その後 佐久間編
―――やはり、見られている気がする。
伝票を打つ手をそのままに、少し目線を上げて前方を確認すれば。
向こうも頬杖をつきながら少し前髪で隠れた瞳をこちらに向けているのが分かる。
長い袖は口元を隠し、だけど私を見る瞳は物言いたげに揺れているのは隠しきれていない。
私が顔を上げればふいっと視線を下に戻し、仕事(だと思う)を再開する―――
これが、1週間も続いている。
流石の私も四時六中見られていては色々と居心地が悪い。というか落ち着かない。
何度かどうしたのか訪ねてみても、少しピクリと固まり、何も無いと首を横に振るだけ。
何も無いわけがないのは一目瞭然なのに。
……もしかして、少し前に隠し撮りを大量生産したのがバレたのだろうか?
それを飛鳥に見せて、前から見たかった恐らく全人類が歓喜するであろう裸同然の男達がぶつかり合う熱き戦いのDVDを借りたのはやはりマズかっただろうか。
それとも先々週の焼き肉の時の―――
色々思い当たる節がありすぎる。
しかし本人はそれを追求しに来るでもなく、中々問題が解消しないままずるずるといたずらに時だけが過ぎ去っていった。
「今日も頑張りましょうね」
今宵もまた、奥手な私は問題を解決する事も出来ず、いつも通りのんびりとした声で残業前に佐久間さんに声をかけらた私は、魔物を撲滅……殲滅するのに精を出すのだった。
*
「……やっぱり……同じ棍棒系ならモーニングスターってやつの方がカッコいいかもしれない」
棒の先にある球体に無数の棘がついたそれを目の前に、思わず呟いた。
すると隣に気配を感じる。
どうやらレジにいた店員がいつの間にか隣に忍び寄りっていたらしく、禍々しく黒光りするブツを指差した。
「おや、お客さん。興味ありますか? どうすか、手に取ってみますか?」
「え……」
頭に赤々しいバンダナを巻いた男性店員は、嬉々としてガラス扉を開け、白の手袋をした手でブツを取った。
そして私に毒の無い、爽やかな笑顔を向けてきたのだった。
迷彩柄の、なんと似合う事。
宮さん程マッチョではないが、中々に鍛えられた体格に爽やかな白い歯。
その方が何故このインストアの小さな武器屋を営んでいるのかは謎だが、この武器やら装備やらが壁高くギッシリと積まれた店の中にいる事自体は、なんら不自然ではなかった。
―――魔王戦でお亡くなりになってしまった高山さんの後継者として、兄から貰った木製のバットをジュニアと名付けたものの、やはりまだ数週間、まだ手に馴染んではおらず、あの2ヶ月の日々が私の心を締め付けた。
小気味いい音がまだ耳に残って―――って、これはどうでもよくて。
休日を持て余した私は、普段あまり行かないショッピングモールへと足を向け、本当にたまたまここに通りかかり、気になったから覗いただけだった。
世の中にはどんな武器があるのだろうと、少し興味がわいたのだ。(※ただし魔法のステッキ以外)
「あ、それ一応観賞用なんで、人殴っちゃ駄目っすよ~」
軽く握ってみた私に店員が笑って言った。
どうやら殴ってはいけないらしい。相手が魔物の場合はどうなのだろうか。
いや、どちらにしても使えないか。
「観賞用なんですね」
「勿論ですよ、庸子さん……。実物だったら庸子さん持てないと思いますよ……?」
「へ」
店員の言葉に相槌を打った筈だった私は、聞き慣れた声が返って来た事に驚いて振り向く。
するとやはりその声の主は佐久間さんだったようで、背後から私の手の中に収まっているモーニングスターを眺めていた。ので、見上げて疑問をぶつけてみた。
「どうしてここにいるんですか?」
「え……」
「え」
何故か言いよどむ佐久間さん。
休日に1人でいる事を指摘してはいけないのかもしれない。これは私にも言えるが。
「……えっと。僕の木刀もここで買っているんです。だから覗いて行こうと思ったら庸子さんが見えたので……」
成程。
そういう事にしておこう。
「ふふ。それにしてもこれ、室長が作ったステッキにどことなく似てますねぇ……」
先端の刺々しい突起を触りながらくすりと笑った。
モーニングスターと佐久間さん。
その構図は、柔と剛の対比、相容れない筈なのに何故かしっくりくるようなそうでないような、何とも言えない雰囲気を醸し出していた。
「では獲物をこれに替えても差支えはないですかね?」
「どうせなら一気にイメージ変えてこの鉄扇はどうですか? 室長とか喜びそうですよ」
「バット以上にリーチ短くするなら素手の方が楽です」
パチンと鉄扇を手に取りながら提案してくる佐久間さんに、現実を教えてあげた。
そんなたった30センチ程伸びた所で何も役には立たない(私には)
多少可愛らしさの助長はしてくれるだろうけど、私が欲しいのは力だ。
「私的にこの戟ってやつが気になってます。リーチもあるし痛そうですし」
「クナイとか飛び道具系は?」
「ノーコンでも大丈夫なら」
店員ばりにオススメしてくる佐久間さんの誘導をかわしながら、いくつか目ぼしい物を見繕ってみたものの、値段のそのあまりの可愛げの無さにジュニアが恋しくなった。
辺りを見回せば、隣の刀コーナーの端に木刀に似た仕込杖とかいうものがあるのが目に入る。佐久間さんにはこれを薦めてみようか―――って、店員忘れていた。
振り返ると、佐久間さんより顔1つ高い店員は顔を覗かせている。
「あの、すみません……」
「いやいや。俺が案内するより、彼氏にして貰った方がいいすよね~」
にこにこと、声をかけられた時と相変わらずの爽やかさで言ったせいで、瞬時に内容が理解出来なかった。
KARESHI……だと?
なんて恐ろしい誤解をしてくれる店員。佐久間さんに失礼ではないか。
訂正をしようと口を開く私よりも早く、佐久間さんが反応していた。
「カップルに……見えますか……!?」
それはそれは嬉しそうに店員に仰ぐものだから、流石に私も驚いた。勿論店員も驚いている。
……佐久間さんは私とカップルに見られたいのだろうか……?
……そんな風には全然見えなかったけれど。
そして店員が微笑ましげに頷くものだから、私の方へと振り向いた佐久間さんが諸々の武器を戻し。次いで私の腕を掴んだのである。
「庸子さん」
「は、はい」
「これから時間ありますか?」
とても真剣な顔をしていたので、つい私はごくりと喉を鳴らし、慌てて首を振った。
すると、よかったとふわりと笑う佐久間さんを見て、自分は本当にこういう顔に弱いのだと過去の人達を思い出して頭痛を覚えた。参った。
しかし、私が履歴を反芻しているうちに、佐久間さんに引っ張られながら武器屋を出て行く事になっていた。
「あ、あの、佐久間さん……?」
流石に色々と性急過ぎると声をかけるも、前を駆けてゆく佐久間さんの耳には届いてないようだった。
*
「お待たせ致しましたぁ。はい、こちら、“カップル限定ふわふわパンケーキ☆アツアツあまあまスペシャル”ですぅ」
可愛らしい女性定員の声と共に目の前に置かれた1枚の皿。
土台を始めチョコやイチゴや生クリーム、果ては皿の上にデコられたものが、これでもかという程全てハートの形になっているパンケーキとやら。
カトラリーが1人分しかないのは店員のミスなのだろう。
そして。
非常に甘ったるい匂いを醸し出すそのタワーを目の前に隣には、喜びを通り越したのだろうか、至って普通の顔で、だが視線はパンケーキを穴が開く程見つめている佐久間さんの姿があった。
「……佐久間さん、もしかして―――」
店内外至るところにある“カップル限定”のその文字を見て、一連の佐久間さんの言動に解明の糸口が見えた。
―――遡る事1時間前。
「……ごめんなさい、庸子さん。何も言わず、僕について来て下さい」
未だ捕獲されたままの私に、隣を歩く佐久間さんは言った。
見上げた先の彼はいつも通り口元を隠し、しかし少し浮足立ちながらといった風で目的地を目指しているみたいだ。
ちなみにショッピングモールは出て、駅前に向かって歩いている。人も段々と増えているようでとても賑わっていた。
そしてある1軒の店の前にはずらり並ぶと行列があり、もしやと思えば、歩む足は迷いもなくそれの最後尾に向かったのだ。
甘い香りを漂わせる店の壁沿い。行列の後ろから客層を見れば、若い女子やマダムが9割方を占める中、ちらほらと男性の姿もあった。
恐らく、この行列の中1人甘党男子が並ぶのには、流石の佐久間さんも勇気が無かったのだろうと瞬時に理解した。
マロニー事件の他にも焼き肉事件もたこ焼き事件もあったのだ、佐久間さんの為に私が出来る事といえば、こういった付き添い位なのかもしれない。
私は苦い歴代の敗戦を胸の奥に仕舞い込み、彼の為に行列の何時間でも待とうと決心したのだった。
しかしそれが半分正解で半分不正解なのは、店内のベルを鳴らしてからだった―――
「いらっしゃいませぇー。お客様は2名様でしょうかぁ?」
「はい」
「カップル様でよろしかったでしょうかぁ?」
女性店員の理解不明な言葉に、こくりと迷いもなく頷く佐久間さん。
驚いて顔を上げる私に向かい、『しっ』と口元に人差し指を立て、席を案内する店員について行けば。
若干ピンク色が増えたような奥まった場所に案内され、ペアシートに座らされたのだった。
そして注文の際には他の物には目もくれず、『これを下さい』とメニューの限定ページの最上部を指を差した“カップル限定”のパンケーキ。隣にはオススメと書いてあり。
お互い無言で前を向いて商品を待っていれば。
これでもかという位甘そうで、ゴテゴテの飾り付けがしてある、可愛らしいハート型のパンケーキが出てきたのだった―――
「……その。ずっと、気になっていまして……」
てへと申し訳なさそうに笑いながら、経緯をゲロしてくれたのだった。
雑誌で見た事、1人では行けない事、誘う人がいない事。
となるとこれは偽るしかないと思い至り、私に協力を仰ごうと機会を窺っていたと。
しかし私が甘い物が得意ではない上、カップルに見えるかどうか不安で中々言いだせなかったと言った。
「最初から言ってくれれば、いつもお世話になっているので普通に行ったのに」
「でも……その。悪いかなぁと……」
「とんでもない。私の方こそ釣り合わないので精一杯演じるつもりですよ。それに店員はエスパーじゃないんですから、言わなければ分かりませんよ」
「……そうですか? だって庸子さん、まだ僕達……いえ、僕に遠慮してますよね……?」
少し首を傾げて私の目を見てくる佐久間さん。
思わず視線が泳ぎ、とろり、とアイスの天辺が溶けているのが見えた。まるで私の冷や汗を体現しているかのよう。
「……遠慮……ではありませんが」
私の心の内も外も、別に遠慮している訳ではない。
ただ、いらん事が大多数なだけであって、それを本人に伝えたり知られたりしては私が死ねると思って言動を選んでいるだけ。
それに。
「それに、佐久間さんはよく分からない人ですからね」
「む……」
多くを占めるのはこれだけれど。
直ぐ隣にいる佐久間さんの頬が膨れる。
いつか言われた台詞を、数か月の時を経て打ち返す事に成功した。
「でもちゃんと武器屋でもここでも通じたんですから、普通に仲間に見えるんだと思いますが」
「うーん……」
だけど、それ位近寄らせて貰っているのは確かだ。
「ほら、そんな事より食べないんですか? 早く食べないと大変そうですよ」
自分のブラックコーヒーを手に取りながら促すと、少し納得いかない表情を浮かべたものの、溶けかかっているアイスを見るとナイフとフォークを持ったのだった。
私に申し訳ないと言いつつも、美味しそうに平らげていく佐久間さん。
それだけで1時間並んだ甲斐があったというもの。
今日一番のとろけそうな笑顔なので、鞄に入れたスマホを取り出そうとする手を押さえるのに必死なのは内緒だ。
荒ぶる右手を鎮め、直視しないよう周りを見渡せばゼロ距離カップル達。
勿論1組のカトラリーで十分そうだ。
……そういえば昔やってたなぁ。
なんて遠く淡い記憶が甦り、もう2度と無理だなと思っている私の目の前に、白い悪魔が顔を現した。
「はい、あーん」
「……」
「あはは、冗談ですよ」
無言でねめつければ、いたずらっ子のように無邪気な笑顔で手を引っ込める。
大量の生クリームをぺろりと頬張り、相変わらずの甘党ぶりに胸やけがしてきた。
急いでコーヒーを胃に流し込み、パンケーキを撮るフリして盗撮してやると鞄に手を伸ばすと。
「はい、どーぞ」
今度は赤いイチゴが目の前を占拠した。
隣を向けば、『好きでしたよね?』と頭を垂れる姿。
ふわふわの髪が揺れ。
睫毛の奥の瞳が私を映し。
長い袖から少し見える指が持つフォークが、イチゴが私を誘っている。
―――この誘惑に乗せられるべきか否か。
しばらく真剣に悩んだのは言うまでもなかった。
*
「―――で。結局どうしたんだ?」
そう言って私の方へ肩を寄せてくる宮さん。
巨体を近づけてくれるお陰で、私は椅子の上で出来る限り身体を反らさざるを得ない。
そこから首だけそちらへ向けて、返事をした。
「折角兄に貰ったバットがあるので諦めましたよ」
「いやそこじゃねぇよ」
モーニングスターという名の棍棒を持って暴れたのならば、それはもう自称他称ゴリラの私は大切な何かを忘れてしまうかもしれない。
バットはまだスポーツマンシップ精神が宿っていると思うから大丈夫。
―――今朝、佐久間さんの無言の視線が無くなった事にいち早く気付いた宮さんが、真っ先に私の所へ事情聴取に来たのだ。
そしてカップル云々の話は伏せて、武器屋で偶然会ってカフェへブレイクしに行ったと言ったのに、店名と佐久間さんの普段より3割増しの目尻の垂れ具合を見て、いつも通り素晴らしい観察眼で昨日の出来事をズバリ言い当てられてしまった。
伊達に年は重ねていないのか、はたまた首突っ込みたがりなのか。
宮さんにはお手上げだ。
ちらりと前方にいる佐久間さんを見れば、黙々と仕事をしているのだった。
「1つのカトラリーでやる事ぁ1つしかねぇ。な、庸子?」
相変わらず楽しそうに見てくる宮さん。
全くこの人は。
いつか宮さんにもそういう人が現れた時は全力でニヤニヤしてやろう、私が受けたニヤニヤを全て打ち返してやろうとそう心に決めた。
「……勿論食べま―――」
「ヨーコ君! 抜け駆けは酷いではないか……っ!」
ソファで静かに雑誌を読んでいたと思っていた室長が振り返り、私を責める。何故?
「こ、この店は昨年出来たばかりで、開店から変わらず人気があるのだ! 私も目をつけてはいたのだよ!」
「そうですか」
「そしてつい最近通常メニュー以上の気合の入れ方と可愛らしいそのカップル限定メニューが出来てだな……。……しかし、その……」
室長が言い淀む。
しきりにもごもごと口を動かしていると思えば、今度は手で口元を覆う。
そして。
「っ君は、興味がないと思っていたのに! 君が一緒に来てくれるのだと知っていれば、さっさと誘ったものを―――!」
頬をわずかに染めた室長は、拳を握り締めて叫んでいた。
顔を伏せ、悔しそうに肩を震わせている室長。
それを尻目に宮さんの方を見れば、ひょいと肩をすくめられ。
佐久間さんの方を見れば、てへとはにかまれたのだった。
何故。
何故ここの男性陣は食べ物(甘い物激含む)にここまで執拗なのか。
「こ、今度私と行こうヨーコ君……!」
「嫌です」
「なっ、何故っ!?」
その貪欲さがあれば、私を使わずに何だって出来ただろうに。
……あ。
「室長。いい事思いついたかもしれません」
「む、なんだねヨーコ君」
未だ至福の表情を色濃く残している佐久間さんには朗報だと思う。
「魔法使って女子になった佐久間さんと行けばいいんじゃないですか?」
ウィッグと化粧だけでも十分だという台詞は呑み込んで。
これで甘党の男性陣は私に借りを作る事もなくゲロ甘なパンケーキをたらふく食べる事が出来、私も周りのイチャイチャ風景にあてられずに済む。皆平和に幸せになれる。
食べに行く前にでも技をかけて使用量をアップさせれば、室長だって苦しくはならない筈だし、運動の後の御馳走は段違いに美味しいだろう。
我ながらいい案が浮かんだと、ホクホクと顔をあげれば。
物凄い形相をした3人の顔が私にこれでもかと向けられていたのだった。
「…………駄目なんですか?」
その表情から導き出される答えを恐る恐る問いかけると。
「駄目に決まっているだろう!」
「嫌です!」
「見たくねぇ!」
またこれでもかと頭ごなしに怒鳴られた。
何故。
何故私が間違っているような感じで怒られなければならないのだ。
町の平和の為に魔法を使って夜な夜な戦っているのだ、たまには自分達の欲に使ってもいいのではないか。
自分に甘くしてもバチは当たらないというのに。




