第26話 取引成立
2人が驚くのは無理もない。私の言った言葉はクルーズ商会にとって漏れるはずのない、いや漏れてはいけない極秘の計画だからだ。漏れてしまえば待っているのは破滅する未来なのだからおそらく内部でも知っているのはごく一部のはずだ。
その計画としてはこうだ。今日から20日後の深夜、北門にいるクルーズ商会の息のかかった兵士の巡回にまぎれて街の外へと脱出する。脱出する者としてわかっているのはマルコとエンリケ。
簡単に言ってしまえばクルーズ商会は、そのトップの2人は自らの保身のためコーラルを、スカーレット家を見捨てることに決めたのだ。
そんな奴らがどの口でこの街のため、敬愛するスカーレット家のためだと言うのか?
この計画が漏れればいかにクルーズ商会と言えどただでは済まない。領主の命令を無視し、さらには領主に忠誠を誓ったはずの領兵の手を借りて街を出ようとしているのだから当たり前だ。この計画に関わった全ての者が罰せられるだろう。だからこそおそらく実際に関わるもののみしか知らされていないであろう現状では漏れる可能性は限りなく低いのだ。
しかし私はそれを知っている。なぜなら私の目の前で動揺し、すがるような目で父親のマルコを見ているエンリケが7年後クリスを裏切るときに漏らしたからだ。高説を垂れていた本人にとってはクリスを見下し、こき下ろす材料の1つに過ぎず、秘密を漏らしたという意識さえなかったかもしれないがな。
クリスはその事実を知っても誰にも話さなかった。もちろん時間が経過しすぎていたし、実際にその計画が実行されたわけではなかったことも胸に秘めた理由の1つだろう。
だが最も大きな理由はクリス自身が幼馴染で友人でもあったエンリケが苦境に陥るようなまねを出来なかったからだ。裏切られる苦しさを、それによって苦境へと転がり落ちていく辛さを誰よりも知っていたから。残酷な現実を突きつけられてもなお、エンリケに幼馴染で友人でいて欲しいと心のどこかで願っていたから。
クリスは優しすぎた。悲しすぎるほどに。
確かにまだ今世においてエンリケはクリスを裏切っていない。それだけの関係を築いていないのだから当たり前だ。しかしだからと言って許せるのか? 今世のクリスが覚えていないからと言って罰すべきでないのか?
答えは否だ!
私は覚えている。6度の人生でクリスが味わった絶望を。悲痛な心の叫びを。ひとり流した涙を。声にならなかった助けてという言葉を私は覚えている。だからこそ私はこいつを許さない。許せるはずがない。
だから利用する。クリスを傷つけたコイツの言葉を。そして絶対に救ってみせる!
「どうやらお二方には心当たりがあるようですね」
「何のことを言っているのかわからんな」
マルコが空惚けているがその言葉に先程までの勢いはない。どうやって私がそのことを知ったのか、誰が漏らしたかなど心中穏やかではないのだろう。エンリケもそんなマルコの様子に不安そうに私とマルコの間で視線をさまよわせている。
そんな2人へとにっこりと笑顔で最後通牒を行う。
「さあ取引と行きましょう。簡単なことです。2つの要望さえ満たせてもらえれば私は満足なのです。何も聞かず、何も知らなかった。この治療薬であなた方がどれだけの利益をあげようとも、どれだけ名声を得ようとも私は関知しません。要望が満たされている限りは」
「根拠のない噂を信じているようだが……」
「あぁ、言い訳も、弁解も結構です。今私が聞きたいのは私の提案を受け入れるか拒否するかだけですので。あっ、そうそう。少し話は変わりますが【心の4式】という魔法を知っていらっしゃいますか? 少々珍しい魔法ですがある分野でとても有用らしいですね」
「貴様、我々を脅す気か!?」
マルコが立ち上がり今にも私に掴みかからんばかりに身を乗り出して激高する。
【心の4式】は特殊な魔法だ。対象を催眠状態に陥らせることができ、その状態で質問したことに対して嘘をつくことは出来ない。問題点としてはレジストが容易に出来るということだが、身の潔白を晴らすための魔法としてどこの街にも1人は使える者が配置されている。もちろんこのコーラルにも。
こちらへと伸びてきたマルコの鈍すぎる手を軽くはたいて落とし、せせら笑う。その態度は自ら黒と言っているようなものだと気づいているのだろうか、こいつは。それに何を勘違いしているんだ……
「それ以外どのようなとりようがあるとお考えで?」
「なっ!?」
驚きに身を固くしたマルコの胸ぐらを掴み、そのまま引き寄せながら持ち上げる。ふむ、体が小さいせいもあってそうたいして持ち上がらんな。残念だが。
マルコが必死に私の手を掴んで離れようとしているが鍛えられていない商人の力などでどうにかなるはずがない。赤い顔でジタバタと動くマルコをぐっと引き寄せ顔を近づける。
「私は脅しているんですよ。私の提案を受け入れなければ破滅させるとね。ではあと5秒以内に回答を。5」
「貴様、いい加減に……」
「4」
「ま、待て」
「3、2」
「待てと言っているだろうが!」
「1」
「わかった! 提案を受け入れる」
「そうですか。それは良かった」
掴んでいた胸ぐらを離すとマルコが潰れたカエルのようにべちゃっと机へと張り付いた。そのままの体勢で荒い息を吐いているマルコへと心からの笑みを送る。
「では商談は成立ですね。しっかりと契約書も作成しましょう。過ちが起こらないようにしっかりとね。マーカス任せたわ」
「かしこまりました、シエラ様。素案は既に出来上がっておりますのでこれを修正する形で話し合いを進めたいと思います。それでは……」
マーカスが主導になり契約書は滞りなく結ばれた。わたしが望む2つの条件、治療薬をもたらしたのが私だということを正しく広めること、そしてクリスの母親のメリッサへ3日以内に治療薬を届けるということが明記された。
その代わりと言ってはなんだが持ってきた治療薬全てとその作り方を書いた紙を渡してやったんだが……
「なんだ、このユリミールの花とは!?」
「あぁ、言っていませんでしたか? セルリアン領のある地域に咲く小さな青い花ですよ。その地方では熱が出た時にその花を煮出して飲むそうですね。スカーレット領では知られていないようですが」
「材料の1つが手に入らんようでは治療薬など作れんではないか!?」
「大丈夫ですよ。私は十分すぎるほどのユリミールの花を積んできましたから。あなたが契約を守る限り適正な価格で卸して差し上げますよ」
「貴様!」
歯をぎりぎりと鳴らしながらこちらを睨みつけてくるマルコへと会釈して返す。私が出した条件はあくまで作り方を教えるというものだ。その約束は守っているからな。
わざわざこのユリミールの花を確保するためにセルリアン領まで足を伸ばしたのだ。当然スカーレット領にはこの花は自生していない。だから唯一の仕入先は私になる。
これは保険だ。大量の治療薬が必要な現状で渡さないということはしない。しかし契約を反故にしたら即座に卸すのをやめ、その結果クルーズ商会は治療薬の作成が出来なくなる。一応脱出の計画で弱みは握っているが、それでも保険は多い方が良いからな。
「では失礼いたします」
既に窓から見える街には暗闇が広がっており家々から漏れる光が通りを照らしている。思いのほか時間がかかったと見るべきか、今日中に契約までまとめることができて上出来だと見るべきか。
そんなことを考えつつ去ろうとする私の背中に声がかかった。
「夜は暗い。十分に注意して帰ることだな」
その言葉に足を止める。安い挑発だ。現状、すぐに私たちへと襲いかかることなど出来ないはずだ。私へと情報を漏らした裏切り者もわかっていないだろうしな。今後のことも考えてしばらくは裏切り者探しの方に注力するだろう。
だが、そうだな……
くるりと振り返り笑顔を向けながら一礼する。
「ご忠告ありがとうございます。私の従者や仲間たちにも伝えておきましょう。ではお返しに私からも。この部屋は素晴らしい部屋ですが少々風通しが悪いようですね。換気をして空気を入れ替えなければ疫病に掛かってしまうかもしれませんよ。それでは」
それ以降は何事もなくクルーズ商会の本店から出て、そして宿へと着いた。万が一帰宅中に襲われたらとも思って警戒していたのだがそんなことはなかった。マーカスとラミルを労い、アレックスたちと目的を達成した喜びを分かちあった。
これでクリスの母親のメリッサは救われるはずだ。母親を失ったのはクリスの人生にとって大きな変化だった。だからこそそれが変わればその後のクリスの人生も大いに変わるはずなのだ。後はその人生が幸せに向かうように全力を尽くせば良い。しかし、その前に……
「心配の種は取り除かなくてはな」
そう言って私は宿の窓から身を踊らせた。
この後書きは本編のイメージを壊す恐れがあります。そういう事が嫌いな方は飛ばして下さい。
【お嬢様と従者による華麗なる後書き】
( ゜д゜) 「君たち、どう言うつもりだ。僕をクルーズ商会のエンリ……」
(●人●) 「ふむ」
パシュン
_(。_°/ 「………」
(╹ω╹) 「ええっと……お嬢様、それは何ですか?」
(●人●) 「エア釘打ち機という道具だ」
(╹ω╹) 「もしかして、それも……」
(●人●) 「うむ、マーカスが用意してくれた。連射できるから便利だぞ」
パシュン、パシュン、パシュン
_(。_°/ 「………」
(╹ω╹) 「お嬢様、死人に鞭打つって言葉知っていますか?」
(●人●) 「何を言っているんだ。私がうっているのは釘だぞ」




