第百十七話「誉屋の書状」
第百十七話「誉屋の書状」
「ほう、この成果で今日は怪我人なしか! 近次郎も他の者も見事だ!」
「ははっ!」
「有り難き幸せ!」
春狩り六日目。
新城より北東、二里の奥地。
新たに開いた宿営地は、御庭番衆が物見の折に見つけた崩れ井戸の傍らに設けていた。
往時には見張り小屋だったのだろう、朽ち果てた廃屋が半身を残している。
「ほうれ、飯を配るから並べ並べ!」
狩りの差配は近次郎に任せていたが、宿営地は人海戦術で強引に作り上げ、狩りに出る組と道を整備する普請組、新地の護衛を兼ねた休憩組を交替させつつ狩りを進めていた。
昨年まで遠山で行っていた春狩りを、そのまま拡大した形式だ。
この数日で数人が軽傷を負っていたが、新津に引き上げさせ、治療に当たらせている。
彼らのうちの幾人かは張り切りすぎだと皆から怒鳴られていたものの、その程度で済んだのはやはり、大物魔妖が見あたらなかったせいであり、余裕をもって助力できる戦力のお陰だろう。
這寄沼と居食い猿虎、どちらの縄張りだったかは定かではないが、距離的にも時間的にも、しばらくの猶予が出来た様子である。
だが、投入された例年以上の戦力および奥地への遠征は、十分な成果を上げていた。
「では頼んだぞ」
「ははっ、お預かりいたします」
鬼の角など魔妖から得た獲物は無論、黒松屋を主事とする新城の町衆に一任していた。
その売り上げのうち、幾らかはこちらで握って戦費と翌年分の俸禄に回す予定だが、褒美に出す金子を充実させようか、迷うところである。
国内に金が回る意味は、ここしばらくで思い知らされていた。
一見無軌道にばらまいているようにも思えるものの、そこは皆で知恵を寄せ、抜かりはない。
掘っ建て小屋ながら金の受け皿となる支店を黒松屋に出させ、古くからの港町として遊び場も充実している甲泊との船便を、期間限定ながら格安で用意していた。
『しかし殿、それでは甲泊に金を吸い取られるだけではありませぬか?』
『先日も少し話したが、遊び場を用意しても、今の黒瀬では管理できないだろう。ついでに、やっかみも多少はかわしたいと思う』
黒瀬が牽引役になって東下が経済的に発達するなら言うことなしだが、現段階でそんな余裕があるはずもない。
今のところは、自前で用意の出来ない施設を借りると同時に、多少は旨味を押しつけて、こちらの不足を補って貰えるよう道筋をつけておきたいところだった。
「どうぞ、殿」
「ありがとう、梅太郎」
「それから、急ぎではないとのことですが、新城の町衆より使いが参っております」
「ああ、通してくれて構わない。飯がまだなら同席も許す」
「はいっ」
梅太郎が手拭と桶を持ってきてくれたので、陣幕で半脱ぎになり、汗を拭う。
こゃーん!
「お、来い来い。今は大丈夫だぞ」
多少は安全も確保できたなと、新城周辺で悪溜穢を祓っていたお狐さん一行も、こちらに呼ばれていた。
昼間は狩り組や御庭番衆などに同行し、露払いやお祓いに大活躍、夜は夜で夜番同然にこゃんと鳴き声を上げてくれるので、ありがたいことこの上ない。
無論、お狐さん任せで気を緩めては色々と台無しなので、近次郎にも命じて綱紀を引き締めていた。
「殿、夕餉の支度が整いました。お持ちしても宜しゅうございますか?」
「ああ、頼む」
「ははっ」
……くぁん。
「ん、よしよし」
お狐さんを膝に乗せつつ、何事だろうかと、考え込む。
急ぎではないとのことだし、新城を含む黒瀬のことではないのかもしれないが……。
「失礼いたします」
「おう」
「ご無沙汰でございます、黒瀬守様」
「おお、寿助か。遠路ご苦労だ、気にせず座ってくれ」
梅太郎に案内されて入ってきたのは、新城町会所の世話役、誉屋の小番頭、寿助だった。
建材と食料の差配に忙しい小吉は新城に腰を据えられず、誉屋から人を出したと聞いている。
続けて戌蒔と近次郎が、夕餉を持った御庭番衆と共に入ってくる。
麦米五分の握り飯に白湯を掛けた湯漬けに、春漁で獲れただろう鯵の一夜干し、春山菜の味噌和えは、いつもの如く……とは言うものの、やはりこれも充実か。
黒瀬楔山を本拠地として海路一日陸路二日、そして飯を食わせねばならない人数が去年の数倍とあれば、その労力と金子は、数倍どころではない。
「しかし、わざわざこちらに顔を出してくれるとは……あちらで何かあったのか?」
「いえ、ご機嫌伺いが半分、残りは何もないからこそ、でございます」
湯漬けを掻きこみつつ寿助を見れば、割と真面目な表情で平伏した。
「殿の御威光のお陰にて、新城の町、つつがなく普請が進んでおりますれば、我ら町衆、まっことありがたき幸せと、伏して御礼申し上げたきにござります」
「ん?」
「殿、寿助は御礼言上に参ったのでございましょう。笑ってお受け取りなされば、それでよろしいかと存じます」
「裏表なく、正に殿の御威光でありましょうな」
「はっはっは、何せあれだけの数の浪人者が刀を差して闊歩しておるというのに、宿営地どころか新城や新津でさえ、一つとして、乱暴狼藉が起きておりませぬ」
伏せたままの寿助に目をやった戌蒔と近次郎も、苦笑気味ながら、俺に平伏してみせた。
なんでも、十番勝負の影響もあり、腕っ節ではとても敵わぬ『お殿様』に逆らうなどあり得ないと、浪人衆も大人しくしているらしい。
力こそ正義、力こそ秩序とは言いたくないが、そのような効果までは見込んでいなかった。
ついでに今なら春狩りの最中で正しく暴れたい放題、飯も食わせて貰えるし、給金の遅配も出し渋りもない。
おまけに腕がよければ取り立てられるとあって、町で暴れるような馬鹿者はむしろいい獲物だろうと、噂が流れているようだった。
「今ひとつ実感は沸かないが……町衆も、浪人衆も困っていないのなら、それでいいか」
「幾人かの腕自慢は、こちらでも雇い入れるつもりにて、声を掛けてございます。そろそろ、店開きの用意もしておきたく」
「そりゃあありがたい。町がいよいよ町らしくなるなあ」
「はい、こちらこそ、ありがたく存じます」
こゃん。
寿助も今日はこちらで一泊、明日、荷駄隊に同行して新城に戻るそうだ。
「それから、こちらを。急ぎではない、もう一つの御用にてございます」
「うん? ああ、喜一からか。……失礼する」
差し出された書状の裏書を見れば、誉屋の主人、喜一からのものである。
早速広げて目を通す。
「……むう」
「如何なさいましたか、殿?」
「いや、申し出はありがたいが、これは流石に時期尚早かなと、な」
近次郎、戌薪にも書状を回せば、似たような顔を向けられた。
「返書は少し待ってくれ。楔山の信且らとも相談したい」
「はい、畏まりましてございます」
喜一からの用件は、黒松屋と合同しての新城城郭の普請、その差配であった。
寿助の退出を許し、早速近次郎らと膝を突きあわせる。
「二人はどう思う? 新城の町でさえ、まだ足りぬ長屋を建てている最中だが……」
「さて、それを申し出ても儲かると断じたのでありましょうが、その裏側までは……」
「黒瀬から足抜けの出来ぬ黒松屋はともかく、誉屋までもが入れ込むには、それこそ時期尚早でありましょうな」
忍党を率い、近隣の情報に通じている戌薪でさえ、この申し出には首を傾げていた。
「あの……」
「どうした、梅太郎?」
だが、笹茶を運んできた梅太郎には、俺達が悩んでいる姿こそ、逆に不思議と映ったらしい。
「黒松屋は、本当にお城を建ててみたいんじゃないでしょうか?」
「……む、これは盲点でござった!」
「なるほど、御城御普請の名誉か!」
「はい」
「どういうことだ?」
梅太郎の言葉に得心した二人に対して、俺は置いてけぼりである。
説明を求めれば、実にいい笑顔が返ってきた。
「某もそれほど詳しくはござりませぬが、東下、あるいは東津にて、新しき城を普請するなどほぼありませんでしょうな。故に誉屋は、本気でその名を欲しておるのでしょう」
「商家同士の争いには、儲け以外にも、名の誉れや善行もついて回ります。……裏を見ればそれだけでもございませぬが、御城御普請は正に表の名誉、店の隆盛を喧伝するにこれ以上のものはないかと」
「なるほどなあ……」
これも商人の戦い、その一部なのだなと、俺は書状をもう一度読んでみる。
いいように使われていると怒るべきか、その恩恵を素直に受け取るべきか、俺としては微妙な心持ちでもあった。
これは和子にも意見を聞いて見るべきかなと、その顔を思い浮かべる。
春狩りもそろそろ中盤、状況の変化も含め、一度楔山に戻って全体の差配を見直した方がいいかもしれない。
「近次郎、俺は一度、城に戻ることにする」
「ははっ、こちらはお任せくださいませ」
「うん、頼む」
新城と新津を経由して、戻りに三日。
……戌薪をお供に本気で走れば明日中には戻れるだろうが、そこまで急くような状況でもなかった。




