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虫食い姫は隣国の王太子殿下から逃れたい。  作者: 幽八花あかね
隣国の王太子殿下から逃れたい。2章

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12. 理性と苦痛 「僕に触るな、近づくな」

【注意要素】

狂気、痛い描写(禁呪による)



「っ! 何を――」

「殿下、好き。殿下……」


 甘えたような声が出る。

 自分のこんな声は初めて聞いた。


 彼に触ると、痛みが落ち着く。


 もっと、もっと殿下にちかづかないと。


「殿下。殿下と一緒じゃないと、さみしいの。今日は一緒にいて? おねがい、なんでもするから」


 もっともっと甘い声。

 はちみつよりも甘い声。


 そう囁くと、殿下のからだがびくんとはねた。

 ぎゅうっと抱きしめる。

 頬を擦り寄せる。

 心が安らぐ。


 殿下の心臓の音が、おおきくなる。

 殿下が、どきどきしている。


 もっと、もっと触りたい。

 もっとどきどきしてほしい。


「……アベル」 

「はい、闇属性魔法です。正気ではありません。そんなことより殿下、まずいです。人が来ます」

「ああ、僕も気づいてる。……アベル、分かってるよな? 後は頼んだ」

「畏まりました」


 会話が聞こえる。

 よく分からない。


 くっついていた体が離れた。

 殿下が、はなれた。


「なんで、離れるの?」


 離れるとまた不安になる。痛くなる。

 触れようとすると、手を取られた。

 早足で歩きだす。


「あっ、殿下……?」

「黙って付いてこい」


 手を引かれる。

 急ぐように、はやく、はやく。

 廊下を歩き、階段を上る。


 そうして止まる、ひとつの部屋の前。

 ふたりで部屋の中へと入る。


 バタンと勢いよくドアの閉まる音。

 そしてカチャリと鍵のかかる音がした。


 明かりの点いていない薄暗い部屋。

 殿下をみあげる。


 物凄く苦々しげな顔だった。


「どうしたの? 殿下。どっか痛いの? だいじょうぶ?」

「……姫」


 顔に触ろうとする。


 呆気なく振り払われる。

 つらい。泣きそうになる。


「さわっちゃ、だめなの……?」

「あのな、姫」

「好きなのに、好きなのに……」


 涙が落ちる。

 痛い、痛い。


 両手を、包まれる。

 そのあたたかさに気づいて、嬉しくなる。

 殿下が、さわってくれた。


 真っ直ぐにこちらを見つめるオレンジ色の瞳。

 とってもとってもきれいだった。

 切実そうな声が、聞こえる。


「姫。お願いだから、正気に戻ってくれ。〈聖なる力よ、此の者の心を取り戻させ、忌々しき悪意を取り除け〉」

 

 殿下がとなえる。

 魔法がかかる。


 すぅーっと、何かが浄化されるような感覚がした。



 頭が次第にはっきりとしてきて、今の状況や先程していたことを理解する。体が震え始め、さっと顔から血の気が引いた。


(なにを、してるの)


「で、殿下……わたくし……」

「やっと正気に戻ったようだな。まだ完全かは分からないが、今なら理性もあるだろうから言っておく。僕に触るな、近づくな。皆が寝静まったら談話室まで送るから、それまでは離れていよう。……分かったな?」

「……はい、殿下」


 サイードはエリエノールから離れ、部屋の明かりを点けると、ドアから最も遠いであろう場所にある椅子に座った。そして本棚から何か本を取り、それを読み始める。


 ドアのそばに突っ立ったエリエノールは何もできずに、しばらく呆然としていた。


 今、エリエノールは男子寮のサイードの部屋にいるのだ。異性の寮に侵入しただけでも大問題なのに、こともあろうに王太子であり婚約者もいる彼の個室に来てしまっている。


 頭によぎるのは停学処分や退学処分という言葉と、そして今回の件が周囲に知られたら、厄介な噂がさらに加速するというほぼ確実に近い予測だった。


 学園内では済まない大問題に発展したらどうしよう。どうしてこんなことになってしまったんだろう。不敬罪に問われたらどうしよう。


「っ、…………?」


 考え事をしていると、また胸がずきりと痛む。けれどサイードの魔法で意識は戻ってきたから、その痛みはただの名残ですぐに治まるものだと思った。


 痛みを和らげるように、胸を手で押さえる。しかし予想に反して、痛みはなかなか治まらなかった。


 むしろ、次第に痛みが大きくなっているような気がする。どくどくという脈拍とともに、変にリズムよく痛みが増す。だんだん呼吸も浅くなる。


「ぅ、痛っ……!?」


 頭に、勢いよく殴られたような痛みを突然感じた。そこから範囲がだんだん広がって、じわじわと痛む強さも増す。


 胸と頭の痛みに、乱れる呼吸。先程と違って心や意識はきちんとここにあるのに、体は先程と同じような症状になっていた。


 頭がくらくらとするのは、呼吸がうまくできなくて酸素が足りていないからかもしれない。酸素が入ればましになるかと、一度大きく息を吸ってみた。途端に、肺に鋭い痛みが走る。


「はぁっ……あ、っ、あ……」


 どんどん痛みと苦しさが増して、立っていることさえ辛くなってくる。頭も痛いし胸も痛い。息苦しいのに、息を吸うとさらに胸に痛みが走る。体が壊れてしまいそうだ。


 どうしようもない痛みに襲われて、耐えきれずに壁にもたれながら、ずるずると床にしゃがみこんだ。


「……姫?」


 声が聞こえて、サイードの方を見る。彼は読んでいる本から視線を上げて、怪訝そうな顔でエリエノールを見ていた。傍から見ても、今のエリエノールは具合が悪そうなのだろう。


 彼と目が合うと、頭の中におかしな声が響き始めた。『服を脱いで』『誘惑して』。ぐわんぐわんと頭に響き、頭痛が余計に悪化する。


 服を脱いで誘惑するなんて、そんなことは嫌だ。

 理性のある今、そんな恐ろしいことはできる気がしなかった。


「何でも、ありません。殿下は……どうか、お気になさらず」


 できるだけ平静を装って、そう言った。


「……そうか」


 サイードがまた渋々というように、本へと視線を戻す。彼に気づかれないように気をつけて、額に滲んだ脂汗を拭った。歯を食いしばって、痛みに耐える。


『早く脱ぎなさい』『誘いなさい』『殺されたいの?』『殴るわよ』『さらして』『そそのかして』『痛い目に遭いたいのね』『色目を使えばいいの』『刺されたいの?』『あんたのせいで』『死ねばいいのに』『ねえ、痛いでしょ』『楽になりたいと思わない?』――……


 変な声が、しきりに頭に響く。耳を塞いでも、声は変わらず響いてくる。ずっと、ずっと、続いていく。


『殿下の前で服を脱いで、誘惑してきなさい』――これは、先程エリエノールに魔法をかけたサンドリーヌが言っていたことだ。


『さもないと、殺すわよ』――これは、誰の言葉だろう。聞いたことがあるような気はするが、最近聞いたのではないはずだ。


 頭の中に、美しい女ふたりの歪んだ笑みがちらつく。そうだ、義姉のヘレナとネルに言われたのだった。


『脱いで、誘惑して。ねえ早く。脱ぎなさい』――そんなことはしたくないのに、しないと恐ろしい目に遭う予感がする。


『早くしなさい』『殺すわよ?』『殺す』『殺す』『殺す』――……



「嫌……っ」


 頭の中の声なんて、ただの幻聴だ。分かっている。

 今そばに、エリエノールを殺そうとしている人なんていない。

 

 でも、痛い。痛くて怖い。


 胸はずきずきと痛んで裂けそうだ。

 頭はがんがんと響くように痛んで割れそうだ。

 息苦しいのに、息をすると肺が刃物に刺されたかのように、鋭い痛みが走るのだ。


『従ったら、楽にしてあげる。楽になってしまいなさい』


(ああ、そっか。そっか……)


 この苦痛を和らげるには、頭の中の声に従わなければならないらしい。このままでは、この痛みに殺されてしまう。この禁呪は、人を殺す力を持っている魔法だ。


「……っ、うぅぁ」


 食いしばった歯の隙間から、情けないうめき声が漏れる。ものすごく苦しい。


 楽になる方法は、分かっている。けれども心は、サイードの前で服を脱ぐことも、誘惑することもしたくないと言っているのだ。


 傷だらけの体なんて、見られたくない。それに傷がなかったとしても年頃の女の子なのだから、男の人に体を見られるとなれば当然の羞恥心を抱く。


 また、婚約者がいる人を誘惑するのは悪いことだ。そういうことが、浮気や不倫というものに繫がる。そのうえ裸で誘惑をしたら、男の人は高確率で狼さんになってしまうらしい。


 理性のある心でこれらを踏まえたら、服を脱いで誘惑するなんてできるはずがなかった。


(痛い……痛いっ……)


 理性でそういった行動は抑えられるとして、この苦痛はいったいどうすればいいのだろう。脱衣も誘惑も絶対にしたくないのに、そうしないせいで痛くて苦しくてたまらない。


 今はどうにか理性で自分を保ってこの苦痛に耐えることができても、それがいつまで続くかは分からない。終わりが見えない、得体の知れない痛みが怖い。

 

「どうしたんだ? 姫?」


 サイードが椅子から立ち、こちらに近づいてきた。

 

 いま近づかれたら、エリエノールは苦痛から逃れるために、本当はしたくもないことをしてしまうかもしれない。怖い、怖い。


「嫌っ……近づかないで、ください……っ! お願いです!」


 叫ぶようにそう言うと、彼は大人しく足を止めた。


 頭蓋骨が割れて脳が破裂しそうな、恐ろしい頭痛に襲われている中で、震えながらサイードの声を聞く。


「なあ、誰に何をされたんだ? これは、ただの錯乱魔法ではないだろう。……何かがおかしい」


 その質問に答えられる余裕は、なかった。


 痛みと苦しみがどんどん増してくる。

 不安と恐怖ももっと強くなる。

 頭の中の声がうるさくて仕方がない。


 命令に逆らうと痛い目に遭うということを、エリエノールによく教えてきたのは、義姉のヘレナとネルだった。


 屋敷では痛いことばかりだったのと同じように、あの声に従わないと、きっとまた痛い目に遭うのだろう。


 嫌でもさっさと諦めて、大人しく受け入れた方が痛みは少なくて済むことは、エリエノールは知っているはずなのだ。


「嫌っ……やめて……」


 それは知っているのに、従いたくなかった。したくなかった。あの声に従わないせいでこんなに痛くて苦しいのに、心は従うことを拒否している。


 サイードやレティシアとの関係を、拗らせたくないのだ。


 サイードとは、ただのクラスメイトでペアなだけの関係でありたい。

 レティシアとは、ちょっと仲良くお話できるお隣さんという関係でありたい。


「――まさか、あり得ない。だが……」


 サイードが何か言っているのが聞こえる。


 彼の声を聞くと心の弱い部分が楽な方に流されてしまいたくなるから、もう何も喋らないで欲しい。


「……痛い……怖い……嫌だ……」


 譫言うわごとのような、言葉が漏れる。


 もうそろそろ、きつい。


 しゃがんでいることもできなくなって、体がゆっくりと床に倒れた。



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