37.微笑みの理由
その微笑みに恐怖した。ほかの何よりも清廉とした微笑みだった。常のような陰りはどこにもない微笑みだった。だが、だからこそ恐怖したのだと、俺は思う。その微笑みに、一欠片の歪みもなかったからこそ。
お前の浮かべた微笑みの理由を、俺は知らぬ。
力のかけらを並べて見つめ、ただ、微笑んでいた。その微笑みが何かににていると思い俺は、答えにたどり着く。そう、それは、殉教者のモノに似ていた。自らの全てを信じるモノの為に捧げる、悲しき殉教者。フーアの微笑みは、それに、よく似ていた。
あれほど、わがままなやつはいないと思っていた。けれど、ひょっとしたら、それすら仮面なのだろうか。あの微笑みが、フーアの本性であるのだろうか。自分を捨ててなお、微笑める残酷な清廉さが。
「フーア、何を笑っている?」
「え?……あぁ、半分、たまったんだな、と思って。もうちょっとだ。後少しで、この世界を救える。」
「お前は、世界を救うことを望んでいるのか?」
「はぁ?お前は馬鹿か?この世界が滅んだら、俺も滅びる。そんな事になるぐらいなら、さっさと救った方がましだろう?」
にやりと笑った顔は、いつものフーアのそれだった。だから俺は、それ以上問いかけることをやめたのだ。先ほどの微笑みの理由は何だと、問いかけたところで無駄だろうと。そんなことを、悟ってしまっていた。フーアはきっと、何も口にはしないだろう。
腹が立つほどに強情な子供だ。己が隠すと決めたことは、何があっても隠し通す。そんな、強さがフーアにはある。だが俺は思うのだ。それは同時に、誰にもさらけ出せぬ痛みを抱え続ける、弱さの裏返しなのではないのかと。
清廉とした微笑みを、俺は恐れた。その理由が、ようやっとわかった。消え入りそうだったのだ。どこかへと行ってしまいそうだったのだ。まるで、死を前にした人間の、穏やかさのように。凪いだ海を連想させる青の瞳が、俺は怖かった。
恐れているのだと、気づいた。何故と、自分に向けて問いかける。離れることは、それすなわち我が身の解放。ならば喜んで受け入れればいいというのに、何故拘るのか。あるいは、既に囚われているのかもしれない、俺は。あの、遠い瞳をした、少年勇者に。
出会いは最悪だった。その後のやりとりも、決して良好とはいえなかった。それなのに、何故か。俺はひどくあの少年を気にかけるようになった。フーアの内側にある闇を、知ってしまったからだろうか。放っておけば、そのままフーア自身を喰らい尽くしそうな、そんな、底の見えない深淵を、俺は見た。
「土と、風と、闇、か……。よろしく頼むぜ、アズル?」
「わかっている。」
「何だ何だ?ずいぶんと素直じゃないか。そうか、ようやっと俺の下僕になる決心がついたんだなv」
「つくか馬鹿者。諦めただけだ。」
「……ち。」
舌打ちをする姿はただの少年。その体に秘められた力は未だ未知数。世界全ての希望を背負い、ただ一人救済の使命を背負い、弱音を吐くことなく歩み続ける勇者。だが、これは、ただの子供なのだ。そう、俺は思った。
悪夢の前触れのような、清廉とした微笑みだけが、俺の脳裏から消えない…………。




