7 放課後の教室で
自分の気持ちに気づいてしまってからというもの、オレはますます諸富に近寄れなくて、部活に顔を出しづらくなっていた。
しょっちゅう諸富をからかって、反応を面白がっていた自分が、小学生男子並みの行動をとっていただけだったのだ、ということにも気がついてしまった。手ひどい意地悪をしたつもりはないけれど、困り顔がかわいいからと無神経な振りをして構い倒すというのは、冷静に考えてかなりガキっぽい。
でも、ふざけてからかうような接し方の鎧がなければ、改めて、どんな顔をして諸富を見ればいいのか分からなかった。
高校生展が終わると、美術部ではすぐに、文化祭の共同製作が本格化する。二年生の主要メンバーが、夏休みのうちに自分達の油絵と並行して、ベニヤ板を並べて組み上げたボードに描く壁面画と、校門の立体装飾の構想を練ってくれている。それをもとに、九月末からは部員全員で実際の作業に取り掛かり始めるのだ。
共同製作ともなれば、部活に顔を出せば一年生と関わらざるをえない。我ながらうじうじした態度だと思ったものの、どうしても踏ん切りが付かなくて、オレはクラスの展示委員に立候補してしまった。
特進科では、一年生の終わりの春休みにグループ研究を行って、二年生の文化祭でポスター発表をするのが伝統だった。個人プレーヤーばかりで癖のある特進の面々をせっついて、研究成果をきちんとまとめさせ、生徒会に申請を出して暗幕やパーティションを借り、と、労力が多いわりにあまり感謝されもせず役得も少ない係なので、なり手がいない。押し付け合いをしていたところを買って出たものだから、とんとん拍子に話が進んで、オレは目論見通り、クラスの仕事で忙殺されることになった。
「太田。ヒザラガイの走磁性班のパネルって、今どうなってんの」
放課後、教室に残って勉強しているメンバーに尋ねると、生物部の太田はのっそりと顔をうずめていた数学の参考書から顔をあげた。
「国本が引用文献リストまとめてる。それが仕上がれば完成の予定だけど」
「結局、模造紙何枚?」
「五枚」
「マジかよ。四枚なら、今借りてるパーティションでおさまるんだけど……。生徒会もパツパツだったから、今さら追加申請、通んねえぞ」
「引用文献リスト、見なかったことにする?」
のんびりという太田に向かって、オレはへの字の口を向けた。
「冗談だろ。引用文献飛ばしたら、生物のミカちゃん、激怒だよ。オレのせいにされたんじゃたまらん」
ミカちゃんは、うちのクラスの生物の教科担任で、ヒザラガイ研究班の顧問でもあった。
「じゃあ、暗幕に直接貼っちゃうとか」
「あー、その手もあるか。裏から養生テープで補強して安全ピンで留めたらいけるかな」
「そういう実際的なところにすぐに気が行くのって小木曽らしいな。さすが美術部」
美術部であることを、こんなところで買いかぶられても困る。
「とにかく、国本に、早く出せって言っといて。オレ、今日塾だからこれ以上残れないんだ」
「え、小木曽、塾行ってんの」
きょとんとした顔で言われた。いや、受験生なんだから行くだろう。意味が解らん。
「僕、行ってないよ。時間もったいないし」
スローな言動に惑わされがちだが、天才肌の太田はクラスで一二を争う切れ者である。塾にも行かず、学年三位以内をキープしてたってことか。オレはげっそりしつつ、返事をした。
「太田、それはお前の才能だろう。こっちは凡人だから、行くしかないんだよ」
「違うよ。そんなの、僕だって凡人だよ。言っただろ、塾行ってたら、時間足りないんだよ。塾の先生のペースで講義されるだろ」
太田は自分の手元のノートをオレに示した。
「例えば、これなら一時間で、やってくれるのは二問くらいじゃないか」
その問題をのぞきこんで、オレも頭をひねった。K大の過去問題集だ。最高峰レベルに厄介な問題である。
「このクラスの問題なら、そうかも」
「わかっているところを含めて二問、四十五分使われたら、もったいない。それだけあれば、四問はできる。実際の試験でも、そのくらいのスピードで解かなきゃいけないわけだし。わからないところは、ここで勉強してる他のメンバーに聞いたりもできるし、それで無理なら、数学科準備室に行けば先生の誰かに聞けるし」
「お前、受験勉強を学校で全部まかなってるってこと?」
見れば、太田が机の上に広げていた過去問題集は、小口に進路指導室とスタンプが押してあった。最新版は無理だけれど、もう古くなったものは貸出可能なのだ。
「使えるものは何でも使わないと。うち、下にまだ三人もいるからさ、親に金がないんだよ。当然、浪人する余裕なんかないから、必死だよ」
「さすがだなあ」
ため息をついてしまった。
「小木曽も来ればいいじゃん。英語の得意な奴が足りないんだよ。数学と生物と化学は僕か国本が面倒みるからさ、英語解説、担当してよ。わかんないところを聞いたとき、手が空いたタイミングで教えてくれたらいいんだ」
「え、何これ。スカウトなの?」
オレが眉根を寄せると、当たりー、と太田はへらへら笑った。
「文化祭終わったらさ、考えてみてよ。塾のない日だけ来てる奴らもいるし」
曖昧にお茶を濁して太田に別れを告げ、塾に向かったけれど、電車に乗っている間中、オレの頭からは、堂々と落ち着いた態度で自分の勉強を語る太田の姿が離れなかった。
◇
気を付けて見ていると、放課後、教室に残って勉強しているメンバーは、曜日によって多少変動はあれど、太田と国本が中心になって、実はクラスの三分の一程度にもなることがわかった。
一年半も同じ教室で勉強していれば、誰に勉強のセンスがあって、誰が詰め込みで何とか追いついているのかは、なんとなくわかる。放課後組は、センスがあって、かつ、癖の強いメンバーがほとんどだったけれど、二、三人、詰込み型だったのに、急に成績が伸びたやつらがそこに入っていることに気がついた。
「何か、オレ、何やってるんだろうって気になっちゃったんだよな」
文化祭まであと一週間ほどに迫った秋の日、久しぶりに帰省した泰斗の前で、オレはぼやいた。
泰斗のリクエストで、オレたちは、なじみの喫茶店<トロイメライ>で、湯気の立つコーヒーを挟んで向かい合っていた。ここのコーヒーは、しばらく飲まないでいると無性に飲みたくなるのだそうだ。
「放課後の勉強会ね。うん。うちの学年でも、やってるやつらいたよ」
「兄貴のときも?」
「あれは正直、メンバーによるからなあ。俺の時はけっこうふざけちゃう人間が多かったし、医学部の問題は独自色の強いものが多いから、俺は塾にしてたけど」
「メンバーか」
「その太田ってやつ、お前に英語やらせようとしてるんだろ。かなりセンスいいな。しかも、本人も相当できるんだろ」
「うん。不動のトップスリーの一角」
オレだってそこそこ勉強はできるほうだと思って入学した。そのオレの鼻っ柱を折った一人が、スローな切れ者、太田なのだ。自分では否定していたけれど、オレは、太田は天才の一人だと思っていた。その太田が、オレの英語を見込んでくれたのは、正直、嬉しくもあった。
「じゃあ、お前の意志やペース配分さえちゃんとできれば、行けるんじゃないか。俺としてはメンバーどうこうよりそっちの方が心配だけど」
「意志やペース配分?」
「自分で計画を立てて、必要な勉強を網羅していかなくちゃいけないってことだから。モチベーションがないと無理だぞ。自分で自分の面倒を見る覚悟が必要だ」
「……うん」
「成績が伸びたやつは、自分が本気で努力するきっかけをつかんだからだ。塾を辞めてそっちに行ったからって、必ずしも成績が良くなるとは限らないんだぞ。お前次第だ」
「それはわかってる。今までのオレは、塾に行ってさえいればどうにかなるっていう甘えがあったのかも、って思っただけ」
「そもそも、これは塾だとしても一緒なんだけど、俺は一度、お前に聞きたいと思ってたことがあるんだ」
泰斗は真剣な顔でオレの目をまっすぐに見た。
「お前、本当に医学部受験でいいのか」















