番外編2 小話【もしものプロローグ】
エリエノールたちの物語には、こんな始まり方もあったのかもしれない――そんな〝もしも〟のプロローグです。
エリエノールは黒光虫を食べていた。
艶のある漆黒の昆虫を生きたまま口の中に放り込み、暴れる脚に手のひらと顎をぺしぺしと叩かれながら、しだいに大人しくなっていく奴をむしゃむしゃと咀嚼する。
ごくんとそいつを飲み込むと、地下室の扉がギィイイと開いた。
それは隣国からの迎えが告げた、エリエノールの世界が変わる音だった。
***
魔法学校の学生寮の窓から、燦々と朝日が差し込む。光り輝く淡い金色の髪を手櫛で梳かし、左頬の大きな傷痕を覆い隠す。
いつも通りのエリエノール・ランシアンが出来上がり、碧色の瞳は鏡を見た。真新しい制服とローブに身を包んだ十五歳の少女は、今日から魔導師見習いになる、魔法学校の新入学生だ。
憧れの紺色のローブに心を踊らせ、けれど歳の頃に合わない小さな体躯を改めて実感し、エリエノールは惨めになる。
青春真っ盛りの女の子らしい華やかさの代わりに醜い数多の傷痕をそこらじゅうに持つ彼女は、〝可愛い女の子〟を心から羨んだ。
外に出た小さなローファーは石畳の上を半ば引き摺られるように叩き、うつむくエリエノールは腕を引かれる。
隣にいるのは数日前に出会った異世界者の少女で、〝神の慈悲を頂く乙女〟のミクであった。
視線をほんの少し上に向ければ、魔導師見習いの紺色のローブが風に揺られている。たくさんの仲間たちが歩く光景は、ずっと夢見た世界そのものだった。
本で読んだ憧れの世界に飛び込めた喜びとともに、ここでやっていけるのかと不安も覚える。
薄紅色の花が咲き、花びらが舞い散るあたたかな春の日。少女は憧れの紺色のローブに心躍らせ、大きな不安と小さな期待を胸に学校生活を始める――……。
――なんて場面だけを切り取れば、エリエノールだって普通の新入学生の女の子のように思われただろうに。
エリエノールは、ずっと、ずっと、〝普通の女の子〟になりたかった。
『ばーか』
さて、こちらは、たったいま、右隣の男子生徒からエリエノールの教科書に落書きされた文言である。
それを見てぺしょんと心が落ち込んでしまったが、それを表情には出さない。正しく言うのなら、出せない。
エリエノールの右隣の男子生徒は、この世界に存在する同年代の男の子のなかで、最も尊い存在だ。
西大陸を支配する大国、リュウールシエル王国の次期国王となる予定の王太子。名をサイード・リュウールシエルという。
正直なところエリエノールは、彼のことがものすごく苦手だ。
まず、彼は第一印象が見た目以外はほぼ最悪だった。
たしかに容姿についてはさすがは王の子だと言うべきか、非の打ち所がないほどに美しかった。
すっきりとした輪郭に、通った鼻筋。きりりとした眉に、形の良い唇。艶のある髪はシルバーグレーで、長い睫毛に縁取られた瞳は明るいオレンジ色。
そう、それは良しとして……。
エリエノールの脳裏に、あの日のことがふとよぎる。
***
あの春の日のこと。
エリエノールの薄い肩は小刻みに震え、我慢できなかった嗚咽が漏れる。
昨日魔導師見習いになりたてほやほやのエリエノールは、授業初日からべしょべしょに泣いていた。隣の席の男子生徒に、朝っぱらから意地悪されたのだ。ぽたぽたと涙が頬から落ちて、廊下にちっちゃな水たまりをいくつもつくっていく。
彼が謝りながら申し訳なさそうに涙を拭ってくれたが、泣かせた張本人に突然ころりと態度を変えて気遣われても、困惑することしかできなかった。
呼び出しを食らって嫌々付いてきてみれば、不機嫌そうな彼に壁際まで追い込まれた。背が高く筋肉質な男の人に迫られて怖くて震えていたら、いきなり顔に触られた。
エリエノールの左頬には、隣国にいた頃に義姉に殴られたときの大きな傷痕がある。
新生活を送るにあたって虐待されていた過去を隠さんとしたエリエノールは意固地になって彼の手を引き剥がそうとしたが、あっけなく髪をかき上げられて傷痕を見られてしまった。
彼は明らかに、その傷痕を見て気味悪がった。顔を引きつらせて目を見開いた表情の意味なんて、元引きこもりだって理解できる。
隠したかった傷痕を暴かれて、エリエノールの涙腺は情けなく瓦解したのだ。
抱きしめられたって、彼の印象が悪いことは変わらない。こういう過去もあってエリエノールは、サイードのことが苦手なのである。
***
ある日の授業中。ぽいっ、と机に紙切れが放り投げられる。右隣に座る彼が綴った暗い橙色の文字は、エリエノールに問いかけた。
『君の特技は何だ?』
はい、それは黒光虫を生きたまま食すことです――なんて馬鹿正直に答えるほど、世間知らずではないつもり。エリエノールは、夜空の色で返答を綴る。
『眠気と空腹に耐えるのが得意です』
エリエノールとサイードの距離感は、やっぱり、なかなか縮まりそうになかった――……
【もしものプロローグ】 おわり
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こんにちは、こんばんは、おはようございます。お久しぶりの方は、お久しぶりです。ゆうやけあかねです。
この作品『虫食い姫は隣国の王太子殿下から逃れたい。』を連載しておりました時は、幽蠱花茜〈ゆうやけあかね〉と名乗っておりました。現在は、読みは変わらず、字をあらためまして、幽八花あかねと申します。
さて、今作――わたくしのWeb小説投稿処女作である「虫食い姫」ですが、大学受験を期に執筆をお休みした後、なかなか帰ってくることができずにおりました。
いずれは完結まで書きたいという思いは胸に抱えつつ、他の創作物に触れたり他の作品を書いたり勉強したりと日々を過ごすうちに、書き直したいところがあふれてきて手の付け方がわからなくなった……という状態です。
こちらの文章を書いている今現在では、まだ物語の続きの執筆も既存部分のリメイクもできていないのですが、今後の方針は立てられましたので、こうして筆を執っています。
いつ頃になるか、というお話はまだできません。
が、そろそろ、もう一度、この作品を執筆しようと考えております。
それにあたり、リメイク版として10万文字台で完結する「虫食い姫」の物語を執筆、現在投稿済の部分の前に新版として投稿する予定です。
続編を書くことがあれば、現在投稿済の部分の続きに投稿したいと思っております。
エリエノール、サイード、レティシア、ミク……などのキャラの名前やベースの人格設定は活かしつつ、世界観の設計やプロットから見直し、新しい物語をお届けするつもりです。
また、その際、新版のタイトルは「虫食い姫のコドクな魔術」とあらためます。
そのため、この作品の現在のタイトルも『虫食い姫のコドクな魔術(旧題:虫食い姫は隣国の王太子殿下から逃れたい。)』としております。
これから書き上げる決意も込めて、です。ご了承ください。
まだまだ再始動しはじめたばかりですが、エリエノールたちの物語をまた紡げると思うとわくわくします。頑張ります。
今後も何か進展を起こせたタイミングでこちらに顔を出したいなと思います。
よろしくお願いいたします。では、また。
2023年6月1日 幽八花あかね
2023年8月30日 追記
タイトルを「虫食い姫のコドクな魔術」にしました。これからのんびり旧版「虫食い姫は隣国の王太子殿下から逃れたい。」を完結させて、新版の一章に繋がるようにしたいと現在は進めております。よろしくお願いいたします。




