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虫食い姫は隣国の王太子殿下から逃れたい。  作者: 幽八花あかね
隣国の王太子殿下から逃れたい。2章

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05. 好きの言葉は告白か 「レティシア様が美しくて憧れで」



「言いたいこと、言って良いよ。嫌なら嫌って言って良いんだよ。分かんないなら分かんないで良いし、踊りたいならそう言って良い。……エリエノールは、どうしたい?」


「本当に、言っていいの?」


「うん。大丈夫だよ、エリエノール。ゆっくりでも良いから」

 

「大丈夫」と言われると、すっと不安が和らいだ。言葉の力ってすごい。

 こんな駄目駄目なエリエノールも受け入れてくれるなんて、ジャンはもう本当に紳士だと思う。


(ジャン様とお友だちになれて、本当に良かった)


 自分の思いに自信はないままだったが、言葉にしようという勇気を持てた。ゆっくりと呼吸して、言いたい言葉を頭の中で組み立てる。頭の中で練習する。


 大丈夫、ジャンもレティシアも、エリエノールが「踊りたい」と言っても受け入れてくれるはず。ここでは何か失敗してしまっても、痛いことはされないはず。


「えっと、あの……わたくし、は、踊りたいと、思うのですが、ジャン様は、それでよろしいですか? わたくしと、踊っていただけますか?」

「もちろん。姫様のお望み通りに」


 ゆっくりで拙かったが、ちゃんと「踊りたい」と言えて良かったとほっとする。

 いつかもっと自分に自信を持って、いつでも自分の言葉をすらすら言えるようになりたい。生きることを、怖いと思わないようになりたい。過去の日々で負ったトラウマを克服して、きちんと今を生きられるようになりたい。


 ジャンはまた、昨日のような気取った紳士な言葉遣いだった。エリエノールを「姫」と呼ぶその言葉遣い。


 彼の赤茶色の瞳を見つめると、今度は小さく自然と言葉が漏れた。

 こういうときに、人の心は難しく複雑で、自分の心さえも自分で操れるのではないことを実感する。言おうとしても言えないときもあるのに、勝手に言葉が出ることもあるなんて不思議だ。


「……姫じゃないと、駄目ですか?」

「なに、姫って言われるの嫌なの?」

「……名前で呼ばれた方が、嬉しい、です」


(あれっ……?)


 口から出てきた言葉たちに、心底驚いた。呼び方なんてどうでもいいと思っていた自分から、こんな言葉が出るなんて思ってもみなかった。困惑しながら、自分の唇にそっと手で触れる。


 エリエノールは、実はどうやら名前を呼ばれたかったらしい。


(気づいてなかった)


「エリエノールったら、かぁわいい。あ、俺の嫁になる?」


 ジャンはいつも通り冗談めかして言っただけだとは思うが、「嫁」という想定外の単語ワードに一瞬静止した。エリエノールが口を開くより早く、三人の声が同時に重なる。

 

「あら、おふたりはそういう仲でいらっしゃるのですか? お似合いです!」

「何よセクハラ当て馬野郎。エリエノールはサイード様の嫁でしょ!?」

「は? 姫はレティシアが好きだからレティシアを嫁にするのだろう?」


「「……は?」」


 今度は同時にエリエノールとジャンの声が重なった。しばしの静寂が訪れる。そして皆の視線が、三人の中で最も珍回答をした青年――サイードに向けられた。


 声が重なっていたので細かいところまでは聞き取れていないが、みんなだいたい何を言ったかは聞き取れている。

 レティシアの発言はまだしもそれ以外のふたり――特にサイードの発言は、錯乱の魔法にでもかかったのかという感じだった。


「……わたくしがレティシア様を頂いても良いというお話ですか?」


 嫁に貰えるなら貰いたいが、レティシアはサイードの婚約者だ。いったいどういうつもりだろう。

 エリエノールが首を傾げながら尋ねると、にわかにサイードは慌てだした。何故か少しだけ頬の血色をよくさせ、そっぽを向いて早口で何か言っている。


「え、いや、違う。違う。その……君はいつもレティシアばかり見ているだろう? 君はいつもいつもレティシアのことばかり気にして、君はいつもレティシアを見てて、レティシアしか見ていなくて、いつもいつもいつもレティシアレティシア……」


 優秀なはずのサイードの語彙力が死んでしまった。「いつも」と「レティシア」が多すぎて、彼が何を言いたいのかさっぱり分からない。こんな姿を見るのは初めてだ。


(どしたん??)


 様子のおかしいサイードを見るのをやめてレティシアに視線を向けると、彼女は美しい顔でぽかんとしていた。赤色の瞳が壊れたサイードから離れ、エリエノールの碧色の瞳と交わる。


「えっと……そんなにいつもエリエノールさんに見られていたなんて、照れますね」


(ぐはぁっ)


 レティシアがはにかむと、あまりの可愛さにエリエノールの心臓にずきゅんと矢が刺さった。また後ろに倒れそうになる。


(めちゃくちゃ可愛い、どうしよう、かわいい……)


 これは、致命傷だ。気をつけないと本気で彼女に惚れてしまう。可愛い。とてつもなく可愛い。とくとくと鳴る心臓を必死におさえた。

 顔がとろけてしまわないように注意して、いつも通りを取り繕う。今日は心が忙しい。


「あ、えっと、すみません。別に、あの、ストーカーとかになろうとかではなく……レティシア様が美しくて憧れで、つい見惚れてしまっただけで……別に他意はなくて……レティシア様のことが好きなだけで……」


 自分で言っておきながら告白のようで恥ずかしくなってしまい、ぽぽぽとエリエノールの頬が熱くなった。レティシアの真っ白な雪のような頬にも、ほんのりと甘い赤みが差す。


 目を合わせて互いに微笑むと、えも言えぬ空気が流れた。赤色と碧色の瞳が、それぞれの先にある色だけを見つめている。


「レティシア様……」

「エリエノールさん……」


 何かがはじまりそうではじまらない、もどかしいような空気感。


 その不思議な時間は、あっさりと終わりを告げられた。


「――そろそろ! ……今の曲が、終わるが」

 

 終わらせたのは、ようやく「いつも」と「レティシア」以外の言葉も言えるように復活したサイードだ。まだ頬は少し赤いが、語彙力が帰ってきたなら良かった。


 これでもしあのままだったら、この国の重大な損失となる。優秀な殿下の語彙力もまた、この国の財産のひとつだから。


「では、踊る準備をしましょうか」

「はいっ、レティシア様」


 レティシアはサイードと、エリエノールはジャンと、それぞれ次の曲で踊る準備を始めた。





 もうすぐ次の曲が始まる。エリエノールはジャンと向き合い、腰に手を添えられていた。ちなみにミクもダルセルと踊るようだ。


 学園の第三ホールで練習していたときとは違い、今日の音楽は生演奏。当然と言っちゃ当然だが、先程まで流れていた曲の演奏の素晴らしさや荘厳さを思い出すと、かなり緊張してしまう。


(大丈夫、失敗してもここでは殴られない……でも、ジャン様の足踏んじゃったら嫌だな……)


 ジャンの足元へと視線を向ける。踏んでしまったときのことを考えて、すでに罪悪感に駆られる。


「大丈夫? エリエノール」

「えっと……その、緊張、しちゃって。足、踏んじゃったら、ごめんなさい」


 ここ最近毎日練習して、ほとんど足を踏まないで踊れるようになったはず。けれどこんなに緊張してしまったら、また踏んでしまうかもしれない。どうか踏んでしまいませんようにと願いながら、ジャンの靴を見つめる。


「うん、大丈夫。……エリエノール、こっち見て」

「……はい」


 上を見上げると、ジャンと目が合う。彼はとても優しく微笑んでいた。


「エリエノール」


「はい、ジャン様」


「好きだよ」


「えっ……?」


 ぱちりと瞬きをすると、管弦楽の音が微かに聞こえた。ジャンの足がステップを踏み始め、慌ててそれについていく。


 ゆっくりと穏やかにはじまる踊り。


 隣でレティシアとサイードが踊っていることは知っているのに、美しいレティシアのことならいくらだって見ていたいはずなのに、今は彼女の方によそ見することができなかった。


 ジャンのことしか、視界に入らない。いつも通りに笑うジャンのことしか見えない。


「……ジャン、様……?」


 先程の言葉の真意を、測りかねていた。冗談だったとふざけるようでもない。かと言って、本気だったと改めて何か言うでもない。


 ただ先程の呟きなどなかったかのように、ジャンはいつも通りだった。


 聞き間違えではなかったはずだ。はっきりと彼の声で、「好きだよ」と言われたはずだ。


「あのさ、エリエノール。つまんない話だけど……俺の話、聞いてくんない?」

「……ええ、どうぞ」


 こういう踊りの場は、相手とのふたりきりの会話にはもってこいの場だ。演奏の音もあり、よっぽど頑張らないと他の組の会話なんて聞こえない。


 ジャンは今まで見たことのないような自嘲的な笑みを浮かべながら、ゆっくりと唇を開いた。



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