42.知力と武力
歩きながら本を読む。そんな暴挙を行いながら、不思議と少年は転びもしない。相変わらずといってしまえばその通りだが、ごく有り触れた少年とは全てに置いて異なるらしい。そんな事を思いながら、俺は相手の傍らを浮遊する。
どうやれば、たった17年という時間でこれ程までの知識を蓄えられるのだろうか。フーアの知識は、それこそ神々の領域にまで及ぶ。だがしかし、遊びたい盛りの子供がどうやって覚えるのか。あるいは、その当たり前の生活全てを引き換えに、この限界のない様な知識を蓄えたのだろうか。
剣を構える時、呪文を詠唱する時、その類い希なさを俺は痛感させられる。これはただの子供では有り得ない。そして、ごく有り触れた勇者でも有り得ない。時折覚える感情の正体を、俺は知っている。
これは、畏怖だ。俺はこの人間の少年に、恐怖を抱いている。有り得ない程の歪みを抱えている少年に。何なのだろうか、この少年は。人間という存在の枠を越えて、一人ぽつねんと存在する、そんな異質極まれない存在であるように、思える。
だが、有り触れた姿もあるのだ。何気ない話題を俺に振る時の、その表情。屈託無く、飾り気にないままに喋りかける時の仕草。それらは確かに、普通の少年のモノなのだ。どちらがフーアの本質であるのかは、俺にも解らない。或いは、本人にも解っていないのだろうか。
無性体。性別を宿さず生まれた、禁忌の証。禁忌を犯した交わりの果てに生まれる子供。だが、この子供は、世界を救う希望なのだ。只一人、滅び行く世界を救えるはずの子供が、この世の何よりも疎まれる禁忌の証である。これは一体、何の符合なのか。
「なぁ、アズル。」
「……?」
「伝承によれば、精霊神達は世界を立ち去っていった。何故彼等は立ち去った?この世界に留まる事もできたのだろう?」
「……俺は精霊神達を知らぬ。だが、伝え聞く事はある。始まりの神オリジンは、可能性を求めていたらしい。そして、だからこそ精霊神達は異界を創り出した。」
「…………だが、皆がこの世界に留まっていれば、『オリジン』が滅びを迎え始める事はなかった。………………違うか?」
「……確かにな。」
そして俺は生まれる事がなかった。付け加えられた言葉に、俺は目を見張った。たとえ歴史が変わっても、生まれる生命は生まれる。だが、そう告げた俺の言葉、フーアは否定した。自分は、生まれないと。
それは、どういう意味だ。問いかけようとして、けれどできなかった。フーアの視線は再び本へと向けられている。時折思いだしたかのように剣の柄に手を触れ。そしてまた本を読み始める。その繰り返しだった。
まるで、滅びを迎える世界だからこそ生まれたと言いたげだった。ごく有り触れたままの平穏な世界ならば、生まれなかった。フーアの双眸はそう告げている。残酷なまでの無垢さを伴ったままで。
俺は、この瞳を知っている。何処で見たのかは知らない。だが、何処かで全てを諦めきった、受け入れすぎた瞳だ。遠い記憶の彼方で、その瞳を持つモノを、知っていた。そんな気がした。
全てにおいて卓越した、選ばれた子供。世界を救う為に生まれてきた少年。精霊達に愛され、世界中に望まれて生まれた子供。そうでありながら、その双眸から陰りは消えなかった。いつまでたっても。
お前という存在は、いったい何処へと向かっているんだ、フーア?




