犬好き
犬神は鴉に許しを得るまでは何があってもここを離れない、と工房の前に居座った。
外とは言っても商店街のアーケード内なので屋根の下だ。
工房の奥はほぼ行き止まりで近所の者も滅多に通らないので具合がいい。
工房の入り口の側で一日中じっとしている。老いさらばえた身体はいつ崩れて消滅してしまうか分からない。明日にでも自分は消えていってしまうかもしれないのだ。
だが攫猿を倒すまでは消滅してしまうわけにはいかない。
そうやって住み着いてしまった犬神の前に廣瀬が水とドッグフードが入った皿を置いた。
(ん?)
と顔を上げると、醜い廣瀬の顔がすぐ側にあった。
廣瀬は闇屋に呪いを依頼し、そして失敗した失敗作だった。自らが願った呪いが自分の身に返ってきて普通なら死んでしまうところだが、廣瀬は死ななかった。
その身体は呪いの為に醜く崩れてしまい、歩くのも話すのも困難な身体になってしまった。
いつもはキッチンの椅子に座って闇屋に何か用事を言いつけられるのをじっと待っているだけだ。闇屋に怒られる愚鈍な廣瀬を妖達も小馬鹿にしているので、廣瀬は自分から妖に近づく事もなかった。
廣瀬はにこにことしている。
「こ、こんなもんしかないけど……ス、スーパーで、も、もらった、試供品だけど」
と廣瀬が言った。
(これはかたじけない)
と言って犬神は水を飲み、ドッグフードを囓った。
(だが俺に構うとあにさんに怒られるぞ。俺はまだ許しを得てないからな)
「お、怒られるのは、い、いつもだから」
と廣瀬はへらへらと笑いながら答えた。
「い、犬が好きで……」
と廣瀬が言った。
(なるほど、では悪い人間ではないな)
「え?」
(犬好きに悪い人間はいない)
と犬神が言ったので、廣瀬がえへへえと笑った。
そんな廣瀬の匂いをふんふんと嗅いだ犬神は、
(お主、かなりな呪いにかかってるな)
と言った。
「あ、わしは……」
(この匂いには覚えがある。お主、不浄の壺を背負ったな)
廣瀬はこくりとうなずいて、
「それで……失敗して……死ぬ事も適わず……こうして生きながらえて……」
と廣瀬は言った。
(そうか、難儀な人生だな。復讐などせずに生きてゆければよかったな)
「ほ、本当に……今は、そう思うんだけどね」
へっへっへと廣瀬は笑った。
この身体では自殺する事も叶わないだろう、と犬神は思った。
人間というよりも、すでに廣瀬の身体は妖に近い。
それほどの毒気と邪悪が廣瀬の身体を取り巻いている。
むしろ死ねずに、何度でも生き返るだろう。
(馳走になったな)
犬神はドッグフードと水を平らげてからぺたんと腹ばいになった。
廣瀬は皿を片づけて、足を引きずりながら工房の中へ入って行った。
(あの男を喰らえば俺にも少しは力が戻る。あにさんが込めた不浄の壺の呪力は凄まじいものだ)
そう思ってから犬神は頭を振った。
(情けをかけてもらった相手を喰らう算段とは俺も落ちぶれたもんだ……だがあの攫猿は強かった)
犬神は頭を伏せて目を瞑った。




