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18話『||:桜雪:||/分岐点=Scarlet Summer Night』

 ――ひどく、鈍い目覚めだ。


 頭を割くような甲高い音が鳴り響いている。何度も何度も、嫌になるほどに。

 それは部屋のインターホンの音だった。


 俺はぼやけた視界の中、重い手足を動かして、おぼつかない足取りで部屋の入口へと向かう。


 ドアノブを掴み、その温度差に奔った寒気。それにため息を吐きながら、俺は重い扉をゆっくりと押し開けた。


冬馬(とうま)――美原(みはら)さんのことでちょっと話があるのだけれ……ど?」


 扉の隙間から見えたのは、相変わらずきちんと整えた風貌をしている桔梗高校二年の女王――七瀬七海(ななせななみ)

 彼女は俺をその切れ長の目で一瞥すると、どうしてか首を傾げた。


「あー……今、何時だか分かる?」


「もうお昼に近いわね、お寝坊さん。というか……かなり顔色が悪いようだけれど大丈夫なの?」


「……ああ」


「少し触るわよ」


 そう言って、にゅっと手を伸ばした七海。

 指先をほんの少し俺の額に当てただけで、彼女は"これはやらかしたわね"とでも言いたげな、嫌なものを見る表情を浮かべた。


「冬馬」


「分かってる。言わなくていい」


「これは」


「言わなくっていいってば」


「これは完全に熱があるわよ」


「…………はあ……だよなぁ」


 元々病弱というわけではないのだが、別に旅行先で慣れない環境がストレスになったというわけでもないのだが、この大事なときに風邪をひいて熱を出すだなんて。

 

 おそらくだが、昨日ビーチで半日近く寝ていたのが原因。

 俺としたことが痛恨のミスだ。


 その後すぐ、七海にマスクと薬を用意してもらった。


 解熱剤、加えて症状は軽いが咳止めも。

 一通りの応急処置を終えた俺は、周りに誰もいないのを確認してから、昨日花灯(はなび)と話した通路脇のソファーに座り込んだ。


「それで? 夏野(なつの)のことで話があるんだろう?」


「そっちはいいから病人は休んでいなさい――と、言いたいところだけれどね。美原さん、昨日の朝から様子がおかしいわ。何か知ってる?」


 俺は小さく頷く。すると七海が少し間をあけて隣に座った。


 時刻は昼。朝から夏野のフォローをするつもりが、想定外に眠りすぎてしまった。

 このあとのことを考えると、ここで話さないという選択肢はないだろう。


 俺は単刀直入に、そのことを七海に伝えた。


「夏野は神無月(かんなづき)に監禁されたときの記憶がトラウマになっていて、今はそれがフラッシュバックしてるんだ。密閉された空間や薄暗い場所にいると動悸が激しくなって、些細な金属音や人の足音なんかにも過敏に反応してしまう」


「PTSD――心的外傷後ストレス障害、ということかしら」


「多分ね」


「で、あなたはどうするつもり?」


「この問題を解決する」


 迷いなく、俺はそう言い切った。


 夏野が急にストレスに耐えられなくなったのは、生まれついての夏野の人格が眠りについたから。

 だったらもう一度彼女を目覚めさせて、最終的には人格を統合させる。


 今回なあなあで妥協して誤魔化すことは簡単だ。俺がその誤解を解いてやればいい。

 けれどそれじゃあ、今後似たようなことが起きたときに、同じことが起こるだけ。


 だから――ここが分岐点。

 今、ここで、問題を根本から解決しなければならない。


「……そう。わたしにできることは?」


 七海は真剣な表情で俺の目を覗き込んだ。その瞳には罪悪感――。

 彼女の過ちは消えない。きっと彼女自身が赦さない。だから俺は。


「友人として、そばに居てあげてほしい」


 その心に僅かな救いがあるようにと、言葉をかけた。


 夕方――空野六花(そらのりっか)との話し合いを終えた俺は、荒れた呼吸を無理やりに整えながら夏野の部屋へと向かっていた。


 大丈夫。薬が効いているから平然を装える。

 マスクを外して、浅く呼吸をした。


 七海によれば夏野は今日一日ずっと部屋にいるとのこと。

 部屋の扉は開いている。おそらくは昨日俺が開けた窓もそのままだろう。


 微かに聞こえる自然音。ヒーリング効果のある音楽を聴いて、心を落ち着けようとしているのだろう。

 それは夏野なりの努力の証拠だ。



 まずはそれを――()()()()



 一歩、夏野の部屋に踏み込んだ俺は、ドアノブを引いて扉を閉めた。

 短い廊下を抜けて奥の部屋へ。揺れるカーテン。明るい室内。そしてベッドの上には体育座りをした夏野。


「白雪くん……?」


 夏野の呼びかけを無視し、俺は窓とカーテンを次々に閉めていく。

 部屋の電気を消してあらゆる扉を閉じ――そうして今の夏野にとって毒でしかない、密閉された薄暗い空間を作り出した。


「っ……し、白雪……くん……なにして……ぁ、はぁ、はぁ……」


 胸を抑えるようにしながら夏野が横になった。

 トラウマのフラッシュバック――俺はすぐに、過呼吸気味になっている夏野に近づき、その手を取る。


「大丈夫。落ち着いて。ゆっくり息をするんだ。そばには俺がいる。さあ、吸って、吐いて――」


 剥き出しの心で雨を受け止めている夏野に対して、俺は相手の心に入り込むような声で語り掛ける。


 彼女の血の気はみるみる引いていくが、同時に冷たい指先が俺の熱を吸って温もりを纏う。

 そうだ、それでいい。君なら俺の何だろうと奪って構わない。


 この熱を媒体に、トラウマを意識させたまま夏野と俺自身を繋げ、その状態を維持。


「いいかい夏野、目を瞑ってイメージして。君は今、窓のない空間にいる。息苦しい。太陽の光が届かない場所だ」


「ぁぁ……ああ……ッ‼」


 短い、けれども痛いほど心を震わせる悲鳴。


「白雪くん! やだ! やだよぉ……!」


 俺はそっと夏野の体を抱きしめた。

 

「大丈夫。俺はここにいる。呼吸を意識して。さあ、手足には手錠が付けられている。でも手錠は簡単に外れるはずだ。なぜなら鍵は、すでに君が持っている」


「だめ、だめ、だめ……! 手錠がッ、手から、足、足からも離れなくて……‼」


「強くイメージするんだ。ほら、鍵はもう外れた。少し動かすだけで手錠が落ちて、君の手足は自由になる。ほら――軽く動くだろう」


 俺が夏野の両手を掴んで左右に動かすと、乱れた呼吸が少しだけ落ち着いた。

 だがそれだけでは足りない。


「まだ君は閉じ込められている。でも本当は自分の足で外に出ることができるはずだ。出口なら知ってる。思い描いて。扉を開けて、階段を上って、外に出ると温かい日差しが君を迎えてくれるんだ」


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ、はぁ……ぁぁあッ……!」


 再び呼吸が乱れていく。

 部屋の外にはまだ出られない――当然だ。その途中にはまだ障害がある。


「落ち着いて。俺はそばにいる。君は今怖いものを見ているね。それを教えて。声に出すとそれは怖いものじゃなくなる。それはなに?」


「あ、あか、赤くて……泥みたいに落ちなくて……床に広がって……動かなくて、動けなくて……ッ、あ! あ! あ‼ …………う、ウチの足に、あか、赤が……ッ、血、血がぁ……!」


 俺はもう一度強く、夏野の体を抱きしめた。


 あのとき――高砂楓(たかさごかえで)神無月秋夜(かんなづきしゅうや)を撃ち殺したあの瞬間、夏野は一番近いところでその光景を目撃してしまった。


 胴体を撃たれた神無月。

 滲む鮮血がまるで彼岸花を描くように床に広がり、それは夏野の足元にまで届いた。


 誰かが死ぬ瞬間を見る。それ自体は人生で一度や二度は体験する出来事かもしれない。

 病気や老衰、事故などの受動的なもの――だがしかし殺人は。


 人が意図して他人の命を奪う行為は、あまりにも衝撃が大きい。


 ましてやそれを、精神がすり減った極限のストレス状態で見てしまったんだ。

 危機が去った喜びなどありはしない。

 あるのはただ心が焼けていく感覚と、無痛で脳に刻まれていく悪夢。


「あああぁぁあ…………ッ‼」


「夏野、君はそれを見ている」


「や、やめ、やめ……ぁッ、‼」


 夏野は手足を必死に動かす。俺から離れようと、俺の言葉から逃れようと。それでも俺は淡々と語り続ける。

 もう少しだけ我慢してくれ、夏野。


「血が流れて、靴の裏にこびりついている。鼻に付く煙の臭い。体中にまとわりつく汗が鬱陶しくて、甲高い音が耳の奥で残響していて、神無月が君を見て、手を伸ばして、口を開いて――」


「う、うう、うぅぅぅ……ぁあ……ッ、ああああ……‼」

 

 夏野の呻くような声。雫が頬を流れていく。限界が近い。

 だがこれをバネに心を誘導すれば。

 そう思い、次の言葉を紡ごうとした刹那――強く閉じられていた夏野の目がぱっと見開かれた。



「――もうやめて」



 鼓膜を貫く冷徹な声。

 瞬間、夏野は俺の体を強引に押しのけ、ベッドに押し倒した。


 俺の上に馬乗りになり、両肩を痛いほど握る夏野――その瞳は、先ほどまでのトラウマに押しつぶされようとしていた彼女のものではなかった。



「随分と――もう一人の私をいたぶってくれたみたいじゃない、白雪」



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