19. 姫は小さな女の子
初めて姫を遠目から見たとき、青色の花嫁衣裳がやけに印象に残って気に食わなかった。青色は、第二王妃の色だから。
もちろん彼女の意思で着たものではなく、こちら側が用意したものだろう。どうにかしていずれは第二王妃に据えるという父王の意思の表れだったのかもしれない。
だがその豪奢な青色のドレスを見て、かつて後宮の悲劇で死んだ女のことを思い出した。幼い頃に見た血に染まった青色は、今も忘れることができない。
忌々しい青色のドレスを纏う姫は、近くで見るととても小さな女の子だった。簡単に壊れてしまいそうな、風で吹き飛ばされてしまいそうな、儚い子だった。
サイードが彼女と会うまでに考えた、彼女を打ち負かすための作戦はふたつ。
ひとつめ、色仕掛けで落として惚れさせ、屈服させる。
ふたつめ、虐めて怖がらせて優位に立って、怯えさせて逆らえないようにさせる。
我ながら稚拙だとは思うが、それ以外の方法を思いつかなかった。
しばらくしてから気づいたのだが、この作戦ふたつは両立することができないものだった。
ひとつめは好きにさせる作戦で、ふたつめは嫌われる作戦なのだから、これらふたつを同時にやろうとすれば――混沌になるに決まっていた。
問題点に気づいていなかったサイードは、出会ってまず怖がらせる作戦を決行した。
余裕ぶるために笑いながら剣を抜いて、彼女の体を傷つけてしまわないように細心の注意を払って、その顔を隠すヴェールを剥ぎ取る。
青い布がはらりと落ち、彼女の顔が青空の下に晒される――かと思いきや、長く分厚い前髪のせいで左半分の顔は見えなかった。
慌てたように押さえつけられた髪は、柔らかそうな淡い金色。碧色の瞳に光はなく、右半分の表情は全くの無だった。
肌は青白くて温度がなさそうで、どこか不気味な暗い雰囲気を纏っている。小さな彼女は、本当は幽霊か死人なのではないかと思った。
実物の彼女に合わせて、会う前から考えていた悪口をいくつか言ってみた。彼女の華奢な体躯を馬鹿にするようなことも言った。いま思えば最低だ。
彼女は敵だから、それで傷ついてくれれば良いと思っていた。隣国に来てすぐに蔑まれれば、彼女の心は折れるのではないかと思った。
けれど剣を向けても悪口を言っても、彼女は無表情だった。何も変わらぬ表情で、ただこちらをぽんやりと見る。
一回目の怖がらせ作戦は失敗だったので、今度は色仕掛け作戦に移った。
サイードは、自分でも見目麗しいと自覚している。だから自分がエスコートすると言えば喜ばれることしか想定していなかった。
手を差し出すと、姫は何故かぴしりと固まった。手を取らずに、ただサイードの手を見つめている。
催促するとようやく、ひどくゆっくりとサイードの手のひらの上に小さな手が重ねられた。
白い手から伸びる細い指の先から、微かな振動がサイードの手に伝わる。緊張なのか怯えなのか、彼女は震えていた。
そんな女性の反応を見たのは、初めてだった。
奇怪な反応を訝しみつつもはっきりと分かったのは、彼女は幽霊や死人ではなかったということだ。
重ねられた小さな手が柔らかく少し温かかったことに、内心驚いてしまった。当然と言えば当然のことなのだが、彼女は本当に生気のない少女だったのである。
神殿でも彼女は無表情で、光の柱に触れよと命令された死ぬかもしれないようなときでさえ、その表情が変わることはなかった。今度はまるで人形のようだと思った。
姫は神殿でも夕食の場でも無表情で、声色はおどおどとして自信がなさそうで、気の弱そうな感じがした。そしてたびたび不可解な言動をとる。
何故か夕食になかなか手を付けないし、訳を問い詰めてようやく食べ始めたかと思うと、何故か涙目になっている。
しかし後で聞いてみれば『美味しかった』なんて言うのだから、わけが分からない。
そんな姫のことを考えながらエスコートしていたら、つい彼女の部屋を通り過ぎて自分の部屋に向かってしまっていた。
小さな子とはいえ、彼女も女だ。男であるサイードの部屋に夜に連れ込んではいけない。
慌てて方向転換すると、小さな姫は転びそうになっていた。手を前に出そうともしないので、このままでは顔面を床に打ち付けてしまう。
慌てて正面から受け止めると、自分の胸にもたれている彼女の姿をしっかり見下ろすことができた。
その華奢さを改めて実感して、驚いた。
体をくっつけてみると体格の差は歴然としていて、姫の体はサイードの半分以下の細さしかないのではないかと思えるほど。内臓や骨がどこか足りていないんじゃないかと思った。
支えるために触れた腰も本当に細く、簡単に壊れてしまいそうでこっちが怖くなるような病的な細さだった。真面目にもっと栄養を取らないと死にそうだ。
姫がこちらを見上げると、ふたりの目が合う。驚いたように見開かれた碧色の瞳は澄んでいて、素直に美しいと思った。
しかしその瞬間、姫はさっとサイードから離れた。彼女の手も腰もサイードの手を離れ、一気に五歩くらい距離を取られる。彼女はまた転びそうになっていた。
こんなふうに女性から逃げられるのも、初めてのことだった。
姫を部屋に無事に送り届けると、サイードは自分の部屋のソファへと身を投げ出した。そして今日一日のことを――特に今日初めて会った小さなお姫様のことを――思い出す。
敵はひどく弱々しいが、不可解なところもあるので油断できない。敵を倒すには、敵を知ることも必要だ。
もうすぐ学園の入学式があり、卒業まではあと三年。三年経てば、姫を次期国王にするのか妃にするのかが決まってしまう。
それまでに妃にするよりも素晴らしい案を考え、かつ自分こそが王位に相応しいのだと証明しなくてはならない。
自分の両の手をふと眺める。先程少し触れた姫は細く骨っぽい体だったが、触れた箇所からはたしかに柔らかさも感じられた。
それに、彼女からは微かに良い匂いもした。何かは分からないが、香水とは少し違う、自然な花のような甘い香りである。
今まで女性に触れたことがないわけではない。舞踏会なんかでは普通に相手の女性の腰に手を回すし、エスコートだってそれなりに慣れているつもりだ。
それなのに何故か、姫に対しては調子が狂った。彼女の匂いや体温、感触が妙に気になる。
無表情で、サイードがエスコートしても喜ばなくて、近づけば逃げるようなその態度が気に食わなかった。
彼女に苛ついて、苛つかせられている自分を自覚するともっと嫌になる。余計な感情を抱けば、足元をすくわれることになるかもしれないのに。
「……駄目だな」
今でこそ魔王に魔力を封印されているから大したことはできないであろうが、彼女は〝神の血をひくお姫様〟。
弱々しく見えるその体には、魔王が恐れるほどの強大な魔力が宿っている。解放されればきっと、サイードの魔力量は彼女には敵わない。
彼女はまだ魔法が使えない。良き魔法を使うのには魔力だけでなく、魔法への理解や強い心、そして慣れも必要である。
相手が魔法を実践できない間を利用して、もっと優れた魔法を使えるように努力しなければならない。
もっともっと優秀にならなければ、王太子の座は守れるものではなかったということだ。敵に心を動かされてはいけない。もっと完璧にならないと、いけない。




