38.異国の言葉
ある日、唐突に勇者が口を開いた。彼が唐突なのはいつもの事であったので、邪神は特に気にした風もなく、何だと答えた。そんな邪神を見て、勇者は笑った。屈託のない、子供めいた笑顔で。
——なぁ、面白い事を教えてやろうか?
——……何をだ。
——面白い事さ。この上なくな。
——…………?
そういって、勇者は唇を笑みの形に歪めた。自嘲めいた笑みだった。自分を蔑む瞳だった。全てを拒絶するような、冷ややかな声だった。そのくせ、その顔には、仮面のような笑みが張り付いていた。
邪神は問い返さなかった。答えを求めもしなかった。先を促しもしなかった。ただ、静かに勇者を見ていた。片方だけの深紅の双眸が、勇者を見つめていた。
そして、勇者は告げた。その答えは、邪神を驚かせるには十分だった。驚いた邪神を見て、勇者は笑った。満足そうな、ひどく歪な笑顔だった。
——俺の名前は、古い異国の言葉で……——と、いうんだよ。
邪神は、傍らでベッドの中に潜り込む勇者を見ていた。爆弾を落とした当の本人は、熟睡している。自分に睡眠が必要なくてよかったと、邪神は思った。あんな爆弾を落とされて、とてもではないが、眠る事はできない。そう、彼は思っていた。
この勇者が突拍子がないのは、いつもの事だった。だがしかし、このところ何ともはや、心臓に優しくない。言う事成す事、邪神を驚かせるばかりだ。それも、ただ驚かせるというわけではない。勇者自身の抱えている、陰りを彼は突きつけてくる。いかに邪神であろうと、あまり嬉しくはないのだと、彼は思う。
すーすーと、規則正しい寝息が聞こえた。一瞬、殴りつけたい衝動に駆られた邪神は、けれど報復をきっちり予測してしまい、腕を引っ込めた。魔力を瀕死寸前まで奪われるのは、あまりよろしくない。そして、勇者はためらいなくやるに決まっているのであった。
お前は何を求めている?そう言いかけて、邪神は口を閉ざした。問いかけたところで、与える事など邪神にはできない。彼にできるのは、ただ同じ空間にいて、力を貸すだけだ。闇に墜ちたその時から、彼には与える事も癒す事もできなくなった。それが、邪神というモノの存在だ。奪う以外の何もできない、力の塊。
勇者が陰りをさらけ出すにつれて、邪神は困惑する。その事実を告げて、何を求めているのか。邪神である青年に救う事などできない。それなのに勇者は、淡々と、陰りを突きつける。もどかしさにどうにかなりそうだと、邪神は思った。
脳裏に、声がこだまする。あのとき、勇者が告げた言葉が。その意味を理解したときの動揺を、彼は隠せなかった。呆然と、勇者を見ていた。そして今もまた、思い出すたびに、やるせなさを、覚えた。
——俺の名前は、古い異国の言葉で……『生贄』と、いうんだよ。
その言葉は、いつまでたっても邪神の頭から消えず、彼はその意味を考え続け、けれど答えを得られなかった…………。




