11話『お前は知ってるはずだぜ。俺が俺であるための信念を――』
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七月一日。午前零時三十二分。現場到着。
ついにやってきた。車のライトに照らされる長方形の建物――水波バンク旧歩風西支店。
本来入り口である場所はシャッターが下げられており、そこからの侵入は不可能と見える。
「裏に回りましょう」
腰のホルスターから拳銃を抜いて、薬室の弾丸をチェックした涼子さんが、静かにそう言った。
ふと拳銃の携帯許可などの細かなことが気になったが、この非常時だ。
あとのことを考える余裕はない。
「ああ、行こう!」
――雨はまだ、止む気配がない。
不安を掻き立てる雨音を浴びながら建物の裏手に回り込むと、内部に侵入できそうな裏口を見つけた。
グレーの扉が、まるで手招きするように半開きになっている。
アイコンタクトを交わし、拳銃と懐中電灯を構えた涼子さんを先頭に建物内へ。
中は暗い――が、懐中電灯やスマホのライトのおかげで視界は確保できた。とは言っても、業務に使うテーブルなどは一切なく、まさに抜け殻のような内装だが。
しかしそれにしても、旧歩風中央店と比べて、同じ二年前に倒壊したにしては綺麗すぎる。
あの地震でどこまで被害を負ったのかは分からないが、これはもう一度建て直ししたレベルだ。
抜け殻は抜け殻だが、廃墟ではない。
この場所は神無月にとってのターニングポイント。もしかしたら教団の力を借りて物件ごと入手し、きちんと修繕したのかもしれない。
そしてまたしても、半開きになっている扉を発見した。今度は隙間から白い光が漏れている。
中を覗くとその先にあったのは、地下へと続く階段。
「地下ね」
「進もう」
天井に設置された蛍光灯から垂れる青白い光。真白のコンクリートに囲まれた無機質な階段を、一段ずつ下る。
それほど長い階段ではない。
踊り場に着いて再び階段の先を照らすと、すぐに木製の扉が見えた。
「少し下がってて」
涼子さんが息を押し殺しながら慎重に、ドアノブに手を伸ばす。
イメージはできている。
涼子さんが勢いよく扉を開けるのと同時に、中にいるであろう神無月に銃口を向けて警告。
もしそれが不可能な場合は、とにかく時間を稼いで警察の応援が来るのを待つしかない。
みんな、無事でいてくれ。
強く歯を食いしばり覚悟を決め、そして涼子さんの手がドアノブを掴んだ次の瞬間。
「な」
――二発の銃声が、轟いた。
目の前で飛び散る鮮血。扉を貫通してきた銃弾が、涼子さんの右手、さらには左足を撃ち抜いた。
「涼子さんッ‼」
「ぐッ……」
手足を撃たれ自重を支えきれなくなった体が、前に倒れるようにして扉を開ける。
瞳に差し込む光。広がっていく隙間から徐々にその姿を現したのは、拳銃を構えた男。
神無月秋夜――ヤツが、底知れぬ笑みを浮かべている。
「ようこそ。いや、まずは初めましてかな? 冬馬白雪――」
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「神無月……いや、八木原出雲……」
俺がその名前を口にすると、神無月は嬉しそうに口の端を緩めた。
「そこまで分かっているということは、やはり君は僕という存在を理解して、この場に辿り着いたようだね」
――やられた。
ここはヤツにとって城も同然。きっとどこかにセンサーやカメラが仕掛けてあったんだ。
だから涼子さんが扉を開けようとしたタイミングで、銃撃をおこなうことができた。
神無月は床に落ちた拳銃を蹴り、銃口を一列に並べられた夏野たちに向けた。
手錠で体をパイプ椅子に固定されているから、誰一人として逃げることは許されない。
状況は間違いなく悪い方向に進んでしまった。
「――入りたまえ」
従わなければ友人は死ぬ。そう言外に突きつけられて、俺は硝煙の臭いが満ちた空間へと足を踏み入れた。
部屋の広さは会議室ほど。地下と言うこともあって窓はなく、逃げ道は先ほど下ってきた階段のみ。
「……白雪君」
誘拐され、監禁されてから一日半。
夏野、織姫、楓、花灯、七瀬汐音の五人とも、かなり疲弊しているのが表情で分かる。
「みんな……ッ」
「他の警官はまだ到着しないのかな? だったら君が次に取るべき行動は時間稼ぎだね。だが時間をかければ、手足を撃たれた桐野江涼子が死ぬことになる。これは困ったね」
下唇を噛む。涼子さんは何とか自力で応急処置をしようとしているが、完全な止血まではできないだろう。
さらに警察内には神無月と繋がっているヤツもいる。
時間を稼いだところで、果たしてあと何分で到着するのか予測できない。
「まあ、ようやく君がこうして舞台に上がってくれたんだ。探偵役らしく推論を語ってくれるなら、僕も少しばかり付き合おう。答え合わせといこうじゃないか」
八方塞がりだ。必死に考えても、この状況を打開できる手が見つからない。
「話せよ、冬馬」
それしかすることはないだろう――とでも言うように神無月が威圧し、そして俺は口を開く。
「……八木原出雲は昔から何かを信奉し、誰かに指示されることでしか動けない人間だった。父親の言葉に逆らえなかった幼少期が原因だ。自分が何者なのかを決めてくれる神様役に従って生きる――そうした人生を歩んできたお前は、宗教団体『イノセント・エゴ』に入り、便利な駒としてあらゆる役割をこなしてきた」
「ああ、悪くない。続けろ」
「教団に潜入した者の排除、教団の拡大のために企業へ潜入――あるいは、教団の名前を使って犯罪を犯すグループを潰すことも。二年前の強盗にお前が参加した理由がそれだ。しかしそれがきっかけで、お前は教団を信じられなくなった」
二年前の強盗――その単語を耳にした七瀬汐音が、小さく悲鳴を上げた。
思い出したのだろう。銀行強盗、偶発的に発生した巨大地震、引き金を引いて人を殺した過去を。
「本来お前が排除するはずだった強盗犯。だが実際にその役割を果たしたのは自然災害と、一人の女の子だった。与えられたはずの役割を奪われ、自分が何者なのかを決めてくれる神様は、教団じゃないと思うようになったんだ。そして顔と名前を変えた後に新しく見つけた神様。それが――」
「――ホワイトキラー」
「十七夜月事件は殺害の手口から被害者に至るまで、異常者の間ではひどく崇拝されている殺人事件だ。お前もそれに惹かれた一人で、ホワイトキラーと接触するために一連の事件を起こした」
僅かに、神無月が夏野たちに向けている銃口が下がった。
「『月に一度、過去の自分に戻れ。それができなくなったとき、お前は本当の意味で別人になる』――教団からそう言われていたそうだな。お粗末な洗脳だ。だからそれが月に一度の殺人に繋がった。教団に従うフリをしながら、教団が創り上げた神無月秋夜を捨てるために、八木原出雲として人を殺し続けたんだ」
その意識は俺に向けられ始めている。いつでも拘束されている五人のうちの誰かを殺せるようにしていた意識を、眼前に立つ俺へと。
それでいい。とにかく夏野たちから銃口を逸らさせて、それから――神無月が蹴った涼子さんの拳銃は、今は七瀬汐音の近くに落ちている。
何とかそれを拾って、反撃に出られれば……。
「同時にお前はホワイトキラーを試していたな。現場に薔薇の生花を供えたのがその証拠だ。生花は造花と違ってやがては枯れる。だがその途中には成長し"花を咲かせる"という過程がある。もしホワイトキラーからの接触がなく、己の神に相応しくないと判断した場合、もっと大勢を殺してこう言うつもりなんだろう? ――お前の殺人はこの程度のものだったみたいだ、って」
「……正直に言って、とても驚いているよ。僕という存在を完璧に見透かしている」
「俺と接点がある人ばかりを狙ったのは、あの事件で、ホワイトキラーが俺を殺さなかったことに大きな意味があると考えたからか」
「その通りだよ。この一連の流れでその真相が掴めるかと思い、君をこの戯曲の主軸にした。――その成果はあった"かもしれない"」
そう言って神無月は、小気味よく笑った。
「ふふ、理解者がいるというのは案外いい気分だ」
「ふざけるな。お前はただ自分の頭じゃ何も考えたくない、人の言うことに従って、何の責任も背負いたくないだけの弱い人間だ! 殺人で自己欲求を満たす変態なんて、理解はしても共感はしない! どんな理由があっても人を殺すことは絶対に――」
「なら七瀬汐音はどうなる? 二年前、彼女が引き金を引かなければもっと大勢の人間が死んでいた」
「……ッ」
返す言葉が出なかった。いくら相手が強盗犯だったとはいえ、彼女が人を殺したのは事実だ。
たとえそれが誰かを救う行為だったとしても――。
でも救われた命だってあったはずだ。
俺はそれを、絶対にいけないことだったと否定できるのか?
「それは……」
「意地の悪い質問だったかな? まあいいさ――君はまだ一つ、訊くべきことがあるはずだ。その問いを聞かせてもらおうか」
挑発されても一切余裕を崩さない神無月による指摘――俺があと一つ、この男に問うべきこと。
忘れてはいない。
それは俺の悲願に通ずる手がかりなのだから。
浅く息を吸って、俺はその問いを口にした。
「ホワイトキラーと……会えたのか?」
神無月の行動はすべて、ホワイトキラーと直接接触するためのアピール。
その目的は果たされたのか。
もしそうなら、これまで一切の手がかりを残してこなかったあの殺人鬼を、目撃したことになる。
ホワイトキラーが誰なのか、その正体をこの男は知り得たのかもしれない。
「ふふ――数時間前、これが入り口に置かれていた。僕に辿り着いたのは君だけではなかった」
神無月は復讐心を抑えきれない俺の瞳を一笑して、ベストのポケットから白い封筒を取り出した。
「手紙?」
「君宛てだ。中を見るといい」
投げられた封筒を受け取ると、封蝋の手触りがあった。
表面には筆跡を悟られないようにか、定規文字で書かれた宛名。
――白雪へ、と書かれている。
眼前に立つ神無月という脅威とは別に、俺の心臓は激しく鼓動を刻んでいた。
何の手掛かりも残さなかった、容疑者すら浮かばなかった、家族を、さくらを殺した殺人鬼からの――メッセージ。
俺が捕まえるべき相手。何よりも憎く、決着をつけなければ、未来を掴むことができない宿命。
それが一体、俺にどんな言葉を送るというのだろうか。
意を決して、封を開ける。
――中身は一枚の写真だった。裏面にはこう記されている。
『いつまでも待っているよ。白雪』
裏返して写真の表面を見た。映っていたのは"頭"だった。文字通りの頭。
犯人によって持ち去られ、未だ見つかっていない十七夜月さくらの頭部。
大きな縦長の水槽に入れられて、ホルマリン漬けにされた彼女の頭が写真として切り取られていた。
「うッ、ぐ……ァ……、……はぁ……はぁ……ッ!」
こみあげてきた胃液を何とか飲みこみ、倒れそうになった体を両足で必死に支える。
「ホワイトキラーが選んだのは君だ。とても残念だが、どうしてかな、不思議とこうなる予感はあったんだ。やはり僕は神を捨て、神を超え、己の存在を勝ち取るよ」
「……そんなの、一人で勝手にやってろ……! 誰も巻き込むな!」
「それができたら、こんな人間は生まれなかったよ。僕は捕まれば死刑だ。ならせめて神無月秋夜としてではなく、八木原出雲として裁かれたい。ゆえに――殺そう。冬馬白雪、ホワイトキラーが殺さなかった君から。次に僕を変えた七瀬汐音。それを見ていた高砂楓。次は――いや、もう人数なんて関係ない」
三月に自分自身を、四月に田中父子を、五月に常盤親子を、六月に菊代一家を狙った男は、五人を誘拐し七月になるのと同時に殺害を目論見ていたが――しかし今、そのルールは放棄された。
「この場にいる全員を殺す」
神無月秋夜が敷いたレールではなく、八木原出雲として、ルールを己の意志で破ることこそが、自己の証明だと言わんばかりに。
その手始めとして神無月は、銃口をゆっくりと、俺を標的として動かした。
――チャンスは今しかない。今なら神無月が引き金を引いても、射線上にいるのは俺。間違っても夏野や織姫に当たることはない。
撃たれる覚悟で後ろに駆け出し、転がっている拳銃を拾い上げ、すぐに発砲。
当たるかどうか、威嚇になるかどうかは分からないが、やるしかない。
そうしないと全員、目の前の異常殺人者に殺されるだけだ。
「ッ――――」
凄惨な光景が脳裏をよぎった刹那。俺は即座に動き出す――はずだった。
「させるかよ――‼」
椅子に固定されて動けないはずの楓が、射線が外れた瞬間、勢いよく神無月に体当たりをしたのだ。
「楓――⁉」
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なぜかいつでも外せる状態になっていた手錠を振り払い、俺――高砂楓は強く床を蹴り上げて、神無月に体当たりをかました。
「何……⁉」
意識外からの攻撃に神無月は反応できず、そのまま壁に叩きつけられた。
距離が開くと拳銃で反撃されると判断し――俺もそれを追う。
「ぐッ……なぜ手錠が……‼」
初めての動揺を見せる神無月。その隙を突くように俺は膝蹴りを胴体に入れ、間髪入れず拳銃を握る神無月の左手を何度も壁に叩きつける。
不思議だ。アドレナリンが分泌されて脳のリミッターが外れているのか、全力以上の力を発揮できている。余計な思考はなく、あったとしてもそれで動きが鈍ることはない。
神無月の手から落ちた拳銃。それを右足で蹴って遠くへ。あとは俺がこいつを無力化すれば――。
「舐めるな!」
優れた体格を利用し、神無月は無理やり反撃の糸口を作り出す。
長い手足で俺の関節を封じ、位置を入れ替えるようにして壁に押さえつけ、拳を顔面に。
次は顔面を掴みコンクリートで頭蓋を割ろうとして――束の間、それを中断。
絡ませていた手足を離して、回し蹴りを繰り出した。
「ッ、――ぐ、ァ――ッ⁉」
勢いのままに俺の体は飛ばされる。
――桐野江さんの拳銃を拾おうとしていた、冬馬のもとへ。
それはダメだ。
俺は何とか受け身を取って、冬馬より先に拳銃を拾い上げる。
一方で神無月もまた、美原先輩のほうへと転がった拳銃を手にし、銃口を向けようとしていた。
「今度は君が引き金を引くのか――高砂楓ッ‼」
決断も決着も一瞬。一方が一方を殺す絶体絶命の空間が成り立った。
「ダメだ楓! 撃つな!」
そう叫びながら冬馬は、横から銃身を掴んで銃口を逸らし、かつ神無月に懐中電灯を向けた。
収束した光が神無月の瞳を照らす。
「ッ――‼」
眩む視界。僅かにブレる平衡感覚。
その中で、神無月秋夜は引き金を引いた。
発砲音が壁を反射し、鼓膜を突き刺さるのとほぼ同じタイミング――俺は冬馬の体を強引に押しのけて、照準を合わせた。
「撃つなァ――ッ!」
俺と冬馬の間を銃弾がすり抜けていく。
救いの光を求めた男は、光に目を焼かれて標的を見失った。
「――――」
悪い冬馬。
でもさ、お前は知ってるはずだぜ。俺が俺であるための信念を――。
二年前、引き金を引いたのが自分だったらって、ずっと思ってた。
泣いている女の子がいて。死にそうな人がいて。
それを助けたいと手を伸ばしても、届かなかったあのとき。
なけなしの正義感を打ち砕かれたあの瞬間から――ずっと。
それから俺の心には、杭のように刺さっていたんだ。
――見殺しより、人殺しがいい。
だから俺は。
高砂楓は、神無月秋夜を撃ち殺した。




