終焉
「見物に行かないでいいんすか?」
と浅田が言った。
鴉のグラスに酒を注いでいる。
鴉の妖の大半が犬神VS攫猿の見物に行ってしまっているので、鴉の工房も今日はしんとしている。珍しく鴉と浅田の二人で酒盛りだ。浅田の持ちこんだ安い酒とつまみに文句を言いながらも鴉は酒を飲み始めた。ちなみに青女房も仲間に紛れ込んで見物に行ってしまったので酌をする女手もいない。
「つまらん、犬と猿の喧嘩なんかおもろいか?」
と鴉が言った。
「確かに雨も降ってますしね。雷も鳴ってるし」
「化け物どもの争いを喜ぶのは化け物だけやで」
と鴉が言ったので、浅田は少しどきっとなった。
半妖という言葉が蘇ったからだ。
「犬神が勝てへんのは颯鬼クラスの鬼どもだけやろ。力が戻った犬神やったら田舎の猿なんぞ楽勝や」
「へえ」
と浅田がにやにやとした。
「何や」
「信頼してるんっすね」
「はあ? あほか、俺の力を分け与えてんのに負けるとかありえへんやろ。負けたら今度こそ俺が息の根を止めてやるわ」
と言って鴉はグラスの中の酒をぐいっと一気に飲み干した。
翌日、がやがやとうるさい声に鴉は目を覚ました。
声の方へ出て行くと妖達が集まって犬神を称えていた。
(ようやったな、犬神、格好ええでぇ)
(ほんまやねえ、やっぱり犬神は強いわぁ)
(まあ見直したで。これで鴉のあにさんも許してくれるだろうなぁ)
その周囲では小鬼達が騒ぎに乗じて、踊ったり歌ったりしている。
(目々連、もういっぺん見せてくれや。最後のとこでええから)
たくさんの目玉がくっつきあってなる巨大目々連が部屋の真ん中にいた。
巨大目々連は白い壁の方へ向いて、シュボっと気を発した。
白い壁に映し出されたのは、強風が吹きすさぶ中、さらに雷雨に見舞われた廃墟でがっちりと噛みつき合う犬神と攫猿の姿だった。
どちらも流血し、殴って殴られた箇所は腫れ上がり裂けている。
犬神は攫猿の喉元に噛みつき、攫猿は犬神の身体をその太い両腕で締め付けている。
先に弱ったのは攫猿だった。喉を潰され、息も絶え絶えなのだろう。犬神を締め付ける力が弱っていく。犬神は強靱な意志を持って攫猿の喉からその牙を離さない。
やがて攫猿の力が尽きた。
白目を剝いて、口から泡を吹きながらだらりと身体中の力が抜けた。
犬神が攫猿から牙を離すと、攫猿の身体は地面にどっと落ちた。
そして犬神の太い前足が攫猿の首をばしっと弾き飛ばした。
巨大猿の巨大な頭部はぽーんと飛んで行った。
残った巨大な首なしの身体に近づいてくる幾つもの影がある。
異国の珍しい化け物をご相伴にあずかろうと、近在の妖達がこぞってやってきたようだ。
犬神は攫猿の味見には興味もなく、ふんと攫猿の死骸に背を向けた。
その向こうで一斉に死骸に群がる妖の姿があった。
「なんや、ずいぶんと格好ええやないけ。犬神のドキュメンタリー映画か」
と鴉が言った。
わいわいと騒いでいた妖達がぴたっと静かになる。
犬神が振り返り、
(あにさん……無事に仇をとれました。感謝いたします)
と言った。
「ふうん」
鴉は興味なさそうにソファにどさっと座ってから、煙草に火をつけた。
犬神は鴉の足下まで来てから、
(もう思い残すことは何もない。どんな処罰でも受ける所存)
とぺたんと座って頭を下げた。
「……お前と俺は十年前に縁を切った仲や。お前がこの先どうしようと俺には関係ない。好きにしたらええ」
鴉はやけに優しい口調でそう言った。
まさかの鴉の言葉に犬神はショックを受けたような顔になった。
(あにさん!)
「好きなとこへ行って好きなように暮らせ。もう俺に縛られんでもええ。お前みたいな獣型の妖に人間界での暮らしは酷やろ。これからは好きに野原を駆け回って、のんびり昼寝でもしたらええねん。本来、お前は人間好きやから、人間同士の復讐の道具にされるのは嫌だったはずや」
(もう俺は必要ないという意味か!)
「そうやない。十年、異国で苦労したんやろ? これからはのんびり暮らしたらええって話や。お前は実体がないからまた十年たったら身体が弱ってくる。そしたら颯鬼にでも力をもらえばええ」
(嫌だ、嫌だ!)
犬神は嫌だ嫌だと大きな頭を左右に振った。
身体をひっくり返して、腹を天井の方へ向けて左右に身体を振った。
(絶対嫌だ~~~追放なんて酷すぎる! いっそ殺してくれ!)
大きな身体で床にごろごろごろと転げ回って犬神は嫌だ嫌だと繰り返した。
その振動で部屋が揺れ、棚からいろんな物が落下してくる。
落ちてきた本の下敷きになって泣き叫ぶ小鬼。
「うるさいわ!」
ゴツン!と犬神の頭のてっぺんを鴉の拳が殴った。
「何やねん、お前! どんな処罰でも受ける所存って侍みたいな事言うといてその態度か!」
(嫌なものは嫌なのだ~~やっと戻ってきたのに~~追放とか酷すぎるのだ~~ 人でなし~~~あにさんの人でなし~~~鬼~~~悪魔~~~)
大きな図体でごろんごろんと転げ回る犬神と鴉の顔色を見比べて妖達はおろおろとなっている。
「それに戻った言うても何も手土産もなしか。ああ? 愁傷な気持ちがあるんやったら詫び料に三億円くらい俺の前に積んで見せんかい!」
と鴉が怒鳴ると犬神は、
(さ、三億円……どこに行けばあるんだ?)
と仲間の妖を振り返った。
(三億円ちゅうたら銀行にでも行かな手に入らんなぁ)
と誰かが言ったので、犬神は(銀行……銀行……)とつぶやきながら部屋を出て行こうとした。
「あほか! 俺を罪人にする気か!」
再び犬神の頭をゴツン!
(キューーー)
と犬神は腹ばいになって大きな前足で頭の上を覆った。
「まあええ。三億円はお前のツケにしといたる。払いきるまでしっかり働けや」
と鴉が言った。
犬神がぱっと飛び起きて鴉に飛びかかった。
大きなふさふさの尻尾をぶんぶん振りながら、大きな舌で鴉の顔をペロペロと舐めた。
(よかったねー犬神ー)
(あにさんの粋な計らいってやつだよー)
と小鬼達が言ったので、場にいた妖達は吹き出した。
「何かむかつくな、あいつらに言われたら」
と言って苦笑した。




