イエローカード
省吾は、広い応接室のソファーに座っていた。端に座り、体を縮こませている。
隣には、紺色のワンピースを着た幼い少女が座っていた。髪は短く、顔だけを見れば男の子と間違えてもおかしくはない。大きな瞳には、子供らしからぬ冷酷さがあった。
その少女の横には、美しい女性が座っている。長い黒髪と、妙に整った派手な顔立ちが印象的である。地味な青のパンツスーツ姿で、神妙な顔つきで下を向いている。三人は一言も言葉を交わさず、目線も合わさぬまま座っていた。
しばらくして、省吾たちの前にひとりの中年女性が現れる。年齢は五十代から六十代、恰幅のいい体格だ。白い和服を着て、にこやかな顔で挨拶する。省吾と女は、慌てた様子で立ち上がり挨拶した。
この女は、舞幻尼僧と名乗っている霊能者だ。相手の前世が見える、という触れ込みで勢力を広げているらしい。信者も多く、中には民自党の議員もいるという話だ。省吾たちが今いる大きな建物も、彼女が所有する施設なのである。
この霊能者は、数年前から活動していた。しかし、最近その活動が目に余るものになってきた。そのため、教団の上層部よりイエローカードが出されたのだ。イエローカードは、サッカーなら警告である。しかし、オルガノ救人教会では別の意味を持っていた。
「佐藤さんですね、どうぞ座ってください。よくいらしてくれました」
佐藤というのは、省吾の偽名である。ふたりは一礼し、ソファーに腰掛けた。
舞幻尼僧は、穏やかな表情を浮かべている。こういった立場の人間に有りがちな傲慢さは感じられない。少なくとも、オルガノの幹部連中よりは好感の持てる雰囲気だ。
「はい。よろしくお願いします」
神妙な顔つきで、省吾は頭を下げる。舞幻尼僧は、少女に視線を移した。
「こちらが娘さんですか?」
「そうです。娘の未来です。さあ、ご挨拶しなさい」
「こ、ここ、こんにちは」
少女はつっかえながらも、どうにか挨拶をした。すると、女が声をかける。
「未来、今は夜だから、こんばんはだよ」
「はっはっは、そんなに細かいことを言わなくても……」
そこで、言葉が止まる。次の瞬間、舞幻尼僧の顔が歪んだ。
「お、お前たちは何者だ!」
怒鳴ると同時に、後ろに飛びのいた。敵に出会った野良猫のごとき勢いだ。その行動を見た省吾は、ニヤリと笑う。
「ほう、未来の力を見抜きましたか。あんたも、本物のようだな。なるほど、イエローカードが出るのも頷ける」
直後、未来の方を向く。
「やってくれ」
次の瞬間、未来の目が光る。人工的な光とは明らかに違う、赤く禍々しい輝きだ。その光る瞳で、舞幻尼僧を睨みつけている。
同時に、舞幻尼僧の身に異変が起きた。拳銃で撃たれたかのように、バタッと倒れる──
「やめてえぇ!」
彼女は叫びながら、両手で頭を抱えている。その場にいる三人は、舞幻尼僧の体に指一本ふれていない。直接の危害を加えているわけではないのだ。にもかかわらず、頭を両手で抱え、もがき苦しんでいる。
だが、ほんの数秒で動きは止まった──
「終わったらしいな。じゃあ、引き上げるぞ」
言ったのは省吾だ。
舞幻尼僧は、まだ床に倒れている。仰向けの体勢で、目をかっと見開き天井を凝視していた。口からは、ブツブツと意味不明の言葉を吐いていた。先ほどの、自信と慈愛に満ちた態度が嘘のようだ。
これが、未来の能力である。原理は不明だが、相手の内面に強い念を送り、精神にダメージを負わせられる。送る念の量によっては、精神を崩壊させてしまうことも可能なのだ。それこそが、朝永の言っていたイエローカードなのである。省吾たちは、未来のサポート役だ。後は、引き上げるだけだった。
その時、突然ドアが開いた。異変を感じ取ったのか、スーツ姿のいかつい男が勢いよく室内に入ってくる。その目が、倒れている彼女を捉えた。
途端に、ギョッとした顔になる。
「お前ら! 何をしたんだ!」
吠えた直後、猪のごとき勢いで突進してきた。手近な位置にいた女に掴みかかる。
ほぼ同時に、省吾たちも動いていた。省吾は、すかさず未来を抱き抱えた。ドアへと素早く移動する。
女は、掴みかかってきた大男に突き飛ばされ仰向けに倒れた。だが、彼女に怯む気配はない。それどころか、大男の太い上腕に両脚を巻き付けたのだ。同時に相手の前腕を両手で掴み、一瞬で関節を極める──
大男の口から、悲鳴にも似た声が上がる。女の腕ひしぎ十字固めが極まり、肘関節を破壊されたのだ。
「咲耶! 遊んでないで逃げるぞ!」
省吾が怒鳴ると、女も反応する。大男の顔面を蹴飛ばすと同時に、身軽な動きでパッと立ち上がった。省吾らに続き外に飛び出した。
未来を抱き抱えた省吾と、咲耶と呼ばれた女は、停めてあった車に乗り込む。運転席には、ひっつめ髪の中年女が座っていた。
「行くよ!」
彼女の声と同時に、車は発進する。あっという間に、闇の中に消えていった。
車は、国道をゆっくりと走っていく。
時刻は八時近く、開いている店も少なくない。省吾は、窓からさりげなく外をチェックする。追いかけて来る者はいない。それ以前に、何が起きたのか理解できている者はいないだろう。
ならば、一息いれるとしよう。省吾は、隣にいる未来の顔を見た。
「未来、なんか食ってくか?」
「う、う、うん。たた、食べる」
答える未来は、いま八歳である。生活の全てを教団に管理されており、学校にすら行っていない。外出するにも、いちいち許可が必要な身の上なのだ。外食など、こんな機会でもなければ出来ない身の上である。
「もちろん、省吾のおごりだよね?」
運転席の中年女・恭子が口を挟む。省吾は、顔をしかめながらも返事をした。
「ああ、俺のおごりだ」
四人は、国道沿いのファミリーレストランに入った。省吾の隣に恭子が座っており、咲耶と未来は向こう側だ。
「ねえねえ、こうしてるとあたしたち家族みたいじゃない? ショウちゃんがパパ、恭子さんがママ、そしてあたしたちは美人姉妹ね」
咲耶が嬉しそうに言ったが、省吾はチッと舌打ちする。
「何を言ってるんだよ。お前、俺と五歳しか違わねえだろ」
「んな細かいことはいいの! ねえ未来、パパって細かいよね。お姉ちゃんに、いっつも口うるさく言うんだよ」
そんなことを言いながら、咲耶は未来の頭を撫でている。省吾は我慢できず、さらに突っ込んでいた。
「いや、お前はまだ男だろうが。それも、めちゃくちゃ強い男じゃねえか」
そう、この咲耶は……戸籍上の性別は男なのだ。一応、胸は膨らんでいる。だが、下半身の工事はまだらしい。いずれは手術をして「完全な」女性になるのだと言っている。
現在の彼女(?)は、恭子と共に未来のシッター兼ボディーガードを務めている。他の信者と違い、オルガノに対する信仰心はない。もっとも、省吾や恭子や未来も信仰心はないのだが……。
そんなオネエ系ボディーガードである咲耶は、口を尖らせ抗議する。
「あー! ひっどーい! か弱い女の子になんてこと言うの!」
「何がか弱い女の子だ。さっき、いかついオッサンの腕をへし折ったくせしてよ」
「うわ、また言った! ねえママ、ひどいと思わない? こんなこと言うんだよ!」
「うんうん、ひどいひどい」
話を振られた恭子は、冷めた口調で面倒くさそうに答える。こちらは、一見すると田舎で食堂を切り盛りしていそうなタイプだ。全体的に丸く、肝っ玉母さんという雰囲気である。
すると咲耶は、未来に話を振った。
「未来、ひどいよね。パパったら、いつもああなのよ。口が悪いんだから」
「誰がパパだよ」
省吾が口を挟むが、咲耶は無視して話を続ける。
「ねえ未来、パパったら本当に困ったさんなんだよ。女心が、ちっともわかってないの」
「だから、お前は男だろうが。だいたい、その家族設定コントいつまで続けんだよ」
省吾がまた突っ込んだ時、未来のお子さまランチが運ばれて来た。
途端に、未来の顔がほころぶ。この少女、教団内の施設にいる時は、感情を全く表に出さない。しかし、こうした場に来れば、八歳の子供らしい顔になる。
続いて、全員の分が運ばれて来た。省吾は箸を取り、ラーメンを食べ始める。咲耶はステーキを、恭子はドリアだ。
食べている省吾は、ふと視線を感じ顔を上げる。すると、未来がこちらのラーメンをじっと見つめていた。
「未来、ラーメンも食べたいのか?」
尋ねたが、少女は首を横に振った。どうやら、目当てはラーメンではないらしい。その時、ピンときた。
「もしかして、チャーシューか?」
さらに尋ねると、うんうんと頷く。
省吾は、ラーメンの器をそっと押しやった。すると、未来はチャーシューを自分の箸でつまんだ。
ぱくっと食べ、嬉しそうにニッコリ笑う。そのやり取りを見て、恭子と咲耶も微笑んだ。
「よかったねえ。お姉ちゃんのお肉も、ちょっと食べる?」
咲耶がフォークで肉切れを差し出すと、未来はうんうんと頷いた。
一年前、省吾とこの三人は出会った。
初めて顔を合わせた時、少女は強化ガラスで仕切られた部屋にいた。その横には、若い女が立っている。後に、彼女が咲耶という名のニューハーフであることを知ったが、当時はそんな事情など知るよしもない。
少女はガラス越しに、じっと省吾の顔を見つめていた。仕方ないので、省吾も睨み返す。この男、相手が子供だからと言って猫なで声を出したりはしないタイプだ。
無言のまま、見つめ合うふたり。だが、先に目を逸らしたのは未来だった。咲耶の方を向き、こくんと頷く。
すると、咲耶はにっこりと笑った。
「へーえ。こんなの初めて見たよ。あんた、合格だってさ。よろしくね」
以来、省吾は教団の汚れ仕事を請け負っていた。咲耶、未来、恭子の三人と組み、教団の邪魔になりそうな者を排除して回っている。イエローカードが出た場合、未来が超能力で相手を狂わせ、省吾と咲耶が少女をガードするのだ。
後に知ったのだが、未来には今まで大勢の男性を会わせてきた。元教師や、小児科の医師などといった子供と接するプロたちだ。中には、イケメンばかりを集める某芸能事務所に所属していたタレント崩れもいた。だが未来は、その全てを会話もなく拒絶していたそうだ。中には、会うなり軽い精神攻撃を受けた者もいたらしい。
唯一、省吾は拒絶されなかった。それどころか、顔を見ただけで合格したのだ。
省吾には、その理由がわからない。自分のどこが気に入られたのかは知らないが、今ではこの少女と組んで仕事をし金を得ている。
少年時代に猟奇的な事件を間近で目撃し、心を病んでしまった省吾。まともな社会では、居場所はなかったはずだった。そんな自分が、まがりなりにも普通の生活を送れているのは教団のおかげである。
言うまでもなく、省吾は神も仏も信じていない。教団の説く教えも、馬の耳に念仏……という状態である。朝永は、その事実を承知の上で彼を幹部格として取り立てている。いわば、教団の番犬なのだ。
未来は、その部分を一目で見抜いたのかもしれない。彼女は知能が高く、精神年齢も実年齢より上だ。教団の教えなど信じてはいないだろう。
この少女は、本物の超能力の持ち主である。しかし、それは教団とは無関係であり、生れつきのものだ。さらに言うと、教団は未来の力を完全に私利私欲のために利用している。
教団の教えに何ら希望を持たず、信仰心も道徳心も持ち合わせていない四人。皮肉にも、オルガノ救人教会がなければ、まともな人間として生きていけない者たちなのだ




