第九十四話「小国への道」
第九十四話「小国への道」
「では、行って参ります」
「うん、頼む。勘太、近次郎にも宜しく伝えてくれ」
「へい、お殿様!」
数日滞在するという勘内を、満福丸に乗せて送り出し、取り敢えず新津を見に行かせる。
判断は勘内に任せたが、実際、新たに店を出す先としては、楔山でもどこでも大元が揺らぐわけではない。
楔山なら本城の城下だが、小さな店一軒ならともかく、間口の広い大店や蔵は建てるスペースがなかった。
……もしもこのまま国が成長を続けるなら、今ある畑を潰して城壁を広げるよりは、新しくい町を作って引っ越した方がよいのではないかと思える。
現在、新たに蔵まで構えることを考えるなら、融通が利いて利便性が高いのは新津だ。
ましてや、当面は船商いをせざるを得ない勘内である。
新村という点では遠山と変わらないが、商売人にとって港のあるなしは影響が大きい。
しかし、三日して戻ってきた勘内は、店を二軒出すと言い出した。
「本店と蔵は新津に、楔山には小さな支店を置かせていただきたく思います」
「それは構わないが、負担が大きすぎないか? 黒瀬の店を教育に使うという話は聞いているが……」
儲からぬ店にも使い道があり、将来、本格的な支店を出す前から、手代や番頭に経験を積ませられると前に語っていた勘内である。
「代官の氷田様が、極端な人数でなければ楔山との往復に便乗しても構わぬと、お墨付きを下さったのです。町作りへの協力もお約束致しましたが、それこそ黒松屋の最も望むところ、よい繋がりが出来ました」
他にも、港に隣接する一等地を借りる事が出来たので、次の航海で与えられた千両を倍に増やし、最初の蔵を建てますと、勘内は笑って黒瀬を後にした。
次に会うのはまた数ヶ月先になるが、楽しみなことである。
▽▽▽
勘内と入れ替わるようにして、送り出していた浜通城代帆場松邦の代わりにやってきた米本六六斎殿を迎えれば、随分驚いた顔をされた。
「黒瀬を訪れるのは十数年振りながら、これはまた見事な変わり映えですな」
大工の六郎三郎は手勢を引き連れ、既に遠山へ向かっている。
六六斎殿には最初、黒瀬城下を勧めたが、波音の聞こえぬ内陸に住むのも面白かろうと、そちらを希望していた。
ある意味、浜通では出来ぬ『贅沢』らしい。
庵が出来るまでは六六斎殿も楔山の城で暮らして貰うが、子供を二人連れていた。
「亡くなった先代家老の孫でございます。城にて預かっておりました」
「磯辺家の佐吉ともうします!」
「同じく、詠と申します」
「ああ、よろしくな、佐吉、お詠」
幸い、ここは数十人が起居する城だ。二人ほど増えたところで、どうということはない。
子供達は女房に任せて、六六斎殿を二の丸の客間に迎え入れ、これからの浜通を含む黒瀬の話などをする。
「あの二人を育てつつ、余生を送る余裕、まっこと、ありがたく」
聞けば長男佐吉が六歳で姉の詠が九歳、これも浜通を廃国とせざるを得なかった理由らしい。
陣一郎がもう少し年かさであれば、養子に迎え入れたかもしれないが、老いた六六斎殿が倒れれば状況は完全に詰む。
名ばかり家老と自ら口にする青江新一郎の手に余ることは明白、ならばいっそと、英断に至ったわけだが……。
「浜通も将来、この黒瀬のようになるならば、間違いではなかったと思えますぞ」
「ありがとうございます。そう仰っていただけるなら、一年、体を張った甲斐があります」
都の支援による隆盛だということは承知しているが、侍、水主、女衆を問わず、黒瀬に暮らす全員で頑張ってきたという自負もある。
支援は支援として大事にするが、皆でこれだけ働いて悪いことなどあるものかと、最近は開き直っていた。
「ほう、米が!」
「ええ、遠山衆は元々農家が多く、苦労はあったでしょうが、見事成し遂げてくれました」
黒瀬各地の話などを交えつつ、内部資料である人別帳や、集落ごとの生産力や賦役をまとめた税務台帳――郷帳を開く。
他国の大名である『浜通守』殿には見せられないが、御伽衆として迎え入れた『六六斎』殿であれば何の問題もない。
無論、そのぐらいの信用がなければ、迎え入れたりしなかったわけで、さてさて、この場合は卵が先か鶏が先か……というところである。
「時折、廻船が出入りしておるのは噂で聞いておりましたが……この領民の数は予想外ですぞ」
「……俺にもですよ」
代替わり前は百人前後だった国が、一年で五百人余に増加、浜通まで含めれば七百五十近い数字になっている。
当事者の俺でさえ、ここまでの伸びは予想外だった。六六斎殿の驚きも無理はない。
まだまだ増えそうだと言えば、半ば呆れの入ったため息を向けられる。
「今頃はもう、都か何処かより、廻船が出ているかもしれません」
「まっこと、都の便りとは、よく言ったものですな……」
ふむふむと頷いた六六斎殿は、人別帳の頭の方を開き、各村の民を数えた。
やれやれと言った風に、煙草盆が引き寄せられる。
「これでは最早、細国とは呼べはしませぬぞ……」
「六六斎殿には、そのように見えますか?」
「お考え為されよ。……仮に黒瀬が内陸にあって、田畑のみで暮らしておる国とした場合、七百五十の民草を食わせる石高、如何ほどになりましょうや?」
「あー……ごもっともです、六六斎殿」
煙を輪っかにする六六斎殿に、俺は素直に降参した。
七百五十人が食うだけなら、石高も七百五十石あれば十分……な筈がない。
副食となる畑作も相応に必要なら、衣や住に回す余力も必要で、更には魔妖に対抗する軍事力の維持まで考えれば、とてもではないが足りなかった。
「黒瀬は現状、単に石高が低い小国なれば、早々なる組替えをお勧めいたします」
組替え、つまりは組織の再構築だが、六六斎殿は侍、特に中間層が足りぬと断じた。
今は各村とも、城代あるいは代官、奉行を置いており、ほぼ問題なく運営されている。
もちろん、その上に位置する『黒瀬国』も、細国の運営に最適化された小さな組織だった。
「細国であればこそ端々まで目が利き、皆をまとめる侍も少なく済みましょうが、これ以上伸長するのであれば、速やかにお改めになった方が宜しかろうと存知まする」
各村の人口が百から二百ほどの小集落ばかりと、適度に分散しているお陰で回せているのだが、有事の対応だけでなく、平時の運営にも不足が出始めるのではないかと、六六斎殿は口にしたわけだ。
実のところ、側用人松邦の城代就任の件だけでなく、人材の不足は実感しつつあった。
たとえば、今年に限ってと注釈付きながら、松邦の抜けた穴は、俺、家老信且、父松邦の教えを受けている息子の梅太郎だけでも何とかなる。
経済規模……と同時に書類の量は、一ヶ村分から五ヶ村分に増えていたものの、松邦が転任前にほとんどの仕事を終えていったからだ。
来年のことは、まだ考える余裕がなかった。
「まず、上士、下士の格付けを細分するか、いっそ中士を付け加えてもよいかと」
今の黒瀬は、お殿様の俺が居て、その下の上士は家老格と奉行格の二段階、下士は全員組頭の格付けで、三層しかない。
この層を小国に対応した数に増やすわけだが、現代社会でも、組織が大きいほど役職の階層は増える。
小さな店なら社長兼業の店長と社員、アルバイトぐらいしか分けなくても問題ないが、大会社だとそうはいかない。
他にも、国と楔山の仕置き――管理区分は分けた方がいいとか、村をまたいで職分ごとに監督者となる役職を置いた方がいいと提案された。
「そういえば……」
「如何されました?」
「他の国はどうしてるんでしょうか? 這寄沼と居食い猿虎は狩りましたから、深押や止丸も、国を広げる機会を得たはずですが……やはり、開墾して国を広げるのは、厳しいですか?」
「仰る通り、村だけ作っても、送り込む民がおりませぬ」
俺には頼みの綱である三州南海東下妖域切り取り次第の許状だが、こちらの大名達にも与えられているものの、真っ正面から受け止めて使う者はいないという。
現状維持でも精一杯、明日の二膳より今日の一膳である。
作者覚え書き
※第九四話時点(大倭皇歴1484年今上7年霜月)の黒瀬国概略
三州東下 黒瀬国 人口750人
国主 従八位上 鎮護少尉 松浦黒瀬守一郎和臣
表高130石/実石高205石(米5石、雑穀200石)
畑作 760貫文(実質750貫文)
小物成 合算 500両
雑収入
魔妖戦利品換金 60両
御仁原狩人株運用 300両
総戦力
侍 上士身分 8名
侍 下士身分 22名
水主/雑兵 77名
(兎党 忍ノ者 29名)
関船1艘
小早8艘
廻船5艘
その他小船16艘
内訳
楔山(本拠) 人口130人
直接支配
雑穀40石、畑作350貫文、漁労小物成100両
飛崎村 人口100人
城代 小西公成
雑穀60石、畑作100貫文、漁労小物成50両
浜通村 人口200人
城代 帆場松邦
雑穀90石、畑作250貫文、漁労小物成150両
遠山村 人口100人
代官 瀬口道安
米5石、雑穀10石、畑作50貫文、山林小物成50両
新津村 人口200人
奉行 従八位下 氷田近次郎総隆
漁労小物成50両、廻船運上金50両
志野村 人口20人
御庭番衆志野砦支配
畑作10貫文(実高0貫文)




