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KARASU  作者: 猫又


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11/16

図柄 犬神

「あん?」

 浅田のマンションの前に真っ黒に汚れた犬が一匹うずくまっていた。

「でけえな」

 浅田はゴミ袋をゴミ捨て場に放り込んでから、犬の側を通り過ぎようとした。

(グルルルル)

 と犬が唸ったが、痩せてあばら骨が見えているので迫力もない。

 行き過ぎようとする浅田を追って立ち上がろうとするが、やせ細った足がもつれてうまく身体を起こすこともできない。

 おまけに喧嘩にでも負けたのか片眼に傷がついて潰れている。

「食いもんなんて持ってねえよ」

 と浅田が言ったが、犬はやはり唸っている。

「汚ねえ犬だな。お前、こんな人通りの多い場所にいたらすぐに保健所が来るぞ」

 痩せてぼろぼろだが優に大型犬の大きさで、浅田でも背中に乗れそうな程だった。

 無視して行き過ぎようとした浅田に犬は牙をむいて飛びかかるような動作をした。

「うわ!!」

 と浅田が叫んだ瞬間、(待てや!)としわがれた声がした。

「おぬし……もしや犬神か?」

 と浅田の背中からふわっと現れた青女房が言った。

(やはり、青女房か……よかった)

 と犬神が言った。

「え、もしかしてこの犬も妖ってやつか?」

「そうや……でもこいつは裏切り者じゃからなぁ。わしらとはもう関係ない」

 青女房は素っ気なくそう言ってから、浅田の背中に引っ込んだ。

(待て、待ってくれ! 青女房! 俺の話を聞いてくれ! 頼む!)

 よぼよぼの真っ黒に汚れた巨大な犬が浅田の前にぺたんと座って頭を垂れた。

「え、ちょっと、話を聞いてくれって言ってるけど?」

「知らん! 犬神はあにさんを裏切ったやつや。そんな奴の話なんか聞きとうないし、わしがあにさんに顔向けが出来ん!」

「そ、そうなのか?」

 浅田は痩せこけた犬を見下ろした。

(すまん、それについては言い訳のしようもない……あにさんの元を離れて十年、俺の身体ももう駄目だ。でもどうしても最後にやらねばならない事があって恥を忍んで戻ってきた。あにさんの所へ行きたいがどうしても見つけられず、仲間の妖気も追えないくらいに俺は使い物にならない身体だ。ようやく青女房を見つけたんだ、頼む、どうかあにさんの所へ連れて行ってもらえないか)

「お前の都合なんぞ知るか! 浅田、行くで!」

 促されて浅田は歩き出した。振り返ると同じ位置で犬神はうなだれている。

「今日はあにさんの所へ行ったらあかんで。跡をつけてこられるかもしれんしな」

 と青女房は手厳しい。

 浅田はそのまま歩き続けてから一軒の喫茶店に入った。

 これはいつもの行動だ。遅い昼飯を食べてから、鴉の所へ顔を出す。

「その犬神が裏切ったていうのはどういう理由でだよ」

 隅の方の席に座り、携帯電話を耳に当ててから浅田が言った。

 青女房の声は浅田以外には聞こえないので、電話で話をしているようなふりをしてないとただの独り言が長い変な男に思われるからだ。

「……もう十年になる。犬神が異国に渡ってからなぁ」

「異国?」

「そうや……犬神はあにさんを裏切って依頼人を殺したんや」

「あー、それは確かに駄目だな。それは兄さんも許さないだろうな-」

 浅田は心の中でセーフと思った。

 ちょっと犬神に同情して、鴉の所へ連れて行くくらいいいじゃん、と思っていたからだ。

 実は犬好きな浅田だった。

 しかし鴉の眷属でありながら、依頼人を殺すとか一番駄目だろう

「元々のターゲットになるはずだったおなごに惚れたかどうかは分からんけど、可哀想に思ってしもうたんやろ」

「ターゲットが?」

「そうや、依頼人は金持ちの資産家の娘やった。老いぼれた資産家の介護に安い金で雇った異国の若い娘がおったんやけどな、資産家がその娘と結婚する言い出してな」

「なるほど、金にがめつい身内よりも心込めて介護してくれた優しい娘か」

「そうやろうな。しかしな、結婚なんかされたら財産が半分その娘に行くらしいな。その娘を殺すようにって資産家の娘はあにさんの所へ来た」

「へえ」

「浅田、お前、代彫りって知ってるか?」

「代彫り?」

「そうや、普通は依頼人の肌に兄さんは刺青を刺す。でもな、代彫り人を用意出来るなら代彫り人の背中に刺青を施すという手もあるんや」

「え、でも復讐は依頼人の憎いっていう思いが届いた時に成功するんやろ。そんな人頼みでうまくいくわけ?」

「そりゃ、どっちも必死や。依頼人は成功してもらわんと困るから、どんな卑怯な手を使っても代彫り人を用意する。そんなんするのはたいていが大金持ちで金なんか売るほどあるって奴らや。金に物を言わせて代彫り人にしたい奴を追い詰める。代彫り人は決死の覚悟で背中に刺青を背負うってわけや」

「ふーん」

「資産家の娘は代彫り人を連れて来た。よりによってそのターゲットの異国の娘本人をな」

「え! 本人?」

「そうや。これが上手くいったら結婚には賛成してやるし、故郷で貧乏してる家族も日本へ呼んで一緒に暮らす事も出来る、と吹き込んだ。異国の娘に嫌だと言えるわけもない。連れてきた娘はほんまに若くて、子供みたいやった。言葉もカタコトでこちらの言う半分も分からんかったんやないか」

「それで?」

「もちろん失敗や。その娘の背中に入った犬神がえろう同情してしもうてな。どうしてもその娘を殺せんかった。犬神は元々ほんまに犬やったからなぁ。人間が好きなんや。そやからなあ。娘に非のある依頼ならまた別やった。娘には何の問題もなかった。老人の世話も嫌がらず、故郷にいる家族に仕送りするために必死で頑張ってた。人間好きの犬神には例えあにさんの命でもその娘は殺せんかったんや」

「そうか……可哀想に」

「誰がや?」

「え?」

「誰が可哀想なんや?」

「んー。犬神かな。兄さんに選ばれなかったらよかった話だろ? 青女房か鬼子母神の姐さんがさくっとやってやったらよかったのにな」

「まあな……なんやわしや鬼子母神には何の情もないように言うやないか」

「でも兄さんの命令ならやれるだろ?」

「ああ、絶対殺す。わしらはあにさんに追放されたら即消滅やからな。犬神は元々が強いし力がある妖やから十年はもったみたいやけどな。でももう限界やろう。ぼろぼろになって崩れていくだけや」

「消滅か……何だかやり残した事があるって言ってたぜ?」

「知らん! 知らん! わしには関係ない! あにさんを怒らせる事だけは出来ん!」

「そっか。じゃ、しょうがないな。あのまま俺のマンションの前で死ぬんだろうか? いや、あんな大きくて汚い犬、もう保健所が捕まえに来てるかもな」

 と浅田は言ったが、青女房はそれに対して返事はしなかった。

 浅田は携帯電話をテーブルの上に置いて、運ばれてきたランチセットを食べ始めた。





 

 

「全てうまくいっている。心配いらないよ。今日は報告に来ただけね。女と子供はうまくやっといたよ。川に流れて魚のエサね。死体もあがらない」

 という返事を受けてでっぷりと太った六条裕紀はほっと息をついた。

 資産家の父親が死亡し、全ての財産を受け継ぐ作業をしている中で発覚したのは隠し子の存在。十年間、誰にも気づかれないように父親個人の弁護士がその存在を隠していたらしい。認知はしてあるので、相続権も発生すると聞かされて六条は非常に焦った。

 財産を継ぐべく資産家の子供は姉と六条の二人だけだった。

 だが姉は十年前に死亡。今は六条だけが資産家の血を受け継ぐ人物のはずだった。

 十年前に老いた資産家の介護の名目で雇い入れた外国人労働者アン。

 安い給料で文句も言わず働くのでよしと思っていたら、資産家の父親がアンと結婚すると血迷った事を言い出す。

 むげに反対すれば自分達の行く末にも影響があるが、結婚なんぞされて財産が外国の労働者の一族へ分散されてしまうのは我慢ならない。

 その時は姉が秘策があると言い、つてを頼ってアンを密かに殺す為に殺し屋を雇った。

 結果は失敗と言えば失敗だろう。逆に姉は無残な死に方をした。

 だがアンは姿を消し、資産家とアンの結婚は阻止出来た。

 獣に食い散らかされたような姉の死に様は無残だったが、こちらも公に出来ない理由がある。姉の死は病死として発表し、全ては終わったと思っていた。

 ところがいざ資産家が死ぬと、アンが子供を産んでいる事が発覚した。

 資産家はよほどに用心してその存在を隠していたのだろう。

 それでも相続権の発生により、その存在が明らかになった。

 冗談じゃない。今更、父親違いとはいえ赤の他人も同然の外国人に遺産を半分も持っていかれるなど。

 悩みに悩んだ末、もう一度、殺す事にした。

 アンとその子供を殺す。

 つてを頼って選んだのはアンの故郷の暗黒街。

 同郷なら勝手も知ってやりやすいだろうし何より安い。

 姉がアン一人を殺す依頼をした日本の殺し屋よりは格段に安い。

 日本の殺し屋に払った一人殺す金額でアンとその子供殺しを依頼しても釣りがでるくらいだ。

「サービスしといたよ。私もこちらの、日本進出出来て、非常に嬉しい」

 カタコトなのはわざとなのか、六条の前に座った痩せた色の黒い男が下卑た笑みを浮かべながら言った。

 黒いコートを羽織り、黒い山高帽を被っている。丸いサングラスをしているので表情は読めない。

「だがねえ、日本の犬、老いぼれだったのに大変強かったね。私の攫猿、苦戦したね」

 と言って男は膝の上に抱いている猿の頭をなでた。

 猿はキーーと歯をむき出して笑った。

「でも、まあ依頼は達成した」

 六条はうなずいた。

「報告なら電話でもよかったのに。わざわざ」

「いやあ、何て言うのかな。そう! 営業だよ。営業。我々はこれから日本で仕事をする事にした。日本語ではまたご贔屓にと言うのかな?」

 男はにやにやと笑いながらそう言った。

「ああ、市場を拡大しに日本へ来たというわけか」

「そう! それだよ! あんたは顔が広そうだ。口を効いてもらえたら、ありがたいね。だからあんたの依頼も格安でやってあげただろう」

「格安? 確かに日本円で言えば安いだろうが、あんたの故郷ではそれが普通なんだろう?」

「そう言うなよ。日本では郷に従えばなんとか言うんだろう? これからは日本円でやらせてもらうからね」

「まあ、お好きなようにすればいいさ。私は望みを達成した。もうあんたに頼む事もないと思うが、誰かに聞かれたらあんたを推しとくよ」

「サンキューでーす」

 にたにたと笑いながら男は猿を肩の上に置いて帰って行った。

 猿は始終キーキーと叫んでいたが、最後に振り返って六条の目をじっと見てから笑った。  


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