表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
92/96

What a small world

 

 椅子の上に臥しているライラは寝ている訳では無いらしい。時折か細い声で呻き、トネリコを呼んでいた。あんな格好でも、やはり信頼出来る医者なのだろう。強引なところと言い、あの体育教師に似ているのは否めないが。


 その時、奥の扉がギシと開いた。褐色の肌をした大男が身を屈めながら現れる。流石にもう上裸では無かった。襟付きのシャツを……素肌の上に着ている。ボタンを全て外した状態で。やはり前は閉じないのが流儀らしい。



「おまっとさん。あの男は助かるわ」



 白い歯を見せ、ニッと笑う。岸野の処置が終わったらしい。数日もすれば目覚めるのだと言った。良かった。本当に、良かった。

 外はもう既に夕刻になりつつあった。ステンドグラスからはトネリコの髪とおなじ、朱色の光が差し込んでいる。途中、イザベルがパンを持ってきてくれたのだが、ライラは食欲が無いらしく寝たフリをしていた。かく言う俺も、そのパンを食べた後はすることも無く少しうたた寝をしたり、日本にいるであろうミュートロギアの面々──とりわけ、姉貴やこだまの事を思い出していた。



「あれ、ライラ寝とるん?」



 暫くキョロキョロしていたトネリコはやっとライラの姿を認めたらしく、素っ頓狂な声を上げた。



「頭が痛いみたいで。トネリコさんを待ってたんです」


「そうか。一緒に居ってくれたんやな、おおきに」



 相変わらずの人懐こそうな笑顔を見せ、彼はライラの枕元へ向かった。彼女はほんの少し首を擡げ、トネリコを見上げる。起きんでええで、と囁いた。白い髪を二、三度撫でた後、その手を頭部にかざす。



「こりゃ痛かったなぁ。すまんな、すぐに診てやれんへんで」


「それ、異能ですか」


「せや。『痛覚緩和(アナセスティック)』言うてな」



 傍らで痛がる様子をずっと見てきたが、漸く彼女の顔付きが穏やかになった。医者になれと言わんばかりの異能だな。

 トネリコもその表情をみて微笑んだ。そして、ふと辺りを見渡す。教会の中はかなり薄暗くなり始めていた。それを見計らったようにランプが灯る。丘から見下ろした限りではかなり寂しい場所だったが、電気は通っているらしい。



「あの灰色何処行った?」



 灰色……善治の事だろうか。そう言えば、彼は一度も戻って来ていない。岸野に会えるようになったら呼べと言われていたものの、知らない土地をどう探せと言うのか。もしかして、すぐ近くにいるのか?

 俺が首を傾げると、トネリコは肩を竦めてみせた。やっと身体を起こせるまでに回復したライラも「さあね」と素っ気なく言い放つ。なかなかこの溝は埋まらないんだろうなぁ、とどっち付かずの俺は苦笑するしかない。



「まぁ、ほっといたら勝手に戻って来よるやろ。それより、ちょっとビックリなことがあるんやけど」



 ほう、ビックリなこと……もう既に色々驚愕しっぱなしだから今更驚く事って有るのだろうか。ミュートロギアに匿われて以来、相当神経は図太くなっている筈だ。大胆にも前振りでハードルを上げてかかったトネリコは妙にハイテンションだけど。



「あの医者やねんけど、あれ、レンの師匠やわ」



 オレと大学の同期やって話はしたやんな、あれしてへんけ? などと顔を覗き込んでくる。自分の事ではないのに何処か自慢げな、満足気な笑顔。トネリコの話は薄らと聞いたような気もするが……世間は狭い、とはこの事か。むしろ俺はレンもどうしているのかな、などと思いを巡らせた。

 だが、期待していた反応とは違っていたらしくトネリコが萎れた。さっきまでにこやかに細めていた筈の視線が冷たい。感情表現の忙しい人だ。



「そんな顔しないでくださいよ」


「いや、だってこんなにビックリしてるんオレだけやと思ったら何かなぁ……」


「トネリコさんはその人に教わってなかったんですか」



 俺の問いに、彼は更に変な顔をした。まるで、的外れな事を言っているように。落胆と歯痒さを同居させた顔を大きな手で覆い隠す。そしてその中で「ちゃうって、ちゃうねんなんでそうなるかな」等とボヤいている。ライラをチラと見ると、彼女もまた呆れたように半目で見あげていた。俺の視線に気づいたのか、いつもの事だから、と漏らす。

 ガバアッ、と手を取り払い詰め寄ってきた彼は肩をがっちりと掴んだ。近い近い近い! 何でこんなに興奮してるんだよ。そんなに親しい仲でもないのに、フレンドリー過ぎるというか、悪く言えば図々しいと言うべきか……。



「察しが悪過ぎるで……! せやから、あの人は」



 その時、再び奥の扉が開いた。一瞬イザベルの白い整った顔が見えたが彼女は入室せず、別の男が入ってきた。

 あのフード男だ。俺に詰め寄るトネリコを一瞥し、確かな足取りでこちらへ近付いてくる。ランプと柱の影になって顔が見えなかったが、だんだん明瞭になってきた。

 彫りの深い、野性的な顔立ち。頬に落ちる影は彼の長髪の所為だ。顎に長めの髭を蓄え、更にエキゾチックな印象を植え付けるような髪飾りをしている。歳は五十代位だろうか。

 鋭い眼光で俺達一人ひとりを眺め回していく。遂に、俺達が腰掛ける長椅子まで辿り着いた。思っていたよりも大柄だ。



「この坊主か」



 俺達を見下ろすや否や、トネリコに問うた。低く、太い声。視線はずっと俺に向いていた。蹲踞し、更に目線を合わせてくる。獲物を狙う、チーターの様な目。緊張がさらに高まる。

挿絵(By みてみん)

 トネリコが頷いた。何だよ、俺が何かしたのだろうか。鼓動が早くなる。

 浮浪者のような出で立ちの彼は徐ろにその手を俺の腹部へと伸ばしてきた。身構えるが、彼の方が早い。



「あぁ、確かにあの馬鹿弟子のだな」



 彼は俺の服の裾をペラリと捲っただけだった。本気でビビる俺を静観する。楽にしてろ、と安定感のあるバスボイスを響かせた。至近距離の彼からは、どこか懐かしいハーブの混ざった煙草の香りがする。



「二人共、息災か」


「え、えっと……」


「俺の話をしていたんだろう」



 二人共ってどういう事だ。トネリコから師匠だと聞いたが、もう一人は誰の事を言っているんだ。



「だ、大学の教授をされてたんですよね」


「何言ってんだこいつ。これがそう言ったのか?」



 親指を立ててトネリコを差しつつ口を歪めた。俺はもう緊張と恐怖で首をカクカクと縦に振る他無い。しかし、トネリコは横に振る。



「伝書鳩未満だな」



 そう吐き捨てると、彼は向かいの椅子にドカッと腰掛けた。そして、ズボンのポケットを探り始める。どうもギクシャクとした空気である上、なかなか探し物が見つからないらしく舌打ちをする。名前すらも聞いていないが、恐ろしいと思うのとは裏腹に、妙な親近感がある。既視感、と言うべきだろうか。

 カチ、と音がして注視するとライターを手にしていた。さらに、薄汚れた箱から取り出したのは黒い巻紙の煙草。カサついた唇に挟み、先を炙る。

 それでハッとした。銀色の長髪の彼が重なる。そうなってからは、この男の口調や仕草なども共通項として刻まれていく。



「どう云う、関係ですか」



 恐る恐る訊ねてみた。まさか、父親とか……いや、でも瞳の色がまるで違う。オルガナはなんとも言えないが、レンはこの世に二つとないような神秘的な目をしている。それに対してこの男は黒い。見た目的に似ている要素といえば、長く伸ばした髪だけ。



「別に、大した関係じゃない。ただ、ガキだった彼奴らを拾ってやっただけだ」



 さしずめ双子の育ての親、という事か。ふと、コリンやアニタの姿が脳裏に浮かぶ。今の二人を見る限りそうは見えない──寧ろずっとミュートロギアに居たと思っていたが、実際はあの中に居たのだろうか。気にならないといえば嘘になる。

 それで、と彼は続けた。



「お前と風穴開いた男はミュートロギア、そしてお前らがネメシスの残党。これはどういう事か、説明してくれるんだな?」



 もう、レンとオルガナの話は終わりらしい。

 ライラを見遣るが、彼女はトネリコを見ていた。彼に委ねる積りらしい。



「それが条件やから言うけど、それ以上の事は保証出来へん。それでええですか」



 その意を汲んだか、トネリコが男に対峙する。だが、男は彼の案ずる様な言い様に不快感を示した。長い脚を組み換え、神の前だと云うのに灰をそのまま床へ落とした。



「闇医者を舐めてもらっちゃ困る。干渉するか否かは時と場合に依りけり(ケースバイケース)だが」



 彼の意図が読めないのは俺だけじゃない、トネリコも同じ。彼はそれを聞いて如何にするのか。殊によると俺達に味方してくれる様な雰囲気でもある。レンやオルガナの知り合い、という繋がりだろうか。



「しゃあない。約束やもんな……分かることは話します。満足のいく説明になるかどうかは知らんけど」


「構わない」



 そして、トネリコは語り始めた。ネメシスに起こった事を中心に、UNAの横行等──話し終える頃にはすっかり日が暮れ、俺達を照らすのは所々に散りばめられたランプだけになっていた。

 そして男の二本目の煙草が今、踵で剃り消される。特に驚く事も、熱心に聞き入る素振りも無く耳を傾けていた。



「成程。で、お前らだけ逃げ出したか」


「ほんまはもう一人居ったんやけど、臍曲げて出て行ってしもたらしくて……」


「そうらしいな。白いコートの男だろ」



 ぷか、と煙を吐いた彼はその行先を目で追っていた。天窓に届くこと無く掻き消える。あの短時間に特徴は確認済み……という事か。抜け目ないな。まぁ、少し目立つ出で立ちだからかも知れないが。



「この辺、上から見た感じやとなんか寂れてるっちゅうか、ぶっちゃけ治安良さそうやないですけど」



 腕を組むトネリコは何気に善治の事を案じているらしい。見知らぬ土地に加え、外の暗闇。幾ら銀狼会(ヤクザ)だとしても一人では心許無いだろう。心配してもそれ跳ね除けるんだろうけど。

 彼の漏らした言葉に、男は虚空を見上げた。名工が仕上げたような顔に出来る陰影が妙に艶かしい。



「そうだな。あまり良くない……特に、()()()にとっては」


「なっ……」



 ライラが身構えたが、時すでに遅し。

 俺達三人の体は宙に浮き、空間に貼り付けられたように身動きが取れなくなる。持ち上げられたとか、そういう感覚もない。只々、身体が地を離れている。今彼が発した()は紛れもない。殺気だ。

 男が立ち上がった。もしこのままの位置で自由が効けばその頭を蹴り飛ばせるくらいにまで上昇させられたが其れも叶わない。さらに、祭壇に向かっていた身体を後方の大扉側に向けられた。



「強力な観念動力テレキネシス……!」



 ライラが口惜しそうに唸ったが、飄々とした彼はほくそ笑むだけだった。彼が豹変したのは一瞬の出来事。それ迄はただ静聴していたのに……!



「だから、闇医者を舐めるなと言ったんだ。少し前に番犬が不審な野郎を捕まえたらしい」



 煙草を咥えたまま、再び俺達に向かい合って座った。まさか、此奴には仲間がいるのか? 長い髪を妖艶に掻き上げた彼は無造作に手を掲げ、パチン、と指を鳴らした。広い講堂に硬い音が響く。

 すると、正面の大扉が勢いよく開け放たれた。蝶番が悲痛な叫びを上げ、ゾロゾロと雪崩込む人影。ざっと数えただけで十人と少し。見たこのとない顔ばかりだった。



「Hey ドクター。コイツどうする」



 カタコトの日本語が聞こえたが、全員が口元を隠しているためどの人物の発言か分からない。

 いや、その中に見知った髪色を見つける。アッシュグレーの長めの髪をざっくり切った糸目の男。耳元で何かがキラリと光る。確か彼はピアスをつけていた。それが突然、重く固い音とともに地面を滑った。巻き上がる砂埃。



「善治さん……?」



 投げ捨てられた彼はフラ、とよろめきながら立つ。白かったコートは誰の物とも分からない暗赤色に染め上げられ、無数の切り傷が残っている。自分の名を呼ぶ声が聞こえたのか、若干振り向いた。頬が赤く腫れ上がり、額や口角から血を流している。



「何しとんねん! はよ下ろせ!」



 その怪我を見たトネリコが激昂した。だが、向き合う彼は終始薄ら笑いを浮かべ、善治を見向きもしない。



「誰に向かって指図しているんだ、若造。まさか、お前やその坊主がレンの知り合いだからって何か融通を利かすとでも思ったか」



 突き放す言葉は、初めて会った時のレンに良く似ていた。善治は血を吐き捨てた。よく見れば、その集団は鉄パイプや金属バット、バタフライナイフなどを持っている。

 幾ら彼が泣く子も黙る銀狼会の一味だとしても、あれだけの人数に囲まれればただの一方的な暴力だ……!



「生憎、此処にはお前らのようなのを匿う余裕は無い。あったとしても、ただの危険因子(リスク)だ。日が昇る迄に去ると約束すれば止めさせてもいい」



 不敵な笑みで顔を歪めたその男。背後では善治がどうにか立っている状況だった。

 彼の言う事は尤もだ。相手は国家を超越した世界組織。この地球上にいる限り、見つからない保証はない。だけど、もしイエスを提示して、本当に素直に止めさせるだろうか。それすらも信用ならない。



「あの男はどうするつもり? 眠っている彼も連れていけと言うの」



 感情の起伏が分かりにくいが、ライラも言葉に抑え難い情を含めている。そうだ、従えば岸野はどうなる。彼が居なければ、俺はミュートロギアにも戻れない。だが、男は俺達の心配を嘲笑った。タバコを挟んだ手で頭を搔く。



「東京湾からサンディエゴまで飛んだんだろ? そんな逸材なら、置いてやっても損は無い」


「冗談やおまへん……あの人は絶対にどんな族の手にも、もう渡しまへん」



 目の色を変え男に掴みかかろうとした善治だったが、男達に取り押さえられた。さらに、黒人風の男にトンファーで腹部を殴り飛ばされた。鈍い音。思わず目を瞑ってしまう。集団の足元に転がった彼を汚く嗤う声。此奴らは何者だ。ギャングか?



「後腐れ無い方が良いなら、此処で全員始末を付けてもいい。あの男には、お前を置いて逃げたとでも言っておいてやる」



 冗談じゃない。共通の知り合いが居ると若干安心していたのは俺の落ち度かも知れないが、ここまで掌を返すとは。足元に影は沢山あるが、空中にはない。ライラももどかしそうに唇を噛んでいる。

 血塗れの善治はそれでも尚立ち上がった。血みどろの口を引き攣らせ、肩で息をする。



「散らせるもんなら、散らしてみぃ……お前はんらは、黙っとれよ」


「そうか。なら、此奴らにイエスと言わせる為の犠牲になってもらおうか」



 善治の宣戦布告。そんな身体でどうするつもりだ!

 トネリコも「限界や止めとけ!」と声を張っているが、彼は聞き入れる様子がない。袖の中からナイフを取り出した。

 その視線の先には背を向ける長髪。



Go your w(好きにし)ay()



 地を震わせるような、低音。大きな浅黒い手をひらひらと振るのを合図に、集団が善治を囲んだ。

 彼らは日本語では無い言語を口にしている。そしてそれに紛れるように聴こえてくるのは、何かが折れるような音、くぐもった重低音、呻き声、金属の擦れる高い音……カランカラン、とその塊の中からナイフが投げ出される。ヤンキー共のリンチどころじゃない。何せ、取り囲むのは見た目だけを凶暴にしたチワワ集団ではなく、中には俺の二倍ほどの肩幅を持った岩のような奴もいる。

 死ぬぞ……!



Strip th(服を脱)e clothing(がそうぜ)



 辛うじて俺にも聞き取れた言葉。周囲もそれに賛同したのか、下品な高笑いを始めた。神の前だと云うのに、お構い無しか。


 そして一層傷付いた彼を放り出し、ダガーナイフを持った白い肌の男が服を切り裂き始めた。抵抗しようとすれば、ドレッドヘアの黒い男がそれを蹴って阻止する。白い肌には切傷や擦り傷、赤黒くなり始めた打撲痕。それが嫌でも目に飛び込んでくる。

 上半身の守りを取り払われた善治の背や腕、腹には岸野と同じ蔦の模様が刻まれていた。

 恥じているのか諦めているのか分からないが、善治は目を細めたままだ。無理やり引き起こされ、二人の男に両腕を掴まれる。

 その引き締まり割れた腹部にドレッドヘアの膝がめり込んだ。苦悶の表情に、目を覆いたくなる。だが、空間に磔になっている今はそれすらも出来ない。



Shut Up(まじかよ)!」



 剥ぎ取ったコートを漁っていた一人が声を上げた。内ポケットから出てきたのは、袋に入った何か。それなりに大きい。

 彼は何を持っていたんだ?

 善治は「触んな!」と叫ぶが聞き入れられるはずもなく、今度は岩男のボディーブローをまともに食らう。

 中身を取り出すことなく、その男はしゃしゃり出てきた金髪に手渡した。コイツらのリーダー格らしい。青い目で中を見ると、手を突っ込んだ。



「あれ……!」



 黒いボディの大型拳銃。いつぶりに見るだろうか。でもそれは確かに、彼のものだ。



「Desert Eagle...?」



 小柄な金髪男も興味津々らしい。さらに、男は懐から見知らぬ回転式拳銃(リボルバー)を引き抜いた。その特徴的な銀色のメタルボディは確か、S&WのM686とか言う名称だった気がする。

 何でD.E.持ってたのに使わないんだよ! 彼はもう、意識が飛ばないように耐えるしか出来ないらしい。弄ばれる漆黒の拳銃を睨みつける。彼の黒いブーツの先にに血溜まりができていた。口で息をする度に、赤黒い唾液が滴る。



「What's wrong?」



 目の前で黒の煙草を吸う男が背後に訊ねた。だが、彼はそれに答えず手元と善治を交互に見比べている。青い瞳が動揺しているように震えていた。



「Mitsuru Kishino...?」



 え?

 今、彼は何と。何と言った?

 耳を疑っているのは俺だけでは無い。視界の端ににいるトネリコもまた眉を顰めた。

 最後の力を振り絞ろうとした善治の頬に木の幹ほどの腕が迫る。だが、それを止めたのは金髪男だった。



「Back off!」



 小柄だが、腕っ節はあるらしい。右フックを受け止め、割って入る。



Are you(あんた) Mitsuru(ミツル・) Kishino(キシノか)?」



 今度こそ、ハッキリと聞き取れた。何故彼がその名を知っているのかは計り知れない。

 彼の問いが聞こえなかったのか、故意になのか……善治は無言を貫いた。金髪が浅い息をする彼を眺め回す。リーダー格の男の態度の変化に、周囲もざわつき始めた。善治の刺青をマジマジと見つめ、伝播する様に数名の顔付きが変わっていく。



「Kneel down...!」



 そして彼らは、突然跪いた。

 ぎこちないが土下座をして居る者もいる。えーと、何がどうなった?

 善治の両腕を抱えた二人を除き、全員が平伏している。俺やトネリコ、ライラは呆然とした。レンの師である男もまた、煙草の灰を落とすのも忘れてそれを見入っていた。だが、威嚇する様に音を立てて立ち上がる。



「Jonathan!」



 声を荒げるが、リーダー格の金髪男もその傍らのドレッドヘアも面を上げない。



「ちゃう……ワテなんかが若旦那やない」



 消え入りそうな声は、善治のものだった。いやいや、何でそれに拘るんだよ、善治! 自分の状況が分かってないのか? だが言葉が伝わらなかったのか、地面に額を擦り付けたままの男達。



「Don't be deceived by smooth-talker! He is...」


He saved m(彼は俺)y...no, o(達の命)ur lives. (の恩人。)So,I've b(だから)een l(ずっと)ooking f(探して)or him(いた)



 完全に彼を岸野だと思っている彼らの意思は揺るがない。これ、バレたらどうなるんだろう……と一抹の不安が残るが、苛立つ黒髪の医者は埒が明かないと諦めた様だ。煙草を吐き捨て雑に踏みつける。



「勝手にしろ」



 その途端、糸が切れた様に俺達の体は埃と砂だらけの床に落下した。咄嗟に受け身が取れたのはミュートロギアで鍛えられたお陰だろう。但し痛いものは痛い。地面の感覚を確かめる様にゆっくりと立ち上がる。ライラの小さな身体を抱えたトネリコは盛大に腰を打っていたが、丈夫に出来ているらしく服の埃を払いながら身体を起こした。

 眉間に深い溝を掘った彼は足早に去っていく。それを見届け、トネリコが早速動いた。



退()け!」



 平伏する彼等を蹴散らす勢いで善治に駆け寄る。彼の剣幕に(おのの)いたのか、蜘蛛の子を散らすように道を開けた。俺達もそれに続く。彼等は俺やライラが岸野──だと彼等は思い込んでいる──の仲間だと認識しているらしく手は出してこなかった。



「おい! 大丈夫か!」


「ワテは……御役目を果たしただけや。充はんを、守るっちゅう……」


「もおええ、解ったから喋んな」



 ズタボロになった善治を抱えたトネリコ。服や手があっという間に赤く染まる。手が空いた二人の男もまた、地面に頭を擦り付ける。土下座って世界共通なんだろうか。



「これくらい……なんともありまへん。それより、充はんは……」


「命に別状はない。せやからもう喋らんでええ」



 酷い怪我なのに、それを聞いた善治は血だらけの顔に笑みを浮かべていた。腹を撃ち抜かれ、海を漂流しても尚一命を取り留めた岸野も、コレだけやられて意識がある善治も……本当に同じ人間なのかと思うくらいに頑丈(タフ)らしい。


 トネリコは俺を呼び、二人がかりで彼を担ぎあげて長椅子に寝かせた。そして、シャツを脱ぎ、引き裂いた。特に出血が酷い側頭部にそれを宛てがう。ちょっと手伝え、とトネリコに言われ、その役目を交代した。生暖かい感触がすぐにせり上がってくる。近くで見れば見るほど彼らにやられた傷が生々しかった。腕には凍傷や火傷がある。金色のピアスも血がこびりついていた。それでも彼は唇を動かしていた。陶酔したような表情(かお)で。



「流石、充はんや。あの人の仁徳は、本物(ホンモン)や。若旦那に相応しい漢は他におりま……」



 その時、咳き込んだ彼が血を吐いた。俺のジーンズが赤黒く染まる。やばいって……!



「善……岸野さん!」


「だから喋んな言うとるやろ!」



 他の傷を診ていたトネリコが怒鳴ったのに驚いたのか、土下座の男達数名がこっちを向いた。彼はそれを一瞥し、戸惑うライラを呼んだ。俺は危うく善治と呼びそうになったが、聞かれていなかったようだ。



「すまんけど、コイツらに湯とかガーゼとか用意する様に言うてくれへんか。多分、オレの英語は訛りキツ過ぎて伝わらん気がする」


「分かった」



 そしてライラは流暢な発音で彼等に語りかけ始めた。彼女の白髪や赤い瞳に驚いているのか目が泳いでいるが、素直にそれを聞いているようだ。すぐさま数名が飛び出していく。

 手元に目を戻すと、布地は完全に赤一色になっていた。さらに、ぽたぽたと受け止めきれない血液が俺の腕を伝い、地面に落ち始めている。



「ツカッテクダサイ」



 突然影になった手元。斜め上からの声。顔を上げると、あのリーダー格の金髪男がライダージャケットのポケットからハンカチを差し出していた。ハンカチと言っても、形がそうなっているだけでただの布切れに過ぎない。

 だが、これが彼の精一杯なのだろう。ありがとう、とそれを受け取る。近くで見ると、彼は俺とそう歳が変わらないように見えた。



「ゴメンナサイ」



 彼はカタコトの日本語でそう呟いた。声が震えている。こんなつもりじゃなかったのに、と言いたげな瞳が潤んでいる。



「本城暁人、やったな。此奴に言うたれ……ワテは、充はんとちゃうと」


「まだ言ってるんですか! 此処はそういう事にしましょうよ。幸い言葉は通じないみたいですし、岸野さんじゃない事は後から本物に会わせるなりすれば……」


「そないな不敬、出来る筈あらへんやろ。ワテは唯の付き人や。それに充はんをこないな族に会わせるんは以ての外や」



 なんて頑固な人なんだ。これが彼等の文化や決まり事なのかもしれないが、生命が懸かってるんだぞ。日本語が通じていないから良いものを。青い目の彼の熱い視線は善治の顔に穴が開くほどだ。まさか、本物じゃないってバレてるのか? 顔に傷がある事を知ってたとしたら一貫の終わりだ。



「イミ分かる」


「ほら俺が言わなくても分かるみたいだから、もう楽に……え?」


「話す苦手。聞くワカル」



 戦慄した。この目は、ハッタリじゃない。

 彼が遂にその顔の全貌を見せた。ネックウォーマーの下に隠れていた頬の傷に目が行く。Yの字の妙な傷痕だ。さっきの見立て通り、青年と言うべき年頃。鼻筋の通った、白人らしい顔立ちだった。



「ギンロウカイ、ミツルキシノ、二人イル」


「二人?」


「カゲムシャ」



 影武者……?

 善治に目を遣ると、彼もまた驚いた顔をしていた。



「ようそこまで調べたな……せやのに、何で見逃すんや」


「オレイ言う、ナカマナリタイ、デシシテホシイ」



 彼の鋭い視線は、懐疑するそれでは無かった。

 D.E.とM686を恭しく差し出し、頭を垂れる。特に、M686のグリップは俺たちの方を向き、銃口は彼の額に向いていた。



Forgiv(許すか殺すか)e or kill(好きにしてくれ)


「お前はん、名前は」


Jonathan(ジョナサン).K.Frederick(フレデリック). Please c(ネイサン)all me N(と呼んで)athan(くれ)




■和訳コーナー

※直訳とは異なる場合がございます


What's wrong?

どうした?


Back off!

下がってろ!


Kneel down...!

お前ら……跪け!


Don't be deceived by smooth-talker! He is...

戯れ言に付き合うな! 奴は……



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ