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──カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ



 嗚呼(ああ)……ヒグラシが鳴いている。


 先刻まで空を深紅に染め上げていた夕日は山の端にほとんど隠れ、外が(ようや)く薄暗くなってきた。


 夏休みも終わり、この映画も上映が終わったようだ。そこで俺は、背後のポスターを剥がしにかかる。すると、女子高生が物欲しそうにこちらを見ていたので、隣にいた店長に許可を求め、渡した。すると彼女は嬉しそうにそれを抱きしめ、持って帰った。


 その後ろ姿を見送る。


 はぁ。また一つ、溜息をついた。

 さっきの事は、忘れよう。

 そう、きっとあれは、夢だ。ただの夢。こだまの脳内で構築された、言わば空想の産物。

 そう言い聞かせないと俺の頭がどうにかなってしまいそうだ。店内は空調が効いていて涼しいはずなのに、俺の脳は真夏の炎天下に置かれた炭酸飲料のように今にも爆発してしまいそうだ。



「あのう……」


「あ、いらっしゃいませ。失礼致しました。ポイントカードは……」



 ダメだ。仕事(バイト)に集中しないと。塾帰りらしい男の子が、カレーパンを片手に俺の目の前に立っていた。ハッとして、会計を行う。不思議そうに俺の顔をのぞき込まれてしまった。恥ずかしい。



「ありがとうございました」



 はぁ。

 だめだ。どうしてもあの光景が頭から離れない。真っ赤な炎に抱かれた大地で泣き叫ぶ少女。炎よりも赤い飛沫が舞い散る凄惨な景色。いくら振り払おうともどこへも行ってはくれなかった。

 先ほどの客が最後だったらしい。店内には、俺と小太り店長以外は誰もいなくなった。



「これ、いいですか?」


「いいよ。ピークは一旦過ぎたしな」



 店長はそう言って、レジの中のお札を数え始めた。俺はラジオをセットして、音量を少しあげる。こんな時は気分を紛らわせるのが一番だ。



【皆さん、こんばんは。19時30分、ニュースをお伝えします。先週の高級住宅街での殺人事件について、新たな情報です。付近の国道の歩道で、若い男性の血液の痕跡が発見されました。これが、犯人のものであるか、全く事件とは関係の無いものなのかは依然はっきりしていません。警察は引き続き捜査を進めるとともに、周辺住民に対して警戒を強めるよう働きかけていくとのことです。これに対し、政府は、速やかにミュートロギアを捕らえ、治安を維持できるよう、些細なことでも情報提供を、と呼びかけています。近々、有益な情報に対する懸賞金に関する法案が成立することもあり、なお一層、ミュートロギア撲滅に対する運動が広がるのではと期待されています。続いてのニュースは、各地で通り魔が多は……】



 せっかくつけたラジオだったが、途中で切ってしまった。何でこうもタイミング悪くミュートロギアの話題ばかり。彼らに救われなければ此処になかった命だが、彼らと関わらなければこんな思いはしなくて良かったのに。あの時間にあの場所にいた自分を責めるしかない。



「はぁ……」



 また、深い溜息がこぼれる。カウンターにもたれかかった俺を一瞥する店長の視線。話しかけづらそうだ。なんだか申し訳ない気もするが、今はそれどころじゃないんだ。



(選ばれた……存在)



 ふとメルデスの言葉を思い出した。

 俺は、傷が治ってから今日までの間、メルデスの元で様々な試験を受けさせられていた。なんだか良く分からない機械を被せられたり、暗い部屋に突然閉じ込められたり。はっきり言ってめちゃくちゃだった。しかし、俺のその『鬼に対抗する能力』とやらは見つからなかったし。骨折り損もいい所だ。


 それでもメルデスは、俺にこう言った。

「世界を救うには君の力が必要だ」と。


 冗談じゃない。そもそも、鬼なんて本当にいるわけないじゃないか。

 俺が、戦う必要なんて、あるのか? ないだろ。


──いや、違うか。

 本当は、怖いんだ。誰かと争って、傷付くことが。戦えと言われて「はい戦います」と言えるほど肝も座ってない。不良っぽい奴らに喧嘩を売られたこともあったが、即時撤退した情けない男だよ、俺は。


 そして、さっきのこだまの夢での光景。

 もしも、もしもアレが事実で俺が抗う相手が天雨美姫(あいつ)なら……無理だ。俺には、勝てっこない。抗う前に消されてしまうだろう。


 もうあの場所(ミュートロギア)には戻りたくない。このまま、どこか遠くへ逃げようか。姉貴のことも気がかりだが、もう俺は限界だ。あんな所に居たくない。俺にはこんな運命、堪えられない。



「いらっしゃいませー」



 男子高校生3人組が入店した。

 部活終わりに、アイスでも買って帰るのだろうか。皆、サッカー部らしき練習着である。


(あ、違う)


 お目当ては、トイレ……ではなく、その手前の本棚。


(どうせ、十八歳じゃないんだろうな)


 だがまぁ、興味をそそられるのも同じ男として共感できるため放置する。店長も同様のようだ。万引きなどは困るが、別に巡回のお巡りさんが来ないうちは放置していても何ら問題は無い。

 暫くすると、その中のひとりが、他の二人に喋り始めた。静かな店内だ。カウンターからもその声は筒抜けである。


「なぁ、知ってるか? 最近この辺で起きてる通り魔事件」

「あ? なんだそれ?」

「あれだろ? 死体のそばにその人の心臓を抜き取って放置するってやつ」

「え、なにそれ。グロっ」

「事件現場の近くの防犯カメラにはいっつも若い女が写りこんでるらしいな」

「そうそう。うわっ、それよりこれ見ろよ。やっべー」


 お眼鏡に叶う女体があったのかそちらに話題が展開する。

 しかし俺はその前の話に引っかかった。通り魔? なんだそれ、怖いな。

 ここで、新たな入客があった。



「邪魔だ」


「ヒィ……ッ!」



 赤いワイシャツのボタンを上下共に大胆に開け、そこから太いチェーンのネックレスが見えている。かなりの高身長。ガタイもいいゴリゴリのマッチョと言うよりは、細マッチョという感じ。黒い髪をワックスで固めている。

 刃物のように(するど)い眼光。左頬には、目元にかけて傷跡がある。

 歳は三十路手前くらいと見た。

 お兄さん……カタギじゃ無さそうだね。


 勿論、睨まれた高校生たちは本を棚に戻し一目散に退散した。逃げる少年たちを一瞥した彼は小さく舌打ちをし、本棚に向き直る。視線で人を殺せそうなほど尖った彼を恐れない者の方が居ないだろう。もし居たとすれば同業者くらいだ。


 お願いだから、俺の方のレジに来ないでください。店長の方に行ってくださ……



「あ、アキトくん。ちょっと、バック入ってるからね。なんかあったら声かけてね」


「て、店長、あの人」


「あぁ──普通に愛想よくしてれば大丈夫」



 ぐっと親指を立てて、ニコッと微笑んだ彼。丸々と太った指を反対方向にひん曲げてやろうかという思いが一瞬頭をよぎる。

 いや、ニコッじゃないです。店長。 あぁ、の後の間はなんですか。従業員(おれ)に何かあったらどうするつもりですか。


 ガチャ……パタンと、非情な音を残し、彼は奥の部屋へと消えた。行っちゃったよ。完全に、逃げたな。店の責任者出せとか言われたらどうするんだよっ!


(なんか見られてる。絶対見られてる)


 あの見た目に反し、少年漫画をお読みでらっしゃる。が、明らかにチラチラとこっちを見ているのがわかった。なにか見張られているようにも思うが、俺……何かしたか?


(あー怖い。マジで怖い)


 取り敢えず、気にしないようにレジの処理をしたり、掃除をしてみたり、と働き者になってみたものの、ダメだ、気にな……る。



「これ」


「は、はい。いらっしゃぁいませ……」



 ぁあああああああ……! レジに来ちゃったよ。とうとう来てしまったよ。焦りすぎて少し噛んでしまった。

 よし、ここは腹を決めるしかないぞ、アキト。この人も、大事なお客様。ごくごく普通の、お客様だ。親切、笑顔をモットーに。バイト時に読まされた社訓的なものを思い出しながら頭の中で言い聞かせる。



「560円になり、ます」



 ご購入なさったのは、さっき立ち読みしていた少年漫画。趣味だけは一般人とさほど変わりなさそうだ。

 ただ、やっぱり近くで見ると、さらに怖い。タバコの匂いと微かなコロンの香り。かなり背が高い彼はまごつく俺を見下ろすように待っている。


──ガシャアアアアアアーーーーンッッ。

 だが、その時だった。バックで物が壊れるような大きな音がした。何事だろうか。バナナの皮で滑ったとか言い出したら店長といえどキレるからな?



「す、すみません……失礼致しました。お釣りの40円になります」



 何れにせよ裏が気になったため、手早く釣り銭を渡した。早く帰ってもらおう。変にイチャモンつけられる前に。

 だが、彼の行動は俺が思っていたものとは全く違った。



「そこを動くな」


「ちょ、お客さん……」



 バックの様子を見に行こうとした俺を、その客の男が制止する。大きな手のひらが行く手を阻んだのだ。そして、ひょいとレジカウンターを乗り越えた。



「こ、困ります!」


「黙れ。死にたくなきゃ大人しくしてろ」



 で、出たァッ。脅し文句だ。やっぱり危ない人だ。

 とりあえず俺は死にたくないので大人しくする。何も言わない。仕方ない。死にたくない。そして、男は音がしたバックヤードの扉を強引に開けた。



「うっ、な、なん……ッ?」



 なんだ、この匂いは。予想を反する事態に俺の思考は一旦停止を余儀なくされた。生臭い。最近嗅いだことのある不快な匂い。たぶん……血の匂いだ。

 そして俺は、とんでもないものを見てしまった。

 店長が、バックで倒れていた。

 床や壁、天井にまで飛び散った、鮮血。店長も、血だらけで……特に、左胸あたりが、赤い。倒れた店長の肩の傍に赤黒い塊がピクピクと小刻みに震えて、いる。


挿絵(By みてみん)


 昔、生物の授業で見たのはブタの心臓だったが、これは、見たことないけど、直感的にわかる。

 人間(かれ)の、心臓だ。



「本城暁人、逃げるぞ」


「なぜ、俺の名前を……っ?」



 こっちの問いには一切答えず、男は俺の腕を無理やり掴んで、店の外へ。走りながら、彼はどこかに電話をかけた。なかなか繋がらないようだ。まさか、お仲間呼ばれて危ない人たちに連れていかれてそのまま殺されるんじゃ……!



「メルデス、メルデスっ! なんで出やがらない……ッ」



 メル、デス……っ? 聞き覚えのある固有名詞に混乱した俺の頭が反応した。

 男は畜生ッ! と悪態をつき、ケータイを乱暴にポケットにしまう。



「あんた! 何者だ?」


「ッせえ! 黙って付いて来い」



 外はもうずいぶん暗くなっていた。俺たちは街灯に照らされたアスファルトの上を走る。ここまで激しい運動をしたのはいつぶりだろうか。突然の事態に心も体も追いついていない。

 その時。さっきまで追い風で走っていたが、突然風向きが変わった。



「この、匂い……」


「チッ。先回りされたか」



 風下になった途端、血の匂いが流れ込んできた。俺もその男も足を止めざるを得なくなる。周囲を警戒して、彼の眼光がぐるりと景色を眺め回す。


──ガサガサガサッ。

 突如、近くの茂みから聞こえた音。俺を無理やり引っ張ってきた男は、俺を庇う形をとり、音のする方向を警戒した。俺も息を飲んでそこを見つめる。



「……出てくんなら出てきやがれ。鬼だろうが、悪魔だろうが、この岸野充(きしのみつる)が捻り潰してやる」



 さすがはヤクザだ。すごみが違う。ドスの効いた声は自分に向いていないと分かっていても恐怖を感じる。その辺のチンピラとは格が全く違った。



「あー、待って待って。撃たないで岸野さん」



 音のした茂みから若い男の声が飛んできた。どこかで聞いた事がある。



「チッ。なんだ。お前かよ……。菊川(きくかわ)大輝(だいき)



 茂みの奥から、朝俺に話しかけてきて同じクラスだった、あの爽やか少年が現れた。相変わらずニコニコと困ったように笑っている。



「……ったく、お前の観察対象だろうが。何してやがった」


「ちゃんと近くにいましたよ。そっちこそ、何でいたんですか」


「オレは……ちょっと、トイレしに寄っただけだ」



 嘘ついてる。マンガ買おうとしてたじゃん。さっきので店に置いてきたけど。っていうか、観察対象って俺のことか?



「えっと、二人とも……ミュートロギアの人間、なのか?」


「ったりめぇだ。何言ってんだこのガキ」


「メルデスさんに君を手助けするように頼まれたんだ。改めて、僕は菊川大輝。A隊、強襲部所属の戦闘員だよ。で、こっちが岸野充さん」


「キナくせぇ自己紹介はこんくらいにしとけ。優等生サンよ。来たぜ」



 さらに濃くなる血の匂い。


──コツ……コツ…………コツ……コツ、コツ。


 暗闇の向こう側から、人影……噂の通り魔らしき人影がのっそりと姿を現した。




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