24. 事変の後の男子会、その後
「なんであんなことをしたのか、本当に分からないんだ。ただ、血の匂いがした後に――彼女を押し倒したり、キスしたりしていた」
「血の匂いですか……。何かの魔法とか誰かの魔力――にしては不可解ですね。精神魔法は闇属性ですから、そうなら殿下には分からないはずですし……」
サイードは聖属性適性なので、対となる闇属性の魔法や魔力は感知しにくい。
「だよな。……で、彼女に服従の魔法をかけた犯人は分かったか?」
服従の魔法は禁じられた魔法で、人にかけることが許されない魔法だ。
国によっては奴隷の調教に使うこともあるそうだが、奴隷を禁止しているリュウールシエル王国では誰に使おうと懲罰もの。普通は家畜や魔物相手にしか使わない。
サイードの問いに、アベルが言いづらそうに答えた。
「……それが……サンドリーヌ・ナセリ様のようなのです」
「サンドリーヌ・ナセリ……。ナセリ侯爵家の娘だな。高等部三年の女子生徒のはずだが、生徒が犯人だったのか?」
服従の魔法は魔導師となる実力を持った上で特別に練習しないとまともに使えず、教師でさえも使えるかどうか分からないようなものだ。
生徒なんかにも普通なら使えるはずがなく、誰が犯人にせよ今回学園内でこんな事態になったのは異常なことだった。
「ナセリ様が魔力枯渇で倒れて、いま医務室にいます。服従の魔法らしい詠唱をしていたと、彼女の友人たちが証言したそうで」
「……やっぱり何かおかしいよな」
魔力枯渇を起こしたということは、サンドリーヌの能力では本来使えないはずの魔法を使ったということ。
まだ確定ではないが、服従の魔法を使ったのが本当にサンドリーヌなら、彼女にその魔法を使わせた――裏で糸を引いている人がいるはずだ。
「……また、レティシア様に近しい人ですね」
「ああ、サンドリーヌ嬢はレティシアの従姉妹だものな。レティシアの友人たちもエリエノールに嫌がらせをしていたし……まあ、お前の言いたいことは分からないではない」
レティシアの周囲の人がエリエノールに危害を加えているとなると、たしかになにか怪しい。レティシアがそんな子だとは思っていないが、きな臭い感じがするのは事実だ。
「あと……あの噂を、ご存知で?」
「あの噂じゃ分からん。どれだ?」
いま学園では、サイードやふたりに関連した噂がいろいろと流れている。
この流れで出てくるような噂には何件かの心当たりがあったので、「あの噂」などという言い方では全くどれだか特定できなかった。
サイードのその問いに答えたのは、しばらく何も喋っていないジャンだった。
「あれでしょ? 成人祭でエリエノールがやられたのがレティシア様のご友人の仕業かもっての」
「そうです」
「ジャン、起きてたのか」
ソファに座って目を瞑ったまま何も喋っていなかったので、今の今までてっきり寝たのかと思っていた。いきなり話に入ってこられるくらいだし、一応聞いてはいたようだ。
「アベルと殿下の話が難しすぎて参加してなかっただけですよ。俺には面倒くさい話はよく分かんないっす」
「そうか。それで、そんな噂が本当にあるのか? エリエノールがあの日に怪我をしたことは周知されていないだろう?」
エリエノールが成人祭の日に何者かに襲われて怪我をしたことは、彼女の近くにいた人と捜査関係者しか知らないはずだ。ことがことゆえに慎重に動いていて、無闇やたらに人に知られないようにしている。
「そう。だから妙なんです。しかもその噂の内容がよくよく聞いてみるとおかしくて、共通してるのが『レティシア様のご友人が虫食い姫のドレスを切った』なんですよ。誰もエリエノールが怪我をしたことは噂してないんです」
「レティシア様が怪しいという見方もありますが、誰かがレティシア様を陥れるために何か画策している可能性もあります。ほとんど信じている人はいませんけど、『レティシア様が虫食い姫を虐めている』噂もありますし……」
「……エリエノールは直接的に身を狙われているが、レティシアには社会的な地位をおとすような企みがされていそうだ、ということか」
レティシアは由緒正しき公爵家の娘で、しかも王太子であるサイードの婚約者だ。彼女を陥れたい輩がいても全然おかしくはない。
「あと今日、殿下が狙われている可能性も浮上しましたね。血の匂いの件も合わせて、女性関係の醜聞で殿下を貶そうとしている可能性が」
「ああ、そうか。そういう可能性もあるのか……。なかなか頭が痛いな」
エリエノールも、レティシアも、そしてサイードも。何者かの悪意に狙われている可能性がある。犯人の目星も解決の兆しも何にもないから、これから警戒し続けなければならないだろう。
「……あれ? エリエノール起きた?」
ジャンの声を聞いてソファの上を見てみると、たしかにエリエノールがもぞもぞとしていた。ゆっくりと起き上がると、とろんとした目であたりをきょろきょろと見回す。
(……可愛い)
「んっ? あれ……? あ、でんか……おはようございます……?」
「うん、おはよう。……まだ三時前だがな。あの魔法は解けたようで良かった」
ジャンやアベルにではなく、まず『殿下』に気づいてくれたのが嬉しかった。彼女のいるソファに寄って、その隣へと座る。
「さんじまえ……ああ、なら、ひさしぶりによくねむれました。さいきん、あんまりねれてなかったから……。きょうは、いたくなくてよかった……」
きっとここ最近寝不足だったのは悪夢のせいだろう。彼女の義姉が暴力を振るってきたときの夢を見て、安眠できなかったのだ。よく眠れたと言うなら良いが、彼女はまだ眠たそうに見える。
「そうだな。まだ眠そうだから、こんな時間だしまた寝たらどうだ?」
「うん……でも、おふろ入らないとなので……おふろいきますね」
そういえばサイードは風呂上がりに彼女を見つけたから問題なかったが、彼女はあのとき昼間の格好のままだった。まだ風呂に入っていないのだろうが、なんとなくその様子は手慣れている感じがする。
三時前に目覚めたくせに「よく眠れた」なんて言う様子と目覚めてすぐに風呂に行こうとする様子から、いつもこんな時間に起きて風呂に入っているのではないかと思われた。
「ああ、そうか。……いつもこんな時間に入っているのか?」
「きずがあるから……みんなといっしょに、入れない……。わたくし、みにくいから……」
うとうとしながら呟かれたその言葉には悲哀感はなく、ただ当たり前のことを述べたというような口調だった。自分のことを「醜い」と思ってそう口にすることに、もう慣れてしまったかのような。
「エリエノールは、醜くない。綺麗で可愛いよ」
その台詞は本心だったはずなのに、自分でもやけに空虚なように聞こえた。碧色の瞳が冷たくこちらに視線を向け、そしてすぐに離れる。
「うそつき。あの日は、きみわるがったくせに」
そう言うと彼女は一度もこちらを振り返ることなく、西の女子寮の方へと歩いていった。男子であるサイードがそれを追いかけていけるはずはなく、ただ彼女の消えていった方を眺める。
(嘘つき、か)
彼女の言ったあの日というのは、サイードが勝手に彼女の傷を暴いた授業初日のことだろう。あの日のサイードの愚かな行動が、今もエリエノールの心の傷になっているのだ。
寝ぼけながら言ったあの言葉はきっと彼女の本心で、サイードが謝ろうとすぐに許してもらえるはずはなかったということだ。苦い思いが胸の中に広がり、どうしようもないほどに後悔する。
「……やっぱり僕のことを誰か殴ってくれないか」
「お断りします」
「俺も同じく」
あっさりばっさりすぐに切られた。王太子であるサイードのことなんか殴れないだろうことは分かっていたが、今は本当に誰かに殴られてしまいたい気分だった。
「てか、さっきから何なんです? 俺らが殴ればエリエノールが殿下のこと許すとでも思ってるんですか?」
「そうではない。だが……悪いことをしたからには、罰を受けて然るべきだとは思う」
「それで? 罰を受けたらそれで満足するんですか? エリエノールが殿下のせいで嫌な思いしたのは変わらないのに、殿下は罪悪感を覚えなくなるんですか?」
「……何が言いたいんだ、ジャン」
サイードが苛立ったような表情のジャンを冷たく見据え、なんとなく緊迫した空気が流れる。
「……俺は、エリエノールのことが好きですよ」
「はっ?」
衝撃的な告白に、サイードは固まった。ジャンがエリエノールを好いていそうなことには気づいていたが、いま言われるとは全く予想していなかったのだ。
「酷いことしたって思うなら、その償いはエリエノールにするべきではないですか? まあ、殿下があんまりにも反省しないっていうなら、俺が彼女のこと慰めてあげちゃいますけど」
「なぜ僕にそんなことを言うんだ」
「傷心中の女の子に優しくすれば、惚れてもらえる――ってのは、嫌な言い方ですけど。俺は殿下の悪いところに共感してエリエノールを癒やすこともできるって話です。そしたらエリエノールは殿下のことを良く思わなくなりますよね。でもそれは俺の本意ではないというか、俺はエリエノールの『大事なお友だち』として、他の友だちを増やすのを邪魔したくはないんです」
「……なるほど?」
「つまり俺が下心出す前に殿下が頑張ってくれないと、殿下を悪者に仕立て上げて俺がエリエノールのこと奪っちゃいますよーってことです」
「……まるで僕がエリエノールを女の子として好いている前提であるかのような言い方だな」
ジャンの今までの話を聞くと、どうやらサイードは〝恋敵〟として扱われているような感じだった。
けれどこの情はアベルには察せられていたとは言え、他の人にはまだ気づかれていないと思っていたことだ。
くだらない噂としてしか、サイードがエリエノールに惚れたという話は出回っていないと思っていた。
「……殿下、エリエノールのこと好きですよね?」
「何故そう思う。どうせ噂のせいだろう」
「いや、ミク嬢が言ってるじゃないですか。『エリエノールはサイード様のもの』って。俺は『当て馬』らしいっすよ」
「はぁ……?」
サイードはまだエリエノールを自分のものにしたつもりはないのだが、ミクは本当にそんなことを吹き回っているのだろうか。彼女は単に、サイードに恋をしている側の人だと思っていたのだが。
「その様子だとご存知ないようですね。……俺、個人的にはミク嬢めっちゃ怪しいと思いますよ。レティシア様への悪意もやばいですし、あの子、なんか変ですって」
「そうか。……一応、頭には入れておこう」
「はい。そろそろ俺らも男子寮戻りますかね。殿下も眠さのせいか頭働いてないみたいですし?」
「ああ、そうだな」
「はい」
そうしてサイードとジャンとアベルの三人は連れ立って、それぞれ男子寮の自分の部屋へと戻っていった。
サイードは疲れていたので眠かったはずなのだが、先程までエリエノールがベッドの上にいたことを思い出すと、悶々としてなかなか眠ることができなかった。
金曜日の晩にエリエノールが男子寮のサイードの部屋に侵入し、今日は日曜日。サイードとエリエノールは、休日なのにも関わらず校舎の教室の中にいた。
「実際やましい関係ではないとは言え、わたくしたちをふたりきりにするってどうなんでしょうね」
「そうだな。……ところでエリエノール。どれくらい進んだ?」
「今……三分の一、くらいです」
「これ、いったい何を書けっていうんだろうな……」
ふたりはうんうんと唸りながら、一枚の紙と格闘していた。何をしているかと言うと、反省文を書かされている。
アベルが得意の口止めをしていたはずなのだが、昨日のうちにあの事件のことはほとんど全校生徒の間に広まっていた。目覚めたサンドリーヌは服従の魔法の件を認め、退学処分となって学園を去っていった。
サイードとエリエノールは、服従の魔法のせいではあるのだが、規則違反となる行為をしたということで、相応の処分を受ける羽目になっている。
異性の寮に侵入したことでエリエノールは明日から五日間、異性を部屋に匿ったことでサイードは三日間、停学処分を受け謹慎せよということになった。
基本は自室に籠もり、食事や入浴なんかは他の人がいない、決められた時間にひっそりと行わなければならない。
「……ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございません。殿下」
か細い声で、エリエノールがそう呟くのが聞こえた。反省文を書きながら、彼女と会話をする。
「君が悪いわけではないだろう。誰が真犯人かは分からないが、君に非はない」
「でも、わたくしが、サンドリーヌ様たちに付いていかなければ……理性が戻った段階で、すぐに殿下のお部屋から出ていっていれば……そもそも魔法が使えないわたくしなんて、学園にいなければ良かったのです……」
「そんなにいろいろ挙げられるなら、反省文は余裕で書けるな。でも君は悪くない――おい、どうした?」
思いついた数行の文を書き終えて一旦顔を上げてみると、エリエノールは泣きそうな顔をしていた。何かを堪えるようにぐっと唇を引き結び、眉間に少し皺を寄せて、瞳を潤ませている。
「レティシア様にも、ご迷惑をおかけしてしまって……また、変な噂が広まって……わたくし、なんかと、殿下が、恋仲のはずなんてないのに……」
耐えきれなかったのか、碧色の瞳からぽろりと涙が落ちた。小さな手が、乱暴にそれを拭っている。
今回の件が皆に知られたせいで、「王太子殿下がレティシア様との婚約を破棄して、懇意の仲の虫食い姫を妻にする」噂が一気に広まったのだ。
エリエノールはレティシアのことを心配しているようだが、サイードに恋をしていないエリエノール本人も、こんな噂が囁かれるのは辛いところがあるのだろう。
「そんなふうに拭ったら、目が腫れてしまう。……ほら、これで拭け」
さすがにこの状況でサイードが恋人のように涙を拭ったら嫌がられるだろうと、ハンカチを差し出した。彼女はそれを受け取ると、またぽろぽろと涙を零す。
「ごめんなさい、ありがとうございます……。そういえば、殿下にお借りしたローブ、どうしましょう……」
「ああ、そうか。……君の服も返さなければ」
「……寮母さんに頼んで、寮母さん経由で返していただきましょうか。下手に会うわけにもいかないですし……。お洗濯してから、寮母さんに渡しておきますね」
「うん、分かった。君のは――さすがに僕が洗濯するのは嫌だろうから、そのまま返すので構わないか?」
「はい、それでお願いします――」
泣いている彼女のことを、慰めたくてたまらなかった。抱きしめて頭を撫でて、「大丈夫だ」と言ってやりたかった。
けれどこの状況下、今はふたりきりでも、何処で誰が見ているか分からない。皆の誤解を加速させないためには、サイードはエリエノールにべたべた触らない方が良いだろう。
だからただ「君は悪くない」と何度も伝えるのにとどめて、ふたりで反省文を書き続けた。エリエノールは目元を赤くして、可哀想なくらい泣き続けた。
次の日から始まった謹慎生活では処分を受けている者同士、外出許可がされている時間が同じゆえに廊下や食堂で遭遇してしまうことはあったが、ふたりが一緒にいたり話したりすることは許されなかった。彼女を見ることはできても、触れることはできないまま。
寮母さん経由で返してもらったローブからは、ほんのりとエリエノールの匂いがした。その匂いを嗅ぐと恋しさが募り、彼女に会いたくなった。
あの侵入事件の日――初めて血の匂いの後に、自分の意思でない行動をしてしまった日。あのときのサイードは、これからそんなことがもっと起こるなんて思っていなかった。また起こるかもしれないという可能性くらいしか考えていなかった。
あれはただの始まりに過ぎず、これからもっと狂っていくだなんて知らずにいた。
これでサイード視点終わりです。次からの「殿下御乱心」編は、エリエノール視点に戻ります。引き続きお楽しみいただけますと幸いです。




