機械の腕
「おい、セギっ! 今まで何してた!」
コンクリートが剥き出したままの廃屋の中、銀髪の医者、レンはやっと彼の姿が映った画面に向かって叱責する。だが、彼もまた切羽詰まった表情をしているのに気づいて冷静さを取り戻した。セギの深緑色の瞳が明らかに動揺している。
「やばいよ、レン。こっちでも鬼が出現したんだよ……! B隊を準備させてたんだけど転送者がいなくて……。それに、暁人くんの行方がわからなくなった」
「は?」
「しかも鬼の発生源は不明で、どうも天雨美姫関連では無さそうなんだよね」
レンの思考回路は今の状況を比較的冷静に分析し始めるが、それでもその裏にある真相に届けずにいる。だが、確実なのは此処にあの青年が来れないということ。それだけでも充分だった。
───“退避”これを決断する材料にはなる。急いでメルデスのインカムに連絡を入れようとした。まだ今すぐに退避すると決まった訳じゃない。他の隊員には聞こえないように彼のものにだけ周波数を合わせた。だが、備え付けの設備は相当古く、手間取ってしまう。焦れば焦るほど上手くいかなかった。
「メルデス、俺だ。レンだ。聞こえるか?」
「……」
彼からの応答がない。まさか戦闘中に倒れたのだろうか。いや、それならばすぐ此処に運ばれる筈。岸野が動けない可能性も否定出来ないが、だからといって何も応答がないのは変だ。周波数が間違っていたのかもしれない、そう思い直した彼は他の周波数を試してみる。
「おい、誰か聞こえるか」
【……私、だ】
呼びかけに答えたのは女の声。聞き慣れた双子の妹の声。遺伝子レベルで近しい彼は、その声がいつもと様子が違うのにいち早く気づいた。
「メルデスに繋がらないんだが、お前のところからは見えるか?」
レンが問い掛けると、オルガナは沈黙してしまった。だが、向こうのマイクは通話中のまま。砂嵐のようなノイズと息遣いが廃屋の中に響く。レンは生唾を飲んだ。合理主義のオルガナがわざわざ返答を躊躇ったりなどはしない。なにより、彼女の声が明らかに動揺しているとさえ彼は感じたのだ。悪い予感しかしないのだ。
そして、数秒が経って漸く彼女が重い口を開いた。
それを待っていたのはほんの十秒程度だった筈だが、その先にあるものを想像するあまり、レンには酷く長く感じられた。
【メルデスが──】
その言葉を聞いた瞬間、彼は駆け出していた。画面の向こうで驚愕するセギを放置して。
□◆□
日が傾き始めた枯れ野を駆ける女が居た。冷静に周囲を見渡しつつ自らを有利な方向へ導かんとする。それに続くのは、虚ろな目の人々。彼女が立ち止まった。振り返り大きく手をかざす。
「よいしょっと!」
すると、枯れ果てた大地から若い緑の芽が生え、それらはどんどんと伸びる。追ってきた者共がそれに足を取られ、また、行く手を阻まれた。生茂る草のつるが彼らに覆いかぶさる。まるで、その者達を捕らえる監獄のように。それを見届けた彼女は新たな一手に出た。
手元で空気を掴むようなイメージを作る。そして、圧縮したものを一気に解放した。すると、どうしたことだろう。草の監獄に火が放たれた。一連の動作を一人でやってのけたこの女はふぅ……と一つ溜息をついた。だが、安息している暇はない。次なる敵は続々と現れる。
「くっそぉ……どれだけの人間を鬼にしたのよッ。これじゃ私でも埒が明かないわ!」
【では、いっそ、焼け野原、にでも、したら、どうだ】
彼女はインカムの向こう側の声にピクリと眉を動かした。チャンスと思われたのか、彼女を狙って投擲された斧が迫る。だが、彼女はそこから一歩も動かない。それなりの速度と重量を持って放たれたそれは、彼女の手前で風に弾かれる。彼女が腕を振り下ろすと、視界の端にいた敵の脳天に雷撃が走った。その男は砂となって消え去る。矢継ぎ早に今度は真っ赤な炎華が彼女を襲う。だが、やはりそこから動かない。炎は彼女に衝突する寸前でジュッと言う音を立て、白煙と共に消失する。
「馬鹿なこと言わないで。生態系に負荷がかかるような力の使い方はしないわ」
【甘い、な。姉が、これだから、弟まで……】
「文句は受け付けないわッ! うちのアキトに何か恨みでもあるの?」
【オイ、てめぇら……無線で喧嘩してんじゃねェぞ。丸聞こえだっての。それより夕妃、今すぐ合流だ。思ったより元異能の敵の数が多い。分散するよりも一気に纏めて始末した方がいい】
再燃しそうだった夕妃とオルガナの口論に割って入ったのは岸野だった。岸野のD.E.の発砲音とも思われる銃声が混ざって聞こえる所から推察するに、あちらも相当激しい戦闘になっている。
「今すぐ行くわ。追っ手が多いから少し時間かかるけどそれまで耐えて」
単独行動の夕妃はできるだけ追っ手を砂に変えながら岸野たちの元へ向かい始める。『自然掌握』の本城夕妃。彼女のその力は、自然界のありとあらゆるものを操る力。大抵の能力者は『炎』『雷』など、特定の分野にのみ特化している事が殆どだが彼女は違う。彼女が命じれば気流が彼女を守り、彼女が命じれば大地は隆起して敵を阻む。
向かうところ敵無しと思われる彼女だが、彼女は敢えてその異能を過剰に行使しない。
「まぁ……オルガナの言うこともあながち間違っていないのかもね。だって、姉弟だもの」
世界を救う力を持てど、ミュートロギアへの協力を拒む弟。今となっては唯一の肉親。少し笑みを浮かべた彼女は冷たい風をきって走る。目指すは仲間の元。Sランクという、この世の中では不利益な肩書きを得て生まれてきてしまった彼女に居場所をくれたのは、紛れもなく彼だった。そんな彼や、彼の仲間の力になる為に。本城夕妃は地を力強く蹴り出した。
□◆□
「もう一度、行くよッ……!」
彼の足元に出現する輝く翡翠色の魔法陣。同じく輝く翠色の目がカッと見開かれ、同様に輝き出す。彼を中心に同心円状に広がった光に当たった敵は身動きが取れなくなった。彼の拳が握られる。
「浄化は……出来たか」
砂になり散り行く敵。その中には味方と思しき影もあったがそれすらも霧散する。闘いに犠牲は付き物。彼らは十分にそれを承知した上でこの男に命を預けたのだ。元々五十名居た精鋭は今や三十名と少し。はっきり言って劣勢だ。
杖の支えが無くては立てない身体であっても彼は戦い続ける。銀色の銃身が特徴の回転式拳銃で荒い息を整える間応戦する彼。この銃の略称はSAA。またの名を“ピースメーカー”と言う。彼の手にすっかり馴染んだそれは彼の想いの表れでもあった。
「ゲホッ……」
「オイ大丈夫か、メルデス。今夕妃を呼び戻したからもう少し耐えろ」
咳き込むと同時に膝をついた彼の元にすぐさま駆けつけたのはガラの悪い大男。岸野充は片手でD.E.を行使しつつメルデスに腕を貸す。彼の鬼に対する力の行使回数は先程のを含めて三回。これ以上は厳しい、岸野は直感した。
「すまない……。レンから連絡は?」
「まだだ。セギの野郎、アキトも含めて何してやがる」
彼は忌々しく小高い丘の上を睨みつけた。そこにはプロレスラーだと言われても頷いてしまいそうな巨漢と、フードを目深に被らされた女のシルエット。あの男さえ止めれば……。たが、どれだけ戦闘能力が高くともそれは叶わない。皆わかっている事だ。だから皆、生命を削りながらあの青年を待っている。
「……岸野、これ以上待てないよ。これじゃ味方の被害が増えるだけだ」
「じゃあ、あのお姫さんを諦めんのか?」
苦しそうなメルデスの言葉に堪らず聞き返す岸野。ここまで来て諦めてスゴスゴと帰るなんて、彼の中では有り得なかった。だが、すぐにその解釈は間違いだったとわかる。
「いや、強行策だよ。夕妃にここを任せて僕と君で接近してクレイス姫だけ奪還する。その後はここから全員一気に退散する。危険は承知さ……でも……やるしかない」
メルデスは力強くそう言って岸野を見た。触れれば切れてしまいそうな双眸を更に細めた彼だったが、眼鏡の奥に灯る強い意志を跳ね返すことはできなかったらしい。観念したように「あぁ」と返事をした。
【本城 夕妃が、すぐ、そこに、来て、いる。先程の、話は、聞いた。やむを、得ない、だろうな。援護、する】
インカムからの声に反応して見ると、左前方に夕妃の姿が近づくのが確認出来た。覚悟を決めたようにメルデスが頷いた。彼らの視界が反転し、男の隣に立ち竦んでいる華奢な姿の背後に出現する。数秒遅れて巨漢が振り向くが、岸野のD.E.が先に火を吹いた。早打ちには向かない大型拳銃。牛さえも一発で仕留め得るその弾丸は男の頭蓋に赤黒い穴を穿つ。先程は遠方からだったが、この距離ならばその顔がはっきりと見える。写真で見た男の顔に間違いない。岸野は微妙な違和感を覚えつつも確実に仕留めた感触に一先ず安心した。
「クレイス姫ッ! 今のうちに……」
響き渡った一発の銃声。
岸野は自らが放った一発が遅れて聞こえたのかと思った。だが、そんな筈無い。決して大きな音ではないのに、ぐわんぐわんと彼の耳の奥で反響する。目の前の光景が信じられなかった。大抵の事には動じない岸野ですら、動きが止まる。インカムの奥でもオルガナが息を呑む音が聞こえた。
膝を折ったのは、金髪の男。いつもと同じ、黒いスーツに黒いネクタイの彼は握っていた杖さえも手放してしまう。スーツの内側に着た白いシャツ、それが左胸辺りから赤く染まり始めた。枯れ草の上に四肢をだらりと下げて横たわる。
「メルデス……ッ? 野郎ッ!」
D.E.がその華奢な彼女に照準を合わせる。フードの隙間からはみ出した金色の髪がふわりと風に舞った。
咄嗟に銃を突きつけたものの、岸野はどうして良いか分からなかった。相手は始祖の鬼の心臓を有する村の長の娘、クレイス=エストラ。撃ち殺す訳にもいかな……
(いや、待て……違う……!)
恐る恐る、彼は先程脳天を貫いて殺したつもりでいた男の方を見る。すると、彼は砂に変わっていた。風に流されて何処かへと飛んでいく。そんな筈は、無い。何故なら、岸野は鬼に対抗する力を有さない。なのに、あの男を始末出来るはずが無い。
背筋を嫌な汗がどっと流れた。今まで何度も修羅場を潜ってきた彼だが、ここまでの恐怖を感じた事は無かった。D.E.を握る手が震える。
「迂闊だった……君はクレイスじゃ、無いね」
さらに岸野はギョっとした。左胸を貫かれてもなおメルデスがふらりと上体を起こしたのだ。杖は手放した彼だが、“ピースメーカー”は未だ彼の手中で輝きを放っている。生きている。生きて、目の前の人物に話しかけている。岸野はその光景を信じられずにいる。激しく口の中が乾く感覚に襲われた。
クレイスでは無いとすれば、この人物は……果たして誰なのか。
「ねぇ、そうだろ」
メルデスは声を絞り出す。視線はその人物を正面から見つめ、逸れることは無い。そして彼は、その名を口にした。
「──バリッサ」
バリッサ……彼は確かにそう呼んだ。
女は薄気味悪い声を漏らした。そして、彼女はフードをはらりと脱ぎ捨てる。金色の髪、白い肌。一見、欧米の女優だと言われても頷けるその端麗な容姿。ローブの内側で凸凹のはっきりとした美しい曲線を描く身体を包むのは所々が破れほつれたドレス。そして、デザインなのだろうか。胸元を蜘蛛の巣のような柄のレースが覆っていた。
彼女の姿は岸野も見たことがある。全て覚えている。あの青年と共に崖の先まで追い詰めた末に、本城暁人が腕を斬り、彼が白波打ち付ける崖の下へと撃ち落とした。
だが、彼女は目の前にいた。薄ら笑いを浮かべながら、悠然とそこに居る。
彼女はバリッサ。ある者は彼女を第一の鬼とも呼ぶ。
かつての凶悪犯罪者であり、現在は始祖の鬼の心臓を求め彷徨う殺人鬼。
「死んだと思ったのかしらぁ? 愚かな人間共ね。私はこの通りよ。ホントにアナタ達はこの私があんな小娘に見えたのね。私の方がよっぽど美しいのに……愚かだわ」
苦しそうに胸に手を押し付けるメルデスは、苦しくも彼女を見上げる他ない。
それを満足気に見下ろしたバリッサはスッと左腕を水平にあげて岸野に向ける。刹那の後、乾いた銃声が響いた。先程と同じ響き。反動でバリッサの腕が少し跳ね上がる。……だがそれは岸野には当たらず空を引き裂いた。気がつけば岸野とバリッサの立ち位置が入れ替わっている。D.E.を構えた彼がバリッサの背後に回った。
──『対価交換』。各々の位置をすり替える、空間移動・転送系の異能力の中で最も術者に負担のかからないタイプの能力。彼女を振り切って逃げる為の体力を温存すべく彼はこれを選ばざるを得なかった。あの夜も怪我をした本城暁人を連れて完全に逃げられなかったことを考えれば非常に冷静な判断であろう。
「そう言えば、アナタだったわねぇ。私の美しい顔に鉛弾をブチ込んでくれたサルは」
ゆっくりと振り返ったバリッサの顔が醜く歪む。その動作で身にまとっていたローブが脱げた。そして、岸野を撃ち損ない、メルデスの左胸を至近距離から穿った武器、その全貌が明らかとなる。
左肩から先。それがどう見ても人間のものでは無かった。銀色の光沢は一見西洋の騎士が身につけた鎧のようだが、全く異なるのはその掌の部分と指先。カシャカシャと音を立てて変形する。それは、人工の腕だった。金属でできた科学の腕。
「アラ、気になるかしらん? コレはこの男の本体の方が取引してた組織から失敬したのよ。いいでしょう? あの小僧に持っていかれた腕の代わりにはうってつけ……そう思わないかしらァ?」
うっとりとそのフォルムを見つめる彼女。滑らかなその動きといい、かなり高度な技術の生んだ代物に違いない。
岸野は奥歯の奥を噛み締め、メルデスとバリッサの間へ入る。元から白いメルデスの顔からは血の気が引いている。体調の事もある。長引かせるわけにもいかなかった。意を決してD.E.を再び構える。
「危ねぇオモチャを手に入れたみてぇだが、それがどうしたッてんだ。ブッ殺すぞ……!」
「ふふ、低俗な言葉で私が動じるとでも? これだから小さな島の民族はちっぽけなままなのよ。私の美しさをわかってくれるのはあの御方だけ……。あの人に会いたいわぁ」
「俺のことか?」
直後、バリッサの脇腹を左から右へと銃弾が貫通した。くの字に折れた彼女の身体。赤黒い飛沫が散る。白い煙を立ち昇らせる大口径のシングルアクション拳銃、コルトガバメント。M1911の名でも知られるその自動拳銃の向こうにいたのは、白衣を着た男。ぜぇぜぇと息を切らしつつそこに立っていた。傍らにいる戦闘服の女性に合図をすると、彼女は小さく頷いてその場から消えた。
蹲るメルデスと彼に駆け寄って身体を支える岸野。それをチラと横目で見たレンは取り乱すことなく、バリッサに向き直る。
「私の……Darling……逢いたかったわ、とても」
苺のように頬を赤らめたバリッサが彼の姿を見るや、構えていた武器を下ろした。そして心底愛おしそうにレンの姿を眺める。まるで、姫の前に白馬の王子が現れたかのように。
「アナタにどれ程逢いたかったことか……私の傭兵が後始末してくれるわぁ。だから、これから二人でタノシイコトしましょ?」
「……フン。それは楽しみだな」
意味ありげな微笑を浮かべるレンの頬を冷たい風が撫でる。赤い夕陽が彼の横顔を照らしていた。彼の『楽しみだ』と言う言葉に歓喜するバリッサ。太陽が沈むにつれ、周囲の温度が下がる。特に此処は遮るもののない草原、大陸内陸部。気温が下がるのはあっという間だ。
レンとバリッサの睨み合いは続く。そんな中、彼は予めオンにしていたインカムの向こうへ囁いた。
「終わったか、オルガナ」
【弟の、癖に、指図、するな】
頼もしい双子の妹の言葉にほくそ笑んだ彼は大きく手を広げた。まるで、バリッサを腕の中に迎え入れるかのように。恋人同士の抱擁のように。それを見た彼女は大きく目を見開き、口角を上げた。
同じようにレンも微笑んだ。
「残念だったなぁ。俺たち二人きりの時間は終わったらしい」
刹那。
彼の言葉を合図にしたかのように、バリッサの背後が爆ぜた。二度にわたる爆音のあと炎が吹き上がり、爆風に煽られたレンも地面を転げ回った。そして、大きくえぐれた地面、燃え盛る炎の向こう側から女が現れる。ショートヘアの茶髪、強気な瞳。炎をくぐり抜けてきたというのにその顔には煤ひとつ付いていない。
夕妃は腕を振り、大きな円を描く。力を込めると枯れ草の混じった球体が二メートル程の高さまで持ち上がった。その内部には人の姿。目を血走らせたバリッサだ。
「アンタはなかなか倒せないみたいだけど……今回はレンに免じて頑張っちゃったのよねー。アンタのお仲間は全部一旦凍結して爆発してもらったわ? いくら鬼のアンタでも自然の摂理には抗えない、そうじゃないかしら?」
眼下の景色を見たバリッサは驚愕する。自らが放った傭兵共が消え失せている。燃え盛る大地の上には歓喜する人間達の姿があるのみだった。歯をギリリと噛み締めて夕妃を睨みつけるが、彼女の能力であろう呪縛からちょっとやそっとでは逃れられない事を悟る。
「アナタのその目……何処かで見たことあるわね。あの小僧によく似てる」
「あら、人を見る目はあるみたいね? 兎に角、此処はズラからせて貰うわよ、バリッサ。ホントはアンタなんか滅多刺しにしてやりたいくらいなの。大事な弟を怪我させたんだから」
「ふぅーん、なるほど、弟ね? ふふふっ。どうせ今頃死んで……」
女同士の睨み合いの中、バリッサの視線が逸れた。その視線は丁度、極東の島国の方へ向いている。何かを感じ取ったようだ。眉をひそめ、珍しくため息をついた。
刹那……
「キャッ……!」
周囲一帯にサイレンにも似た甲高い音が響き渡った。衝撃波にも近いそれはその場に居た者全てに襲いかかる。勿論、本城夕妃も例外ではない。悲鳴をあげた彼女は意識を逸らしてしまい、バリッサの拘束が解けてしまう。どうにか踏ん張ったものの体がふらつき、鼻からは鮮血が垂れる。これはバリッサの異能力『破壊之咆哮』。本城暁人も苦しめられたそれは、Sランク能力者の夕妃でさえも一瞬行動不能に陥らせた。
だが、地に降りたバリッサは攻撃を仕掛けては来ない。地面に膝をついてしまった夕妃の元へ優雅に歩みを進める。
「坊やがしくじったようだわぁ……今日の所は諦めてあ・げ・る。次に会う時はアナタ達の最期になるわよ。弟クンに宜しく言っておいてよね……うふふふうふふうふアハハハハハハハ!」
夕妃を見下ろしながら彼女はそう宣言した。突如、機械の腕から銀色の円盤のようなものが飛び出す。直径1メートル、厚さ約30センチ程のそれは若干地面から浮いていた。彼女がそれに飛び乗ると上昇を始める。バリッサは高らかな笑い声を響かせながら沈みかけの夕陽に向かって颯爽と飛んでいく。何も出来ない無力さに唇を噛む夕妃はそれが飛び去っていくのを見ているしかなかった。
突然、その肩を何者かが叩いた。
「ご苦労、だったな」
「火力が強過ぎるのよバカ」
「ロケットランチャー、三本、分の、火薬、だから、な」
オルガナも、表情は分かりづらいが黒い点になっていくバリッサを見つめているらしい。その傍らにはレンに肩を貸す岸野の姿もあった。白衣や顔に泥がついているものの、レンは軽傷のようだ。それよりも……
「メルデスは……!」
「レンが時間稼いだ間に連れていったンだが……かなりマズい。出血が止まらねェらしい」
「薬の副作用だ……岸野、俺とメルデスと数名の医療班を先に本部に戻してくれ」
レンが焦ったように口走る。周りもそれに賛同し、二人の姿はその瞬間に消える。残されたオルガナと夕妃は他の隊員と合流した。来た時の半分程になった味方。軽傷者の手当をしていた心恵が二人の姿に気づく。駆け寄ってきた。
「夕妃ちゃんが来てくれて本当に良かったわ……ねぇ、オルガナちゃん。じゃないと今頃私たち……」
「いずれに、せよ、負けは、負け、だ」
焼け野原になった大地を見つめてオルガナが呟く。結局此処には救出対象はおろか、彼らが追っていた第二の鬼も居なかった。精鋭部隊も半壊し、更には指揮官が重症を負うという自体。これは正しく『大敗』だった。
「寒いわね……」
山の向こうに太陽が隠れ、辺りは闇に包まれ始めた。冷たい風も吹く中で遮るものが無い彼らはただ夜空を見上げるしかなかった。一番星が南西の空にポツンと浮かんでいる。
澄み渡った空気は日本で見るよりもずっと美しい夜空を見せてくれる。
「良かったら、温まりましょ? 岸野はなかなか戻ってこないでしょうし、重症の人から一人ずつ運んでるから時間がかかるはず」
夕妃が地面に手をかざすと、枯れた草に火がついた。フッと息を吹きかけると更に燃え上がる。熱が空気に伝わり始めた。身体にも心にも傷を負った隊員達が側へよってきた。炎を囲む人々の顔がゆらゆらと明らむ。
ここ数日に起こった一連の騒動はこれにて幕を閉じた。
だが、まだこれは始まりに過ぎない。第一の鬼は未だ生きている事が判明し、恐らく今後も敵が現れるのは避けられない。誰も予測不能な未来は容赦なくやって来る。だが今は、皆ただ一つのことを祈っていた。メルデス=サングシュペリ。彼無しではもう、この戦火をくぐり抜けることは厳しいだろう。彼の無事を祈る気持ちは、果たして天井を覆う星々に届いたのだろうか。




