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虫食い姫は隣国の王太子殿下から逃れたい。  作者: 幽八花あかね
隣国の王太子殿下から逃れたい。2章

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20. 姫の傷

壁ドン編、殿下の好感度ガタ落ちシリアス回です。



 あの日のことは、今でも強く後悔している。



 姫はずっと無表情で、目が合ってもすぐに逸らす。そのつれない態度に腹が立って、入学式翌日のサイードは不機嫌の頂点ピークを迎えていた。


 年頃の女性はみんな自分に好意を抱くもので、自分が触れれば喜び、自分を見れば笑みを浮かべるもの。傲慢にもそう思って生きてきた。


 だから、サイードを恐れて怯えて拒絶する彼女のことが許せなかったのだ。自分の怖がらせ作戦で怖がるのは許せるつもりだったが、普通の自分を恐れられるのは嫌だったのである。自分でも思うが、面倒くさいことこの上ない性格だ。


 それゆえその不可解な行動のわけを問いただすべく、あのようにひと気のないところに連れていった。

 

 サイードが彼女のせいでもやもやしていることに気づいていない彼女にムカついて、詰め寄ろうとした。逃げる彼女から出た言葉は「近づきたくない」だった。


 生まれてこのかた、女性からそんなことを言われたことはない。サイードと関われることを喜ぶ女性はいても、嫌がる女性はいなかった。プライドを傷つけられたと感じ、幼稚にも仕返しを試みた。


 嫌がっていると分かっていながら彼女を壁際に追い詰め、壁に腕を突いて彼女の逃げ場をなくす。「僕が嫌いか」「僕が悪いことをしたか」と問えば、それには否定した。「男が怖い」ことには肯定した。


 姫が恐れるのが自分ではなく男性全般だと分かり、一瞬安堵した。しかし大談話室や男子寮で聞いた彼女の噂を思い出すと、そう安堵してもいられなくなった。


 姫がサージュスルス王国では虐待されていたという噂が、学園の一部の生徒の間で囁かれていた。顔を隠しているのも、きっと傷があるからだとか何とか。


 また、男子寮ではもっと酷い噂もされていた。

 姫の養母である侯爵夫人は何年も病に臥せっていたらしいから、その間養父である侯爵の夜の相手は姫がしていたのではないか、と。姫を引きこもらせていたのも、侯爵が未成年の養女に手を出しているのが世間に知られたら困るからだ、と。


 そんな下世話な噂を思い出してぞっとして、あの噂が事実なのかもしれないと思ってしまった。


「侯爵のせいか」と問うてもきょとんとしていた彼女。彼女が屋敷で虐待されていたのか、本当にその顔に傷があるのかを自分の目で確かめてみたくなった。悪質な好奇心だ。


 顔の方に手を伸ばすと、払い退けようとされる。思わず掴んだ彼女の細い手は、力を加えたら簡単に折れてしまいそうで怖かった。


「答えろ」


 自分で出そうと思っていた声より、低い声が口から漏れた。姫の身が強張り、怖がらせてしまったと後悔してももう遅い。

 申し訳程度に手を握る力を弱めると、彼女は消え入りそうな震えた声で答えた。


 そして『殿下には関係ありませんから。もう、離れてくださいませ』なんて言って、手を振り解こうとする。


 何もないならそう言えるはずなのに、彼女は答えずに話を終わらせようした。だから事の真偽を、自分の目で確かめることにした。酷い手段を取ることにした。


 一旦は手を離し、彼女を油断させたのだ。彼女が警戒を解いている間にその左頬に触れる。途端に姫は血相を変え、サイードの手首を両手で掴んで必死にその手を自分から離させようとした。


「殿下!」


 その悲痛な声を聞きながら頬を撫でる。彼女は顔を青褪めさせ、今にも泣きそうだった。それに気づいていたのに止めなかった。

 サイードの指や手のひらに彼女の感触が伝わり、皮膚に凹凸があり引きつっていることを知る。彼女の頬には傷痕があるのだと分かった。


「殿下……!」

「この傷は、誰にやられたんだ?」


 唇を噛んで話しそうにない姫の様子を見て、さらに追い詰める。顔を隠していた前髪を手でかき上げ、露わになった傷痕を見て思わず息を呑んでしまった。


「ッ!」


 肉が抉られたような、そんな傷。侯爵はそんなに酷い暴力を振るったのかと、勝手な予測で憤った。そして男子寮で聞いた下世話な噂もやはり本当なのだろうかと、しばし考えてしまった。


 きらりと光るものが見え、はっと我に返る。碧色の瞳からぽろぽろと涙が落ちていた。


 初めて自分のせいで、か弱い女の子を泣かせてしまった。自分の振る舞いの最低さに気づいたのはそのときだった。


「……そんなに、人の傷痕がご覧になりたかったのですか? 悪趣味ですね」


 その声はサイードを責めていた。悲しそうに、辛そうに、彼女は涙を零す。彼女の心を、いま自分のせいで傷つけてしまったのだと分かった。


 ただ避けられる理由が知りたくて、それを聞きたかっただけだったはずなのに。くだらない噂とプライドに振り回されて、彼女の見られたくなかったものを暴いてしまった。


 普段はもっと自制できていたはずだった。自分が思っていたよりもさらに強く、サイードは彼女を恐れていたのかもしれない。自分の王位継承が危ぶまれることばかりを気にして、相手がただの女の子だという認識ができていなかったのだ。


 自分にとって存在すると都合が悪い相手でも、傷つけて良いはずがなかったというのに。


「これは、義姉に殴られたときの傷痕です。身体強化魔法をかけた拳で殴られ、彼女がつけていた指輪の装飾が肉を抉っていきました。その際血と皮膚――」

「もう、それ以上言うな」 


 追い詰めて言わせたのは自分なのに、諦めたようなその言葉を最後まで聞くことはできなかった。


 暴力を振るわれたときのことを、詳細に語らせたかったわけではない。辛いことを思い出させたかったのではない。


 彼女の声を聞くほどに、自分の内面の狡猾さや醜さを思い知った。サイードが彼女を傷つけてしまったにも関わらず、それを思い知らされる辛さを味わいたくなかった。


「傷痕を眺めるご趣味がおありでしたら、他のものもご覧になりますか? この袖をまくれば、すぐにでも見られますよ。お望みならどうぞ?」

「お願いだから、もうやめてくれ」


 彼女の体には他にも傷があるらしい。いったいどれほどの暴力を、この小さな体で受けてきたのだろう。


 その傷を見たり虐待の話を聞いたりするような勇気はなかった。無理やり暴いて知ったくせに、いざ深入りするかと言うと怖気づいて拒絶する。どうしようもない意気地なしだった。


(嫌われた、だろうか)


 傷痕なんて進んで人に見せたいはずはない。嫌がることをしたサイードが悪いのだが、彼女にこんな形で嫌われるのは嫌だった。


(どうすれば、君を泣き止ませることができる?)


 頬に手を伸ばし、傷痕に触れる。


 彼女の弱さを知った途端に、哀れみと、守らなければならないという気持ちを抱いた。このか弱き小さな生き物を、これ以上傷つけてはいけない。


 きっと過去に殴られたときも痛かっただろうに、今日サイードは、この傷痕を暴くことで新たな心の傷を彼女に作ってしまった。嫌われても仕方ない、けれど嫌われたくない。


(嫌われるのは、怖いな)


 周りに愛されてちやほやされる、そういう生活が当たり前だったサイード。人に嫌われることへの恐怖を実感したのは、今このときが初めてだった。


 怖がらせて嫌われる作戦なんて、とても耐えられるものではなかったのだ。他の方法で、どうにか彼女を打ち負かさないといけない。彼女を傷つけずに、王位を勝ち取るすべをまた後ほど考えなくては。


 いま目の前にある問題は、最低にまで落ちたであろう好感度をどうにかして上げることと、彼女の傷ついた心を癒やすことだ。

 優しくすれば良いとは分かったものの、こういうときの正しい優しさのかけ方はよく分からなかった。


 ひとまず悪いことをしてしまったことを反省し、謝罪の言葉を口にする。王太子たる者、簡単に謝罪の言葉を口にしてはいけないのだと教えられていたが、まあふたりきりなので誰も咎めやしないだろう。


「すまなかった。君のことを知りたかったがために、酷いことをしてしまった」

「そうですか」


 冷めきった彼女の声が、グサリと胸に刺さる。軽蔑されたのかもしれない。


 この行動が正解かは分からないなか、彼女の目尻に溜まっていた涙を拭った。涙で潤む碧色の瞳は綺麗だが、それを見るのは心が痛い。


「本当にすまない。君を泣かせたかったのではないのだ。ごめんな」

「……はい」


 傷痕を再び撫で、指で擦る。痛々しい、隠されていた傷痕。


(女の子の顔に、こんな傷――あっ)


 この傷痕を治してやったら良いのではないかと、ふと思いついた。

 これから学校生活を送る上で、顔を半分隠している状態では都合が悪いだろう。趣味でこの髪型にしているなら別に好きにすれば良いと思うが、彼女はきっと傷を隠したくてこうしている。

 

 傷痕を治せば、せめてもの罪滅ぼしにできるかもしれない。古傷を治した経験はないが、サイードは治癒魔法を得意としている。皮膚の状態から見てこれ以上悪化することはあり得ないだろうから、やるだけやってみる価値はあるだろう。


(でも、忘れてはいけない)


 傷痕を消したとしても、彼女の心を傷つけてしまった今日のことをサイードは忘れるべきではない。この傷痕の感触を覚え、後悔を胸に焼きつけることにした。もう、こんなふうに傷つけないために。


 頬を撫で擦っていた手は、しだいに首へと滑っていった。首筋やうなじをなぞると、小さな肩がびくりと跳ねる。その反応に若干の高揚感を覚えた。

 右手で彼女の頭を支え、左手で彼女の細い腰を抱き寄せる。


(触り方が……いやらしくなってしまった、かもしれない)


 色仕掛けで惚れさせて屈服させる作戦のために、最近はそういうやり方の本ばかり読んでいた。これはその作戦の実施だと言い張れば心持ちは良いのかもしれないが、とてもうまくいっているとは思えなかった。


 木乃伊ミイラ取りが木乃伊ミイラになる、とは異国の文化を学んでいるときに目にした言葉だったろうか。当然と言っちゃ当然だが現在の姫はサイードに惚れる気配はまったくなく、むしろサイードの方がドキドキさせられてしまっている。


 細い腰のくびれだとか、髪から香る甘い匂いだとか。柔らかな感触なんかに〝女の子〟を感じて、脳に彼女の存在が刻み込まれた。傷痕も何もかもまるっと含めて、今日の彼女を覚え込む。

 

「……姫」

「はい」


 彼女は明らかに困惑していた。こんなふうに触られて本当は嫌なのかもしれないと思ったが、抵抗されないことを良いことに触れることをやめなかった。普段よりうるさい鼓動の音を聞きながら、ごくりと生唾を飲み込む。


「少し目を瞑っていてくれ」

「……? はい」


 彼女が従順に目を瞑ったのを確認すると、自分の顔を彼女の顔に近づけた。彼女の傷痕に唇を触れさせ、柔らかなキスをする。


(これでもう、忘れられない)


 こんなふうに女の子の顔にキスをしたのは初めてだ。サイードの記憶からはきっと、今日のことが消えることはない。


「君は、綺麗だ」


 唇を離すと頬をそっと一撫でし、ほとんど吐息の小さな声で囁いた。なんとなく言いたかったから漏れた言葉だったが、彼女には聞こえなかったようなので、意味はなかったかもしれない。


「〈聖なる力よ、此の者の傷を癒やし、かつての美しさを取り戻させ給え〉」


 傷痕に触れた手に意識を集中させ、魔法をかける。オレンジ色の光が放たれ、あたたかなそれは彼女の頬をみるみる滑らかにしていった。最後に光が白く輝いて、消えて終わる。


「目を開けていいぞ」

「はい」


 自分の魔法の出来にひどく満足した。彼女はまだ気づいていないだろうが、自分の魔法は完璧に彼女の傷痕を治している。うまく行って良かったと、安心した。

 滑らかになった頬を撫で、彼女の手がその頬に触れるように促す。


 驚いて丸くなる碧色の瞳を、可愛いなと思った。


「……!」

「治っているであろう?」


 彼女はこくこくと頷き、目を見開いてサイードの瞳を見つめている。その愛らしい姿に、ふっと笑みが零れた。


「傷痕がなければ、もう顔を隠す必要もないな」


 彼女の長い前髪を耳に掛けさせると、彼女の顔が左右どちらもよく見える。初めてちゃんと、彼女を見た。


「……ありがとう、ございます」

「このくらい容易いことだ。君を泣かせてしまったことへの償いだと思ってくれれば良い。すまなかった」

「はい」


 強がりを言って、もう何度目か分からないほどに頬を撫で、彼女に微笑みかける。サイードが付けてしまった彼女の心の傷を、少しでも癒やすことはできただろうか。


 そうこうしていると、ふと強烈な眠気を感じた。魔力消費の影響だと、すぐに気づく。治癒魔法で大量消費した魔力を、体が眠って回復させようとしているのだ。


(まずいな……)


 彼女の肩に頭をもたれる。申し訳ないが、眠すぎて立っていられない。魔力の調整も、もっとうまくできるようにならなくては。


 抱きしめるように体重をかけると、彼女はその場に座り込んだ。困惑している声が聞こえても眠気には抗えず、どうにか必要事項だけを彼女に伝えた。


 サイードはまるで事切れたように、彼女の肩に顔を埋めたまま意識を失った。



『殿下』と呼ぶ声が何度も聞こえた。それでもまだ微睡みの中にいた。柔らかい。花のような良い匂いがする。ずっとそれに触れていたかった。自分が何か言っていたような気がするのだが、何を言っていたかまでは覚えていない。





 気づけば彼女に手を引かれて、廊下を歩いていた。彼女は早歩きで、どうやら急いでいるらしい。

 自分の腕時計を見て驚いた。なんと始業時間まであと一分くらいしかないのである。


「姫、何故こんなぎりぎりなのだ!?」

「殿下がっ、全然、起きなくて……」


 早歩きをしているだけで疲れたのか、彼女は軽く息を切らしていた。サイードと繋いだ姫の手のひらは少し汗ばんでいる。


 たいへん場違いにも、彼女が自分の手に自ら触れてくれたのだということにきゅんとした。サイードが起きないから仕方なく引っ張ってきただけであろうが、何故か頬が緩んでしまう。


「……走るぞ」

「はい」


 目が覚めたからには、教室まで急がなければならない。授業初日から遅刻なんてしたら、サイードを笑う猛者はいないにしても、姫は笑い者になるかもしれない。


 手を繋いだまま走ろうとしたが、彼女の筋肉のない細足では早く走ることは無理そうだと気づいた。彼女を走らせることは早々に諦め、さっと抱き上げる。


 初めて彼女をお姫様抱っこした。


「殿下!?」

「君の足では、確実に遅刻だ。急ぐぞ」


 そうして彼女を持って全速力で廊下を走り階段を駆け上がる。


 さすがに教室まで抱き上げているのもどうかと思い教室の少し前で彼女を下ろすと、ふたりで走って教室の中に入った。入ると同時に本鈴が鳴ったので、本当に遅刻ぎりぎりである。


 その後の時間はクラス活動で、自己紹介を終えてからは自由時間だった。サイードは彼女に話し掛けていたのだが、いつの間にか彼女の視線はサイードを外れていた。


 目の前にいる自分を差し置いていったい何を見ているのかと思えば、彼女はなんとレティシアを見つめていた。拍子抜けだったが、姫はどうやらレティシアのことをとても気にしている様子だ。


 レティシアはサイードの婚約者である。もし姫が「レティシアがサイードの婚約者だから」彼女を気にしているのならサイードにとってはおもしろいのだが、きっと姫は「レティシアに惹かれて」彼女を気にしている。なんだかもやもやとした。


 彼女にまたこちらを向かせ、話をする。変な寝言――「いい匂い」とか「柔らかい」とか「触れていたい」とか――は言っていないようなので安心した。



「――君が何かを楽しんでいる様子を全く想像できなくてな。君は、笑わないから」


 特に他意はなく、思ったままを言っただけの言葉だった。彼女と出会って数日が経つが、サイードは彼女の笑みを見たことがなかったのだ。


「わたくしでも、楽しむことはありますよ。笑いもしますし」


 そう言う彼女は、完璧なまでに無表情だった。


(笑顔が、見てみたいな)


 説得力の欠片もないその言葉を聞いて思った、そんな願い。

 このときはまだあっさりと思っていただけなのに、いつしか他の人に向ける笑顔に嫉妬するまでになった。


 まだ恋だとは思っていなかったが、この頃からもう〝気になる女の子〟にはなっていたのだと思う。


 彼女のことをいろいろ聞いて、彼女は無表情で簡素ながら答えてくれる。彼女と話すのは、意外なほどに楽しかった。




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