47 以心伝心
フーアが眠りについてから、アズルはしばらく考えている。フーアの中の感情が、アズルにも流れ込んできていた。ただ、それは明確な理由を伴わない。感情の波としてだけ、彼に伝わってきた。
無理もない。指輪を媒体にしているとはいえ、二人の魔力は繋がっている。魔法使うモノにとって魔力とは、自らの意志とさほど変わらない。魔力と意志が混ざり合って精霊と契約を結び、やがては発動して魔法となるのだから。
だからアズルは、自分の内側にある感情が、フーアのモノだと気付いていた。何かに怯えていながら、頑なに全てを拒絶する。触れられる事も、理解される事も望まない。ただ自分が自分として存在し、そして滅ぶ事を願う。そんな歪んだ感情が、少年の中には渦巻いていた。
けれど、徐々にそれが変わっているのだ。救われる事を望んでいる。そんな事をアズルは思ったが、彼には救えないのだ。フーアが抱える闇も、彼の哀しみも、彼には解らない。こうして感情の一部を知っていても、アズルはフーアではない。それは当たり前の事であり、だからこそアズルはもどかしいと思う。
この少年は、何を願うのか。初めから、世界の救済を望んでいるようには見えなかった。それ以外の道がないから歩む。それが誰かの願いだからこそ、歩む。そんな理由だけで世界救済の旅をしている。アズルにはそう思えて仕方がなかった。
そしてそれは、この上なく正しい事だ。他の誰も気付かなかったフーアの内面を、アズルは理解している。それは二人が魔力を繋いでいるからだが、フーア自身、そんな事が起こるとは思わなかったのだろう。
アズルは、自らの感情が流れないように制御している。フーアも、常は勿論そうしていた。だが、こうして救済の時が迫るに連れて、この少年は、自分の内側の感情を制御できなくなっていくのだ。そして流れ込んでくるのは、負の感情である怯えや哀しみだった。
「……俺がお前の感情を拾っていると知ったならば、お前は怒るのだろうな、フーア……。」
だがアズルは、感情を拾う事を止められない。そうする事で、フーアの事を知りたいと願った。救済の時が近づくに連れて、壊れ始める精神。自分という存在を拒絶する傾向が強くなり始めるフーアを、どうしても救いたいと願うようになっていたのだ。
それは不思議な感情だった。邪神である彼が、人間の少年を救いたいと願う。だが、随分と昔にも、同じような事を願った気がするのだ。それがいったい何時であったのか、何の為であったのか、アズルはそれすらきれいに忘れてしまっていたが。
そっと、フーアの頭をアズルは撫でた。柔らかな黄金色の髪は、太陽の光を思わせた。眠る姿は天使族を思わせ、そのあどけない寝顔は、笑みを誘う。けれどそうでありながら、どこか寂しげな色が消えなかった。怯えるように身体を丸め、自分を護るように抱きしめて眠る。その寝姿は、アズルですら拒絶するように見えた。
触れるなと、構うなと、叫んだ姿を思い出す。そう叫びながら、助けてくれと縋るような何かがあった。お前は一体どうしたい?そう問いかけようとして、けれどできない自分にアズルは気付く。彼は、フーアを傷付けたくないと願ってしまうのだ。
気遣わしげな精霊達の姿が、アズルの視界に映った。邪神は口元に笑みを浮かべ、大丈夫だと伝える。今はまだ、この勇者は己を見失ってなどいない。それを伝える為に、彼は頷いて見せた。その姿に、精霊達は安堵を覚え、それぞれの領域へと戻っていく。既に崩壊を始めてしまった世界へと。
感情を共有しながら気づけない何かにアズルが気付くのは、救済を控えた最後の夜の事だった…………。




