21話『君が『私』を見てくれたあの日から 君を愛していた』
琴平花灯編、開幕。
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夏のバカンスを終えて水波市歩風町へと帰ってきた八月中旬。
ついにこの日がやってきた。
「これが、内部調査によって絞り込んだ容疑者だ」
水波市の中でもある種、名所となっている大企業風見グループの社ビル。
その社長室を訪れた俺は、学校の先輩兼生徒会長である風見織姫――その父親であるところの風見宗玄から、いくつかの資料を受け取った。
一枚目は彼の言う通り、この風見グループ本社に勤める四人の顔写真とプロフィールが羅列された、容疑者のリストだ。
この四人に一体、何の容疑が掛かっているのかと言えば、事の始まりは一年ほど前にさかのぼる。
去年――風見グループ社員の一人が横領の罪で逮捕された。
男の名前は琴平陽光。俺のクラスメイトであり大切な友人である琴平花灯の父親だ。
逮捕された陽光は無実を訴え続けたが、しかし裁判では提出された証拠をひっくり返すことができずそのまま実刑が確定した。
今でも父は無罪を訴えている――そう、悲しそうに語っていた花灯の声を思い出す。
それから事態が動き出したのは、約三か月前のことだ。
宗教団体『イノセント・エゴ』に内部から乗っ取られようとしていたこの会社は――そのトップである風見宗玄は、社員を、何より家族を守るために横領事件の犯人が別にいると主張した。
その狙いは横領事件が再び話題になること。
事件が冤罪だった可能性を提示し、警察の再介入によって風見グループの株価を多かれ少なかれ下落させ、ブランドの価値を落とすことにある。
『イノセント・エゴ』は組織拡大のためにこの会社を狙った。だがその価値がなくなれば、教団は手を引くだろう。
それを狙った手段だ。
となれば実際のところ、琴平陽光が無実であるかどうかは重要ではない話になってくるのだが、しかしその横領自体もが『イノセント・エゴ』の――潜入者として暗躍していた神無月秋夜や、その他の信者によって仕組まれた可能性は存在している。
ならば同じ被害者として、同時に手を取ることができなかった者として、真実を明らかにする。
それが――トップとしての覚悟。この資料に込められた想い。
「ここまで調査が進んでいたんですね。すごい……なんだか何日も休みを満喫していたのが申し訳ないです」
容疑者リストのほかに渡された、これまでおこなった内部調査の詳細などが記された資料を一通り見終えた俺は、自然とそんな言葉が出た。
「もとはと言えば我が社の不始末。これは責務だよ。さて――この中の誰かが琴平陽光氏に濡れ衣を着せた横領犯ということになる」
「ええ」
調査は最終段階だ。あとはこの四人の中の誰が横領に関わったのかを特定するだけでいい。
琴平陽光の無実は確実に立証できる。
うまくいけば、俺の目的も達成できるかもしれない。
「横領犯は警官と癒着し、証拠をでっちあげた。君がこの一件に関わる理由はそこだったね? 警察内部の汚職警官を突き止め、さらにそこからホワイトキラーの内通者を炙り出す――」
「――はい」
ホワイトキラーも警察内部に協力者を得ることで、手がかりを一切残さない完全犯罪を実現させている。
横領犯と殺人犯――両者に協力している人間が同一人物かどうかは分からない。
だが別人だったとしても、汚職警官としての横の繋がりから何か手がかりを得られる可能性は高い。
「もちろん花灯の父親の無実を証明することも重要ですが」
「心得ているよ。なに、果たす目的が一つである必要などない」
正直、水波署の警察官がどれだけ不正に関わっているのかは分からないが、神無月に協力していた奴が五人もいたことを考えると辟易する。
まるで犯罪者向けに汚職警官の斡旋所があるかのようだ。
「では白雪君。君に考えがあるのなら聞かせてもらいたい」
「手っ取り早く罠を張りましょう」
「罠、と言うと?」
「心理的に相手を追い詰めるんです」
幸いこういう騙し合いは得意分野だ。
七海、学校の噂、常盤、同級生、風見夫妻――そして横領犯、か。
なんだか随分遠いところに来たような気分だ。
俺は一度、夏野や大切な友人を守れなかった。
二度と失わないために守り抜くと誓っておきながら、神無月に勝てなかった。
だから今度は――今度こそ、ホワイトキラーに辿り着いて宿命を終わらせる。
そのためにも、こんなところで躓いている暇はない。
「作戦はこうです。まず内部調査をおこなっていることを噂として社内に広めてください。そうして犯人の不安を煽り、精神的に追い詰めるんです。その後、宗玄さんが留守の間に不正の証拠が見つかったことをこの四人にそれとなく伝える。証拠が社長室に保管されていることも」
「なるほど。追い詰められたとき、人は正常な判断ができなくなる」
俺は頷いた。世間を欺いて手に入れた偽りの安寧。
それが一年も続いてしまったんだ。今の日常に対する執着は強くなっているはず。
「すると是が非でも証拠を処分したい犯人は――」
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――こうして、のこのこ顔を出してくれる。
「お前が一年前、琴平陽光に横領の罪を被せた犯人だな」
作戦を練ってからおよそ一週間。隠しカメラが設置された社長室で、俺は一人の男と対峙した。
「っ、誰だ!」
震えた声だった。証拠を探している姿を見られたことに対する怯えからか、それとも単に痩せ細った体だから声を張れないのか。
いずれにしても俺はこの男に対してこう印象を持った。
ああ、いいように使われそう男だな――と。
「――君、だったか。残念だよ」
「しゃ、社長……⁉ 出張のはずでは……!」
俺に続いて姿を現した風見宗玄の姿に、男は声を裏返らせて、膝から崩れ落ちた。
こちらを油断させるための演技ではない。
人に罪を擦り付けたずる賢いイメージからは少し外れているな。
そもそも横領の証拠をでっちあげるようなやつが、これほど簡単に騙されるような間抜けじゃないだろう。となると話を持ち掛けたのは警官側か。
俺は男に近づいて、肩を掴み、真っすぐに目を合わせた。
「いいかい、手短に行こう。お前が警官と繋がっているのは分かっている。そいつは誰だ?」
「っ、知らない……」
「お前は利用されただけだ。正直に話せば少しは裁判官の心証が良くなるぞ。さあ言え」
「う……うっ、……ぁ……」
焦点の合わない目を見つめ、もう一度、俺は言う。
「――言え」
「ああああ、っ……水波署の高梨という男だ……! 高梨康介!」
「ありがとう」
男の背中を叩いて、俺は立ち上がった。よし、これで次の段階へ行ける。
高梨康介――知らない名前だが、涼子さんに聞けばおそらく情報が手に入るはず。
と、俺が早速次の一手について考える一方で、入れ替わるように風見宗玄が男の隣で膝を突いた。
「一年前、君の家庭には子供が生まれたと記憶している。教えてはくれないか? 何故このようなことを?」
「あ、……兄が闇金に手を出して……その返済で金が必要だったんです……! 脅されて……妻と子供がどうなってもいいのかって……だから……仕方なく!」
俺は思わず、拳を握った。
――聞かなければと、思ってしまったんだ。
同情してしまう自分がいる。彼の罪を無かったことにできないのかと、想像してしまう。
脳裏によぎるのは花灯の言葉。
この国は法治国家だ。個人が善悪の天秤を動かすのは、ともすれば絶対的な加害者と被害者の関係を逆転させかねない。
だが――この男だって、見方を変えれば紛れもなく被害者。
このまま事が運べば、男は高梨という警官と共に刑務所行きだ。
そうしなければならない。でないと花灯の父親は助けられない。
男を一瞥する。
こいつが逮捕されれば、こいつの奥さんは生まれたばかりの赤子と共に、犯罪者の家族というレッテルを貼られて生きていく。
俺や花灯がそうだったように、周囲から侮蔑され、迫害され。
――まるで毒のような思考だった。
善悪二元論では語れない、済ませてはいけないことだって、この世にはある。
それを知ってしまった以上、俺の思考は侵され、変質していく。
「白雪君」
「あ、はい……」
いつの間にか目の前に立っていた風見宗玄に、俺は向き直った。
「見事な手腕だった。感謝する。しかし高梨という男にはどう接触する?」
そうだ。今の俺がするべきことは、高梨に接触し、琴平陽光の無実を証明し、そして願わくはホワイトキラーの協力者を炙り出すこと。
少なくとも今は、それだけに集中するべきだ。
「涼子さんは退院したけどまだ謹慎中だし警戒される可能性が高い……となると」
俺が涼子さんに頼らず警官と接触する方法――心当たりが一つだけある。
七月中旬、楓と面会をおこなった後に、涼子さんの部下であり宮下という女刑事から言われたこと。
――冬馬白雪の警護。
ホワイトキラーが執着している俺を守るための警護。
俺がホワイトキラー、あるいはその共犯者なのではないかと疑う警官がおこなう警護。
ホワイトキラーの協力者が俺の動向を監視するための警護。
そして俺が無実を証明するための警護。
それら表向きの理由を逆手に取るんだ。
さあ、真実を解き明かすための顔合わせといこうじゃないか――。




