第55話 見世物闘技場の4番(シロウの過去)
「いいか?誰とも目を合わせるなよ」
「い、言われても合わせないっすよ」
「シロウさぁん……」
ウェイストの雰囲気は、はっきり言って最悪だった。
別に、建物が禍々しいとか、露骨に嫌がらせをされたとか、そういうワケではない。ただ、街を歩く人たちの、なんの感情も見えない目が、通り過ぎる俺たちを捉えて離さないのだ。
じっと舐めるように見られて、考えてもいない負の思想を植え付けられているような。そんな、生まれてはじめて覚える居心地の悪い感覚。正直、これまでに戦ってきた悪魔や魔物のどれよりも恐ろしい。
ここに来る前に、ギルドの職員がどうして「廃屋の暗い裏側にある、ちょっと大きい岩の下みたいな場所」と言ったのかがわかった。あの人は、ここの住人たちを毒虫に例えたんだ。
きっと、シロウさんから希望と根性と男気を抜き取ったら、この人たちみたいになるんだと思う。本当に、何をされるかが分からない。
「それにしても、人が少ないっすね。ここ、大通りなんですよね?」
「もういや。泊まる場所も、隣の街にしましょうよ」
シロウさんの両脇にしがみつくアオヤ君とモモコちゃんは、なんとか彼を説得しようと試みるが、しかし隣街までは3日以上かかってしまう。そんな非効率な事は出来ない。
「まぁ、お前らより強いヤツなんてそうそういねえから。安心しとけ」
「そういう話じゃないっすよね……」
まったく、一ヶ月前のクロウたちと話していた二人はどこへ行ってしまったのか。あの時は、超かっこよかったのに。
「とりあえずさ、地獄の入り口を探す前に、一つだけ行きたいところがあるんだ。どこか、そのへんで待ってるか?」
「置いていかないでくださいよ!」
重なった声を聞いて、シロウさんは笑った。
しかし、聞いていた通り、もう奴隷商人やドラッグの売人はいない。街を移ったか、既に死んだか。恐らく、後者だ。
進むに連れて、どんよりと霧の深くなっていく。そして、とうとう足元すら見えなくなってきた頃、俺たちは目的地へと辿り着いた。
「……ここ、なんですか?」
「墓場だ。ここには来るなって言われてたんだが、まぁ死んじまって10年以上経ってるし、そろそろ時効だろ」
……そうか。ここに、眠っているのか。
「まぁ、お前たちにもそれなりに縁のある人間っつーか。俺を、暗い場所から引き上げてくれた人の墓なんだよ。これ」
「えっ?いったい、誰のことを言ってるんですか?」
「勇者だ」
そう言って、シロウさんは一つの墓標の前で止まる。一番端っこの、苔が生い茂った小さくて見すぼらしい墓だ。
「これが、勇者の墓ですか?」
「あぁ。2代前のな。グリントって男だった」
墓標に跪くと、彼は鞄の中からタオルを取り出して、それで綺麗に墓石を拭いていく。すべてが取り払われて現れた文字は、「勇者グリント、ここに眠る」と。たったそれだけのモノだった。
「どうして、その勇者の墓がここにあるっすか?」
「まぁ、家のない人だったからな。俺と妻のレラが、ここに立てたんだ」
当然、それを聞いても二人は要領を得ない様子で顔を見合わせるだけだ。
「……シロウさん」
「わかってるよ、キータ。アオヤもモモコも、本当によく成長してくれた。いつの間にか、俺が一番格下になるくらいになっちまって。中々、感慨深いモンがある。本当に嬉しいんだ」
深呼吸。一瞬だけ、止まったのがわかった。
「だから、お前たちにも、話しておかなきゃいけねぇ。もう、俺がいなくても安心出来るからさ」
聞いて、喉の奥がツンとなったのは、まだ俺が覚悟を決めていないからなんだろうか。
× × ×
「クッヒヒ。……ケハハハハハハ!!オラ、早く闘えよ!」
「おい、4番!テメーにいくら掛けてると思ってんだよ!早くぶっ殺せ!」
「早くしねぇと、俺らがテメーを殺すぞクソガキ!」
目の前には、巨大なガーゴイル。さっきまでそこで一緒に戦っていた162番と170番を食い散らかして、下卑た目を俺に向けている。周囲は壁と金網に囲まれていて、その上には大勢の観客が座っている。逃げ道なんて、昔からここにはない。
俺は、見世物闘技場の4番。多分、年齢は9歳。物心ついた時からここにいて、自分が誰から生まれて、いつからいるのかなんて教えられたことがねぇから正しいことは知らねぇが。まぁ、そんなことはどうでもいいわな。俺がそう思ってりゃ、それが真実だ。
「生き残る。必ず、俺が……」
呟いて、フラアウェクを唱えてから、体よりもデカい剣でガーゴイルの足元に斬りかかる。しかし、その一撃はあっさりと躱されて、かわりに翼の風圧を受けて体を吹き飛ばされた。
「ゴェ……ッ!」
壁に直撃して、どうやら肋骨が2.3本砕けたらしい。口からは血が出て、目眩までしてきやがる。
「はっはっは!なんだその声は!オラ、痛がるフリしても魔物は見逃しちゃくれねぇぞ!?」
だが、ここで死ぬわけにはいかねぇ。俺よりも幼い162番と170番が、命を使って最後まで生かしてくれたんだ。ここで負けたら、アイツらは犬死にだ。
「だから、負けらんねぇ、んだ……。オラ、かかって、こいよ……」
言って、剣を構える。そして、食事を終えた瞬間に、ガーゴイルは俺に向かって飛び出す。上空から急降下して、カギ爪で俺を引き裂くつもりなんだろう。
「一本くらい、くれてやる」
ガーゴイルの爪が、腕に食い込む。力を入れて、腕を引き裂こうとする。筋肉が断裂して、爪が骨に届いたのが分かった。だが、俺はよく知っている。生物は、食事と性行為の瞬間に、もっとも油断することを。
「クタ……バレ……」
爪を更に食い込ませるように踏み込んで、間合いを詰めた瞬間に剣を突き上げる。そして、ガーゴイルの頭を貫く手応えを感じてから、振り切るように体を捻って、顔面を真っ二つに斬り裂いてやった。
「グギャアアアア!!」
続けざまにスキルを唱えて、今度は腹を滅多刺しにする。何度も何度も突き刺して、血が吹き出して、内蔵が飛び散って俺の顔に張り付いても、ブッ倒れるまで何度も。
やがて、弱点が俺の身長よりも低いところまで降りてきた。だから、その真っ二つになった顔の上から手を突っ込んで、喉の奥をグッチャグチャにかき回してやる。痙攣して、俺に再び掴みかかってきたが、それでも俺は攻撃をやめなかった。
しかし、いつの間にかその肉に、温度がなくなっていることに気がついた。心臓が止まって、血が流れなくなったのだろう。
「……やったぜ。162番、170番」
そして、俺は開かれた扉へ向かう。腕は、何とかくっついていた。




