
ピラと見せられた紙には、魔法式の記号にも似た記号の判が刻まれていた。どうやらそれがマドリー様とやらの署名らしい。マスターもそのマドリーとは只ならぬ関係なのか、それを視界に収めると、マスターの険しい空気が少し胡散した気がした。
「いやまさかこんな危ない連中と取引してるなんて思わなかったよ。マドリー様は知っていらしたみたいだけど君もよくやるねぇ」
「お祖母様が知っていた…。くそっ、こいつら情報を売っておったな…」
お祖母様?マドリーという人はマスターの肉親だったのか。びっくりだ。マスターはまるで天涯孤独のような様子だったから、肉親が本当に生きているかどうかも半信半疑だった。しかもユーリが様付で呼ぶくらいだから、そのマドリーという人は相当な権力者なんだろう。それなのに何故マスターはあんなにも孤独な場所に住んでいたのか…。
「とにかく、魔女協会には大人しく出席しなさい、というのがマドリー様のお考えだ」
「いいだろう。正々堂々と表舞台に立ってやろう」
マスターは苦痛をちらと見せつつも、それでも堂々と胸を張った。どうやら何か策を弄そうとしていた人の態度ではないけど、それもマスターらしい。そう思えるほどにはマスターの人間性が理解出来ていた。
「さて、それじゃあ俺はこれで引かせてもらうよ。魔女協会を狙っていたのは君のお陰で明らかだし、コイツラの組の後処理もしなきゃならないからね」
ユーリはそれだけ言って終わりかと思えば、予想外にも此方に振り向き、俺の両手を握ると、ポケットから何かキラキラと光り輝くものを取り出した。
「ああそうだ。アイラ、君の髪の…綺麗な純白に似合うと思ってね。偶然見つけた髪留め何だけど、受け取ってもらえるかな?」
「え?私に…ですか?」
純粋に、綺麗なバレッタだった。この前俺が見つけた原石と違って、意匠の凝らされた様々な宝石が散りばめられている。魔力がこもっているのか、路地裏の中でバレッタは光を放っていた。宝石なんてものに縁がなかった俺にとって、初めて美しく、尊いと感じるものだった。
「クルスクルックのバレッタだ。石言葉はバレ・ニヒタ・アイラ。何よりも大切な人へ。本当は家族にあげるものなんだけどね。」
多分、旧言語だ。アイラ…その言葉が出てきたことに驚く。只の名前としか思っていなかったアイラだけれど、旧言語だったのか。それにしても花言葉みたいなものは世界共通なのかな。
「アイラから離れろ坊主!」
「坊主って…俺のほうが年は上なんだけどなぁ。それじゃあアイラ、またね」
マスターが再び魔法を発動する。ユーリは俺からバックステップで距離を取り、難なく避けると、そのまま颯爽と路地裏の奥へと消えてしまった。女の子にプレゼントを渡してさわやかに去る…まるで少女漫画のワンシーンだ。もし相手が俺じゃなければ、もう少し様になっていただろうに。怪しいけれど、憎めない男だ。
結局彼は何がしたかったんだろう。もしかして元々マスターを監視する役目だったのだろうか。そうだしたらこれまでの奇妙なめぐり合わせも納得がいく。最初に会った時なんて宿を譲ってもらったのだ。余りにもできすぎていると言えばできすぎていた。ただ、それにしてもユーリに悪意とかそういうものを全く感じ取れない。未だに俺の中のユーリのイメージは爽やかな青年だ。
マスターは気に食わないと思っているみたいだけれど、俺はユーリのことを嫌いにはなれなかった。命を助けられて、ほだされたのかもしれない。
「アイラ…」
「マスター!?」
彼の姿が見えなくなって、途端マスターが崩れた。杖で体を支え、張り詰めた緊張から開放されたためか、微かに震えている。きっとマスターも怖かったのだ。いや、怖くないはずがない。マスターもまだ少女と言って差し支えない年齢の女…あんな荒くれに乱暴にされようものならトラウマになって然るべきだ。それでもマスターは涙一つ見せず、気丈に振るまう。
「何故私の命令を無視した!宿にいろと言った筈だ!」
マスターの言葉に、俺は止まった。マスターの言う通りだ。俺は間違いなくマスターの命令を無視した。今回のことも内密にしたいことだったのかもしれない。俺が付いて行くことでユーリに…ひいてはマスターのお祖母様に知られてしまったかもしれない。
「それでも…。マスターに…会いたかったから…」
マスターの側に駆け寄り、その体をゆっくりと支える。紛れも無い本心だった。そうだ。確かに命令違反ではあった。でも、お陰でマスターを助け出すことが出来た。もし何もしなければ、俺はあの小さな宿で帰ることのないマスターを待ち続け、そしてゴロツキに捕まり商売道具になっていただろう。だから、マスターに怒られたっていい。自分の行動が正しかったと自信を持てる。
「アイラ…」
それ以降マスターは言葉を紡がず、宿に戻ろうとする俺のなすがままに、辿々しく歩みを進める。右手に握るバレッタを何となく隠して、俺は帰路へと急いだ。




